二桁連勤なんてザラの友人から飲みの誘いが入った。万年、人手不足の総合病院でもさらに人手が足りない臨床検査技師なんて外れ仕事をしている友人からの誘いを断る理由はない。断れば、次にいつ飲めるか分からない希少価値の高い友人なのだ。
「まぁじ、やってらんないんだけど。人増やせ馬鹿野郎」
「増やしたら増やしたで、使えないのなんだのと陰口が始まって辞めるんでしょうが」
「別に言ってねえよ。勝手に辞めるだけだ」
「態度に出てんだよ、態度に」
事実を指摘したのに、目の前の友人は、不満げに眉を顰めた。
そりゃ、私が同僚でも三日待たずに辞める。目の前で完璧を通り越した仕事をされて、必死に働いても追い付けず、それを責められはしないけれど、こいつはそこまで使えないという烙印を押される。他人にも自分にも厳しいタイプしかいない職場なんで地獄でしかない。やる気がないわけじゃなくても、心が病むのは当然の帰結と言えるだろう。
「世の中の人間が、あんたやその上司みたいに仕事に邁進するストイックな人間だと思わないの。みんな、そこそこなの、そこそこ」
「はぁ? それで済むなら苦労しねえだろ。求められるレベルに達してないくせにデカい顔したいわけ?」
心底、意味がわからない、という顔をするからこの男は厄介だ。
目の前の友人、森井久志は、天才と秀才を掛け合わせたような男だ。元は医者を目指し、学費を払えなくなって諦めた過去があるためか、医学的知識も一定程度ある、ハイスペック臨床検査技師。物覚えもよく、彼の同僚の新人医師からは「森井さんは凄いんです!」といった評価しか聞かない。あんな可愛い子に褒められたら、さぞ嬉しかろうと思っていたが、同僚に劣情は抱かないらしい。ストイックすぎる。可愛いじゃん、あの子。
思えば、高校の時からこの男は凄かった。顔良し、頭良し、運動神経良し。素っ気ないが、邪険にはしないので、コミュ力がないわけではない。告白回数は何回だったか、数えるのをやめた程度にはある。
そんな何でも超人みたいな男だが、だからこそ、厄介だ。「そこそこ、なんて気持ち悪いだけだろ」と、できる男のど正論をかましてくる。
「求められるレベルが高くても、付いていけるあんたとは違うって話でしょ。みんながみんな、あんたみたいにはなれない、て分かんないの?」
不満げな森井に、ビールを煽って肩を竦めてみせて。
「そんなだから、直ぐに彼女にもフラれるんでしょ」
痛いところを突いてやれば、顰めっ面がさらに歪んだ。
手を抜かない上にコミュ力もそこそこあるこの男は、たいそうモテる。レベルが高い男は往々にしてモテるのだが、しかし悲しいかな、超絶仕事人間だから、すぐにフラれる。
これは森井の、唯一の欠点とも言えるかもしれない。振られた話を新人医師、宮崎ちゃんにしたらめちゃくちゃ食いついて面白かった。「森井さんの元カノってどんな人だったんですか!? バリキャリウーマンですか!」て言われた時は枝豆吹いた。傑作だった。確かに分かる、仕事人間には仕事人間しか合わないと思うよね。
しかし残念なことに、森井と付き合うのはごく普通というか、しっかりしているけど仕事に邁進するタイプではない女の子だ。結果、連勤・深夜残業・朝帰り・休日返上な暮らしぶりの森井に愛想を尽かせ「私がいなくてもいいじゃない」と出て行ってしまう。
「いい加減、仕事以外のことに目を向ければ?」と、何度、言ったか分からない提案を再度する。とはいっても、そんな忠言を大人しく聞くようなタマではないことも、分かっている。
「人のこと言えねえだろ」
ビールを一呑みした森井が、私を煽るように睨めつけた。
「就職してから仕事一筋すぎて、『俺がいなくても生きていけるじゃん』てフラれた回数、言ってやろうか?」
「うっわ、古傷えぐる男ってモテないって本当ねー」
「お前が先に言ったんだろ。というか、古傷なんて思ってねえくせに何言ってんだ」
「様式美みたいなもんでしょ。過去をほじくられたら痛がるもんなの」
からりと笑い飛ばせば、はいはい、といった風に肩を竦められる。この野郎め。
ただ、実際、古傷になんてなっていなかった。森井ほどワーカーホリックじゃないけれど、仕事が好きで、他人、というか男に興味が湧かなかった私は、告白してきた相手とそれなりに付き合って、そうしていつもフラれてきた。森井みたいに、残業祭りや休日返上、連勤で会えないとかではないのに、長くて半年程度。決まり文句は『俺がいてもいなくても変わらないだろ』だ。事実だから耳が痛い。
きっと、興味がないことを見抜かれていたんだろう。そういう意味では、森井とは決定的に異なる。こいつは仕事が好きではあるが、きちんと彼女と向き合おうとはしているのだ。ただそう、仕事の優先度が高い。
とはいえ、高校時代からの腐れ縁で、なぜか飲み友になった私とは、忙しい毎日の中、定期的に合間を縫って飲みに誘ったり、誘われたりしてくれる。こちらだって、興味がないから面倒くさい、ではなくて、希少価値高いし、一緒に飲んで楽しいし、何よりけっこう。
「いい加減、私にすればいいじゃん」
好きなんだと気づいたのは、けっこう最近だった。
だから、今日だって森井からの飲みの誘いに割と心躍って。宮崎ちゃんがいないことにちょっと安心して。相変わらずブラック労働環境の愚痴を聞いて、いつも通りだと慢心していた。連勤で鈍った思考とアルコールの相乗効果で口を滑らす可能性があると想定できていなかった。
やばい、失敗したと気づいて、だからこそ目の前の森井に視線を向けられない。酔ってたからノーカンなんて言い訳が通じるほど、私が酒に呑まれないことは森井がよく知っている。
視線が徐々に脇に逸れていって、「あー……」なんて、うわごとのように唸った。どうしよう。今、フラれたら割と立ち直れない。この関係性も全部なくなってしまうのは怖い、嫌だ。こうなるのが嫌だったから、きちんと頭を働かせて、冷静ぶって森井と相対していたのに全部ぶちこわしだ、どうしよう。
お金を置いて逃げようか。逃げたところで意味がないでしょう。自問自答を脳内でくり返していたら。
「それもそうだな」
そう、あっけらかんと、森井が呟いた。
思わず、森井に背けていた顔を、ぐるんっ、と勢いよく向けたら、珍しく真面目な顔をしてていた。真っ直ぐと見つめられて、目を逸らせなくて。
「今のナシ、は聞かねえけどいいの?」
「……えっと」
「まあ、もう聞く気ないけど」
「なっ、あ……ちょ、そ……んな、のさぁ」
「なに?」
こてんと、小首を傾げた森井はすごく愉快そうに口角を上げた。上機嫌がよく分かる細められた目元に、若干、悔しさが募る。
「こんなガサツ女、やっぱりいらないって言われても、聞かないからね」
負け惜しみみたいに、小さく吐き捨てた。私は、女として返品不可の不良品なのだと念押しして予防線を貼るなんて、普段の私らしくない。でも、森井相手だと、調子が狂う。
僅かに睨めつけたら、森井はきょとんと目を丸くした矢先、くっくと喉を鳴らした。笑いを堪えるように肩を揺らすから、「なんなの!」と、半ば叫んでやれば、ゆらりとごつごつとした右手が伸びてきて、ピン、と私の額に鈍い痛み。
「ガサツの意味を辞書で調べてこい」
柔らかな、まるでようやく宝物が手に入ったかのように弾んだ声音に、呆然とする。
なんなの、そんな顔、まるで、まるで──
三十路にしてはお花畑の思考に首を振る。認めたら負けだと自戒したけれど、結局、送り狼になった森井の言動から、いろいろと察してしまった。