「記憶喪失で身元も分からないなんて、とても不安ですね」
「そうですね…」
「しかも東京じゃなくて地方出身ということだから地理も分からないなんて」
「そう、ですね…」
改めて言語化されると怪しいことこの上ない身の上。正直、疑われない方がおかしいレベルの身の上だけれどこの話を気の毒そうに聞いてくれた梓さんは天使だと思う。華やかな笑顔に男性客が吊られるのもわかる気がした。
カウンター席で梓さんと対面してわたしの嘘に塗れた身の上話をすると、梓さんの隣で朗らかな笑みを湛える降谷さんと隣のコナン君が鋭く目を光らせた。こわ。
「なら、ボクと会った時も手掛かりを探していたの?」
「そう、だね。なんとなくここら辺にある気がしたんだけど、ね…はは」
「おや、ならポアロの前におられた時も手掛かりを探されていたんですか?」
「あ、そうですね…」
気まずい。怪しい身の上に不明瞭な返答に対してこの二人が何の疑念も抱かないわけなく、ニコニコと人の良い笑みを浮かべながらにじり寄ってくる感じ、非常に気まずい。
差し出されたオレンジジュースを手に取って、ストローの先を口に含む。ちろちろと吸えばほんのりと口の中に甘い味が広がっていく。ひとつひとつの動作を緩慢にすることで、時間の流れが緩やかになって欲しかったけど、この二人にはそんな行動無意味なようで。
「米花町の町並みがお姉さんの故郷に似ていたから懐かしく思ったのかな?」
「うーん、どうだろう。そこも含めて分からないんだよね」
「記憶が失われたきっかけは何がありますかね。唐突に、新宿で現状を認識されたんですよね?キャリーケース片手に、なんの外的ショックもなく記憶が飛んでしまうというのは、驚きですが」
そうですね、としか言いようがない。我ながら雑な設定。記憶喪失じゃなくて、両親が戸籍申請しなかったとか、その両親も他界していたとか、理由なんていくらでも付けることができたかもしれない、が私の頭で考えられる設定なんて知れている。
重苦しいため息を吐きたい気分だけどそんな態度を取って変に思われても嫌だった。記憶喪失の人ってどんな反応が正解なんだろう、とぼんやり思案していると目の前の天使が笑いかけてくれる。
「大丈夫ですよ!記憶があってもなくても、洸さんは洸さんですから!」
天真爛漫、この場をどう切り抜けようか頭を捻らせている私になかなか眩しい笑顔だけれど、真っ直ぐな梓さんの言葉は胸に来るものがあった。
疑われて、思案して、でもこの笑顔の前ではそんなの忘れていいんだ、と思えるなら、ここに通いたいなと安易に思う程度には梓さんのファンになりそうだ。
正直、現実世界でも同年代の友達というのはあまりいなかった。学生時代の友人とは就職を機に疎遠になり、職場では友人と呼べる同僚はなく、気付けばただ趣味の世界に一人没頭していたため、同じ歳の女子との華やかな会話から離れていた。
「梓さんは、優しいですね」
「そんなことないですよ〜」
「男だったら彼女にしたいレベルです」
「やだ、洸さんったら!でも嬉しいです」
女子トーク楽しい。懐疑的な眼を向けられずに純粋に楽しめる会話は店長や奥さんとしかしていなかったから、とても新鮮だ。くすりくすりと何の警戒も含まない笑みが溢れて、隣と向かい側に彼らが座っていることなんて気にせずに梓さんと話をした。店の看板メニュー、梓さんの恋愛歴、そして安室さん目当てに来る女子高生のことまで、話は尽きない。
「SNSで炎上しちゃって、もうヒヤヒヤなんですよ」
「怖いですね。多感な時期の女の子にとって好きな人の恋愛事情は見過ごせないものがあるんでしょうね」
「そうなんです。でも高校生の恋愛って可愛いな、て思う時もあるから、ムキになっちゃう気持ちも分からなくはなくて」
「ただ、当事者として巻き込まれるのは勘弁ですよね」
「違いないです」
テンポの良い会話が心地良い。心地よい空間を作り出してくれる梓さんとのひと時を楽しんでいたけれど、時間を忘れて会話に没頭していた私達のトークタイムは「すみません」というお客さんの呼び声で終了した。
声に反応した梓さんは視線で謝意を私に伝えると注文票を手に取る。パタパタと梓さんがそれを片手に席を外したことにより、必然的に私の意識は降谷さんとコナン君に向けられた。
(……なに話そう)
気まずい。あっという間に押し寄せた居心地の悪さに顔に影が落ちた。途端に話すことがわからなくなって、視線を下へと向けて所在なさげにグラスを持ってストローを噛むと、目の前の彼からふと笑い声が漏れた。
「……ふふ」
「……え?」
「いや、すみません。意外だったので」
「はあ…」
何がだ。思わず眉をひそめた私に、コナン君も重ねて言った。
「うん。お姉さんさ、僕や安室さんと話す時ずっと気を張ってた感じがしたから」
「なんと言えばいいんでしょうか。少し、安心したんです。梓さんと話す時は、楽しそうにされているな、と」
ほっとしたような、朗らかな表情を見せる二人にどう反応すればいいか分からなくて、目を丸くしてしまった。よく人の表情を見ているな、とか、観察されている、とか思ったけれど、意外だったのはその言葉と表情で。あの見定めるような視線が弱まったことで少しだけ気持ちが楽になった。
気を張る、というのは当たっていると思う。
よくわからないままリアルトリップをしてしまい、行く当てがない中で仕事先を探して働いて約1カ月が経過した。人間関係もリセットされた世界で帰る術も分からない中、漫然と生きていたら自分を見失いそうだから目的を持って何かをしていた。選択した行動の結果、疑われたり、探られたり、それでも切り抜けようと頭を捻りすぎて、確かに、ずっと追われていた気がする。
だから、梓さんとの話は楽しくてうれしくて。例え彼女は創作の中のキャラクターだとしても、純粋に私という存在を疑わずに接してくれたことに心が安らいだ。
嬉しくって。
安心して。
ほっとして。
きちんと自分の感情を俯瞰してみると、なんだか、うん。
「あ……」
「お、お姉さん?!」
「大丈夫ですか?!」
ほろりと頬を伝った涙にぽかんと呆けてしまう。ぱちりと瞬いたら溜まっていた雫はあっという間に落ちていって、徐に指先でそっと人撫でする。
ぎょっとした二人以上に自分の状況に驚いたのは私だった。やばい、なんか泣けてくる。
「だ、大丈夫です!なんか、同年代の人と話すのが久しぶりでちょっと嬉しかった……んだと思います。はは」
記憶喪失という設定上、いろいろなことを断定できなくて、歯切れの悪い答えになってしまった。慌てて流れる涙を乱雑に拭って、へらりと笑う。誰だよ記憶喪失設定にしたの、私だよ。
笑って取り繕っていたら、降谷さんは何か紡ぎかけてでも口を噤んだ。神妙な面持ちになった彼を内心、営業スマイルスマイル〜、なんて茶化してみる。視線を横にずらせば、コナン君も似たような表情をしていて、えもいわれない空気が流れた。
注文を取り終えた梓さんが戻ってくる。泣いている私を見て、降谷さん…安室さんがきっと睨まれた。「女性を泣かすなんて!」「誤解です!」なんて会話がおかしくて、泣きながら笑ってしまう。
そうこうしているうちに、カランとドアベルが鳴った。「お邪魔しまーす!」と元気な声と共にわっと入ってきたのは、可愛らしい探偵さんたちで。一気ににぎやかになった店内で再びおしゃべりに華が咲く。詰め寄られるコナン君、誤解を解こうと必死な安室さんがなんだか新鮮でおかしかった。
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