夏の輝きを放つ太陽を掌越しに拝んで辟易する。もう少し日差しが和らいでくれれば外へ出るのも億劫にならないのに、と心の中で毒付いてもお天道様は何食わぬ顔で輝き続ける、当たり前か。
燦々と降り注ぐ太陽光は私の行く手を阻もうとしている気がして無性に腹立たしくなる。腹を立てたところで仕方ないのだけれど、せめてもう少し過ごしやすい天気なら、今から自分が行く場所へも少しはこの鬱屈とした気分を軽減して進めるのに、と嘆息する。しかしながら、お天道様は知ったことではない。無情。
脳内で軽快で不毛な思考遊びを繰り返す程度には、まだ自分は正常なのだと思いたい。けれど、今朝方結城から来た連絡と、出された司令は私にとってなかなかに荷が重いものだった。
(東都不動に行って接触かぁ)
夜通しかけて結城が調べた結果、高橋という男は相澤以外にも複数の人間と飲みに出かけるなど、交友関係が広い男のようだった。もともと、東都不動でも営業課長の職についていて、外部との会合や取引先との付き合いなどで顔が広い男ならしい。故に、他業者との交流があってもおかしくはない人間だそうで。
(相澤の知人ということで接触とか、不安要素しかない)
そんな高橋に接触しろとのことだ。緊張で胃がキリリと悲鳴を上げた。
身内の線で行くとボロが出るなら、兄の友人?遠い親戚?一番不自然がないのは同僚か。しかし、すぐに金子建設に確認を取られたらアウト。
ぐるぐると思案しても仕方がない。兎にも角にも、相澤智則の行き先が特定できない今、唯一の繋がりといえる高橋に接触することは確かに妥当な選択だ。妥当なのだけれど、
(不安)
不安、その一言に尽きる。嘘を吐くことに慣れてきているとはいえ、綻びのない虚言を淀みなく滑らせることはなかなかに骨が折れる。
それでも、そこにしか情報がないのなら行くしかないのが現状で、こんな堂々巡りの思考遊びをしていても仕方がない。
教えられた東都不動は、強盗事件があった場所からさほど離れていない場所にある、中堅企業だ。名前の通り不動産業を営んでいて、米花町近辺のアパート、マンション保有している。単身用の物件の他にも、ベンチャー企業向けのテナントも紹介しているようだった。
営業課長と一介の建設会社の社員に何の関係があるのか。
空振りに終わるかもしれないという漠然とした不安に胸がじりじりと焦燥感を抱きつつ、蝉の鳴き声がぽつぽつと聞こえ始めた通りを歩く。たらりとこめかみを汗が伝い、右手の指で拭おうとした刹那、手首に振動が走ったため、指はこめかみから耳元へとスライドした。人目を憚るようにブロック塀へ顔を背けて「なに」と一言問えば、《予定変更だ》と妙に苛立った結城の声が返ってきた。思いもよらない司令に「はあ?」と素っ頓狂な声が漏れる。
「この暑い中、歩いてここまで来たのにいまさら」
《東都不動に一課の捜査員が張り込んでいる》
もう一度、「は?」と混乱をきたした声が漏れた。
どうして一課が、と疑問が浮かぶ前に脳裏に蘇ってのは昨晩の光景で。その光景と現状がリンクした時、くらりと目眩に襲われた。
夜遅くまであの二人が足繁く付近の聞き込みを行なっていた、ということは、群となった他の捜査員も同じように聞き込みや防犯カメラの映像解析などを行なっているはずだ。
優秀なのは、何も公安だけじゃない。テレビ画面の向こうでは、江戸川コナンや服部平次、白馬探など頭一つ抜けた頭脳を持つ高校生達に劣るように描かれているのがあの世界の大人、警察官だけれど、此処は現実で画面の向こうの世界じゃない。物語の向こう側で、地道に捜査を重ねている大人達が、高橋の存在を掴んだとしてもなんらおかしいことではなかった。
先を越された。いや、越されない方がおかしいか。私はただの素人だ。
張り込んでいる一課の後ろから偵察をするか。でも、高橋目当てで一課が張り込んでいるのなら、高橋の身体が開いた瞬間、アタックを仕掛けるはずでそうなってからでは遅い。事情聴取なんて数分で終わるはずがないし、そのあと私が接触すれば、他の捜査員から目を付けられる。昨日高木さんと佐藤さんに会っているから、余計怪しい。
うん、と唸っても解決策は出てこなくて、かといってこの炎天下では思考はまともに働かない。一旦引き返すか。しかし引き返したあとの算段は何も立てられていないなら愚策となる。
ジリジリと太陽光が照り付ける。初夏にも関わらず暴力的に降り注ぐ日差しは、まだか、と自分を嘲笑っているように思えた。カチカチと腕時計が時間を刻む音だけが無情に時を運んでいく。
《……高橋を、飛ばす》
その中で、硬い声質で結城が出した指令に、私の脳は疑問符を飛ばした。
「飛ばす…て、何?」
《高橋には接触するな。一課に目を付けられればお前の素性が詮索されてこれ以上は何も探れなくなる》
結城の言うことは最もだ。素人の私でも考えれば分かることだ。しかしながら、だからと言って指を咥えて待つことも、このまま手ぶらで帰ることも得策とは思えない。
私を駆り立てるのは、焦りだった。目の前にある情報を掴みたくて、浅慮になっている自覚はある。あるのだけれど、今の私はそれに縋るしか出来ない。胸の内をじわりじわりと侵食する黒い靄のようなものが、私を駆り立てる。
「でもっ、」と否定の言を口走って、でも解決策を見出せずに閉口する。駄々をこねる子どもよろしく、逡巡して佇立する私に、結城は「飛ばす、て言ったろ」とひとつため息を吐いた。言葉の意味がわからず押し黙った私に、結城は続ける。
《高橋には接触しない。代わりに、別のところに行け》
「別のところ?」
飛ばす、とは、高橋を飛ばして別の場所に行けということならしい。ややこしい。「別、てどこ」と逸る気持ちを隠さず催促をすれば、Free Wi-Fiを拾っているスマートフォンが振動した。
タップすれば、今いる場所から徒歩で20分程の距離の地区の地図が表示される。ところどころに青いマークが打ってあり、その中で一つだけ赤いマークが打ってある場所があった。
《赤いマークが付いている建物に行け》
「……え、なんで?」
不振に眉を顰めた私の顔貌はお見通しなのか、結城はまたひとつ息を短く吐いて説明した。
《マークが付けられている場所は、東都不動の所有物件だ。空いているテナント、マンション、アパートと多岐に渡るが、赤いマークのテナントは数ヶ月前に零細企業の店舗が契約して入っている》
「それで?」と、ますます不振の色を濃くした私はこめかみを抑えて問い返す。だからなんだ。店舗が入っている場所にわざわざ行く理由はなんだ。
しかし、その私の僅かな苛立ちは結城の情報により霧散した。
《その店舗に高橋が通っている目撃情報が取れた》
「……は?」
「加えて、その店舗はWebデザイン事務所と記録上はなっているが、掲載されている電話番号にかけても応答がない」
「実際、店の契約なんてないってこと?」
《そういうことだ》
絵に描いたような展開だと思った。まるで、こうなるように仕組まれたような奇妙な感覚。相澤智則の調査を開始してから一日しか経っていないというのに、とんとん拍子に真相へ近づいている。迷宮と思われていた場所で、正解の道が示されていくのは喜ばしいことのはずなのに、何故だか胸の内に靄が広がる。
事件が多発するこの世界。主人公にまとわりつく死の匂いが、自分にまで伝染しているんじゃないか。こっちへ来い、そう世界に手招きされているような感覚が五臓六腑に染み渡って、悪寒がぞぞっと背筋を張った。
《おい、聞いてるのか》
刀海、と訝しげな声が耳朶を打つ。震えた鼓膜が嫌な思考に蓋をしてくれて、ぶんぶんと首を振る。「聞いてるよ」と乾いた笑いと共に、自らを俯瞰する。
焦慮に駆られているんだ。曖昧模糊な直感ごときに進む足を止めるわけにはいかない。結城から指定された場所に、何か、があるのなら。例えそれが小さな手掛かりでも、空振りでも何でも、私はそこに行くしか選択肢がない。
この世界で生きることを強いられて、
絡め取られた人形のように過ごすのなら、
「大丈夫」
私は、まだ大丈夫。
大丈夫だよ、と念押しするように呟いた私に、結城が硬い声で告げる。
《決して、中に入るな。外から観察して、相澤が出てこないか、人影がないか確認するだけでいい》
「それ、行く意味ある?」
《人影を見つけたら俺に知らせろ。お前の仕事はそこまでだ》
「なら、結城がくればいいじゃない」
《今から出るつもりだ。だから、待ってろ》
結城の声がやけに神妙なのがおかしくて、思わず口元がニヤついた。らしくない声だ。いつだって能面を貼り付けて、ヒビなんてなかなか入らない男の声にしては、些か情感がこもりすぎてはいないか。
だから、私もちょっとだけ言葉に色をのせてみようと思った。
緩んだ口元で、自然と細められた目が、脳裏に浮かんだ能面に紡ぐ。
「うん、わかった」
──待ってる。
耳元で、僅かに息を呑んだ音がして。刀海、と名を呼ばれる前に肌を押さえていた指先は離れて、もう、彼の声は聞こえない。
夏風が髪を揺らす。吹き抜けた風に向かって、私は走り出した。
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