夢の続き

「本当の貴方はどこにいるのかしらね」

目の前でそう笑う彼女の言葉に眉尻を下げて田崎は苦笑する。
季節は春だ。薄紅色の桜が窓越しに咲き乱れている。
真っ白な部屋、薄緑色のカーテン、ベッドに座る彼女は田崎のそんな顔を見てやはり笑った。

「ほら、嘘ばっかり」

ふふふ、と何がおかしいのか笑う彼女に田崎は不信感を募らせた。
任務地で出会った女性だった。スパイ補助容疑がかけられた外交官の一人娘。潜入先で必然的によく話すようになった、それだけの仲だ。
しかし彼女は聡明だった。

「俺はここにいるじゃないか」

柔和な笑みを浮かべても彼女はやはり優しく笑うだけだった。奇妙な光景だ。お互い笑っているのに笑っていない。気取られているはずはない、そうならば彼女はすでに父親に自分のことを伝えているはずだ、しかしそうじゃない。

「ねぇ、田崎。私もう長くないわ」

唐突な彼女の言葉。知っている、と田崎は心の中で返す。彼女の病気は治らない。齢自分と同じくらいの彼女の命はあと幾ばくかだ。彼女は自らの手を天井にかざしその白すぎる肌を見つめる。その白すぎる肌は、いま彼女が来ている真っ白な着物と同化してまるで死に装束だと田崎は感じた。

「そんなことを言うなよ」

仮面の笑顔を張り付けて、偽りの言葉を紡げば彼女はやはりおかしそうに笑った。
何がそんなにおかしいのかと不審そうな目を田崎は向ける。その目に気付いた彼女は薄く笑みを浮かべた。白い肌に映える赤い唇は、たいそう妖艶だった。

「田崎、私嘘は嫌いじゃないわ」
「名前?」
「でも本当を知りたいと思うのは人の欲求よ」

じっと彼女見つめられ、その吸い込まれそうな瞳に田崎は思わず息を呑んだ。死の間際の人間はこんなに美しいものなのかと。
彼女は聡明だ。その認識を田崎はさらに深めた。自分の仮面も、偽りの心も彼女はすべてをわかっている。田崎はそれを感じて、尚仮面を深くかぶった。

「これが俺だよ」

二人の距離は埋まらない。死ぬまで本当にたどり着けずに彼女は生を終えるだろう。田崎は張り付けた笑顔を彼女に向けた。
彼女は一瞬真顔に戻った。しかし一瞬だ。すぐに彼女はまた柔和に笑った。

「えぇ、そうね田崎。関係なかったわ」
「関係ない?」

不可解な彼女の言葉に田崎は疑問を呈す。彼女は相変わらずにこにこと笑っている。

「だって、それも田崎の本当なんだもの」

嘘なんてなかったわね、そういってクスクス笑う彼女に田崎は固まった。そして思い至る。やはり彼女は聡明だ。
そして、ひどく美しかった、白い肌も、艶やかな髪も、赤い唇も、そして生を全うするその姿が。

「名前」

徐に、田崎は彼女へ手を伸ばす。

「だめよ、田崎」

その手を彼女は制した。柔和な笑みの中に潜む悲し気な瞳に田崎はその場で止まった。

「田崎、今じゃないわきっと」

相変わらず弧を描く唇、それでもその声はどこか震えていた。田崎は制されていた手を振り切りその体を抱きしめる。彼女は諦めた様に彼の体に腕を回した。

「いつその時は来るんだい」
「さぁ、わからないけれどいつかよ」
「はは、曖昧な答えだな」
「でも、田崎その時が来たらね」

そして彼女はやはり柔和に笑う。

「貴方をすべてちょうだい」



―――――――――――――――― 



夢を見た。同じ夢だ。私はどこかのお嬢様で、病弱なために若くして死んでしまう。彼女の夢を見るときにいつも出てくるのは、短髪の美青年だ。彼女は死んでしまうから彼がどうなるかその後のことはわからない。
ここ最近、ずっとこの夢を見る。夢の続きがあるのかと思ったこともあるけれど、彼女が死んでしまうまでの繰り返し。彼女はずっと青年を好いていたのに、結局結ばれない。

(その時なんていつ来るのよ)

顔を洗って服を着替える。今日の天気は晴天、お花見日和。講義資料の入ったバッグを片手に家を出る。大学までは地下鉄で30分。
改札を出て階段を上がる。地上に出れば正門まであと少しだ。今日の講義は何限までだっけ。いつも通りの日常、いつも通りの風景。ただ、正門に咲く満開の桜がひどく美しいと感じた。

(あれ)

桜の近くに見慣れない男性がいた。
短髪、切れ長の目、白い肌に嘘っぽい笑み。

『その時が来たらね』

「あぁ、ここにいたんだね」

かちりと音がした。夢の続きを見たいと思っていても意味はなかった。全てのピースが揃って今、その続きが紡がれた。走馬灯のように溢れる記憶はびっくりするほど鮮明だ。

「その時が来るの、遅すぎるわ」
「それは俺にも予想つかなかったからな」
「そうね」

あぁ、本当にあの時と同じ綺麗な桜。そして彼も綺麗で嘘っぱち。
だけれど、関係ない。
ゆっくりと彼に近づく。もう彼は田崎じゃない、私も名前じゃない。けれど、約束は守ってもらう。
彼の前でぴたりと止まる。彼は楽しそうにこちらを見た。

「私は変わったわ」
「俺もだよ」
「でも、約束は約束だから」

にこりと笑って、彼を見てそうして紡ぐんだ。

「貴方をすべてちょうだい」

彼は笑った、ひどく楽しそうに。私も笑えているだろうか。
嘘も本当も、全てを今度こそ私は手に入れる。

広げられた腕の中、私は思いっきり飛び込んだ。