一等星と苦い味

見て、聞いて、書いて、載って、また見て。繰り返し繰り返し、ただひたすらペンを握り見た物事を記述していくその作業を望んで、臨んでいる。すべてを見ることは叶わないし、すべてを書くことも叶わないけれど、それでもいつもこの文章が誰かに届いて、その誰かの心に何かを残せたらと思っている。それが、たとえひどく悲しく辛い内容であっても、それを見た誰かの胸に刻まれ考えるきっかけになってほしい。そして、それが誰かの心に花を咲かせる内容ならこれ以上ないほどの喜びだと思う。
知ることは時に残酷で、知ろうとすることは時に自分をも傷つける。傷つく中で、それでも私はきっと書き続ける。
そうしてきっと、私は彼らを――







端麗な顔、三白眼につり目のその人は、彼個人ではなくある人物を連想させた。付随したその顔の人物と彼の姓は一致しないにも関わらず、彼の顔と重なる。あ、やっぱりそうだ、と気づいたのは、彼が顔面につけているオプションアイテムを外した相貌が風の噂で聞いたあることと合致したからだった。

「……そんなに珍しいか」
「へ」
「眼鏡とるの」
「……あ、すみません。見過ぎですね」

苦笑すれば、彼、二階堂大和さんは「別に」と顔を背けた。別に、という割には顔に不満が書いてある。その不満が、噂の真実性を物語っていた。

千葉志津雄には愛人の子がいる。業界取材の中で耳にした噂だった。あのおしどり夫婦にまさかの!なんてネタは何年も前からあったものの信憑性に欠けるとしてどれもが表沙汰にはならなかった。取り扱っているのは週刊誌ばかり、決定的な証拠もない。
ただ、火のないところに煙は立たない。芸能業界で立つ噂は、小さなボヤがあるからこその噂なのだ。

大和さんが眼鏡を外した時、脳裏に浮かんだのはあの大物俳優の顔貌だった。重なった影に一瞬固まってしまったのは失敗したと思ったけれど、取り繕う間も無く彼に不快感を与えてしまい閉口してしまう。そうだ、彼は人の心の機微を読むのが非常に得意だった。表情に出た心情をつぶさに読み取る能力にはこのメンバーの中でも指折りの高さがある。
頭を抱えたくなった。
取材相手に取材前から悪印象を抱かれるなんて失態だ。特に、今日の取材は彼が起用されたドラマのインタビュー。演技関係の事柄で本業のアイドル系の質問じゃない上に、演技関係といえば連想するのはあの大物俳優のことで。
ぐ、と胸につっかえる惑いを飲み込んだ。

「えっと…それではお願いします」

失態だったといえども、進めていかなければいけないのでよろしくぺこりと頭を下げる。ノートを開いて質問事項を目視で確認、口を開いてさぁ、まずは、と視線を上げて大和さんを見たら、じぃとこちらを見つめ続ける彼と目が合った。え、何故こんなに見られているのだろう。

「あの、大和さん?」
「そんなに似てるか」
「え」
「親父と俺は、そんなに似てるのかな、てな」

眼鏡を外した彼は眉尻を下げて、憂いを帯びた相貌は物悲しさを感じさせた。僅かにあげられた口角が妙に痛々しかった。
嗚呼、なんてことだ。
自分の浅慮な態度が彼にこんな顔をさせたんだ、とその時気付いた。千葉志津雄の愛人の子。千葉サロンで育った秘蔵っ子。芸能界では遠巻きに見られ、誰もが腫れ物扱いする子。いくら22歳の成人男性とはいえ、彼はそんな扱いをずっと受けてきたんだと、その表情が彼のこれまでの人生を語っていた。

取材云々、仕事抜きにして私は彼に対して真摯ではなかったと気づかされて、そんな私の気付きすら彼はきっと見抜いている。
口を結んだ私に、大和さんは乾いた笑いを漏らした。

「ごめんごめん、そんな顔させるつもりはなかったんだ」

眼鏡をかけ直した彼の手が伸びてきて頭を撫でられた。ごめんごめん、と言葉に添って撫でられる感触に罪悪感は募る。彼が謝ることではないのに、それをさせることがひどく嫌だった。

「違い…ます。すみません、不躾に見てしまった私が悪かったんです」
「いやいや、お前さんのせいじゃないって。噂で聞いたことあったんでしょ、俺のこと」
「……以前、その…お父様が出演されるドラマ関係の取材でお会いしたことがあって」
「関係者に話を聞いた、てところか」
「ただの噂だと思ってたんです。だから、気にしないようにしていたんですけど」

本当はそれに加えて編集長にも聞いていた。アイドリッシュセブンのホームページを見せた時に編集長は意味深長な眼差しを彼らの写真に向けていたから、不思議に思った。小首を傾げて疑問を表に出せば、編集長は多くは語らなかったものの、彼らの名前と顔を再度確認すると深く息を吐いた。

『苦労しそうな奴らが何人かいるな』

言葉の意味はその時は理解できなかった。若い子達は苦労するとか、そんな単純な意味で捉えていたけれど、今思えばそれは全く違う意味だったのだと思う。

千葉志津雄さんが大物女優と共演したドラマ現場で、初めて私が彼らについて特集を組んだ記事を読んだスタッフの1人が漏らした言葉がきっかけだった。私に近づいてきて、含ませ笑いを忍ばせて彼は言った。
志津雄さんの秘蔵っ子を見つけるなんてやるね、君。
クエスチョンマークを飛ばした私を見て、しまったと彼も思ったんだろう。何でもないと足早に背を向けられたけれど、その言葉は、私が彼らと会う度に脳裏にちらついた。
千葉志津雄さんにお子さんはおられない。秘蔵っ子とは何なのか。アイドリッシュセブンが彼と何の関係があるのか。疑問が疑問を呼び、それを解き明かしたくなるのは人の性なのか職業柄なのか。
けれど結局、決定的な話はその後誰からも聞くことができなかった。だれもが口を噤む内容なことは察していたから顔を突き合わせた真正面からの質問は避けたけれど、それでも聞くことは叶わなかった。
ただ、千葉志津雄さんの顔貌、纏う空気、複合した情報から割り出された糸が繋がっていたのは彼だった。

「まぁ、色々と分かっちまうことが仕事柄あると思うけど、基本的に他言無用な」
「はい…」
「そんな顔すんなって。この世の終わりじゃないんだから」

痛い、痛い。私の顔より目の前の貴方の顔の方がよっぽど痛々しいです、と口にしたらダメな考えが頭をよぎる。

知らなくても良いこと、であっても知ってしまって。知ってしまったら、戻れない。真っさらな知らない状態になんか帰れない。
それが、大好きで大切で応援したい相手なんてなんて仕事なんだろう。好きで始めて、好きで続けているのに、対象が近ければ近いほど苦しいのだと気付かされた。知ることが仕事、でもこんな顔させたいがために知りたいわけではなくて。
大和さんだけじゃない、きっとこれからこういうことが―もっと、多く…

「名前」

大和さんに呼ばれて、ハッと我に帰った。思案の渦に溺れていた頭が覚醒する。
大和さんは、苦笑して私の頭をまた撫でた。

「大和さん…」
「難儀な仕事だよな、俺もお前も。好きだから続けたいけど、辛い局面も出てくる」

ああ、本当にひどく大和さんは優しい。自分勝手、とか、他人に踏み込ませない、とか大和さんは自分のことを随分と卑下するけれど、それは大きな間違いだった。
人一倍、他人を見るから足踏みしてしまうのは、相手への接し方を考えてくれているからだ。自分のことを考えながら、相手への配慮を欠かさない、相手の弱さをカバーする彼はまぎれもなく悪人なんかではない。
困ったように笑う大和さんに何か気の利いた一言でも告げられたら良いのに何も浮かばない。周りを見て、空気を感じ取り、的確に必要な言葉を並べてくれる大和さんに上手い返しなんてあるのだろうかと思うけれど、それでも暖かなこの手に応えることくらいはしたかった。

「大和さん」

後悔して、慰められてなんてかっこ悪いじゃない。


「私、――大和さんが好きです」


撫でるその大きな掌を握って、目を瞠った三白眼を、はしり、と捉えて、思ったことをただ紡いだ。

「アイドリッシュセブンの一員として活躍する大和さんも、役者として活躍する大和さんも、メンバーのことを考えて悩む大和さんも、自分を隠そうとする大和さんも、全部ひっくるめて二階堂大和個人として私、大和さんのことを尊敬していますし、好きです」

あの日あの時、私に夢を見せてくれた、大和さんを含めた彼ら、アイドリッシュセブン。愛憎、陰謀、闇が蠢く芸能界に現れた一等星はまばゆい光を放って私の道を照らしてくれた。たとえ、誰がどんな手を使ってそれを汚そうとしても、その輝きを奪おうとしても決して失われない私の永遠の光、それが彼ら、アイドリッシュセブンだ。

「だから、大丈夫です。辛い局面にあっても乗り越えられます。皆さんのことが大好きですから。それに―」


―大和さんも大丈夫です。


伝えた言葉に、彼が震えたのが分かった。

大和さんの心に巣食う闇はきっと彼自身が向き合っていくものだ。そして、彼が大切にするメンバーと分かち合い乗り越えていくものだ。
千葉志津雄さんと彼の間には、大きな溝があるのだろう。そして、千葉サロンと呼ばれた別宅に住んでいたであろう彼が、この芸能界にいるということは間違いなく私達の業界にとって、特ダネ、だ。一面にもってこいのスキャンダルだ。
この先、きっと醜聞をまき散らそうと牙をむく連中は現われる。芸能界は、華やかなステージの陰で利権争いに各勢力がしのぎを削る戦場だ。潰し潰しあうその中で、彼の生い立ちを突いてくる輩は必ず現れる。
私にできることは限られている、けど、せめて私の立場、仕事を全うすることが彼らの活動の一助になればいい。
彼らなら、大丈夫。

「アイドリッシュセブンも、大和さんも大丈夫です。どこに根拠があるんだよ、て言われたら困るんですけど、でも大丈夫です」

我ながら意味不明だと思った。根拠がない上に、大和さんから明言など何もない事に対して何を言っているんだ、と。
それでも、伝えたい言葉があった。伝えなきゃいけない言葉があった。大丈夫、大丈夫。彼らはもちろん、私も、皆大丈夫だって。根拠はない、けれどそれは約束された未来だ。

だって、彼らはこんなに輝いている、一等星だ。

伝えたいことを言い切って、一息ついた後、ふと、自分の状況を見返した。で、焦った。

「あ、…ッ、すみません!」

手を握りっぱなしだった。
二階堂大和ファンが見たら瞬殺されそうな状況だ。慌てて手を離して、意味もなく両手をパタパタする。
目を瞬かせて呆けていた大和さんは、唐突に吹き出した。え、え?と代わって私が目を二、三度瞬かせたらひとしきり笑った大和さんがまたもや私を撫でた。

「大和さん…?」
「いや、悪い悪い。お前さん、意外と熱烈だな、と思ってさ」
「ねつ、れつ?」
「好き、だなんてフツー面と向かって言えねーよ」
「……あ、いや!違うんです、変な意味ではなくてこう…ファン的な意味というか…いえ、表現が難しいんですけど」
「違うの?そりゃ残念だなー。本気にしちゃいたかったんだけど」
「からかわないでください…恥ずかしい…」

言葉選びを間違えた。今更ながら羞恥で悶死できそう。

大和さんはケラケラ笑って、とりあえずいつもの大和さんに戻ったことは良いことかどうかはわからないけれど、でも、少しだけでも伝わればいいと思った。大切で、尊敬する、彼らを想う人は沢山いるのだと。
気を取り直して取材を続けようとした私に大和さんが笑いかける。その笑顔が晴れやかで、抜けるような青空を連想させてくれて、吊られて笑みが溢れた。







「参っちゃうよなあ、ホント」

ビールを片手に吐露した言葉。苦笑しか出てこないのは、本当に参っているからだ。勢いよく喉に流し込んだ炭酸にむせ返る程度には、大和の中に動揺が広がっていた。
初めてだった、面と面向かって、あれほど気恥ずかしい言葉を伝えられたのは。

大和の生い立ちを知った人間、特にメディアの人間はその生い立ちを面白おかしく演出したがるものだと大和は思っていた。当然だ、千葉志津雄の秘蔵っ子なんてものは芸能界の特ダネスキャンダルだ。今は千葉志津雄と星影の圧力で表沙汰にはなっていないものの、均衡が崩れればドミノ倒しのように次々と証言する人間は出てくる。それは、時間の問題と言えるだろう。
暴露をするためにアイドルになったというのに、それによって今が崩れることを恐れている。自分の現状に大和は常に目を背けて、そうしてメンバーからも目を背ける日々。
後ろ暗さを感じながら、今日この日、彼女が自分を見つめた瞳に大和の心は揺らいだ。父親と自分を重ねたその瞳は確かに自分が嫌った業界人と同じだというのに、どうしてか、彼女に大和は零してしまった。
楽になりたかったのかもしれない。きっと彼女は、自分の言葉を綴りはしない。なら、この重しを少し乗せるくらいならと安易な考えに落ちた。少しだけ、ふわりとオブラートに包んだ言葉ではあったが確信を抱かせるには十分な言葉。
結果として、大和は後悔した。彼女は、それを受け流すこともなく特ダネと食いつくこともなく、ただ、痛みに顔を歪めた。哀しくて、それでもそれを呑み込んで適切な言葉を探す彼女に申し訳なさが立ち、自分の為に優しい言葉をかけただけだというのに、彼女は確かに適切な言葉を大和に掛けた。

「大丈夫、か」

暖かく、胸に届く、確信を持って自分を、メンバーを信じる強い言葉だった。
何があっても、そして何を恐れても、最後に行き着くのはそこだと彼女は確信している。

「んな簡単にいくようなことじゃないんだけど……でも、な」

イバラ道を前に棘を避けて通ろうとしても、おそらくそれは避けて通れない。それを突き抜けたら、ただ傷ついた自分がいるだけかもしれない。
けれど、もし、もしその先に待っていてくれる誰かがいるとしたら。
傷を癒して、背中を押して――


――大丈夫です。



「……参っちゃうんだよ、そーゆーの」



一飲みしたビールは、やけに苦く感じられた。