暴くのは誰か

理知的な女は嫌いだ。女は遊びを知っている奴の方が良い。遊びを知っている女は引き際を弁えているし後腐れなく終わることができる。勿論、女の違いによって任務に支障が出ることなどありはしないが、それでも好みの問題として神永は理知的な女を好きにはなれなかった。
鼻もちにもならない御託を並べる男と同様に、毛ほどの価値もない知性をこれ見よがしに振りかざす。ほら見て?私はそこらの女と格が違うのよ、と胸を張る姿に上げた口角が何度痙攣したことか。
故に神永が宿に連れ込むのは常に遊び上手な女だった。流行りの香水を身体に塗りたくり、己の性を売り物にして男を誘う。阿婆擦れなどとそしられるそんな女こそ神永にとっては極上の名器だった。

「考え事?」

紫煙を吐き出した神永の背に柔らかな感触が伝わる。豊満な双丘が態とらしく当てられ、耳元で囁かれた言の葉は耳管を犯すほど艶やかだ。
情交の後の室内は湿度が高い。汗ばんだ肢体には所々露が見られ、行為の激しさから一転して静謐な空気が流れていた。
ツゥ、と背から回された細指が神永の腹を撫でる。悦を誘うその軌跡に神永の喉が鳴った。

「ねぇ、何考えているの?」
「ごめんごめん、ちょっとね」
「ふふ、なァにそれ」

至極楽しげな声音の後、首筋に瑞々しい感触が伝わる。ふっくらと桃色に塗られた甘い唇が神永の皮膚を丹念に食み舐め上げる。
鼻腔を抜ける甘い香りに神永はくつりと笑むと振り返り、あっという間に女を組み敷いた。片手で遊んでいた指先は灰皿へと伸ばされる。
態とらしく音を立てて火を消すと、高揚したのか女は艶然と神永に熱視線を送った。

「ね、早く?」

脈打つ神永の下肢に己が股を見せつける。まごうことなき名器に神永は胸を高鳴らせた。
やはり女はこうでないといけない。羞恥に頬を染めて行くか戻るか逡巡する女は、己の扱いに拘りがある。訓練として抱くのならこれ以上ないほど極上の相手だが、ただのはけ口としては割に合わない。
凹凸の交わりに情念など要らない。金と欲のやり取りはただそれだけで充分だ。愛だの恋だの、腹の足しにもならない感情や知性も必要ない。
腰を進めれば反応する肢体。ねっとりと絡みつく嬌声に酔いしれ、凹の中で雄が唸る。
一等高く鳴いた女の声はひどく心地良かった。


「で、何を考えていたの?」

投げ掛けられた問いに神永は振り向いた。
乱れた寝具を気にかけることもなく、女は繕いを整えていた。神永の視線に気付くと、口角を上げて先を促す。

「いつもより口数が少なかったから、何か考えていたんでしょ?」
「えぇ?何を言っているんだい」
「あら、はぐらかすのね」

まぁ、別にいいけど、と女は更に口の端を釣り上げた。
詮索する女も趣味じゃない。しかし女は神永の応えに踏み込むこともなく、ただ麗質な笑みを浮かべていた。その艶姿を神永は上から下まで眺める。惜しげなく晒された肢体、伏し目がちにしかし色を乗せた視線、その中に女の意思が見え隠れしているような気がした。
その様に何故か妙に胸が騒つく。
神永は徐に女の唇を奪った。ぴくりと反応した女に気を良くすると、荒々しく、咥内を全て犯すように彼女の舌を絡め取る。胸に染みて来ている靄がかった感情に不快感が募り、更に彼女の奥底へと欲を伸ばした。
それは、溢れ出る水など御構い無しの、獣じみた口付けだった。

「………ッ!」

その蹂躙のさなか、神永は眼を見開いた。

瞳に映ったのは、深淵を見透かすような明眸だった。顔を覗かせた女の意思が交錯した視線に描かれている。それはまるで、神永の思考を探る様な瞳だった。
神永の思考はピタリと停止し、彼女との間に糸が引かれる。
視線を外すことの出来ない神永に対して、透けた糸を指に絡めて、彼女は蠱惑的に口元を緩めた。

「あら、どうかした?」

妖艶な眼差しだけではない、神永は生唾を飲み込んだ。
理知的な女が嫌いな神永にとって、彼女のような存在はその対極にいたと認識していたがとんだ誤算だった。神永は顔を歪めた。
引き際を弁えていながら、その実じわりと侵食しようとする。その抜け目のなさ故に彼女達は己の価値を最大限に引き出す術を持っている。こちらが隙を見せれば噛み付き、肉を引きちぎる技量と気概があるのだ。
何処に弱さが、脆さが、儚さがあるかを狙う狩人。
それは決して鋭い眼光ではない。しかしその瞳の底には、鋭利な毒針を潜ませている。

神永はひとつ息を吐いた。

「女って恐ぇな」

ぽつりと吐露した純粋な想いに女は眼を瞬かせると、けらけらと腹を抱えた。

「ふふ、なによそれ、今更?」
「本当にな。今更だ」
「ふぅん…まァ、今更でも分かっただけ良かったじゃない」

あっけらかんとした女の声に神永は苦笑する。
自分はスパイだ。D機関で訓練を積んでいるスパイ。己ならばこれくらいは出来て当然と、それを疑うこともなく生きている。女の扱いひとつも心得ていた。
しかしながら、女とは底知れない生き物だと神永は再認識した。
スパイと見破られたわけではない。そのようなヘマをするほど神永は愚かではない。
しかしそれ以上に、彼女の神永という人間そのものを見据える眼差しは化け物さえも暴かんとするほど研ぎ澄まされていた。

「自分の顔を見透かされる気分だったよ」

恐い恐い、と神永は軽口を零す。
緩やかな応酬にピリオドを打とうと傍のケースに手を伸ばした刹那、女は、あら、とひとつ声を顰めた。

「貴方に顔なんてないじゃない?」

疑問の程で確信を宣う。まるで、喉元にナイフを突きつけられたような鋭い悪寒が背筋を這い上がった。
緩慢に上げた視線が彼女を捉えると、その口元は一層吊り上げられる。
そこに居たのは、確かにただの女だ。

「……顔がないだって?ひどいな。こんなにも色男なのに?」

冗談めかした物言いは彼の十八番。どこが張り詰めてしまった空気を溶かすために神永は間延びした声で彼女を絡め取ろうとした。
するりと伸びた手はしかし届かない。

「ないわよ。貴方の顔はここにはないわ」

代わりに差し出されたのは、ひどく澄んだ声音と艶やかな指先で。神永の両頬に細指が添えられ、視線が合わさる。
瞬くことも許されない圧迫感に神永が囚われた一時を見計らい彼女は、ニィ、と笑った。


「見つけた」


ーー嗚呼、女はとんだ化け物だ。

もしやあの魔王様は、女の底知れなさに一種の畏怖を感じているから引き入れないのでは、と錯覚するほど目の前の女の形をした何かは確かに化け物だった。


ーー


暴くのは誰か