破れ堕ちる

報われない恋は儚くて側からみたら綺麗なものなんだと思う。胸焦がす想いに涙する女子というのは愛らしく哀らしい。
素敵ね、そんな恋してみたいわ。

「赤葦さんおめでとうございます」

繁華街の飲み屋の一角。大学のサークルの合宿打ち上げ飲み会は若い男女で盛り上がる。
そんな中で特に盛り上がるのは男女の浮き話なんてことは定番中の定番で、盛りに盛り上がりを見せた今回の飲み会のネタの渦中にいる彼に話しかけた。

「ありがとう、苗字ちゃん」

色々と、と付け加えた彼、赤葦さんに私は笑いかける。

「大したことしてないですよ?」
「聞いたよ。お互いの話を聞いてくれてた、て。隠すの上手いから気づかなかった」
「バレないように細心の注意を払っていましたから。楽しかったですよ、両思いのお二人の話を聞くの」
「揶揄うなよ。まぁ、今となってはありがたいけど」

本当にありがとう、と仄かに笑む赤葦さんに私は満面の笑みで答えた。

「どういたしまして」


大学に入学して2年目。都内に星の数ほどある大学のうち進学したのは公立の大学で、丁度そこには大き目のバレーサークルがあった。高校からの延長線上でするりと入部した私を待っていたのは華やかなバレー生活だけではなく、数度みたことある顔。
赤葦さんは私が烏野高校のバレー部にいた頃からの知り合いだった。夏の合宿では何度かお世話になった仲だった為、入部してすぐに良くしてもらった。

そんな赤葦さんと先輩マネージャー佐藤先輩。1年生の時から好き合っていたはずなのに、なかなか縮まらなかったその距離は見てられなくて。ある日、先輩に相談されたことがきっかけで話を聞いて、昔のよしみで赤葦さんにも話を聞いて、それは、とても楽しいものだったと思う。だって、思い合っているのだから失敗なんてありえない。
みるみる縮まった2人の距離、そして先日報告があった。

『佐藤さんと付き合うことになった』
『赤葦君と付き合うことになったよ!』


「青春だよね」
「何にやけてんの気持ち悪い」
「酷い。月島、鬼」
「本当のことだから」

べろんべろんに潰れたメンバーを尻目に、グラスをカウンターまで持って行ったりメンバーの快方にあたるのは私と月島の仕事だ。
同じ大学ということだけは小耳に挟んでいたけど、まさか月島までサークルに来るとは思っていなかった。多少練習量の多い部活に入るかと思っていたのに蓋を開けて見れば、講義終了後に向かう先は同じだった。
腐れ縁と言うべきか、長い付き合いになる月島とは割となんでも言い合える仲になったと思う。

「青春じゃん。好き合った2人が結ばれるなんて、超素敵じゃない?」
「恋愛脳かよ」

呆れたように冷めた目を向けて来た月島にふんと鼻を鳴らす。

「月島には一生分かんない感覚かもね」

好き合って、結ばれて、幸せに笑い合って。これからどんな道を2人は歩んで行くんだろうだなんて、周りにちゃかされる2人を眺めながら薄ぼんやりと思った。

本当にーー

「素敵な恋なんだよ」

ぽつり、と吐露してるのは本音。だって素敵だもの。恋が実るってとても素敵なことだ。叶わない恋が儚くて美しいなら、叶う恋は儚くなくても2人に希望と愛を与える。美しさなんてクソ喰らえというやつだ。叶わないより叶う方が良いに決まってる。
笑い合ってる2人に目を向けて、改めてそれを認識した。

「……馬鹿みたい」
「…月島?」
「下らないよ」

チクリと月島の視線が妙に痛かった。え、なんだろう。長い間の仲なのに、初めて見る月島の一面に疑問が先だった私を置いて、月島は足早に奥へと姿を消した。

「なんなの」

馬鹿みたい、下らない。
反芻される月島の言葉。


「……まさか、ね」


一抹の不安が、過ぎった。



ーーー



二次会三次会なんてお肌の天敵のような行動はとらない。終電に乗って各々が散って行く。また今度、また明日とひとりふたりと家路につく中、郊外のひとけのない駅に止まった電車から降りたのは、私と月島、そして深夜帰りのサラリーマンだった、お疲れ様です。

「月島ここでいいよ」

駅を出て、10分ほどかかる下宿先へと足を進める横をついて来たのは月島だ。この付近は人通りが少ないけれど、不審者情報も少なく、治安も良い。1人で出歩いても何かあることはほとんどない。
なのに、じゃあねありがとう、と一言告げて歩き出した私に月島は付いてきた。

「ねぇ、月島」
「家まで送る」
「や、ここでいい。治安悪くないし、月島家反対じゃん。ここまででいいよ」
「いい」
「……月島、どうしたの?」

飲み会の終盤から月島は変だ。いつもなら、じゃあ、て言って此方など見向きもせずに帰る月島が無表情で私を見てる。疑問しかなくて、怪訝に眉をひそめたらため息を吐かれた。
何さ、失礼なやつ。

「何よ」
「お前さ、」


ーー見てらんないんだけど。


風のない夜に月島の言葉はやけに響いた。信号機が赤で明滅する通りには人っ子一人いない。ただ月島と私、2人しかいない。

「なに、それ。なに言ってるの、意味わかんないし」

意味がわからない、て口ではそう言ったって嫌な予感はどんどん近付いてくる。思い付くのはただひとつ。何のこと、だなんてそんなこと、はぐらかそうったって分かりきっている。
それでも、はぐらかさないといけないから、必死に取り繕うしかできない。へらり、と笑って笑って。
でも、月島は表情を崩さなかった。

「目で追うくせに無理に笑って、何でもないってフリしてさ。見てらんないからそういうの」
「月島…」
「やめろよ、そういう空元気。笑えてないから」

笑えてない、てひどい。皆知らないよ。だって誰にも言ってない。月島にだって言ってない。
違う、言えない。言ったら私もあの人も皆傷付いて、そんな状況になるくらいなら笑いたい。泣けもしないからいつだって笑うのに、なんでそんなひどいこと言うんだろう。このまま私を家に帰してよ。

「月島には関係ないじゃん」
「てことは、やっぱ好きなんだ」
「っ、月島!」

やめて、て震えた声なんて月島は御構い無しだった。


「赤葦さんのこと、好きなんでしょ」


明確に言葉に出されたら後には引けない。なのに月島はあっさりと言った。
好き。その言葉をどれだけ頑張って飲み込んで、その言葉にどれだけ傷付けられたか分からない。

「な、んで…なんで言っちゃうの…馬鹿…」

そんな私の努力なんて月島にはお見通しだったというなら私の努力って何?こんなあっさり、言葉に出されて、曝け出された感情劣情をどうしろって言うの?
我慢して、泣きたくて、求めたくても叶わなくてだからいつだって私は笑っていた。お話を聞いて、無駄にお節介なことして、側から見たら応援する可愛い後輩。嗚呼、なんて青春!
叶わない恋なんて綺麗じゃない。なのに、私はそんな叶わない恋をしていたんだ。辛い、悲しい、止められない気持ちに胸を押さえた。
叶わない、叶わない、敵わない。
赤葦さん、好きです。それすら言うことなく終わったこの想いがもう限界を迎えていた。

「月島」

ごめん、と言った途端、堰を切ったように涙が溢れた。瞼のダムいっぱいに溜まった私の涙は呆気なく溢れ出た。面白いくらい流れ出るそれがどこか他人事のように感じられて苦笑してしまう。
嗚呼、私悲しいんだな、と客観的に見る。この涙だってきっとほら、だってそうでしょう?叶わなくてもきっと、私は笑える。

「苗字」

諌めるような声、月島の真っ直ぐな瞳が突き刺さって息を止める。
声を詰まらせて笑顔は消えて、どうしようもなくなった顔面を取り繕う方法だって分からなくて。結局できるのは俯くことくらいだけど、そうしたら余計涙は溢れるばかりで惨めさが際立った。
馬鹿じゃないの。泣いたって変わらない。祝福できるくらいの器もない。そんな私がこんな状況に置かれたら、余計惨めになるだけじゃない。なら、笑いたいのに。

「やめてよ……私、笑えるから。そういうのやめてよ、らしくないよ、月島っ」

やだよ。私はこんな惨めになりたくない。思いが叶わなくて泣く女じゃなくて、好きな人の恋路を祝福できる女性になりたいのにこんなのってないよ。
やだやだ、て思ってそれが更に虚しくってぐちゃぐちゃ、心が痛い、痛い。だから、ねぇやめてよ月島ー

「いいから、そういうの」
「……っ、」
「そんなのいいから」

苗字と、呼ばれた次には私の身体は月島に包まれた。微かに香る月島の匂い、抱擁の温かさと状況がぐちゃぐちゃな私の心に溶け込んで染み渡って。

「つきしま…」
「笑うなよ。せめて泣いて」
「……やめてよ。笑わせてよ…やだよ、私…」
「いいから」

語気を強めて、回す腕に力込められたらそんなのずるいじゃん。

「……っ!もう…やだぁ…やだよ。ごめん…ごめん、月島」

無理だった。誰もいないことを良いことに泣くことしかできなくなった。弱くても、ずるくても、それでもこんなの耐えられなかった。
笑えない、祝福できない、苦しい痛い、辛い。

ー叶わない恋なんてしたくなかった。

「好きだったの、赤葦さんのこと…っ、好きだから笑っていたくて、泣きたくなんてなくて誰にも言いたくなかった…っ、でも好きだったの…」
「…うん」
「……だから、だからっ、苦しいよ月島っ、つらくて、悲しくて、苦しいの…っ、ごめん、…っ」

みっともなく泣いて、泣いて、泣いた。誰にも話したことのなかった劣情を、初めて話す相手に打ち明けて心まで見透かされてみっともなく泣いた。
好きだった人には好きな人がいて、近づく過程も結ばれた時も見ていた。視線の先にいる彼女はとても素敵な人だから何も言うことなんでできなかった。今言ってしまったら?今言ったらこの関係はどうなる?そう考えた私の口は愛の告白を紡ぐことを拒絶した。口を噤んで、なんでもないふりをして、なんならその背を押したのはーー私だ。
馬鹿な私は先輩の近くに居たい為にその恋を応援して。だから健気な後輩らしく。

ね?笑っていたいよ。

ひとしきり泣いて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見られるのは流石に恥ずかしいからくるりと後ろを向く。ごめんちょっと顔やばい、て一言断って涙と鼻水を拭いたら、ちょっと目元は赤いけどほら元通り。
もう、大丈夫。

「ごめんね、月島。もう大丈夫だから」

ありがとう。にっこり、ほらいつもの私だ。
それでさっばり終わる。ひとしきり泣いたら女は次の恋にいくものなんだ。くよくよなんてガラじゃない。


「勝手に終わらせないでくれる?」


なのに、月島は終わらせてくれなかった。
不機嫌な表情の月島が私を見下ろしてて、思わずビクつく。さっぱり終わるはずの恋に、終わらせるな、なんて何この男優しいのか酷いのか分からないんだけど。

「だって、赤葦さんは先輩と付き合って、終わりでしょ?こんなの」
「それはそうでしょ」
「……月島何言ってるの?大丈夫?」
「つくづく思うけど、ほんとお前鈍感だよね」
「……うん?」

月島の言わんとしていることが不明瞭で首を傾げる。
月島は、あー、と苛立ちを露わにして髪をくしゃりと掻き乱すと、恨めしげな視線を寄越してきた。

「馬鹿でしょ、お前」

月島にしては弱い声音だった。だから、なのかもしれないけれどなんとなく、もしかしたらって可能性がチラついた。とてもとても、自分勝手で最低な可能性。
でも、そんなの今の私にはとてつもなく甘い毒で、麻薬のようなそんな言葉聞いちゃいけない気がする。あくまで可能性、されどその可能性を思いつかないほど私は鈍感じゃないよ、月島。

「つきしま…待って、ストップ」
「待たない。こっちはどんだけ待ってたと思うわけ?毎日、毎日お前の視線見てきてそれでもこの瞬間待ってたくらいには狡いよ、僕は」
「や、駄目だから。そんなの今無理。私狡くなりたくない」
「いいよ、狡くて。僕だって狡いから」
「月島、待って」

一歩下がって逃げようとしたら許さないという風に月島に手首を掴まれる。無表情で、でもこちらを真っ直ぐ見つめる瞳に蛇に睨まれたカエルの如く固まった私の目はどんな目だろう。
月島の次の言葉が、行動が私を変えてしまいそうで。狡くて流されたくない。私はまだこの気持ちをーー


「好きだよ、名前」


捨てたくなんてないの。

「つきしま…駄目だから…」
「高校の時からずっとだ。あの時から僕は名前が好き。赤葦さんを見てきたことも赤葦さんが佐藤先輩見ていたことも知ってた。だから、ちょうど良かったよ」
「やめて、お願い…月島…」
「やめない」

こんな時に力強い言葉を出さなくていい。こんな時に限って名前で呼ばなくていい。
そんな意志の固い言葉を掛けるのは私でなくて良いのに、月島の視線の先は私なんだ。

「なんで今なの…こんな、まだズルズル未練たらしい今にしないでよっ」
「今じゃなきゃ駄目だから」
「な…んで」
「今なら間違ってくれるって、そんな狡い考えだから。でも、それでも良いって僕は思うそれだけ」
「そんなん、苦しいだけじゃん。そんな考え方でどうこうなっても、これから先なんて」
「分からないから別に良いんだよ」

また、月島は私を抱きしめた。優しくて、狡くて、でも温かい。身に染みるその体温が鼓動がどうしようもなくて絆されたくないのに泣きたくなる。
恋破れて、それでその先なんて考えてなかった。先のことなんて分からない。先輩達がどうなるかだって分からない。
それでも、此処に月島がいることは本当。

「狡くても良い。この先どうなるか分からなくても名前が僕のことをどう思っていても良い。ただ、今だけで良いから」
「ッ、月島…」
「……僕に逃げてよ、名前」

最低の可能性、最低の選択。底辺の更に底の人間に成り下がることを選べだなんて本当に優しくて、狡い。
そしてーー


「ごめん…月島…」


選び取った私は、きっとこの先ロクな人間にならない。


ーーー


破れ堕ちる