熱の功名

休日の夕刻前というのは各々が好き勝手にプライベートを楽しむ時間だ。外へと出かける者、室内で過ごす者、共有スペースで談笑する者と、雄英高校ヒーロー科1年A組の生徒達もひと時の安らぎを味わっていた。ヴィラン連合との戦闘、仮免試験の為の強化合宿など息つく間もない生活の中で訪れた貴重な休日に誰もが浮き足立っていた。

しかしながら、そのひと時の安らぎを享受出来ない人間も中にはいる。


(熱い)

苗字名前は上昇した体温を霧散させるように寝返りを打った。寝返りを打った場所もまた熱を持ちまたその身体を反転させる。
しかし反転させた刹那、刺すような頭痛が彼女を襲い、思わず声を上げた。

「いっ、…たぁ」

恨めしい様子でコツコツと拳で頭部を刺激してみても、絶え間なく脳を刺激する鈍痛を助長させる材料にしかならないことに嘆息する。
大人しくしていた方が身の為だと、痛みより熱さを取った名前はそのまま瞼を閉じた。

蒼天が広がった休日に彼女の元へやって来たのは、呼んでもいない病原菌だった。起きがけに感じた身体の節々から感じる痛みに嫌な予感しか頭を過ぎらず、要は、風邪を引いたのだった。
人々をピンチから救う正義のヒーローが体調管理もまともに出来ずに挙げ句の果てに頭痛に敗北を喫するなど何の冗談だと体温計を口に含んだのが数時間前。ピピピ、と示された電子記号に、冗談が現実となったと肩を落とした。
部屋から出ない名前の身を心配した級友の女生徒達の見舞いを丁重に断り、せめてもと差し出されたゼリー飲料だけをベッドの横、テーブルの上に置いてはいるが、ひとくち口に含んだ後は寝入ること数時間。鋭利な痛みは時折になったものの、相も変わらず鈍痛と熱は彼女の身体に居座り続け、その身でもてなせと言わんばかりに存在を主張し続けていた。

防音機能が備わった寮では外の音は聞こえない。爆音が響けばいざ知らず、招かれざる客が来ない限りは静寂が支配している。

(寝たいのにな)

充分寝ただろうと身体が主張するせいで落ちない意識に名前は頭を抱えた。溜息を幾ら吐いても、熱と鈍痛は去る気配はない。思考すら浮遊する感覚と物静かな空間に過るのは、らしからぬ想いで。

(静か…)

齢15のヒーローの卵は静寂に深く目を閉じた。


その静を切ったのは聞き慣れた声とノックオンだった。

「入るぞ」

どうぞ、と答えるより先に開かれたドアに名前が視線を遣れば、錠剤と水を手にした級友が姿を現した。表情筋が死んだような相貌からは想像もつかないほど熱い想いを持つ彼の登場は予想外だったのか、彼女は大きな目を瞬かせた。

「轟君…?」

どうして、と上体を起こした彼女は鋭く走った痛みに顔を歪める。声なき声を上げて頭を抑えたその姿に、彼、轟焦凍は表情を変えることなく答える。

「麗日に頼まれた。今はほとんどの奴が出払ってて自分も外に出るから持って行けって」
「お茶子が…?」
「薬持ってないんだろ。市販のやつだけどあいつが持ってたモンだ。飲めよ」

そういうことか、と合点のいった彼女は丸顔の友人に合掌した。
名前の隣に腰を下ろした轟はカプセル型の錠剤と水を差し出した。クラスメイトの好意に身体を支配する熱とは違う暖かさを噛み締め、名前は錠剤を一飲みする。粉薬ではない錠剤は飲みやすい。

「ん。ありがとう、轟君」
「大したことじゃねぇよ。あと、辛いなら寝とけ。起きなくていいから」

とん、と肩を押されて名前の身体は重力に逆らうことなく寝台へ沈む。
そのままこてんと名前が身体を彼の方へ傾ければ、自然と視線が交錯した。何だ、と小首を傾げた彼に、内ににこみ上げたのは奇妙な擽ったさで。

「何だか、人がいるって安心する」

何を言っているのだろう。熱のせいかやけに饒舌な自分自身に名前は苦笑する。
安定しない思考に呑まれながら力ない笑みを浮かべた彼女に轟はひとつ瞬いた。

「そんなもんか」
「そんなものなのかな」
「どっちだよ」

口元を緩めた轟と共に、2人笑い合う。他愛のない友人との会話の心地良さに、名前は鈍痛さえも彼方へ過ぎ去ったように感じられた。

ふと、轟の手が動いた。瞬かせた瞳が彼を捉えた刹那、名前の額にひやりとした感触が広がった。

「熱、高いな」

身体の右側で氷を操る彼特有の掌。つん、とした冷たさが心地良いのは単にその冷感だけではなく、心根が織りなす優愛の精神によるものかもしれない。
伝わる冷気とその心遣いは紛れもなく轟焦凍という人間を表していて、己が身を案じる級友に名前はくすりと笑みを零した。

「轟君の手、気持ちいい」
「右だからな」
「それもあるけど……」
「けど?」
「……んーん。何でもない」

伝えたところでどうということはない。無自覚に他人に手を貸してしまうのが轟であるということを名前は知っている。
故に、気遣いに対する謝辞を述べたところで彼は首を捻るのだ。

「少しは楽になるか?」

無自覚ヒーローの言葉に名前はこくりと小さく頷く。目尻を下げ、仄かに笑む彼女の相貌に轟も同様に口元を緩めた。
仏頂面で冷静沈着、他を寄せ付けない印象の強い彼の穏やかな瞳に引き寄せられたのか、熱のせいで浮かれているのか、名前は思わず言葉を漏らす。

「夏も冬も轟君が居てくれたら快適だね。暑さ寒さ知らずになりそう」

彼女から溢されたそんな他愛のない一言に、轟は文字通り、ぽかん、と目を丸くした。

「何言ってんだ」
「え」
「季節なんて関係ねぇよ」

浮かされた一言に対する、彼からのさらりと紡がれた言葉は、やはり無自覚ヒーローで。

「年中一緒だろ。同じ場所にいるんだから」

『人がいるって安心する』
それはつまり、静を物寂しく感じた彼女へ最適の言の葉だった。
湧き上がる形容し難い情動に蓋をして、名前はクスリと僅かに口角を上げる。

「そうだね」

他意のないその声色が妙に心地良かった。