落ち着け。これでもかというほど嘘は吐いてきたけれど、社会的に抹殺されるようなやましいことは今のところ特にしていない。ここで何を聞かれても、こちらとして困ることは何もない。公安の彼らだったらもっと警戒すべきだけれど、目の前の彼らなら、多分大丈夫。
「……何ですか」
一歩後退り、二人を交互に見やる。警戒を前面に出して目を細めれば、《彼女》が朗らかな笑みを向けてきた。
「名乗りもせず、すみません。警察のものなんですけれど」
私の不信感を感じ取ったのか、二人はすかさずスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出した。顔写真付きでそれを間近で見るのは初めてで、内心、心は弾んでいたけれど、表層にはそれをおくびにも出さずに二人を睨め付ける。
「本物ですか、それ」
昨今は精巧な模倣品を作って民家で盗みを働いたり、乱暴をする輩が多いと聞く。それがこの世界にも適用されているかは知らないけれど、街灯の少ないこの地域で、夜の帳がすっかり降りた時間帯に職務質問する警察官がいるわけない。そう見えるように、私は二人と一定の距離を保った。
私の反応に、《彼》は困り顔になり、本物ですよー、とこちらの警戒心を解くような声音で話しかけてきたけれど、《彼女》は凛とした声音で返した。
「不審に思われるなら、今ここで警視庁捜査一課の目暮という者に確認を取って頂いて構いません」
「さ、佐藤さん?!」
「最近は警察を騙る者も多いですから、むしろそうしていただいた方が良いかもしれませんね。高木君、警視庁のホームページ開いてくれる?」
「あ…やっぱり良いです、そこまでしていただかなくても」
僅かに狼狽する《彼》、高木刑事に指示する《彼女》、佐藤刑事の好意には感謝するけれど、あいにくと私は彼らが警察官であることを知っている。無駄に手を煩わせる必要はない。
「時間が時間なので、驚いただけです。それで、尋ねられたいことはなんですか?」
思考がクリアになる。先ほどまでの動揺は高木刑事に移ったみたいで、私は二人を見つめながら今この二人がここに居る理由を分析した。
十中八九、あの事件絡みだ。
密入国者を囲うグループの残党狩りは、組織犯罪対策部が、一千万円の強盗事件は、捜査一課が、そしてその二つに公安が絡んでいる奇妙な事件。
園子ちゃんと蘭ちゃんも職質を受けたと言っていた。この近辺で、夜半に出歩いていたから目をつけられたのかもしれない。
白々しい私の質問に、二人はやはり、想定していた質問を投げかけてきた。
「三ヶ月近く前に、隣町で一千万相当の金品が盗まれた強盗事件があったんですけど、そのことで少しお尋ねしたいことがあるんです」
やっぱりか、と納得しつつ、小首を傾げる。内心思っていることと、表情が一致してはいけない状態は常に気を張るから疲れるけれど、冷静なフリをしても怪しい。
「あの事件、怖かったです」なんて、よくテレビで見るインタビューさながら、半笑いでそう答えれば、二人も同意するように頷いた。人の良い二人のことだから、多少不審な表情をしても怪しまれはしないだろう。
事件について何を聞きたいのか。警察の情報は結城から仕入れることができると聞いているけれど、公安と一課は情報を全て共有しているわけじゃない。特に、今回は公安が出張る案件ではないと一課からは煙たがられていると結城は言っていた。
もしかしたら、一課が持つ情報が得られるかもしれない。
そんな考えが過り、二人の言葉に一抹の期待を込めた刹那、
「何をしてるの?」
この場に、この時間に、全くと言って良いほどそぐわない高いトーンの声が聞こえて、本日二度目のどっきりを味わった。短い間隔で来すぎだろう。
なぜその声の主の接近に気がつかなかったといえば、ひとえに、この街灯のなさで辺りが暗いのとそしてミニマムと言っても差し支えないそのサイズ感だ。
まじか、と冷や汗が垂れるのを悟られまいと、簡単に振り返って彼を見遣る。
そこにいたのは、愛らしい円らな瞳の小学一年生。
「コナン君こそ、こんな時間にどうしたの?」
ではなく、某高校生探偵。見た目に騙されるな、この目は彼の目だ。
愛くるしい見た目をしているけれど、その目は鋭く私を捉えている。人を疑う瞳、真実を探る視線が私を捉えて離さない。
厄介だな、と思いつつ、彼の前にしゃがんで目線を合わせる。「コナン君と知り合いなんですか?」と聞いて来た高木さんに「少し」と言葉少なに返して、彼に向き直る。
「ダメだよコナン君、こんな夜遅くに一人でで歩いてちゃ」
「……一人じゃないよ、博士と灰原と一緒」
彼が後方に視線を遣れば、二十メートルほど先のちょうど空き地になっている場所に、二人の影が見えた。
でも、そもそもなんでこんなところにいるんだ、という疑問を口にする前に、コナン君がすかさず私達に邪気のない声音を向けて来る。
「それで、お姉さんと高木刑事達は何をしているの?」
にこり、とこれまた愛くるしい笑顔。笑顔の裏には平静を感じさせる瞳があることを私は知っている。
小学一年生の微笑みに、大人二人は困り顔で顔を合わせた。
強盗事件についての話を聞きたかった、なんて子どもの前でするべきではないと考えているのか。いや、この子の前でペラペラ情報をよく喋っていたよね、特に高木さん。
「高木刑事?」とまあるい瞳が、また尋ねる。目の前でこの演技力を見ると流石と言わざるを得ないけれど、残念ながら私は彼の中身を知っているため、形容しがたい感情を抱いてしまう。こわいこわい。
「……高木君、行きましょう。すみません、お引止めしたのに」
「あ、良いんですか?」
「ええ。コナン君も、あまり遅くまで外に出てたら駄目よ?」
「……はあい」
少しばかり不満の色を零すコナン君の頭を撫でた佐藤さんは、眉尻を下げた高木さんを引き連れて夜闇を歩いて行く。その背に会釈をしつつ、私はというと内心は舌打ちをしたい気持ちに駆られた。
知らない情報を仕入れることができたかもしれないのに、と。公安の彼に毒されたのか、そんなことを思う自分に気が付いて自嘲する。何を得られるかも分からなかったというのに、何を達観して考えているんだ。
くしゃりと前髪をかきあげる。息を吐いて、胸の内に渦巻くどす黒い靄を消してしまおうと大きく肺に空気を吸い込んだら、コナン君の鋭い声が私を射抜いた。
「こんなところで、何をしてたの?」
違う、これは工藤新一だ。声質は小学一年生のそれだけれど、声音は高校生探偵のもので、懐疑的なその目に私はニコリと狐面を向ける。
「ちょっと外の空気を吸いたくて散歩してたんだよ。ほら、最近暑くてさ。私の部屋クーラーあるけど節約しなきゃと思って」
「こんなところで?」
「行ってたのはこの先にある本屋さんだよ。そこで涼んで本を物色した後に帰って来てたの」
「……本当に?」
細められた目が彼の不信感を表している。何故、そこまで疑うのか。そもそも何に対してこの子は疑いをかけているのか。私という存在をなんだと思っているんだ、この子。
「本当だよ?」と小首を傾げる。視線を合わせて、決して逸らさない。
男性は嘘を吐く時に視線を逸らしがちだという。その場から離れたいがために、相手を視界に入れないようにするらしいが、それは全くの逆効果で、逆に女性は相手の目を見ながらするりと虚言を吐く。女の嘘は見抜きにくいとよく言われるけれど、結局は視線や声の使い方なので、慣れだと思う。
(まぁ、嘘とバレていようと関係ないけれど)
結局のところ、これは私の問題だ。二つの事件に何らかの形で私という存在が絡まってしまっている。だから、公安警察が動いていて、しかしそれを打ち明けるに足る信頼を勝ち得てはいないからどこからも情報は降りてこない。
私から動いて、私から証明していかないと、私が渦中にいるのに何も見えていない状況はきっと変わらない。
この問題に、主人公である彼は関係ない。誰も関係はなくて、ただ一人私だけの問題なのだ。
嘘を吐こうが、謀ろうがこちらに踏み込ませて良いものではない。
「……お姉さん。前、僕がお姉さんにお願いしたこと、覚えてる?」
ふと、私から視線を外して下を向いたコナン君が低く呟いた。
お願いしたこと、と言えば、あの時。あの、盗聴器が仕掛けられて、それをコナン君が取り除いてくれた時だ。
「……僕の質問にひとつだけ正直に答えて欲しい、だったかな?」
そう言って、固まってしまった私にコナン君は慈悲をくれた。今じゃなくて良い、犯人がわかった後でも良い、と。犯人ならもうわかっているのだけれど、それを彼には伝えていない。
薄情な奴だな、と内心自嘲した私に、コナン君は真っ直ぐな視線を向けてきて。
「あのね、お姉さん」
その視線はあまりにも真摯だった。外すことなんて叶わない強い意志が込められていて、まっすぐ、ただ私を見つめる彼の瞳に吸い込まれた。
(……駄目だ)
だから、思わず──
「ダメだよ」
咄嗟に、人差し指を彼の口に当てて、困ったように笑ってしまった。動揺と焦りが綯い交ぜになって、不恰好な笑顔になってしまったけれど。
目を丸くする彼に「今はダメ」と、眉尻を下げて笑いかける。
「…ッ、お姉さんっ」
「ごめんね、コナン君。たぶん、今聞いても答えられない」
曖昧な、けれど強烈な直感。彼のこの強い意志のこもった、真実を追求する焔が灯った瞳は、今の私にはひどい毒だと思った。
暴かれたくない、と強迫観念みたいに心にのしかかった重石が、私を潰してそして逃げ道を探させた。
ごめんね、コナン君。
「もう少し、あと少しだけ待ってくれたら、答えられる…と思うから」
そんな保証どこにもないのに。
「じゃあね」と足早に彼の隣を通り過ぎる。言葉に詰まったのか、コナン君は私を引き止めることはなかった。
そのまま足を進めて、空き地に待機していた博士と哀ちゃんに会釈をすれば、物言いたげにはしていたけれど、彼も彼女もまた何も言葉を発することはなかった。
それが何よりもありがたくて、へらりも十八番の笑みを向けたけれど、唐突に、高い声が空を裂いた。
「洸さん!」
聞き慣れた声が、私の名を呼んで、思わず足が止まる。お姉さん、といつもは呼ぶ彼からの名前呼びは、私の足を止めるのには充分で。
振り返って彼を見遣れば予想通りの瞳が私を迎えて、立ち止まってしまった私の元に彼は駆け寄り、見上げて私を見据える。
「……コナン君?」
「諦めないから」
「へ?」
「俺は、絶対に諦めねェから」
それは、取り繕っていない、本物の声だった。
何に対して、とか、どうして、とかそんなことはきっと関係なくて、ただ彼は、真実を掴むだけではなく、その先のことも含めて発言したのだと彼の声と目を見て悟った。
同時に、胸の内にこみ上げた情動が少しだけ、瞳を濡らした。
(諦めない、か)
闇路を歩きながら、彼の言葉を反芻する。凛とした強い意志のこもった声は、鼓膜にも心にも響くものがある。
三人に再度別れを言って、背を向ける時まで、彼はその意思を視線で私に伝え続けた。それは私の心に引っかかってしまって、取ろうと思ってもなかなか取れない。
嘘を吐くことに身体が馴染んできていた。効果的な視線の使い方も、嘘の見抜き方も、人の一挙手一投足をつぶさに観察する眼も、自分のために養ってきた自負がそれなりにある。
なのに、あんな──
(ずるいなぁ、コナン君は)
こちらを、引き留めようとするような。
光の中に、呼び戻そうとするような。
思い出すその瞳は、脳裏に焼き付いて離れそうになかった。
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