情報は人を介さないほど精度が上がる。情報に関わる人間からの話というのが一番新鮮で且つ迅速に他者へと伝わる。これが、第三者を跨いで、更に跨いで、となるとあらぬ色が付けられたりひどく遅れたりするのだ。一次情報の重要性はインテリジェンスに関わる人間が重要視する、と言うのは頷ける。
東都環状線で三駅ほど進む。車内アナウンスが目的地の駅を知らせて、雑踏に紛れて降りて行く。周囲に視線を散りばめる程度には、警戒心は一丁前だ。実を伴っていないという批判は無視無視。とりあえず、公安警察の二人の姿が見えないことに胸を撫で下ろして、私は結城に伝えられた場所を目指した。
《金子建設》
それが、結城から教えてもらった、事件の手掛かりを知る人間が務めている会社だった。
*
「建設会社の社員が犯人の一人ってこと?」
蒸し暑さがピークを迎える正午過ぎ。連日降り続いている雨は今週は止む気配がないとお天気お姉さんが言っていた。が、湿気混じりの熱は、ただ湿度を上げるだけで夏の涼しさを提供してはくれない。
雨音が室内に静かに木霊する中、結城は一呼吸置いて話を進めた。
「可能性が高いだけだ。確証も何もない」
「でも、協力者から情報は上がったんでしょ?」
コトリ、と座卓に湯呑みを置き、情報を再度確認する。
「上がって来たのは、その建設会社の社員の奇妙な噂だ」
「噂?」
「ああ」と相槌を打ち、結城は続けた。
「男の名前は、相澤智則。年齢は四十、独身で、趣味はパチンコに競馬、タバコ。就職のために二十年前に上京したが、一時期は暴力団組織に入っていたらしい。その期間の散財が原因で、今は預金残高が雀の涙程度しかない生活を送っている」
うわあ、と思わず口に出かけた感嘆詞を呑み込む。絵に描いたような転落人生に戸惑いつつ、そういう人間は、まあ、一定数いることは社会人になってからも見て来ていたため知っている。が、改めてそのような人種の話を聞くと、救われないな、と若干の憐憫が湧いてしまうのだ。
口を噤んだ私に結城が眉根を寄せたため、何でもないと苦笑しつつ、続けるよう促す。
「それで、金欠生活の男がどうしたの?」
「……相澤は数ヶ月前、社員連中にあることを豪語していた」
「あること…?」
小首を傾げた私に、結城は平坦な声音で告げた。
「近々、まとまった金が手に入る。相澤は仲の良い社員に嬉々として話していたということだ」
結城の言葉に、息を呑んだ。得ている情報が自然と磁石のようにくっつき始める。
数ヶ月前、と言えばちょうどあの強盗事件の辺りの時期じゃないか。仮に彼がそう話していたのが事件の前だとしたら、彼のその言葉には大いに気になる。
まとまった金が手に入ると豪語していたということは、泡銭ではないということだ。確実に手元に入る金として認識していた。つまりは彼のお得意の博打ではない。
では、博打ではない金を、雀の涙程度しか稼ぐことのできない男がどのようにして手に入れるのか。
「そんなの、犯人です、て言っているようなものじゃない」
確証に近い。少なくとも心象はクロだ。
思惟に浸る私に結城の声が割り込む。
「人伝の証言は証拠じゃない。確証に至るには、接触するのが手っ取り早い」
「接触…?」
接触、てなんだ。公安警察お得意の協力者の獲得工作でもするのか。いや、この場合、相澤は協力者にはなり得ない。協力者になる人間はある程度の教養がある人間だ。アンダーグラウンドの方がお似合いな人間は公安とて願い下げだろう。
では、接触とはなにか。
(まさか)
嫌な予感が過って、ぶんぶんと首を振る。いや待て待て、確かに私自身が振り回されたくないから私はこの手で真実を掴んでやると息巻いていたんだけれど、まさかのまさかだ。私の予感が的中しているかも、と恐る恐る結城に視線を遣れば、相変わらずの淡白な相貌に笑みの一つも乗せないまま、結城は告げた。
「接触するのは、お前だぞ」
や、やっぱりかーそうかー、と肩を落とす前に反射的に、いやいやいや、と苦笑が漏れた。
待ってくれ、確かに私が始めた共闘だ。いや、共犯と言うべきか。私から手を伸ばして、嫌がる彼を引きずり込んだ自覚はあるけれど、あいにくと私は一般人である。
額を抑えて苦悩のポーズを見せつつ、私は結城に待ったをかけた。
「結城、私は公安警察でもないし尾行のプロとかそんな職業でもないんだよ?接触ってどうするの?よく行く居酒屋で酒片手にぶつかったりする?」
「悪くない手だな。それで行くか」
「違う違う。そうじゃなくてさ」
「とりあえずは、会社周辺での張り込みをして、奴の行動を探れ」
「人の話聞いてる?」
結城との会話は時折ドッジボールになる。表情筋が人より鍛えられていない結城は、淡々と大胆なことを言ってのけるものだから私の方がおかしいのかと錯覚しそうになるのだけれど、これは結城がおかしい圧倒的におかしい。
対象に接触するのがなぜ一般人の私なんだ。結城なら、公安のスキルをフル活用して近づき、悟られることなく必要な情報を手に入れることなんて造作ないだろう。
眉根を寄せた私は結城に視線で抗議する。細められた目に、結城がひとつ息を吐いた。
「……無理じゃないと思うから、お前に頼んでいる」
はて、頼むってどういう意味だっけ。私は頼まれた記憶はないんだけれど。
んん、と首を捻れば、結城はガシガシと後頭部を掻いてまたため息を零した。恨めしげにちらりと一瞥されて、それでも視線で先を促せば、結城はそっぽ向いて答える。
「…一通りの尾行や振り切り方は教えたし、実際お前は前よりスキがなくなった。だから、頼んでも良いと判断した。俺が動けば、上への説明が厄介になるからな」
「……それはつまり、あれ?協力者として私に頼みたい、てこと?」
「……そうとも言える」
ぶっきらぼうに、しかしどこか気恥ずかしげな結城は珍しい。そのどこかあどけなさのある表情に、むず痒さがこみ上げて思わず上がった口角を必死に隠す。先ほどまでの憤りなんてちっぽけなもので、すぐに霧散してしまった。
頬の肉が緩む。ニヤける口元に気づいた結城が目を眇めた。だって、仕方ないじゃないか。誰だって、頼られて気を悪くはしないだろう、嫌な人間からじゃない限り。
「仕方ないなぁ」なんて調子に乗ってやれば、結城から微妙に蔑視が送られたので、冗談だよ、と手をヒラヒラさせる。「面倒くさい奴」と呆れ目で見てくる結城にへらりと笑いつつ、それでも思考は次第に冷静さを取り戻して行った。
*
(まずは、相手を尾行しつつ、情報通りの男か確かめる、ね)
結城から伝えられた情報を咀嚼して、飲み下す。
相澤智則、独身の四十歳。ギャンブルが趣味の頭頂部が禿げた冴えない男。あ、今のは主観が入った。怒られる。
気を取り直して、結城に教えられた情報をもう一度頭の中に展開する。
相澤智則は上京後、限られた交友関係しか築いていない。当然といえば当然か、人付きあいが苦手だという相澤がギャンブル仲間なんて作るわけがない。交友関係は、職場の同僚と地方の片田舎に住む親類のみ。その親類ともかなりの期間は疎遠になっている。
原因として一番にあげられるのは、相澤による金の無心だ。金欠生活を続けている相澤にとって、脇目も振らず縋りつけるのは親類程度だろう。なにせ、人付き合いが苦手なのだ。会社の同僚も相澤の金遣いの荒さに辟易していて、必要以上に関わろうとしていない。
(金に困っていてもパチンコはやめられなかったみたいだから、会社とパチ屋、家しかルートとしてはないのか。そうすると、飲み屋でひっかけるのは無理…?)
思案が巡っていく。
相手の生活スタイルと趣味趣向、性格を考慮して接触を試みないといけないけれど、そもそも私にそんなことができるのか。やるしかないと叱曹ウれそうだけれど、不安の方が圧倒的に大きい。
雨上がりのアスファルトを蹴って足早に目的地へと進む。その間にも、接触方法を練ってみたけれど、これ、といったやり方が思い浮かばなくて、もしかしなくても結城から指示を受けながら動いた方が良いんじゃないかと思い始めた。
曇天を見上げて、ふと、佇立する。
(……でも、まずは第一歩)
辿り着く先に何があるか分からない。何もないのかもしれない。それでも、掴んだ解決への糸口は離したくない。
勝手に納得して、頷く。大丈夫、と自身を奮い立たせ、私は視線の先に目的地の看板の名前を捉えた。
35