※映画(ゼロシコ)観て突発的に考えたものです。
※続きそうな雰囲気ですが続かない。ただのネタです。
人とのつながりも温もりも愛情も友情も、陽の下で暮らす人間の特権だ。燦々と浴びる日常という果実を食べて、豊かな社会を享受するのが所謂普通の人間なのだろう。
しかしながら、日向があれば日陰もある。それは、日常のすぐそばにある。日向を歩いていると思った次の瞬間には日陰に足を踏み入れてしまうことは往々にしてあることでその事実に気づく人間もいれば気づかない人間もいる。果実が腐っていることに気付いた時に何故か日向に戻っていれば、己が日陰にいたことすら気付かない。
現実世界は日常と非日常、表と裏、光と陰、相反する背中合わせの事情で成り立つものだった。
カーテンの向こうから迫る朝が告げる一日に身体が自然と反応する。眠りは浅い方だ。深く意識を落としてしまえば、不測の事態が起きた時に身体が対処できない。常に気を張る生活に慣れきっている四肢は素直に己の言うことを聞いてくれるため、朝、と認識したその瞬間から素早い行動が可能だった。
ベッドから降りて、身支度を整える。購読している経済紙、地方紙、全国紙など新聞を見比べながら情報を確認する。表に出ている、所謂一般人でも入手可能な情報を収集する手段を、オシント、と言うが、雑多に存在する細々した情報を統合して分析するだけでもなかなか多くの情報が手に入ることがある。
非合法だけが諜報員の取り柄ではない。情報の収集と分析も仕事のひとつだ。
故に、朝の日課として欠かせない。
愛用のマグカップを手にコーヒーを飲んでいると携帯端末が震えた。リモコンに伸びていた手を横に逸らして、震えるスマートフォンを掴む。
「依頼していた件か?」
通話ボタンを押した刹那、電話越しの相手にそう尋ねれば、僅かにため息が漏れる音が返ってきた。
『徹夜で解析しました。結果はそちらのアドレスに送りますか?』
徹夜明けだからなのか、電話相手は多少掠れた声となっている。顔を歪めている相貌は電話越しでも想像できた。
「いや、もしものためだ。直接受け取る」
『……なら、夕方に例の喫茶店で』
「できれば今すぐが良い」
『できるなら夕方がいいです』
「………ほう」
『二徹していて疲れているんです。駄々こねられても嫌なものは嫌ですから』
では午後四時に、という言葉を最後に一方的に会話はシャットダウンされた。すかさずもう一度掛け直してみたが、ものの数秒での再コールにもかかわらず届きはしなかった。
「電源を切ったな」
自分以外の電話でも来たらどうするつもりだと嘆息するが、それを本人に言えば、「別に問題ないです」と無表情で答えるだろう。そういう女だ。
カーテンの隙間から眩い朝陽が溢れ落ち、薄明だった室内が厚い布越しでも明るくなった。窓に近づきカーテンを開ければ、朝の輝きが全身を包む。
「夕方ね」
今頃、ひと眠りについているだろう相手の顔を思い浮かべて、しばし思案する。ちらりと視線を置き時計へと移して今後の予定を頭の中で整理すると、陽の光を受け止めていたカーテンを勢いよく開けた。
今日は、忙しい一日なる。
壁掛けのカレンダーを一瞥し、再び陽光が眩しい外を見遣る。
燦々と身体に落ちる朝陽に目を細め、降谷零の一日は始動した。
*
在宅ワークの良いところは煩わしい人間関係が少しでも減るところだ。クライアントからの依頼を受けて依頼通りの成果を提出する。実績がモノを言う世界はシンプルでわかりやすい。
しかしここ数日は人間関係での摩耗がない割に忙しい日が続いた。マルウェアの解析、追跡プログラムの構築、不正アクセスのログの解析、解析と構築の他にも、脆弱性の確認などの仕事も舞い込んできた。加えて、とどめが捜査協力ときたものだ。身体はひとつだというのに随分な仕打ちだった。
ごそりと寝返りを打ち、薄っすら瞼をあげる。遮光カーテンはよく仕事をしてくれていて、外は眩しいほどの陽光で満たされていることが容易に想像がつく天気にもかかわらず、部屋の中はどんより薄暗い。仕事の後にひと眠りするには最適な明度だった。
二徹してようやっと終わらせた仕事だ。終わらせたうちの最後の仕事は、日が昇り多くの人間が活動し始める時にクライアントに送りつけた。が、報告した直後、まさかの受け取りを今すぐ、と来たため、寝ぼけ眼を擦りながら内心悪態をついた。ふざけるな、馬鹿か。三徹四徹しても動けるゴリラのようなクライアントとは違い、自分は善良な一般市民だ。
今日はゆっくりしよう。昼過ぎに起きて、まずは買い物だ。冷蔵庫の中には食料も何もない。食材の買い出しついでに、どこか喫茶店でも寄ってお茶をして、午後の優雅なティータイムを楽しむのもいい。ゆっくりのんびり、そのあとは、待ち合わせや場所へ向かいデータの入ったUSBメモリを渡せば終わる。そして帰ってからは寝るもよし、ゴロゴロするも良し。自由に使える時間があるということは非常に貴重だ。
置き時計の時間は午前十一時。まだ寝れる。そう考えて重い瞼を閉じた刹那、部屋にインターフォンの音が鳴り響いた。
「……誰」
快適な睡眠を邪魔する音に自然と顔が歪む。宅配は何もないはずだ。仕事相手に住所は教えていない。訪問販売も禁止のマンションの筈だが、まさか不躾な輩が販売目的で来たのか。
いずれにせよ、相手をする必要はない。そう結論付け、もう一度鳴ったインターフォンを無視した、が、二度三度四度と嫌がらせのようにそれは鳴り続けた。
「……鬱陶しい」
悪質な嫌がらせか。相手の顔くらい拝んでやろうと苛立ちながらベッドから顔を出して備え付けのカメラ映像を覗く。
刹那、ぴしりと身体が硬直した。
「な、んで」
画面の向こうの男に頬がひくつく。
まさか、アポイントは夕方と伝えた筈だ。否、そもそも何故この場所を知っている。クライアントに住所を教えた覚えはない。
茫然と液晶画面を見つめていると、気付いているのか、男は天使も顔負けの爽やかな笑みを浮かべた。
『開けろ』
笑顔の裏に般若が見える。
「顔と言葉が伴ってない…」
詐欺だ、とぼやきながら、苗字名前は大人しく解錠ボタンを押した。
「夕方だと伝えた筈ですが」
「急用ができた」
「ご多忙なことで」
「分かったなら、早くしろ」
小さく鼻を鳴らした名前は仕事部屋に置いていたUSBメモリを手に取ると、リビングのソファを陣取るクライアントに投げつけた。不意打ちのような行為にもかかわらず、男、降谷零はそちらを見向きもせずに片手でメモリを受け取った。
「取り敢えず、押収したパソコンに残されたログは解析して、削除データの復元は終わらせました。モノも持って帰りますか?」
「もらおう。こちらの鑑識もいい加減調べさせろと詰め寄って来ているからな」
「最短で終わらせたのに煩いですね」
眉をひそめた名前に降谷が肩を竦める。
「もともとは公安鑑識に回してからお前に渡す予定だったからな」
さらりと放たれた言葉に名前の顔は盛大に歪んだ。涼しい顔をしている男に対して若干殺意が芽生えたのは見て見ぬ振りをしておこうと視線を逸らしてため息を吐く。なら公安鑑識に思う存分調べさせてから回せとこぼれそうになった悪態を飲み込んだ。
このクライアント、降谷零は警察庁警備局警備企画課内に存在する、公安警察を仕切る組織ゼロに所属している。存在しない組織であれと謳われているらしいが、一部の人間には既知の組織だ。
名前の仕事は所謂ホワイトハッカー。企業のシステムの脆弱性を確認したり、マルウェアを解析するほか、不正アクセスのログの解析など仕事内容は多岐に渡るが、ここ最近増えているのがこの公安警察、降谷零から依頼される業務だ。押収されたパソコンのデータ復元、外部からのマルウェアの解析と追跡プログラムの構築が主で、昼夜問わず仕事の依頼が来るためそろそろ彼のアドレスをブロックしようかと思う始末だった。
「そちらでできることはそちらでやって下さい。こっちは通常業務もあるんですから」
「FBIからの依頼か?」
眇められた目が向けられる。降谷からの探るような視線を名前はぴしゃりと跳ね除けた。
「もう来ていませんよ。必要以上にこちらにコンタクトを取るより、自局で納めた方が情報は流出しませんから」
「赤井秀一個人からの依頼は?」
尖った声音と睨め付ける視線が向けられる。肩を盛大に竦めた名前はヒラヒラと手を振った。
「ありませんから、ご心配なく」
呆れ声で返しながらひと欠伸すると、不満気な顔を隠さない降谷の横を通り過ぎて洗面所へと向かう。横暴なクライアントのせいですっかり目も覚めてしまった。
(本当に、面倒臭い)
威圧感たっぷりの声音にはもう慣れたが、あの男は彼のことになると面倒くさい。その名を聞くだけで臨戦態勢になる。
赤井秀一は、自分のクライアントの一人だ。否、クライアントと済ませるだけの関係ではない。古くからの付き合い、友でもない、強いて言うなら仲間というべきか。当の本人がどのような認識を抱いているかは分からないが、少なくとも名前からの感情は好意的なものだった。
自分と旧知の仲であるその赤井秀一に対してこの男は並々ならぬ敵意を抱いている。嫌悪と憎悪が入り混じったどす黒い感情を初めてぶつけられた時には面食らったが、それをいなすことができる程度には名前は既に彼個人を知り得ていた。
顔を洗い、歯を磨き、スキンケア商品で顔を整えた名前がリビングに戻れば、当の本人は我が物顔でソファに座りタブレット端末を操作していた。さっさと帰るのではなかったのかと訝しげな視線を送る名前は、自分を見遣った降谷に嘆息した後、とんとんと自身の頬を指差した。
「それ、仕事で怪我を?」
降谷の右頬、ガーゼが被せてある場所を指して彼女は問うた。
降谷の仕事柄、怪我をすることは往々にしてある。擦り傷であったり、骨折などの大怪我であったりと程度の差はあるが、それほど公安の仕事というものは危険が伴うのだろう。
「君は今起きたから知らないのか」
「……はあ」
「テレビを付けろ」
嘆息した降谷に促されて名前がリモコンの入りボタンを押すと、昼前のワイドショーが流れた。左肩のテロップには速報の文字。右肩には、
「大規模な爆発事故?」
眉をひそめた名前が降谷に何のことだと視線で訴えると、降谷は画面を睨みつけながら短く舌打ちをした。
「事故と発表をしていないというのに…広報に連絡を入れるか」
「事故か事件かまだ定かではないと?」
「だから発表はまだ控えているんだよ、まったく」
スマートフォンを取り出し、電話口で指示を出す降谷を尻目に、名前はテレビ画面をじっと見つめる。アナウンサーが鬼気迫る表情で伝えるニュース。サミット会場、大規模な爆発、死傷者、断片的な文字情報を羅列していけば目の前の男がいったい何処にいたのかは容易に想像がつく。
冷蔵庫から取り出した牛乳をマグカップに注いで、電子レンジに入れること一分。湯気が出るホットミルクを口に運び、名前はわざとらしくため息を吐いた。
「そんな場所からここに来て、一体なんのつもりです?忙しいでしょう、まさに、今」
テレビ画面に視線を向けながら問うた名前に、電話の終わった降谷がタブレット端末を操作すると、画面を差し出して来た。
「急ぎの依頼だ」
ああ、だから直接わざわざ来たのか、と妙に納得した名前は画面を覗き込む。建物の見取り図、ネット配線図が記されたデータに眉を顰め、「これは?」と促すと、「現場の見取り図だ」と返した降谷が情報を重ねた。
「現場のガス線はネット上から開閉可能だ。ここが何者かに不正アクセスされた」
「………それを特定しろと?」
「話が早くて助かる」
二秒ほど間を開けて答えた名前に、降谷はニコリともせずに謝意を述べてタブレットの電源を切った。心のこもってない言葉には慣れっこだが、もう少し感謝というものを持ってほしいものだと嘆息しながらホットミルクで喉を潤す。
「時間がかかるかもしれません。とりあえずこちらでも調べますが、そちらの鑑識、あとサイバー犯罪対策課でも並行して作業を進めてくださいね」
ひらひらと手を振り、降谷に退出を促す名前を他所に降谷はさらりと宣った。
「あと、特定の人物のPCに細工を頼みたい」
「頼むことえげつないですね」
違法作業はお手の物。目的のための手段はいかなるものであっても問題はない。可愛らしい顔で、やることはチンピラじみている降谷の餌食となる人間に同情を禁じ得ず、じとりと視線を送った名前に降谷が「できないのか」と問う。
しかし彼女に、首を振る選択肢はない。
「やりますよ。仕事ですから」
降谷に負けず劣らずの怜悧な瞳がそこにはあった。
氷の女