そつなくこなすのは上手い。上司にはよくそう言われた。何かを突き詰めることに長けてはいないけれど、さまざまな業務を並行してこなし、それなりの成果をあげることは得意だった。
自分の限界はよく分かっていた。だからこそ、無理なく迅速に仕事を終わらせることだけはできた。器用貧乏と言えるかもしれない。
私が非凡さを発揮できることといえばそれくらいだ。それなり、では務まらない仕事は早々に上や先輩にお伺いを立てて手伝ってもらう。自分の能力以上の人を見極め、顔色を伺い、ゴマスリをする。なんて格好悪い大人なんだと思うけど仕方ない。私、普通の人間だから。
だがしかし、現在の私が頼れる人間は限られているどころか。
「ゼロなんだよなぁ」
はぁあ、と布団に寝転がってゴロゴロと転がった。深夜になっても降り続ける大粒の雨に、明日の天気の心配をする。雷鳴はまだ去る気配はなく、スマートフォンで天気を見ると、明け方まで鳴り続く予報だった。大気の状態が不安定、という言葉に乾いた笑いが漏れてしまった。
「不安定なのは私の心だよ」
一喜一憂。気流ではなく気持ちの乱高下が激しい一日だった。
不安、恐怖、そこからの安堵、信頼。そこからまたまた気持ちは下がって、天気はすっかり雷雨になった。当分、晴れ間が出ることはないだろう。お天道様は、隠れてしまった。
ため息をついてまたゴロンと回転する。思い出すのは、安室さんの優しげな表情と、それを塗りつぶす探り屋の瞳。疑念と警戒が含まれた視線が伝えてくれたのは、彼から私に向けられている印象だった。
十二分にそれを理解していて、でも、どこか遣る瀬無い。
それでも、だ。
「仕方ない、か」
仕方がない。彼だけではない、私も、きっとそう。嘘で塗り固められているという点では私だって同じで、安室さんを非難する立場にない。
偽りの経歴、吐き続けている嘘。記憶を取り戻せない私を案じてくれる人達の好意の上に胡座をかいている私への疑念はむしろ当然のことだ。
侘しさに蓋をして、取り敢えず、安室さんの行動についてもう一度考えて見た。
あの時、安室さんがなぜあの場にいたのか。単なる偶然かもしれない。コナンの世界あるあるの邂逅だったかもしれないけれど、もし、もしそこに理由があったとしたら、何故あそこに《あの時》いたのか。
思い出すのは安室さんの言葉。一千万円相当の品を盗んだ事件。捕まっていない犯人。そして、安室さんの問い。
《刀海さんならどうしますか》
(私が犯人と本気で疑っていた?)
うーん、と唸ってゴロンとひと転がりする。その線は薄い気がした。
そもそも、あれは刑事事件で担当部署としては刑事部だ。公安警察が出る事件ではない。追う対象が一般の警察官と公安警察官では全く違う。治安を乱す組織的な犯罪を未然に防いだり、国内に潜伏する諸外国のスパイ、テロリストの摘発が公安の任務であって、既に起こってしまった国内の事件を追うとは思えなかった。
なら、何故風見さんや降谷さんが私の動向を伺うのか。
頭を捻らせて、思考を巡らせても、名推理と勘の鋭さが光る名探偵には遠く及ばない。繋がる事件はおそらく先の強盗事件だけれど、それと彼らは結びつかないし、私だって同じ。わからないことだらけで苛立ちが募る。
ひとつため息を吐いて、私は公安警察についてもう少し調べようとスマートフォンを手に取った。家にはネット環境が整備されている。店長が個人名義で引いてくれたものだ。ありがたい。
「んー…あれ、やばい」
けれど、接続状態が悪いのか。サイトを開こうとしても一向にくるくる回る時計から進まなくなってしまった。まじか。SIMカードがなくなっているため、Wi-Fi環境はかなり大事だ。
最近、同じコンセントの口で電子レンジと炊飯器を同時使いしたらブレーカーが飛んだのが原因か。取り敢えず、ルーターの電源を切ってモデムを再起動かけて見たけれどやはり電波状態は良くない。少し先で落雷があったから、どこかの幹線がやられたのか。
「ついてないな、もう」
いろんな意味でついてない。ずっと電波を探し続けるスマートフォンを悩ましげに眺めて私は盛大にため息を吐いた。
*
「大丈夫だったんですか?!」
悲鳴に近い声が店内に木霊する。幸い、客はいなかったためそのあと彼女が店内に向かって頭を下げることはなかったけれど、思った以上の反応に私が苦笑した。
「いや、大丈夫だったからこうして此処にいるんですよ」
「でも、でもそんなつけられていたなんて…怖かったでしょう?」
「怖かったけど、途中でたまたま安室さんに会って送ってもらいましたし、大丈夫です」
へらりと笑っても、彼女、梓さんは怪訝な顔を崩さない。気難しそうな表情に私は笑うことしかできなくて、心配させてはいけないと、次からは大通りを歩くことを伝えた。
「私も不用心でしたから今後は気をつけます。あ、蘭ちゃんとかに護身術習ってもいいかもしれないですね」
もしくはスタンガンでも買っておこうか。催涙スプレーでもいいかもしれない。都会の女の一人暮らし、護身用グッズはあって損はしないだろう。頭の中にあれやこれやの防犯グッズを思い浮かべて、へらりと笑う。
「やっぱり都会の一人暮らしは自衛をしっかりやらなきゃですね!」
「特に女性はそうですね」
カウンターの奥から爽やかな声が届く。ひょこりと顔を出したのは安室さんで、相変わらずの邪気のないベビーフェイスを湛えて「どうぞ」と新作ケーキを出してくれた。「ありがとうございます」と私もにこりと口元に弧を描く。少しばかり眇められた彼の目線は受け流した。
あの時、雷鳴が轟く雨の中での安室さんとの一件では、結局私は安室さんに自宅まで送られた。互いに一線を引いた笑みで相手を牽制したことは承知済みで、家の前で振り返った私の視線の先の彼は相変わらずの薄っぺらい仮面をつけた彼だった。笑みを作りながらも小さくため息をついて、私は彼に頭を下げてアパートの自室へと戻った。
「その節はお世話になりました、安室さん」
いま一度礼を伝えれば、安室さんはいえいえと手を振った。
「僕は特別なことはしていませんよ」
「いえ、送っていただいて本当に安心したんです。あのまま何かあったらとゾッとしますから」
「安室さんグッジョブです!」
ぐっと梓さんが親指を立てて安室さんにウインクする。頬をかいて苦笑する安室さんはいつもの喫茶ポアロで働く好青年だ。だけれど、そんな彼に重ねるのはやっぱり、あの時の彼の発言と相貌で。
もっと頼れ、感情を吐き出せ。
安室透としては妥当な言葉でも、降谷零、或いはバーボンには不似合いな台詞。彼が降谷零として私を探っているのなら、彼の言葉においそれと頷くわけにはいかない。頼って、感情を吐き出して、その先にある彼の求めているものというのはきっと私という存在の情報だ。
いったい私の何を知っていて、何を知りたいのかすら今は分からない。分からないからこそ、安易にこちらから手を触れるべきではない。
梓さんと談笑する彼を見ながら、そんなことを考える自分に、薄っすらと自嘲した。
店内に茜色が入り始めた頃になると、喫茶ポアロは閉店準備を始めた。夕暮れ時のこの時間帯になると人は入るより出る方が多くなっていく。それに合わせて梓さんもシフトを組んでいるようで、おそらく本日最後のお客さんとなる男性客が店を後にすると、エプロンを外して店の奥へと荷物を取りに行った。
「梓さんは夕方までなんですよね」
「ええ、締めの作業は僕がすることが多いですね。遅くなることもありますから」
危ないですしね、と付け加えながらコーヒーを差し出した安室さんは、シンクの掃除を始めた。たぶん、もう客は来ないのだろう。私が最後まで居座った客ということか。店じまいもあるから早く客には帰ってほしいだろうに、わざわざコーヒーを出してくる安室さんに若干の悪意を感じて私はひくりと頬を引きつらせた。
「私も暗くなる前に帰らなきゃですね」
「送って差し上げましょうか」
「大丈夫です。暗くなる前には帰りますから」
淹れたてのコーヒーを大して味わいもせずに必死に冷ましてチビチビと飲んでいく。
本音か嘘か分からない申し出を笑顔で断れば、安室さんは意外とあっさり引き下がった。「分かりました、でも、気をつけてくださいね」と甘い声音で忠告だけはしてくれる。その声音が、個人的には非常に不気味ではあるけれど、確かに言葉通り気をつけないといけない。
自分の身を守るのは、自分自身だ。私をつけていた人間が何者なのか、ただの通り魔的なものかはたまた件の強盗犯か、或いは別の組織の者か。いずれにせよ、自衛を重ねた上で不測の事態には対処すべきだ。
舌先に感じるヒリヒリとした熱さにきつく目を結び、コーヒーを飲み終えるとお会計を済ませるためにレジへと進んだ。すると、用意ができた梓さんが奥から出てくる。私に気づくと、手を止めてレジを打とうとした安室さんに店の片付けを促して、代わりにお会計をやってくれた。
「洸さん」
財布から札を出そうとした私に梓さんからこえがかかった。ん、と視線を向ければ、神妙な面持ちの梓さんが私をじっと見つめていて、朗らかな笑みが印象的な彼女にしては珍しい相貌に思わず目を丸くした。どうしたんですか、と彼女に発言を促せば梓さんは瞳を少しだけ揺らして逡巡する素振りを見せた後、口を開いた。
「私、洸さんのこと全然わかってないかもしれないですけど…でも、」
揺れていた瞳が定まって、意思の強い視線が私に向けられて。
「力になれるか分かりませんけど、本当に辛いときには言ってください。絶対に、投げ出したりしませんから」
力強い声音が鼓膜を刺激して、全身に染み渡る。
正直、また泣きそうになった。
梓さんの言葉は嘘偽りない、本物だ。私という存在を認識して以降、梓さんはいつも私を気にかけてくれていた。無意味な憐憫の目は向けず、でも決して突き放したりしない。心の機微をつぶさに感じ取って、必要な距離と言葉をかけてくれる梓さんだからこそ、目頭に熱が込み上げて。
でも、私はそれでも笑うのだ。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
親身になってくれる相手にすべてを吐き出すこともできず、笑顔で嘘を吐いてしまう。
思った以上に凡人の私にとってこれは心にくるものがあって、ジンジンと痛む胸に痛み止めを塗るように、梓さんに笑みを向ける。
たとえ、私の存在が嘘っぱちであったとしても、
「ありがとうございます」
その言葉だけは、本物だと叫びたかった。
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