「ヘイブラザー!至急作って欲しい薬があるんだけどいいかい?」

 その日、ソーンズの篭る実験室に一人のオペレーターが訪ねて来た。
 彼の居る実験室はいつ爆発するかわからない危険地帯とされており、そんな実験室の戸を叩くのは、腫れ物どころか折れた骨に触るような行為だった。しかし、そんなことは知らないオペレーター、エリジウムはロドスの開かずの扉を容赦なくこじ開けた。
 無愛想なソーンズのことをブラザーなんて呼ぶ者はこのロドスではエリジウムしかおらず、呼称で察したのか、ソーンズは一瞥をくれることもなく手元で行われている実験に集中していた。

「……入室はなるべく静かにしろ、危うくまた部屋を吹き飛ばすところだった」
「次から心掛けるよ……それで!ブラザーに作って欲しい薬があるんだけど、頼まれてくれる?」

 手にフラスコを持つソーンズを見ても構わず話しを続けられる人間もまたエリジウムしかいないだろう。
 相手に引く意思がないことを悟ると、ソーンズは渋々というように、手に持っていたフラスコを台の上に置いた。

「お前がそんなことを言い出すなんて珍しいな。とりあえず聞こう」
「ありがとう!ちなみに、作って欲しい薬っていうのが……」

「頭痛と動悸、あと外傷に効く薬なんだけど」
「どんな大病だそれは」

 普段、無意識の天然ボケで周りを振り回すソーンズの貴重なツッコミだった。万病に効く薬を作ってくれ、と言われたようなものであり、ソーンズは医学を魔法とでも思っていないとできないそのオーダーに絶句した。

「あ、やっぱり君でも難しい?医療部の人たちにもそんなものはないって断言されちゃって」
「とんだ冷やかしだな」
「僕は真剣だよ!」
「なら尚更タチが悪い」

 夢のような薬だ。よって、それはこの世に存在しない。そんなまやかしの存在も医学ならどうにかなると、180cm超えの男が本気で信じ切っていると思うと呆れを通り越して恐怖すら抱く。医療部も、さぞ困惑したことだろう。

「そんな薬、作ろうと試みたことすらないが断言はできる。そんなものはない」
「そこをなんとか!」
「ならない」

 懇願もすっぱり斬り捨てれば、ようやく諦めがついたのか、エリジウムはがっくりと項垂れた。浮き沈みの激しい奴だ。それほどまで元気なくせして、何故そんな薬が必要なのか。仮に作ってやったとしても持て余すだけのように思う。

「僕、最近おかしいんだよ……」

 ソーンズが訝しんでいると、すっかり落ち込んだ様子のエリジウムが、ぽつりと呟くように零した。

「お前が可笑しいのは最近に限った話じゃないだろう」
「そうじゃなくって!」

 そう言って顔を上げたエリジウムの顔がやけに真剣だったので、ソーンズもにわかに神妙な面持ちをしてしまった。もしかして、本当に病気なのか?と固唾を飲んでエリジウムの次の言葉を待った。

「ドクターのことを考えると、心臓がドキドキして脈もおかしくなるんだ!考えごとをしていてもドクターを見たらすぐ忘れちゃうし、ドクターといるとなんだか頭も痛くなってくる!それで隊長にも殴られた!」
「最後は関係ない」

 一瞬でも真剣に考えた自分が愚かだった。ソーンズが愚かならばエリジウムは愚の骨頂に到達していた。
 端的に言えば、エリジウムのそれは病気の相談ではなく恋愛相談だった。しかも、相手はあのドクターだそうだ。正気か。
 やはり杞憂であったことを悟ると、ソーンズの顔からはすんっ……と表情が消えた。そうしていつもの無表情へと戻ったソーンズだったが、エリジウムはお構い無しに話を続ける。

「これってやっぱり可笑しいよね!?病気だと思うんだけど医療部の人たちはだれ一人まともに取り合ってくれないんだよ!」
「とんだ冷やかしだな」
「だから真剣なんだってば!」

 当然ソーンズもまともに取り合う気はなかった。どうでもいいので。だが、ここで暴走列車の如く突き進むエリジウムを止めておかなければ、後々にも迷惑を被るのは自分か医療部であることは察しがついていた。

「……本当に真剣なんだな?」
「そうだよ」
「わかった、なら解決策を教えてやろう」
「本当に!?」

 途端に元気を取り戻したエリジウムに、力強く頷く。ソーンズが突然親切になったことについて、違和感すら抱いていないようだった。

「解決策は――」

 ソーンズの言葉を聞き終えると、突破口を見つけたエリジウムはキラキラと顔を輝かせ、彼に感謝を述べてから実験室を出て行った。……最後に大事なことを言い忘れた気もするが、まぁそれはいいだろう。
 大きな嵐が去り、実験室には再び平穏が訪れた。ソーンズはエリジウムの出て行った扉を見ながら、次からは鍵を掛けておくことを決意したのだった。

「ドクター!ちょっといい?」
 一方、自分がたらい回しにされているとは夢にも思っていないエリジウムは、ソーンズに言われたことを実行するべく、ドクターのいる執務室へとやってきていた。思い立ったが吉日を体現するこの男、当然の如くアポ無しである。
もしこの場に秘書がいればエリジウムは問答無用で部屋から追い出されていただろうが、幸運なことにその秘書は席を外しているようだった。

「……びっくりした、エリジウムか。どうかしたの?」
「どうもこうもしまくりだよ!ねえドクター、僕はいったいどうすればいいと思う?」
「早速話が見えないんだけど」

 開口一番に聞き手さえも置き去りに話を進めようとするエリジウムを静止したのはドクターだった。各オペレーターの自由性を尊重するドクターとて見逃せないものはある。

「とりあえず、何があったのか順を追って説明してほしい」
「うーん、さっきブラザーと話してたんだけど、その内容も言ったほうがいい?」
「いや、長くなりそうだから端折れる箇所は省いて説明して」

 おしゃべりなエリジウムには酷な要望だと思ったが、先ほど言った秘書がここに戻ってくれば部外者である彼は部屋から追い出されてしまうだろう。その前に、要件だけでも聞いておきたかった。

「僕、最近おかしくって……」
「……たとえば?」

 ドクターは抽象的なその言葉に首を傾げた。続きを急かされたエリジウムはどこか渋る様子を見せたが、やがて観念したように口を開いた。

「ドクターのことを考えると、心臓がドキドキして脈もおかしくなって、それで、考えごとをしててもドクターのことを思うとすぐ忘れちゃうし、そしたらなんだか頭も痛くなって。あと隊長に八つ当たりもされるんだ。これって可笑しいよね?」
「最後はたぶん関係ないよ」

 思わず冷静に答えてしまったけど、これ自分が聞いてよかったやつか?とドクターはフェイスカードの下で密かに困惑していた。まだ脳が先ほどの言葉を処理している最中ではあるが、とんでもない濡れ衣を着せられているということだけは理解できた。

「それで、ブラザーがこの苦しみを解決するには、ドクターに全部話すべきだって言ってたんだけど……」
「勘弁してくれ」

 丸投げされたということも分かった。反射的に許しを乞うてしまったドクターにエリジウムは不思議そうな顔をした。

「ドクターでも治せないの!?」
「治すも何もそんな病気は知らないし、だいたいどうにかしてるのは君の頭の方だろう……」
「なら僕を正気に戻してよ!お願いドクター!」
「……もう自分で自分を殴ればいいんじゃないかな」
「それが治療法なんだね?わかったよ!ありがとうドクター!」
「いや、冗談だから、本気にしなくても……待て、エリジウム!おい!!だれかこのリーベリを今すぐ止めてくれ!!!」

 そんな壊れたテレビのような直し方が人体に通用するわけがないことくらい、考えなくても分かりそうなものだが、デバフのかかった状態のエリジウムにはそんな簡単なジョークすらも通用しなかった。意気揚々と自分で自分を殴ろうとするエリジウムを抑え込めるほどの力が自分にないことを知っている非力なドクターは、自分よりも屈強な者を求めて叫んだ。その行動はどうやら正しかったようで、懇願とも言えるその悲鳴に、休憩のためコーヒーを淹れに行っていた秘書がすっ飛ぶようにして戻ってきた。
そこからの展開は早かった。彼は恐ろしく早い手刀でまずエリジウムを物理的に黙らせると、次に駆けつけた職員に気を失った状態のエリジウムを預けた。職員は明らかな私闘の痕跡に震えたが、無言で押し付けてくる秘書が怖かったので敢えて言及は避けた。
 こうして職員は自分よりも背の高い大男を半ば引きずるようにして背負いながら、廊下の先へと消えていった。一連の流れが鮮やかすぎて、何が起こったのかいまいち把握しきれていない。そのくらいあっという間に解決した出来事をドクターは頭で振り返りながら、「一番の被害者はおそらく彼だろうなぁ」と駆けつけてくれた職員の姿を思い浮かべた。

「ドクター、やはり部屋の前に地雷を設置しましょう」
「あぁ……お願いしようかな」

 いつもなら断るその申し出に、すっかり理性が溶け切ったドクターは甘えることにした。
その日、ドクターの部屋の前では何度か爆発が起こったが、地雷を踏んだのはエリジウムではなくイーサンとカーディだった。

#

 目が覚めたとき、エリジウムは医務室の硬いベッドの上にいた。
 エリジウムは何故自分が医務室にいるのかよく理解していなかった。ドクターの部屋を尋ねたところまでは思い出せるが、都合の良いことにその後のことは綺麗さっぱり忘れていた。サンクタの狙撃手に気絶させられたことすらもだ。診察を担当した医師は手刀を叩き込まれた際に脳が揺れたことによる欠乏と判断し、異常なしとカルテに書き込むと、騒がしいエリジウムはすぐに医務室から追い出された。薬の件で散々無茶振りをしてきたエリジウムに対する医療部の対応は厳しかった。

「ドクターにもどうすることもできないって言われたよ」
「どうにかしてもらう気でいたのか、お前」
「うん。でも、そんな病気は知らないから治療法もないって」
 そして暫くあてもなくロドスを彷徨った後、エリジウムは導かれるように再びソーンズの篭る研究室へと戻ってきた。そこでことのあらましを説明すると、ソーンズは信じられないものを見るような目をエリジウムへと向けた。

「……お前、まだそれが病気だと思ってるのか?」
「えっ、違うの?」
「……そうか、いや、確かに鳥頭という言葉もあるくらいだからな、種族でそういう思考の違いもあったりするだろう」
「僕はともかくリーベリ族が馬鹿だって決めつけるのはやめてくれない!?」

 彼はロドスに在籍するリーベリ族が一体何人いるか分かって言っているのだろうか。知っているのだとしたらあまりにも命知らずな発言だ。エリジウムの発言に、ソーンズはこともなげに「冗談だ」と返した。分かりにくいんだよ君のジョーク!

「とにかく、お前のそれは病気じゃ……いや、ある意味では病気なのか?」
「え、やっぱり病気なの?というかブラザーはこの病名を知ってるの!?」
「あぁ、まさか気付いていないとは思わなかったが……お前のそれは、」
「ま、待って!深呼吸をした後に聞くから、」
「恋だ」
「待ってって言った!!!」

 鉱石病という難病を患っているエリジウムは、これ以上病の話を聞くことに抵抗があったが、健康体であるソーンズには伝わらなかったらしい。
 耳を塞ぐことすら叶わなかったエリジウムは、容赦なく突きつけられた現実に悲鳴にも似た声をあげたが、ソーンズが言った言葉を頭で理解したのか、次の瞬間、ぴたりと動きが止まった。

「………恋?」
「ああ」

 淡々としたソーンズの相槌に、しぱしぱと目を瞬かせる。

「……ドクターと話してると、心臓がドキドキするのはそのせいだってこと?」
「ああ」
「ってことは、ドクターのこと考えてると頭が痛くなるのも?」
「ああ」
「隊長の僕への当たりが厳しいのも?」
「それは関係ない」

 最近は毎日のように扱き下ろされてるのに!?とエリジウムは抗議の声をあげたが、隊長のエリジウムへの扱いは以前からずっとそんな感じなので、それは本当に関係ない。むしろ何故関係あるのと思っているのか。
 自分を振り回す正体をやっと理解したエリジウムの顔は、みるみるうちに赤へと染まっていく。

「ど、どうしよう!当分ドクターと顔を合わせられそうにないんだけど!」

 まるで乙女のような反応だが180cmを優に変える男である。だいたい恋の症状をこともあろうにドクター本人に打ち明けてしまった時点で告白したも同然だと思ったが、ソーンズは言わなかった。というかそんなことはもうどうでもよくなっていた。
 この話題にすっかり興味を無くしたソーンズはエリジウムを無視して再び新薬の開発という名の実験に没頭し始めた。

 その後、羞恥に悶えるエリジウムがソーンズにぶつかり、手元が狂った彼が調合を誤って実験室を爆発させることになるのだが………それはまた別の話である。

君を呑み込むラブソング