風見さんとの邂逅から一週間経過。今日も今日とて、私は仕事合間の図書館通いに精を出していた。
真っ先に行くのは時事ネタを仕入れるための新聞コーナー。全国記事の欄では、大物議員の汚職疑惑、水不足による野菜価格の値上がり、など世間を騒がせているネタから台所事情までさまざまなネタが紙面を賑わせている。一通り目を通したあとに地方欄に移ると、都内の犯罪の話題がちらほら見られた。やっぱり都会は大小合わせると犯罪件数が多いと思う。人口が多ければ多いほど、犯罪件数は多くなるのだ。怖や怖や。地方都市の紙面なんて、行政系なら知事表敬や調印式、あとは町のイベントや祭りの話題だったから、紙面の華やかさが格段に違う。別世界かと思うほどの和やかさだった。

(強盗、殺人未遂…米花町こわっ!)

江戸川コナンいるところに犯罪あり。恐ろしい町である。人命が関わらない事件といえば、密入国者を囲っていたグループが摘発されて残りのメンバーを警察が追っているとか、高級ブティックを襲った窃盗団が一千万円相当の商品を奪って逃走中とか。高級ブティックで一千万ってあまり高くない気がするのは置いておこう。
それにしても、犯罪に事欠かない土地だ。そんな場所で生活している都民は肝がすわっているんじゃないのかと思う。昔は戸籍ないワケあり人間なんてゴロゴロ居たという店長の言葉からすると、店長もなかなか肝が据わっている。

一通り新聞に目を通した後に足を運んだのは、SF小説や参考書がある棚ではなく、ミステリー小説が配列された棚だった。刑事物の小説が多い棚でお気に入りの本は公安関係の本だ。何冊か選んで、ボックス席へと移動する。
その間、ちらりと視線を左右に揺らして辺りを確認した。

(……あの人、一昨日もこの時間にいた)

黄色のTシャツにジーンズ。シンプルな見た目の年若い男性。この前は確かスーツ、そしてその前は同じような私服でこの時間に居た。
何故、そんなことが分かるかというと、風見さんに取り調べを受けたあの日から少しだけ注意して周りを見ていたからだ。
公安刑事の風見さんがわざわざ私に接触したということは、私に対してなんらかの疑念があるわけで、ならば私の生活をある程度把握しようとするのは予想ができた。コナンの世界あるある、だ。
案の定と言うべきか、決まった時間に私が図書館に現れると必ずいる男性を見つけた。初めは目が合えばするりと逸らされ、男性もどこかの本棚へと足を運んでいた。この間は流石に目が合わなかったが、今回はこちらも知らぬふりをしてなんとか視界の端に捉えると、私がボックス席に着こうとする前にちゃっかり私の席の後ろにあるソフアに腰をかけたのが確認できた。
公安の協力者がはたまた捜査官かのどちらかだろう。

正直、非常にめんどくさい。

私がここで何を調べているのかを探っているのなら、読んでいる本の内容を悟られたくない。後々、何故この本を読むのかを考察されても面倒なため、この数日はできるだけ無難な本と時事ネタを仕入れるための新聞だけを読むようにしていていた。
加えて、米花町に行くこともなくなった。毎日のように足を運んでいたけれど、そんなことをしたら怪しまれることは間違いない。私の意識が覚醒したのは新宿という設定だ。わざわざ米花町に行く必要は全くないのだ。

帰るための手がかりが欲しいのに、それを探すことも困難な状況に自然と唇がきつく結ばれる。手にした本の物語を追う気分にはなれなくて、意識は茫洋とした思考で埋め尽くされた。
何故、公安が自分に目を付けているのか。理由は判然としない。密入国者だと疑うのなら、組織犯罪対策課などが担当するものだと思うから、その線は薄いのかもしれない。
公安が追うのは、国内の過激派、右翼左翼団体、宗教組織、あとは外事課が国外のテロリストや犯罪グループの情報収集をしていることは耳にしたことがある。
組織の規模が大きく、且つ個人に接触するならそれ相応の立場にいるキーマンを崩せるような人間を囲い込むだろうに、どうして私に目を付けているのか。
分からない。黙考していても何も閃かない。凡庸人間には分からない世界なのかもしれないけれど、何かしらで疑われて動きも制限されている今、とにかくさっさと彼らの目的がどこかで達成されて欲しいと切に願った。


二時間ほど思案に暮れて図書館を出ると、馴染み深い声に足を止められた。

「あ、お姉さん」

まじかー、ここは米花町からふた駅離れているんだけどなー。
心の中のため息を外には出さずに貼り付けた笑顔で声の主に振り向く。

「ああ、あの時のボクかな?」
「うん、そうだよ。こんにちは、お姉さん」

どうやら今は一人ならしい、小さな名探偵くん、もとい江戸川コナン君はにこりと邪気のない笑みを向けてきた。騙されない、その笑みには基本的には裏がある。

あ。いや、それよりも問題があった。

ちらりと振り返ったら、例の男性がこちらを見ていた。
マズイ。コナン君と顔見知りということを報告されるのは非常にマズイ。米花町近辺で生活するコナン君と何処で知り合ったかなんて聞かれても困る。米花町で〜、なんて言ったら何で米花町に?と疑問が飛んで来くるだろう。新宿で迷っている時に〜、なんて言って後でコナン君に捜査官が聞いてみろ、一巻の終わりだ。

とは言っても、既にコナン君には話しかけられたため此処で彼を振り切るのも得策ではない。

どうしよう。次の行動に移せない私は彼と男に意識を取られてその場でもだもだしてしまった。

「……お姉さん、困ってるの?」

可愛らしい小学生の声音ではない。少しだけ、トーンを低くした声にどくんと心臓が波打つ。逡巡していた瞳を彼へ向けたら、深くこちらを見透かすような眼(まなこ)が私を捉えていた。
ああ、この目だ。数々の難事件を解決してきた名探偵の目が私に向けられている。
鼓動が早まる心臓を落ち着けたくて胸の前で拳を握り、でも気にしなきゃいけない相手を確認する。この子だけではなくて後方の男も気になるし、どうするべきかいよいよ手詰まりになってきた私の視線にどうやら彼は気づいたようだった。

「……お姉さん、行こう」
「え、…わ!え?」

唐突に彼は私の手を引いた。目を白黒させる私をよそに、コナン君はずんずんと何処かへと私を連れて行く。その様子を見ていた男性は訝しげな様子で私達を追ってきた。勿論、尾行なので一定の距離、ざっと百メートルは離れているだろうか。これだけ離れているのに私達を見失わないって凄い。

「あの男の人から逃げたいんでしょ?」
「う、え、なんで分かったの?」
「あの人、人を待つふりしてスマホを見ながらお姉さんの方を見てたよ。ボクがお姉さんの手を取った瞬間、慌てて誰かに連絡もしてた。お姉さん、あの人につけられてるんでしょ?」

こわい、こわいよー。観察眼鋭すぎて意味がわからない。ほぼ初対面の相手の仕草や視線、その先にいる人間の行動までつぶさに観察しているところが名探偵といわれる所以なんだろうけど、それにしても恐ろしい。
コナン君に引きつられながら通りを歩く。どこへ行くのか分からないけれど、とにかく歩く歩く。

ん、待って誰かに連絡をしていた?

「あの人、誰かに連絡してたの?」
「うん、誰かは知らないけどね」
「……そっか」

てことは、他の捜査官に何か言ったのか、はたまた尾行の応援でも頼んだか。
考えてもどちらなのかは分からないけれど、でも考えるほど疑問が噴出する。どうして、何がしたい、なんのために。足りない頭を絞ったところで何も出て来やしないのに、ただ、考えて考えて、思案の渦に飲まれかけた時、

「ねえ、お姉さん」

ふと、コナン君はぴたりと立ち止まり私を見上げた。つられて私は彼を見つめる。交錯した視線にどきりと心臓がひとつ大きく脈打った。

深淵を見透かすような彼の瞳が私の心を抉ってくる。

「なにかな」と無理矢理口角を上げれば、真摯な視線を彼は向けてきた。


「お姉さんの探し物は見つかった?」


嗚呼、綺麗な目。

ぼんやりとそんなことを思った。
コナン君の目に見えるのは、私への純粋な疑問と探偵として持つ謎への探究心。
そしてもう一つ、

「……まだなんだよね」

心配そうな瞳だった。
きっと彼は、私の探し物と人につけられていることをリンクさせて考えている。探し物をしている女性、その女性をつける男。小さな探偵君は繋がっている情報を元にこちらを案じてくれている。
それを理解した瞬間、私の中にせり上がったのはあまりにも浅慮な考えだった。

ーーこの子に言ってしまって、協力してもらえたら。

楽になれる。きっとなくしてしまった切符を探すために協力してくれる。なんなら、物語の仔細を話してしまえば彼の助けにだってなれるかもしれない。
悪魔の囁きが脳内に木霊する。繋がれた手が自然と汗ばんだ。

「お姉さん」

意識が現実へと一気に引き戻された。ぎゅっと私の手を握るコナン君は、大丈夫、というふうに頷いてもう一度手をきつく握ってくれる。伝わる熱とその優しさが、体に染み渡って。
心優しいその行為に、焦燥感を募らせていた私の心に僅かながら余裕が生まれた。

大丈夫、大丈夫。

「あのね、ボク、今更だけど名前教えてもらっていい?」

目線を合わせて、柔和に微笑んで。目尻を下げると、コナン君は一瞬きょとんと目を丸くした後、直ぐに勝気な瞳で答えてくれた。

「江戸川コナン、探偵さ」

もはや定型句のその返し。どこか安心する声音と相貌になぜだろうか、ほんのり勇気をもらえた。

「そっか、ありがとうね。コナン君」

「え」と溢れた彼の声に返すことなく、私は来た道を戻った。手放した小さな手の大きさが身に染みる。「お姉さん!」と焦った声を出した彼に背を向けて走り出す。
主人公って偉大だな、なんて思いながらずんずんと来た道を帰れば、件の男性を見つけた。
男性は私をみた瞬間ぎょっとしたように目を丸くし、急いで背を向け走り去ろうとしたけれど、その前に私がスピードを上げた。

「待ってください!」

がしりと手を掴み、息を整える。ひとつ息を吐くと。挙動不審な男性を見やって聞いた。

「ここ最近、どうして私をつけるんですか。私、何かしましたか」
「いや、僕は、その」

しどろもどろになる男性に私は畳み掛けた。

かわすだけじゃだめだ。こちらから仕掛けてもおかしくはない。詮索をされているなら、理由を探ってやろうじゃないか。

「そもそも貴方はどこの誰ですか」
「それは、その」
「言えないんですか。やましいことでもしてるんですか」
「違います、違うんですが」
「なら、つける理由は何ですか。ここ最近、なんで」


「どうされたんですか」


呼吸が一瞬止まった。同時に、掴んでいた掌の力が緩む。
嘘、なんで。驚きのあまり意識がそちらへと行った隙に、男性は私の腕を振り払って逃げて行った。待って、と言う間もなくあっという間に離れていく背中を見つめる。茫然としかけたけれど、私はすぐに頭を切り替えないといけなかった。
早鐘を打つ鼓動を整え、呼吸を落ち着ける。そうして緩慢に振り返り、「お姉さん!」と慌てた声のコナン君に加えて、私に声をかけた彼に向き合った。

「おや、貴女は…いつかの時にポアロの前におられた方ですね」

白々しい声だった。けれど、《偶然》ここに彼が来たことにより、先ほどの男性がやはり公安の人間なのだと再確認した。
褐色肌、人当たりの良い笑顔、ミルクティのような髪色。

(……いったい、なんだっていうの)

安室透。本名、降谷零は柔和な笑みの奥に狩人の瞳を湛えていた。



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