阿笠博士の協力のもと、私とコナン君はその日のうちに家の中を調べた。
「見つけても声を出さないで」とのコナン君の言葉に肯首して玄関扉を開ける。なんでも、犯人が盗聴していることをこちらが悟ったと気付かれたら、また此処に来る恐れがあるからということだった。
扉をあけて中に入って、博士の開発した盗聴器を見つけるグッズを片手に隈なく調べる。だいたい、つけられるところは限られているらしくて、コナン君は部屋の中をぐるりと見渡した後、真っ先にリビングのコンセントの差込口に向かった。差し込んであるコンセントを引き剥がすと、眉間に深い皺が刻まれて。私が首を傾げて見ていると、すぐにスマホを取り出してコンセントを撮影し、そのまま元の場所へと戻してしまった。
「コナンく……」
彼の名を呼び終わる前に、彼は掌をこちらに向けて静止のポーズをとったため、先の言葉を引っ込める。指先を玄関方向に指したコナン君の指示に頷くと、私は彼と共に足早に家を出た。
階段を下りて、道なりに進み、二人で向かったのは近所の公園。穏やかな陽光が降り注ぐ中、陽を避けるために小さな四阿へと入り、ベンチに腰掛けた。
腰掛けたところで、コナン君はスマホの画面を差し出して来た。
「やっぱり、盗聴されてたよ」
ほら、と見せるその画面。コンセント部分にアファベットのAが記されている。
こんな物を私は買った記憶はない。確かに形状は私が買ったそれと同じだけれど、文字が記してあるものなんて買ったことはない。
コナン君曰く、このアルファベットは周波数を表しているとのこと。コナン君が博士に貰った盗聴器発見器は、いくつかの周波数の盗聴器を発見できる物ならしい。
決定的な証拠を得たところで、私は状況をとりあえず咀嚼した。ネットが繋がりにくくなっていたのは、盗聴器とモデムの位置が近いことから電波が干渉し合っていたため。
物理的な理由が分かったところで、口から出た言葉はなんとも簡素なものだった。
「ほんとだね」
ぽつりと、それだけ漏らした。スッと出てきたのは、そんな感嘆文で、感情の起伏が感じられない声音に自嘲する。ほんとだね、てなんだ。
私の反応に、コナン君は目を丸くした。当たり前の反応に思わず口角が上がる。それだけ?、と問いかける瞳に私は薄っすら目を細めた。
気持ち悪い。怖い。確かに、真っ先に感じなければいけないのはそのような感情かもしれない。尾行されたその日から盗聴までされていたのだ。普通なら、誰が何のためにと恐れ慄き、恐怖に瞳を揺らして当然で、それでも私は存外冷静だった。
そんなありふれた感情より先に私の中では犯人が誰かといつ仕掛けられたという追及の糸が伸ばされた。
尾行のあったあの日から繋がりにくくなったということは、私が出勤して退社する間に仕掛けられたということになる。時間としては十分だけれど、まず第一に私に盗聴器を仕掛けるということは、私の普段の行動を把握していないといけない。
私は午前中から午後の掛かりまでは仕事だ。そのあとは、図書館に行くこともあれば家に一旦帰ることもある。この曜日にどこに行く、などは決めてないからそこを把握することは不可能。帰りの時間だって、店長から早く帰っていいと言われることも、逆に遅くなることもある。不規則なシフトだから、いつ私が家に帰るかなんて分からない。
つまり、盗聴器を仕掛けたのは、その日私がいつ帰るかを把握できた人間だ。
次に、私の言動を把握したい人間が誰かということ。盗聴器を仕掛けるということは、即ち、私個人の動向が気になる人間だ。一人暮らしの女性を無差別に狙った人間、もしくは店の常連、という線も考えられないわけではない。けれど、少なくとも私は、風見さんとのやり取り以降、多少なりとも人の気配には鋭敏になっている。だからこそ、あの尾行も気付けたのだ。
要するに、女として私を狙う、私が知らない輩の犯行とは思えなかった。
うん、と唸って顎に手を当てる。
そこで、ふと、ある可能性に行き当たった。
どうして安室さんは、あそこにいたんだろう。
ずっと気になっていた。頭の隅に置かれていた些細な疑問。尾行されていたら、たまたま、数駅先の店でバイトしている安室さんが居た。女性の一人歩きは危ないと、わざわざ教えてくれるためにファミレスに行って、遠回りでも安全な道を教えてくれた。大通りを歩いて帰ることが出来た私は、しかし帰りの時間は遅れた。
あの日以来、変な尾行はなくなった。
(あれは、本当にただの不審者だったの?)
証拠なんてない。状況を俯瞰して、穿った見方で人の好意を無下にしているかもしれない。
それでも、ひとつ弾き出した可能性に、背筋が震えた。
疑問は残る可能性だ。それなら、わざわざ尾行なんてしなくても安室さんにたまたま会って、私が帰る時間を伸ばしたっていい。
それに、安室さんの表情も気になる。
あの時安室さんは、ひどく険しい表情をしていた。その後、真剣な声音で女性の一人歩きは危ないと諭してくれた。探り屋として私の動向を注視した、そして懐柔しようとしたとも取れるけれど、あの瞳は確かに降谷零のものだと直感では感じている。
ぐるぐると憶測が巡る。頭は既にキャパオーバーで、もはや自分の考えが正しいのかどうかすら分からない。そもそも、彼はあの一千万の強盗事件の犯人だと私を疑っているのか?もしくは別の理由か。
もし、もし、と疑念を積んだところで真実に到達することなんて不可能で。いっそ、こちらも盗聴器を使って風見さんにでも仕掛けられたら良いのに、とあり得ない考えに苦笑した。
ただ、ひとつ確実に言えることは、降谷零、風見裕也、二人の公安警察官が私の動向を把握したがっている。
そして、私に盗聴器を仕掛ける理由があり、可能性として一番高いのは、彼らだった。
「……お姉さん、何かわかったの?」
怪訝な声に、私は現実へと意識を浮上させた。はた、と視線を声の主へと向ければ、眉根を寄せた彼が私を見上げている。
探る瞳、窺う視線、高校生探偵の顔が私に向けられていた。
何かわかったか、なんてそんな大それた事実は分からない。そのため、首を弱々しく振る。そんな私にコナン君は神妙な顔つきで続けた。
「お姉さん、僕協力できるよ」
「……協力?」
小学生からそんなこと言われて、真に受ける大人はいない。小首を傾げた私にコナン君はなお続ける。
「さっき、博士から貰った機械あったでしょ?僕、いろんな機械を博士に作ってもらってるんだ。だから、お姉さんが犯人を探したいなら協力できるよ」
真実を知ろうとする瞳が私を見つめて、視線がしばらく交錯した。
協力を申し出る彼を見下ろす私の瞳は、いったいどんな色をしているだろう。
そう、徐に考えた。
正義感が宿った瞳だ。江戸川コナン君は確かに真実を追求する強い意志と弛まぬ努力、並外れた才覚を持ち、それらは常に真相へと彼を誘う。
彼は、私がどのような状況にあるかを的確に分析している。
記憶喪失、盗聴、尾行。はっきり言って、まともな人間、ならばこのような仕打ちを受けるはずはない。何かおかしい、何かある。そう考えるのが妥当な状況において、彼が私にこのように申し出るのは必然だった。彼が私に関わった時点で、この選択はあり得た。
彼がいれば、全ての謎は解かれる。
それは、分かりきっている事実だった。
「確かに、それはすごく心強いね」
ふと、笑みをこぼす。コナン君は、私のその相貌に勝気な笑みを見せた。
嗚呼、いつも見ていた。あの、頼もしくそして縋りたくなるような笑みだ。
「……でも、駄目だよ」
「……え」
「これは、私の問題だから」
それでも、一線をそこに引く。関係ないことだと彼を領域外へと弾き出す。
どうして、と食い下がる彼に、私は大人として普通の反応をしなくてはいけなかった。
「小さな子を怖いことに巻き込めないでしょ?」
陽光に煌めく柔らかな髪を撫でて、目尻を下げる。
確かに魅力的な申し出だ。彼ならば犯人の特定を手助けしてくれるし、今、公安警察が調べている事象が何かも。また、それに付随するあの強盗事件についても調べてくれるだろう。捜査一課とも繋がりのある彼だ。情報量は計り知れない。
元の世界に帰るにしても、何にしても、彼という存在はこの世界において魅力的なことに変わりはない。
それでも、この世界の大人なら彼の申し出に頷きはしないだろう。
さらに言えば、私なりの矜持もあったかもしれない。
「気持ちだけで大丈夫だよ、小さな探偵さん」
そつなくこなすことだけは上手い。状況に対応できる。
大丈夫、と自分に言い聞かせた。
「……なら、せめて警察に連絡しようよ」
コナン君の言葉に、あげていた口角がひくりと痙攣した。待て待て、違うんだコナン君。いや、違わないけど、それが正しい対応なんだけれど駄目なんだ。
「ごめんねコナンくん。警察には黙っといてくれるかな」
その警察組織の人間に盗聴された可能性が高いのに、頼ることなんてできない。以ての外だ。
絶対に選んではいけない選択に首をぶんぶん振る私に、彼の疑念は深まってしまったようで。
きらりと鋭く光った探偵の色に、ひくひくと頬が引きつった。
「どうして?」
「ごめん、理由はうまく言えないんだけれどなんとなく…かなぁ」
「お姉さん、盗聴は犯罪だよ?調べてもらう方がいいのに、どうして?」
「そうだね。分かってるんだけど、その」
「それとも、さ」
ずい、とコナン君が身を乗り出した。
「お姉さん自身に、何かあるの?」
含意のある問い掛けに、ひくついていた頬が、ピシリと固まる。
聡い彼の思考回路が初めて恐ろしいと感じた。
交錯した視線を徐に逸らす。ひとつ息を吐いて、上手い返しを思いつかない頭に苛立ちを込めるように、わしゃりと前髪を掴んだ。
「何にもないよ。でも、なんとなく警察は信用できないだけ」
さらりと吐く嘘にだんだん慣れてくる自分も大概恐ろしい。重ね続ける嘘に舌も馴染んできているような気がした。
コナン君は私の虚言に気付いているだろうか。こちらを見つめる瞳を直視できなくて、私は黙って俯いた。
「……分かった…でも条件があるよ」
黙りこくった私にコナン君は、黙認条件を提示してきた。
条件とはなんだ。首を傾げて彼に促すと、硬質な声で彼は答える。
「僕の質問に、ひとつだけ正直に答えてほしい」
どくんと、心臓がひとつ大きく脈打った。息が詰まり、鼓動の音が耳にやけにクリアに届く。それは次第に早鐘を打っていって、連動して汗腺からじわりと汗が滲み出した。
重ねてきた嘘を、ひとつひとつ暴かれそうになる。そんな、恐怖がどっと押し寄せて。
心臓の鼓動が煩い。無意識に、手を胸に当てていて、きつく握りしめた。何を聞かれるのか、何を知られるのか。
コナン君の唇が動く。言葉が紡がれる。
詰めた息と、生唾を呑み込んだ。
「……今じゃなくていいから」
「……へ?」
間の抜けた声が出た。あまりに意外な言葉だったため、本当に腑抜けた声だったと思う。
今じゃなくていい。
何だそれは。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう私に、コナン君は困ったように笑う。
「お姉さんが、何を知られたくないのか分からないし、今それを聞いても答えてくれないでしょ?なら、犯人が分かった後でもいいから、ひとつだけ答えてほしいことがあるんだ」
真摯な瞳が向けられる。向けられた瞳を受け止めて、私は、ハッとした。
その中にあるのは詮索だけではない。
これは、彼なりの優しさだ。
瞳の中にある人間味がそれを伝えてくれる。暴くだけではなく、相手の立場や考えを尊重する彼なりの譲歩なのだろうということが彼の発言からは窺えた。
今じゃなくていい。それは、いつになるか分からない約束で。守られるかすら分からないそんな曖昧なものを、彼は要求してきた。
きちんと、私という存在に向き合ってくれるその姿に、胸がちょっとだけ震えたのは内緒だ。
「……うん、分かった。ありがとうね、コナン君」
ついでに震えた声音にきっと彼は気付いている。それでも、変わらない優しげな笑みを向けてくれた。
いつか、私の正体を知った時、私は君にどう相対するだろう。
いつか、私の正体を知った君は、私をどう見るだろう。
いずれ来る、いつかに少しばかりだけ思いを馳せて、それがどうか彼との確執を産まないことを願った。
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