どうして、とか、なんで、とか、この世界に来てから数え切れないくらい頭に浮かんだ疑問符は結局私の中に残り続けて消化されることなく燻っている。幾重にも重なる疑問達を内に孕んでいるというのに、これ以上、世界は私に何を産み付けるのか。
私を押さえつけている男の瞳に、瞳孔が開いて、戦慄する私の顔貌に男は冷ややかな視線を下ろした。舌打ちをすると、押さえつけていた私の身体を仰向けにして組み敷く。顔を背けることもできない、相対した状態に息が詰まりそうだった。

「質問に答えろ。少しでも妙な動きをすれば、そこのガキにも何があるか分からないと思え」

そう言いながら、男は、ジャケットの内、腰辺りに手を伸ばして何かを取り出した。

「痛いのは、嫌だろう?」

刃渡り何センチあるだろう。鈍色に光る鋭利な刃物は私の命を握っていて、必然的に首を縦に振った。物盗りではない。この男は、あの時私を睨みつけた、憎悪に満ちた双眼を向けてきた、アイツだ。
どうしてここに、どうやって、と混乱する思考をなんとか落ち着かせて状況を整理しようと黙考したけれど、鈍く光る刃物が視界の端にちらついて考えはまとまらなかった。
純粋な恐怖に、侵されていた。

「まず一つ目だ」

ぐっ、と血走った眼が私に向けられて、息が詰まる。何を聞かれるのか、どくどくと血潮が激しく身体中を巡り、呼吸が荒くなった。
けれど、男からの質問に、口から出たのは間の抜けた声だった。

「どうやって、アイツらを殺った」
「………は?」

質問の意味を理解するのに、三秒は要した。たっぷり間を置いたのは、時間稼ぎのためでも何でもない。質問の意味が理解できなかったからだ。
アイツらを殺った。殺した。誰が、誰を?私が、彼らを?男の質問は、確かにそう私に問うているものだということは、言葉では理解できたけれど、私は眉を顰めた。
怪訝に歪んだ私の相貌が気に入らなかったのか、男が私の前髪を乱雑に掴んだ。

「いっ、」
「おちょくってんじゃねえぞ」
「ッ、知らない…私じゃない」
「あの状況でお前以外誰がいるんだよ」
「私が行った時にはあの人達はもう死んでた。私は何も知らないッ」

大体、あり得ない。こんな小娘が大の男、四人を殺害する?組織の人間じゃあるまいし、何の技術も持たない私では不可能だ。そんなこと、考えれば分かるだろう。
眼光鋭い男に視線を合わせて、はっきりと言い返す。

「大人の男、四人なんて私は殺せない」
「………お前が殺せなくても、他に協力者がいた可能性がある」

暫し閉口した男は、低く唸るようにそう吐いた。どうあがいても私が犯人の一人だと信じて疑わないその思考に怖気が立つ。血走った目はまるで私がそうあるべきと自身に呪いをかけているように見えた。
悪魔の証明だ。協力者がいた、とも、いない、とも口だけではなんとでも言える。そんな言葉に意味がないことなんてこの男もわかっているはずだ。

「どうして、私だと決めつけるの」
「あ?」
「私じゃない可能性だってあるのに、なんで…ッ、いっ」

強烈な圧迫感に呻き声が漏れた。腹部にめり込んだ拳に咳き込み、目尻に涙が浮かんだ。

「こっちは出所がある。テメエが関わっていることは分かってんだ」

嘲笑を交えた相貌はどこか焦慮に駆られている。が、語気を強めて、妙に確信めいた声音を出した男に、目尻に涙を浮かべながら思考を回した。
出所がある、ということは、誰かが私が犯人、もしくは共犯者だとこの男に伝えたのか。どこの誰だか知らないけれど迷惑極まりないことだ。ガセネタを男に流した人間、そんな人間が何処にいるのか。そもそも、なぜそんな話を男にしたのか。
考えても分からない。頭の回転が早くて、勘の良い人だったら見つけられるかもしれない一片の真実も、私には見えない。
次は何を言おうか。どんな言葉なら逆上しないだろうか。物語を知悉している人間がいるのだとしたら、教えてほしい、何が正解なのかを。
押し黙った私に、男の瞳がぎらついた。

「アイツらを殺って、ブツを何処に隠したかを吐けば、助かるかもしれねぇぞ」

ブツ?ブツ、てなんだ。クエスチョンマークを頭の上にチラつかせたけれど、はた、と今更ながら思い出した。こいつらは、あの事件の犯人、強盗犯だ。ブツ、とはつまり、盗まれた一千万円相当のブティックのことか。
つまりこの男は、金目的で私が彼の仲間を殺して盗品を隠した、と思っているのか。
馬鹿馬鹿しい、あり得ない。そう一蹴できたらどんなに良いだろう。鼻で笑ってやりたい衝動はしかし抑えないと命がない。焦慮に駆られているのはこちらも同じ、そんな状況なのに、時間が経つにつれて現実に対して思考が麻痺する。
そもそも、どうして男が此処を知ったんだろう。確かに私は第一発見者だったけれど、名前も住所も伏せてあった。且つ、刑事課の捜査官が近辺を見回ってくれていた筈だ。現実を打開するよりそちらに思考が移る。
男は「手間を掛けさせやがって」と言っていた。つまり、労力をかけて此処に来たんだ。

「おい、聞いてんのか」

ガン、とこめかみを強打されて頭が揺れる。ぐわんぐわんと視界がぐらついて、殴打された箇所にもズキズキと痛みが走った。その痛みが、思惟に浸り掛けた私の頭を現実へと引き戻す。ふざけるなと吐き捨てたい衝動を飲み込んで、固く目を瞑り、緩慢に開いた。
現実を認識していないわけじゃない。
組み敷かれた体躯。馬乗りされた身体は、身動きを取ろうものなら視界の端に映る彼に危害が及ぶ。彼を抑えている男が痩躯といえど、小学校一年生の小さな子どもにその痩躯をどうにかできるほどの力はない。頼みの綱のキック力増強シューズは家に上がるときに脱いでしまい、時計型麻酔銃は腕をガムテープで縛られているため使用不可だ。
私と言えば、視界の先には冴えない男の相貌に、背景は茶色の天井だ。両手を使っても状況が好転する余地は皆無と言って差し支えない。
確実に、焦眉の急を知らせる事態だけれど、この事態を知らせる術を私達は持ち合わせていなかった。

(時計に、手が届けば)

ズキズキと、頭の痛みに耐えて視線だけを周囲に這わす。眼球の微細な動きに留めて気付かれないように気を使ったけれど、目に着いたお目当てのものは残念ながら手の届く位置ではなく、座卓の上に置かれている。詰んだ、と嘆息した刹那、今度は馬乗りになっている男が腹部を殴打した。

「ッ、う…あ」
「なんか答えろよ」
「しら、ない」
「あ?」
「知らないって…言ってるでしょっ」

か弱い娘を演じたり、怯えに瞳を揺らせば可愛げがあったかもしれないけれど、私はじゃじゃ馬だ。じゃじゃ馬は後ろ足で男を蹴り上げるものだ。
あの場にいた私を、犯人と勝手に勘違いしている男。ブツの場所なんて知るか。私は結城の情報を頼りにあの場に行っただけで、何故彼らが死んでいたのか、どうして盗品がないのかなんてこれっぽっちも知らない。決して男に対して虚言を吐いているわけではない。重ねれば、この男が何者かも知らない。
にも関わらず、男は私の発言が気に入らなかったようで、今度は腹部を圧迫された。

「しらばっくれんな、クソアマ」
「っ、ほんとに…」
「いくら連絡しても出ねえと思ったら、こんな女にヤられていたなんてな。あいつからの情報がもっと早けりゃ…」
「れん、ら、く……ぁ」

その単語を聞いて思い当たったのは、あの電話だ。無残な死体となった彼らを発見した時に、鳴ったあのスマートフォン。

(この男、から?)

それに、あいつから、とはなんだ。誰のことだ。労力をかけてここに来たということは…

「……んだよ、その顔は」
「アッ、」

圧迫感がひどくなる。痛みと苦しさで、カエルが潰されたような声が出た。
駄目だ、思考が鈍る。

「洸さん!」
「言えよ」
「ッ、あ…しら、な、っ…い、ぁ」

コナン君、頼むから黙っていてくれ。騒げば君に危害が及ぶ可能性がある。いや、この状況だ。彼をむざむざ返すとも思えないから、なんとか彼だけでもここから連れ出す算段をつけないといけない。
痛みを堪えて、思惟を巡らす。息を僅かに吐いて、緩慢に瞼を下ろす。
イメージしろ、演じろ、状況の打開策を考えろ。怖いとか痛いとか、そんな情報はシャットダウンしないといけない。

それなのに、男から発せられた言葉と向けられた視線に、私の思考は停止した。


「言いたくねぇなら、そうだな。こういうのはどうだ」


ぞくり、と嫌な汗が背筋を流れた。動機が荒くなる。警鐘が頭の中に鳴り響いて煩い。「騒げば、ガキが痛い目見るぞ」なんて、テンプレートな台詞付きで向けられた、薄汚い視線。舐めるように這わされるそれに、顔が歪んだ。
嗚呼、嫌だ。こんな展開まであるなんて、なんて物語だ。胸糞悪い不快感がせり上がって吐き気を催す。くそったれと心内で毒づいた。
下卑た嘲笑が落ちてくる。舌舐めずりをした男が私のTシャツをたくし上げた。「やめろっ!」とコナン君が叫んだので、鋭利な視線を彼に向ける。

「大丈夫」

口答えをするな、と目を細めて訴えながら、口元は緩めた。
私は、笑えているだろうかと、頭を過ぎった一抹の不安はすぐに塗り潰される。お気に入りの下着までずらされて、露わになった上半身に彼が顔を背けたのが見えた。良かった、とりあえず貧相な体を見られずに済みそうだ。

「気持ちわりぃ、少しくらい泣けよ」

なぁ、と乱雑に鷲掴みされた胸部に息が一瞬詰まった。下手くそ、とスラング交じりに罵倒したら殴られるだろうか。殴られた方がマシだろうか。このまま汚されるのと、痛いのだったらどっちがマシだろう。どっちでも大差ないか。
無抵抗なのを良いことに、薄汚い手が今度は下腹部へと渡る。最悪だなぁ、と人ごとのように構えてしまった。
まるで、夢のように思えた。確かに肌を這う不快な感触はあり、目の前には不細工な相貌が広がり、耳には獣のような荒い息遣いが聴こえる。現実がそこにあるのに、何処かで私はそれを自分から切り離していた。
外気にさらされた胸も、腹も、両脚も全てが私のものじゃないようで。

(……嗚呼、きもちわるい)

でも、感情だけは確かにここにある。
男の手が下腹部の下着へと伸びた。これ、先月買ったばかりのお気に入りなんだけど、扱いを雑にしないでほしい。お洒落着洗いの手洗いで丁寧に洗っているんだ。繊維が解けたらどうしてくれる。そんな現実逃避でその場をやり過ごす。
大丈夫、大丈夫。コナン君にはそう言った。ならば、大丈夫。私は人形。世界に操られる人形。マリオネットだから、大丈夫。
思考を放棄して、現実を見ないふりをしてきた時、

ずるりと、男の指が、股座を這った。

蚯蚓が股を這いずるように、ぞぞぞ、と怖気が立つ。目を見開いて、生唾を飲み下して、息を止めた。

だめだ、ダメだダメだ。

ばくばくと心臓が煩いほど脈打って、動脈を血が勢いよく巡る。全身の筋肉が緊縮して、はくはくと、僅かに空気が肺に入った。

途端に、堰を切ったように溢れたのは、

悪寒と
吐き気と
底知れない


(し、ねよ)


殺意、だった。





「コナン君ッ!洸さん!」

ぶわっと、全身に広がった激情は唐突に室内に響いた怒声に掻き消された。ひゅ、と息を呑む。呑んだ息を止めて、呼吸を一時停止させた私の思考も同じように静止する。どうして、と視線で問い掛けても、彼は返してくれない。
チェーンロックを掛けていないことが幸いした。開け放たれたドアを呆けて見る二人の男は、現状を認識するとひどく狼狽した。当然か。何故、どうしてここに人が来るんだ、と混乱する思考に加えて次の一手を考えるなど常人にできるわけない。
対して、彼の動きはさすがとしか言いようがなかった。
ダンッ、と勢いよく床を蹴ったかと思えば、その体躯はたった二歩程度で男の目の前まで迫る。そのまま、勢いを殺すことなく左足を軸に、まず右足で私に跨る男が蹴り飛ばされた。丁度、私が打ったようなこめかみ辺りに膝下がめり込む。ガンッ、とそのまま座卓へと頭部をぶつけていたから、脳震盪でも起こしているんじゃないんだろうか。正直、気分がスッとした。
ひっ、とか細い声を漏らした別の男は恐怖に脚が竦んだのか。彼がひどく冷徹な眼光をそいつに寄越せば、みるみる戦意が喪失していき、壁にもたれかかると尻餅をついた。腕の力が弱まったことで、コナン君は自力で男の腕から逃れると私の元へと駆け寄って来る。

「洸さん!大丈……ッ」

焦りを前面に出した相貌が、私を見るや否や逸らされる。ああ、そうか。今の格好は青少年によろしくない。青痣が滲む腹部、露わになっている胸部、下着のみの下腹部。実によろしくない。

「ごめんね。コナン君」

身を起こして、へらりと笑う。服、着ないといけない。身体の節々に痛みが走る。痛むけれどとりあえず服着なきゃ、と剥ぎ取られたそれらに手を伸ばす。
すると、自然と自分の手に視線が行った。
その視線の先に、私は首を捻る。

(わたし、震えてる?)

カタカタと目に見えて手が、震えていた。どうして、と眉を顰めて逆の手で抑え込もうとする。震えてる場合じゃない、もう終わったんだから、立って笑って大丈夫と言わなきゃ。こんな羞恥に頭を抱えるような格好をいつまでも晒していちゃ駄目だ。
それでも、カタカタと振動する体躯は抑えられない。挙げ句の果てに肩までその振動が伝わって、全身が悪寒に包まれた。次第に激しくなる動機が私の動揺を如実に表していて、また、嫌だ嫌だと駄々をこねる。

「洸さん」

身を案じる声が私の背に掛けられて、生唾を飲み下す。大丈夫、大丈夫、と自分を宥める。
くるりと振り返って、不安げに眉尻を下げるコナン君に不恰好な笑顔を向けると、今度は何か言いたげにその唇がまごついた。「洸さん、大丈夫?」と瞳を揺らす彼に笑いかけながら、後ろ手でひったくるように服を掴んでとりあえず前は隠した。
彼はというと、手早く二人の男を拘束していた。手近にあった薄手のタオルを使って、伸びている男と戦意がゼロになってる男を縛り上げる。

「大丈夫だよ。怖かったね、コナン君」
「僕は大丈夫だけど、洸さんは…」
「傷の手当てをしましょう。もうじき警察が来ますから、ひとまず彼らは引き取ってもらえます」

警察が来たらこの人困るんじゃないんだろうか。それとも、風見刑事含めた公安が来てくれるんだろうか。静かなまなこで、淡々と話す彼に薄ぼんやりとそんなことを考えていたら、けたたましいサイレンの音が次第に近づいて来た。

どうして彼が此処にいるのか。男達はいったいなんなのか。何一つわからないまま終わった事件は、時間にすれば僅か十分程度の出来事だった。
警察が来て、家に上がって、佐藤刑事か血相を変えて私の身を案じる姿もどこか他人事のようで、問いかけに頷きながらも何を言っているのか理解ができなかった。
虚無感が身体中に広がっていて、ふと、自分の感情を俯瞰してみる。

自分にあんなどす黒い感情があったとは思わなかった。

裏切られようと、嫌われようと、疑われようと、痛めつけられようと、生の終わりを願うほどの激情が自分にあるなんて思ってなかったけれど、存外私は普通の人間ならしい。
男の指が、私の女の象徴を嬲った時に直感でそう思ってしまったのだ。生の終わり、それも無情で残酷な終わり方を願ってしまった。激情が身体を支配して、大丈夫、とずっと自分に言い聞かせていた魔法の言葉の効果が切れてしまった。

連行される男の横顔を色のない目で見つめる。大丈夫ですか、と案じる佐藤刑事の声は耳に届いているけれど心には響かなくて、ただ男の横顔に向ける瞳の奥に冷色を忍ばせる。

(……ねばいいのに)

ぼそりと吐きかけた憎悪は、消えることなく小さく胸に燻った。



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