ゆるゆると動く観覧車を漫然と眺めながら、溶けかけたソフトクリームを口に含む。舌の上で甘味を転がしていると、安室さんに視線をひしひしと感じて、視線を彼に向ける。「何か?」と問えば、彼は、いえ、と言葉を濁した後、思案顔をして、眉尻を下げた。

「共有する何かがある関係は、少し羨ましいなと思って」
「安室さんだって、そういった関係の人がいるんじゃないんですか」
「友人、知人はみんな近くにいませんから」

当たり障りのない笑みが逆に線を引いているようで、流石にそれに触れようとは思えずに私も一歩引く。そうなんですか、そうですよ、と会話を交わして、安室さんの言葉を脳裏で反芻した。
安室透としての言葉なら、単に、首都である此処には親しい人間はいないけれど地方にはいる、とも取れる。柔和な好青年である彼の交友関係が狭いとは思えない。
だけれど、あいにく、私の知る彼の姿はあと二種類ある。
バーボンなら秘め事を共有しているのはベルモットだ。あの方とベルモットの何かしらの関係を知り得ているバーボンはそれを武器に彼女との腹の探り合いを行なっている。しかし、それは羨むような関係ではないだろう。美人とドライブできることくらいか。
そしてもう一人、公安警察、降谷零として彼の言葉を考えると、途端に胸がキュッとなった。

ふと、みんなが乗っている観覧車を見上げる。

(観覧車…)

見上げる観覧車に思い浮かべるのは、見てきた物語とキャラクター。
サングラスが似合う彼の相貌が脳裏によぎって、脳内でそのシーンが上映される。同時に、彼だけではない、彼ら、のシーンまで自然と映し出された。
近くにいない、友人。そんなの、相手は決まっていて──

「何かを共有する相手って、大事ですよね」
「ですね。いろいろと吐き出すこともできますし」
「……ですね」

ふわりと、緩んだ目尻と頬に目を奪われる。懐古の念に、胸が暖められたかのような彼の表情は、いったい誰を思ったのか明白だった。追想されるのは、きっと彼が彼として生きていた時の記憶だろうと嫌でもわかって、ああ、この人はこんな顔できるんだと、どこかほっとする。
けれど、同時に物悲しさも覚えた。

何かを共有できる相手がいるのは羨ましい。

言葉の重みが、ずしりと心に鉛のようにのしかかった。

自分の過去を知る人間、自分という人間を形作った相手、そんな人間がいるということは、自分自身を肯定して受け入れることと同義に思える。
自分は他人によって構成されるからこそ、そんな相手と何かを共有することは、生きる上でとても大事なことで、そんな相手をこの人はどれだけ失ってきたのだろう。初恋の相手も、友人も幼馴染も、失ってそれでも前を向く彼の心情を推し量ることなんてできないのだけれど、それでもその想いに思考してしまう。
自分を知ってくれている人が、いなくて。
それでも、止まることは許されない立場なんて。
考えるだけで、底冷えするような感覚が指先まで伝わった。

だからなのか、ひどく無意味で馬鹿げた思考が頭の片隅から囁く。徐に見つめた観覧車が円を描いて、くるくるとゆったり回る。静かに、ゆったりと回り続ける。

もし、観覧車の中で亡くなった彼に犯人のことを伝えていれば。
爆弾解体中に亡くなった彼を逃がすことができれば。
交通事故で亡くなった彼に外出しないよう促せば。

自殺してしまった彼を止めることができたら。

私自身が、より過去から来ていてそんな物語の上書きをしていたら、今ここに彼はいたのだろうか。

(馬鹿じゃないの)

愚考に口の中で舌打ちをする。そんなの、真実を知るイレギュラー故の傲慢だ。正義のヒーロー、ヒロインにでもなったつもりか。馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたくなる衝動に、唇をかんだ。
ソフトクリームの最後の一口を口に含んで、紙ゴミをゴミ箱に投げ入れる。僅かに苛立った私に気づいたのか、安室さんが眉根を寄せたけれど、知らないふりをして観覧車に視線を貼り付け続けた。
こんな稚拙な思考に惑わされるくらいなら、いっそ記憶なんて無くして、私自身が彼らをキャラクターというカテゴリーで括らない存在とならば良かったのか。自分の過去を共有する相手もいないのなら、何もないところから新しい関係を紡げる相手がいれば、と、そんな世迷言が頭の片隅に転がる。

パーク内の軽快な音楽が耳朶を打つ。人々の笑い声が視界を通しても伝わる。喧騒と、リズミカルなミュージックが鼓膜を震わせて、非現実を提供する中、私の思考は深く深く沈んでいった。





八雲が広がる空に茜色がさしていた。パーク内のひと気もピーク時よりは落ち着いていて、特に大きなアトラクションのないこの科学と宇宙の島では小休憩を挟む人々がレストランや軽食喫茶で涼をとっている。
例に漏れず、疲れた、とか、お腹空いた、と口々に漏らした子ども達を連れて私達も近場のレストランに来ていた。お目当ては、期間限定でタイアップしている、不思議の国のアリスにちなんだジュースやケーキ。テーマパークの料理って大したことないのになんでこんな高値なんだろうと無言で財布と相談しかけたけど、きらりと光る後方のアイスブルーの瞳が不穏だったので大人しく札は飛んで行った。
冷房の効いた屋内のレストランは混雑していて、そこには子ども達と保護者の博士、そして女性陣二人に座ってもらった。

「炎天下とまでは行かなくてよかったですね」
「ですね。さすがに、冷たい飲み物があっても堪えますから」

「暑い中の熱い話もいいかもしれませんよ!」だなんて耳打ちした梓さんには後日きちんと話を通しておこう。
鏡の国のミルク、という名のミルクシェイクを注文した私はさっそくストローに口をつける。ずずっと吸えば、濃厚なミルクと仄かな甘みが口いっぱいに広がり、じんわりとした暑さに熱が籠る体内の温度を僅かに下げてくれた気がした。

「このカップ、オシャレですよね」

頬を緩ませていた私はカップに描かれた文字に意識を移した。側面に描かれている英語、シャレオツである。書いてある単語は割とわかりやすいんだけれど、なんの言葉なんだろう。

Who in the world am I? Ah,that's the greate puzzle!

「私はいったい誰か。ああ、それは大いなる謎だ」

やけに低い声音で呟かれた訳に、少しだけ心臓がどきりとした。え、と安室さんに視線を戻したら更にもう一拍心臓が大きく鼓動を打つ。

「不思議のアリス。ルイス・キャロルの名言ですよ。どうやら、全てのカップに何かしらの言葉が書かれているらしいですね」
「……あ、そうなんですね」

アイスブルーの瞳がやけに私を見つめている気がして気まずさに視線を彷徨わせた後にカップを見つめる。そうか、これはあの物語の原作の言葉なのか。それにしても人の心臓を縮こませる台詞を持ってくるな、と内心苦い心持ちになってしまった。
私はいったい誰か、あぁ、それは大いなる謎だ。

「なんだか、まるで…」

──私のことみたい。

頭の中で反芻されるその言葉に同調して、心の中に燻る鬱屈とした思いが口から漏れた。ぽつり、と空に消えた声音はやけにはっきりとしていて、鼓膜を刺激した自分の言葉にハッと息を飲む。
何を言っているんだろう。記憶をなくした哀れな女でもあるまいし。
無意味に吐露してしまった心情を取り繕うのもわざとらしくて、どうしようかと悩んだ結果、やっぱり浮かべるのは曖昧な笑み。私の十八番の、無難な笑み。

「マトリックスの次は鏡の国ですか。洸さんは冒険がお好きですね」

たらりと垂れた冷や汗を知ってか知らずか、安室さんは軽やかな口調でくすりと笑んだ。意思の読めない笑顔に、眉尻が自然と下がる。
別にマトリックスも不思議の国のアリスも好きなわけではないのだけれど、確かに物語としては親近感を覚える内容だった。
覚めない夢の中で、現実を探し続けている。鏡合わせの国に迷い込んで、出口を探している。現実と非現実が交錯する世界の物語。

でも、それは決して心が躍る冒険譚ではない。

マトリックスの本質は、己からの解放。自己の認識する限界と社会に囚われている、己自身を解き放ち、穿たれた自己像を引き抜いていく。
アリスも似たようなものだ。不思議の国に迷い込んだアリスはさまざまな状況下に置かれる中、その現実に即した選択をとり、場を切り抜けていく。体を小さくして、大きくして、意味の分からないパーティに参加して。そうして、最終的にアリスはその不条理に対してNoを突きつけ、夢の世界から現実へと戻っていく。

親近感を覚えるのは、主人公の立場で、でも、それ以外のことに関しては、物語としてはまさに私とは正反対の内容だ。

「お話としては面白いですけど、でも好きではないですよ」
「おや、そうなんですか」
「はい」

だって、現実は物語のように紡がれない。

今度こそ、胸に焦げ付いた感傷は、その場にとどまって、注がれるアイスブルーの瞳を受け流した。その瞳が、ぎらりと探り屋としての色を放ってこちらに向けられる感触が、視線を介して肌に突き刺さる。私の言動、微細な表情筋の動きから何まで探る瞳をかわす。先日とは違う、今度は公安警察、探り屋バーボンとしての瞳。その瞳を悠然とした笑みで私はかわす。
正直、これ以上、安室さんに何かを言いたくはなかった。向けられるのが、冷徹な色を灯す瞳でも、温色を湛える瞳でも、だ。
物語の仔細を知るイレギュラーとして、各キャラクターまで把握する異常な存在として世界に座している私自身を否定したがっているのは、ほかでもない私だ。誰に咎められたわけでもない。ただ、私が嫌だった。
満点の星空の下、差し伸べてくれた彼の手を嬉しく感じて。
いつかこの真実を、と楽な方向へと逃げたがる自分がいる。
メタフィジカルをこねくり回す異端者として、正常なキャラクターを犯してしまうことはあまりにも愚行で傲慢と言わざるを得ない。
お喋りな口をのせてしまう、彼の言の葉は、どんな彼であれ今の私にとってはきっと麻薬のようなものだ。

一線を引いた笑みに安室さんは暫し瞳に思案の色を浮かべた後、徐に椅子から立ちあがった。ちらりとスマートフォンを見た横顔に浮かんだ降谷零の面影に、目を細める。「すみません、少し…」と私の視線に言葉を濁した彼に手をひらひらさせれば、会釈した彼がテラス席の端まで移動した。仕事の電話か何かだろう。目端に彼を捉えながら、私はストローを加えて中の様子を伺った。
子どもたちがケーキを頬張っている。蘭ちゃんと梓さんも、それぞれ限定スイーツを片手に談笑していた。コナン君と哀ちゃんも、メニュー表を見て何やら話し込んでいる。
非現実的なのに、今の私にとってこれが現実で、小難しいことを黙考してしまう私に気楽な自分が嘲笑う。楽に考えろとケタケタ嫌な笑みを向ける自分の口を閉じるようにしばし瞑目したあと、改めて、彼らを視界に収める。
元太君が、光彦君のケーキを一口もらっている。その一口が大きかったのか、不満を露わにした光彦君にあゆみちゃんが同意して彼に不満顔を向けていて、周りはそれを遠巻きに眺めているだけ。いたって、ごく普通の休日の光景。

そんな穏やかな光景に、ふと気を緩めた時だった。

(……あ)

此処は、始まりの地。全ての物語が始まった場所。その事実が、私の胸の奥にちりちりととした騒めきをもたらした。
忘れかけていた事件の匂いが思い出したように全身に広がる。纏わりついていた疑念、監視、懐疑の視線、凡ゆる疑いの眼差しを一身に受けて認識していた自分の存在の不可解さ。それにより引き起こされたこの二カ月の出来事が、それらに対する察知能力を私の骨の髄まで刻み付けてくれた。
全身が粟立ったのは、視線の先にそれが見えたからだ。左の視界端に安室さん、前方には子ども達や阿笠博士、蘭ちゃん、梓さん、コナン君に哀ちゃん。そして右の視界の端に見えたそれに、私の体感時間は止まった。
ざわりと体の周りの空気に緊張が走った。緊縮した体躯をほぐすように拳をしっかりと握る。
何事もなく、過ごすことができたら良かったのかもしれない。ジェットコースターやパレード、アトラクションを楽しんで、頭の中を空っぽにして、自己嫌悪と逃避を選択しなければもしかしたら、気づかなかったかもしれない。
それでも、たった一瞬見えたその姿に、ぞくりと背筋が震えてしまった。

視線が一点を見つめる。体の全神経がそこに集約されたかのように、視線の先のそれをしっかりと捉えた。
ゆらりと揺らいだ、否、

身じろいだその姿に、息が止まった。

グレーのキャップの下の相貌が、くっきり、はっきりと見えて。
真ん中にある、すらりとした双眼がこちらの視線を察知した。


(あの人だ)


交錯した視線が、須臾に離されてその姿まで消えてしまう。雑踏に身を紛れ込ませようとしたその背が隠れる前に、逃げた方角は視認できた。
頭で考えるよ入り体が動く方が先だなんて嘘だと思っていたけれど、そうでもないかもしれない。思考が体に追いつく前に、ゆらりと体は勝手に動く。全身を駆け巡っている激情に突き動かされるように、ゆっくりと体は前のめりになった。
後方で、「洸さん?」と私を呼ぶ声がしたけれど、それを頭の片隅に一瞬で追いやってしまった思考は、次の指令を全身に出す。

気づいた時には、私は駆けだしていた。


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