窓に掛けられたブラインドから、光が射し込んだ。こうして起きたまま陽の出を見るのは今週に入ってもう3度目であった。……ん?3度目だっけ?4度目だった気もする。いや、もう、分からない。自分が一体いつから寝ていないのか、分からない……。
 ハッキリさせる為に壁に掛けられている日捲りカレンダーを確認したが、その数字は過去で止まっていてヒントにすらならなかった。

 日にち、曜日感覚は大事にしようと、公安部には少し前から日捲りカレンダーが設置されていた。然し常時忙殺状態の連中には紙一枚捲る暇すらないらしく、誰か気付いた人がスマホに表示される日にちと照らし合わせて何枚かいっぺんに破るというのが習慣となっていた。
 ……当初の目的を全く果たせていない日捲りカレンダーである。
 しょうがない、今回は私が捲ろうとスマホを取り出し正しい日にちを確認した時、それはただの数字から少し特別な数字へと変化した。
「あっ!」
 ──6月17日。
 祝日でもなんでもないただの休日(然し仕事である)、そんな退屈な一日だ。そう、私以外は。
「降谷さん降谷さん!」
「はぁ……なんだ」
 死んだ魚のような目でキーボードを叩く上司に早速話し掛けた。目の下にクマを飼う降谷さんは私の元気さを前に露骨に顔を歪める。明らかに歓迎されていない空気だが、お構いなしに話を続ける。
「私、今日誕生日なんですよ!」
「そうか」
「反応薄っ!誕生日プレゼントってことで、仕事変わってくださいよー!」
「お前、今何徹目だ」
「え……分からない……3?」
「そうか、俺は5だ」
「おっとこれは誕生日とか言ってられない雰囲気」
 寧ろお前が変われと言われそうな展開だ。絶対にお断りだけど。
 話していると、また降谷さんがみょうじに元気吸われてるぞーと茶化すような声が聞こえて来た。
「失礼ですね、寧ろ元気をお裾分けしてるんですよ、ねぇ降谷さん!」
「一滴残らず搾り取られてるが」
「降谷さん!」
 何その表現、降谷さん雑巾なんですか。
 後輩に構いながらも降谷さんがタイピングする手を止める事はなかった。しかし先程から何度か誤字をしては直してを繰り返してばかりだ。等々脳みそだけでなく指先まで疲労が回って来たらしい。流石に可哀想……。
 雑談をやめて、彼に向けていた椅子をデスクへと向き直す。ぐっばい私の誕生日、また来年きてくれ。気合いを入れるようにペシンと頬を叩けば、絶対に寝てはいけない公安部が始まる。
「降谷さん、この資料どこに持っていけばいいでしょうか」
「あぁ、それなら俺が預かるよ」
「風見さん!」
 私の集中力よ、再びさよなら。
 隣のデスクから聞こえてきた声に顔を上げれば、降谷さんと同じく目の下にクマを作った風見さんと目が合う。恐らく彼も3徹目だ。
「聞いていた。誕生日らしいな、おめでとう」
「わー!ありがとうございます!どこぞの死んだ目をした人とは違って風見さんは優しいなー!」
「漏れ無くみんな死んだ目なんだが……」
 自嘲気味に笑う風見さんを他所に、敢えて隣の上司に聞こえるよう白々しく話した。
 それがきっといけなかったのだろう。この時の私は降谷さんが5徹目であることなんてすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
「……みょうじ、暇ならこの資料を上に届けてくれ」
「えっいやです」
「俺の班に居る以上お前に拒否権ない。その間に 優 し い 上司が珈琲でも淹れといてやる」
「……ひょっとして怒ってます?」
「全然」
 嘘つけぇ〜〜!!ポアロwithあむぴな笑顔を向ける上司だが、降谷零の方を先に知っているこちらとしてはその笑顔を見て鳥肌が立つ。
 そして笑顔なのにどこか目が死んでいる気がしてそれが更に恐怖心を煽った。
 大袈裟に震えてみせた私に、すっと降谷さんの目から温度が完全に消失した。
「行け」
「は、はーい!」
 この期に及んで 私!今日!誕生日なのに!という文句を口に出すほど私は命知らずではなかった。どことなく安心感を覚える命令口調に、ビシッと敬礼をして部署から飛び出した。
 誕生日は死んだ!もう居ない!




 嵐のような女が去った部署には寂しい静寂が訪れていた。
 しん、と静まる一室。たった一人いなくなっただけでこれ程まで静かになるのかと少し呆れる反面、何故か虚しくもなった。
 カップを二つ持ち、椅子を引いて立ち上がる。それに、風見が少し意外そうに目を開いた。
「本当に淹れてあげるんですね」
「まぁ、誕生日だしな」
「喜ぶと思いますよ、彼女」
 微笑ましいものを見るように目を細められた。心成しか部署の雰囲気も柔らかい。さっきまで殺気立って書類を捌いていた癖に、心底鬱陶しいと舌打ちをすれば、部下は示し合わせたかのように一斉にパソコンへと目を落とした。
「そのカップ、彼女のですか?」
「……他に誰がいる」
「そうですよね、すみません」
 口先だけといった謝罪をした後、風見は眩しそうに目を細めた。
「素敵な誕生日プレゼントですね」




 怒った上司にパシられた彼女は知らない。

 戻ってきた時、使い古したカップではなく、新品のカップに珈琲が注がれていることを、まだ、知らないでいる。

「今日も降谷さんが冷たい!!」

誕生日でも上司は厳しい