「河村さん、少し休憩されませんか?」

昼前、デスクに向かって一心不乱にディスプレイと睨めっこしている大手新聞社の若手記者、河村和成に洸は声をかけた。一心不乱なところを邪魔するものではないが、彼は口実があれば休憩を取りたがるタイプのため、話しかけられても嫌な顔一つせずに、オモチャを貰った犬のごとく満面の笑みで振り返るだけだった。

「お疲れみたいですから、ね?とりあえず、お茶でも飲みましょう」
「いや、ですよね!あ、ちょうど土産のお菓子もありますし、食べましょうか!」

喜色満面で部屋に備え付けられているソファとテーブルに向かう河村に若干呆れつつ、洸は茶を淹れて差し出す。よほど根を詰めていたのか、河村は大きく伸びをするとソファへだらりと身体を預け、「あーしんどい」としゃがれた声を出した。

「お疲れですね」
「そりゃあ、そうですよー。組対の管理官が殺されるなんて前代未聞ですし」
「……そうですね。犯人は確か…」
「管理官に恨みを持つ連中、まぁ、摘発した暴力団の元構成員から関係者か。眉間を一発ですから、まぁ、一般人じゃないですよね」

ペラペラと語る河村に、そんなに話して大丈夫なのかと苦笑しつつ、洸は先日の光景を思い浮かべた。
情報統制はとれている。組織が絡んでいること、真犯人は元警察官なこと、何よりそれを、公安警察ひいては警察上層部は知り得ていることは、メディアに漏れていない。
情報が少ない場合、警察側から出されるストーリーがしっかりとしている情報は信用されやすい。特に、経験の浅い記者ならそれを鵜呑みにするのも納得できた。

「俺の読みとしては、佐古田組か秋林組だと思うんですけどね。あ、佐古田組っていうのはつい最近、武藤管理官が引っ張ってたチームが麻薬の密輸の関係でガサ入れしたとこで、秋林組は色んなとこの土地持ちで、表では不動産業を営んでる子会社をいくつか持ってんですけど、最近、地上げしたところで近隣住民とトラブってるとこなんですよね」
「河村さん…詳しいんですね」

スラリスラリと情報を喋る河村に素直に感嘆の声を漏らした洸に、河村は「こんくらい普通っすよ〜」と謙遜したが満更でもなさそうな顔だった。

「でも、なんだか、組対って物騒なところを相手にしてるんですね」

適当な相槌を打ち、河村の話に耳を傾ける洸に河村は更に気を良くしたのか、茶を啜ると話を進めた。

「そりゃ、組織犯罪っつったら大掛かりな組織犯罪がやることですから。構成員の数も規模も多いと、単独犯がやる殺人より複雑ですよ。何より金が絡むから、単に取り押さえようとしても問題が起こりやすい」
「問題?」
「利権を取られたくない偉い人、とかの影がちらつくってことですよ」

「ドラマみたいでしょ」とケラケラ笑う河村に、そうなんですね、と感心した様子で返す。興味を持ち、河村に話を聞く洸の素振りに河村はその後もニコニコと話を続けた。

「そこらへんを武藤管理官は割と上手くやっていた方だと思うんですけどね。偉い人との調整も、悪い奴らの摘発も上手く綱渡りしていたタイプというか」

河村の口ぶりからすると、武藤はやんごとなき人間とも懇意にしていたことが伺える。
暴力団関係者、アンダーグラウンドの人間と社会の上位にいる人間が密な関係になるということは、古今東西あることだ。足がつかないように注意を払ったところで、情報は流れる水のように零れ落ちる。
単に悪者を取り押さえるだけなら話は早い。が、そこに捕まっては宜しくない連中の影がちらつけば、否が応でも躊躇せざるを得ない。
さらに、ひとつの組織を潰せば、もうひとつが隆盛して収集がつかなくなる、より治安が悪化する、などパワーバランスも考慮するとなると、なるほど確かに、逮捕ひとつもどのように《運営》するかは上の手腕が問われる。

「でも、そんな方が殺されたとなると、悪い人達としても困るんじゃないんですか」
「だからこそ、犯行に及ぶとしたら、武藤管理官にフラれて潰されたところか、ヤンチャして目を付けられたところかなんですよ。……それじゃないなら、亡霊くらいですかね」

「亡霊?」と首を傾げた洸に、河村は頷く。

「昔ね、ひとりの武藤さんの部下が自殺してるんですよ」
「自殺って……」
「当時のこと知ってる記者の中にはいますよ。あいつの祟りなんじゃないかとか」

やけに神妙な声を出す河村の話に、洸は無意識に身を乗り出した。「それって何があったんですか」と河村にずいっと近づいた洸に、河村が驚き仰け反る。食いついた洸は、河村にぐいぐいと迫り先を促した。

「えっと、ですね…二年前なんスけど、組対に配属された若手の警察官が拳銃での住民殺しの嫌疑をかけられたんです。それが、当時武藤さんの部下だった人で」
「嫌疑をかけられた…てことは、起訴されたりはせず…?」
「証拠不十分でね。当時あったのは、発砲音がして彼がそこにいたという複数の目撃証言だけ。動機も不明だったし、彼自身が無罪を主張したから起訴されなかった」
「え、なら……」

起訴されることがなかったのなら、もちろん刑務所にだって入っていない。誤認逮捕だった可能性が極めて高いにも関わらず、彼が自殺したという点は不自然だ。
怪訝な顔をした洸に河村は、沈んだ顔で溜息を吐いた。そのまま、押し黙ってしまった河村に「河村さん?」と洸が尋ねれば、彼は再度、溜息を洩らした。

「……これは、メディアの自分達のせいだったんでしょうね」
「え」
「刀海さん、誤認逮捕って言ってもね、目撃証言が複数あって、実際に彼はそこにいたんです。そしたら、いくら否認しても、状況としては、彼以外犯人はいない。そうなると、見込みで全てが動き出すんです」

河村の言葉にぞわりと背筋が粟立つのを洸は感じた。
容疑を否認する容疑者、という文字情報だけを見て世間が思うことは皆似通っている。

どうせ≪嘘を吐いているんだろう≫或いは≪訴えるだけ無駄なのに≫。

推定有罪で動き出す捜査に疲弊して、ありもしない自供をすることで冤罪が生まれる。誰もが批判する構造だ。
しかし、その片棒を、メディアも大衆も担いでいる。

「現役警察官が容疑者、なんて世間にとっては格好のネタになる。マスコミはこぞって取り上げて、週刊誌は実家にまで押しかけた。もちろん、風当たりは強くなって彼は警察官を辞めざるを得なくなった。その後に……」

皆まで言わず言葉を切った河村は、暗い影を落とした相貌を俯かせた。洸も同様に、沈痛な面持ちを浮かべる。
権力の象徴たる、政治家、公職の人間の不祥事はマスコミの格好の的になる。何故、それが的になるかと言えば、単純な話だ。見栄えが良く、世間ウケする。それだけの理由だ。
人間は、自分より社会的に上位の存在に対する鬱屈した感情を抱えている。目に見える弱者を思い遣るのは、それが望ましく、且つ個人に都合の良い快感を与えるからだ。弱者は己より弱く脆い、故に庇護することで優越感に浸る。
それそのものは悪ではない。弱者を弱者と定義する故に、救われるマイノリティも確かにある。
問題はその反対で、ルサンチマンを拗らせた人間たちだ。

「当時はまだ、ここの担当じゃなかったんスけど、酷いもんだったんです。過去の情報は洗いざらいメディアに露出して、挙げ句の果てに、心に問題を抱えていたとかどうとか。起訴されていない、ただ、容疑者として浮上しただけだったのに。でも、大衆ウケはしたんですよ。だから、歯止めが効かなくなった」

権力に近い位置の人間は監視され叩かれる存在と言わんばかりの扱いを受けることは、珍しくないことだ。不必要な情報を出汁に相手を糾弾し、下世話な話のネタにする光景は、洸も幾度なく見てきた。
顔も知らない相手をネット上で私刑に晒す、それはもはや現代病と言うべき社会問題だ。
「まぁ、俺達も今やそっち側ですけど」と河村が自嘲に口元を歪めた。

「皮肉ですよね。ひと昔前は、公職や役人がバッシングを受けてましたけど、最近は俺達にも色々と来るようになって。気にしない奴は気にしないッスけど、時々ね、面と向かって色々言われると、遣る瀬無い気持ちになるんです。だから、なんか思うところがあって」

困ったように笑う河村に、洸は言葉に詰まった。
マスコミによる過剰報道の問題は近年になってから取り沙汰されてきた。プライバシー保護、人権の尊重によって報道は徐々に正常化されてきている。その中で、彼が、いわれのない中傷を受けたことで自殺した警官に思うところが出来たというのは皮肉なものだった。
しかし反面、暴走してきているのは、それをツマミにしてきた大衆だ。何も変わらず、ただ、叩く都合の良い相手を探している。

「……あまり思い詰めない方が良いですよ」

憂い顔になった河村に、洸は眉尻を下げる。

「人間って、目に見える弱者を責め立てないんです。赤子に対して、何でそんなに泣くんだとか迷惑だとか言う人間はそんなにいないでしょう。でも、自分より立場が上だと判断すると途端に強気になる。自分の方が弱いから、何言っても許されると思ってるんです。匿名性を盾にしたネットで発言する人なんてその典型ですよ」

或いは、絶対視している自らの正義が、上位者の正義と乖離していると判断した時、他の同志と徒党を組んで相手を糾弾する。それが、まるで本当の正義のように。

「ありがとうございます」と、力なく笑んだ河村は、視線を落とすと在りし日を思い浮かべるように紡いだ。

「まぁ、そんなことがあったから、亡霊説が出たんです。当時、管理官が直属の上司だったにも関わらず、彼を」
「何の話だ」

唐突に聞こえた声に、河村と洸はびくんと身体を震わせた。「ひっ!」と背を縮め、小動物よろしく河村が声のした方向をおずおずと見遣る。
視線の先に居たのは、目つきの悪い、仏頂面の年配記者だった。

「か、烏丸さん…」
「何をペラペラ話してんだよ。ガキがはしゃいでんじゃねえぞ」
「す、すみません!」

烏丸の怒気が含まれた声音に河村が平身低頭になる。
烏丸は河村の先輩記者にあたる。クラブには一社につき複数人の担当がいるが、その中でも烏丸は年次もかなり上で、敏腕記者として社外でも名を馳せていた。
河村を睥睨していた烏丸の視線が洸へと移る。凄味の効いた眼に無意識に洸の背筋に冷や汗が伝った。

「あんまりコイツを甘やかさないでもらえますか。ただでさえ、この前他に抜かれて醜態晒してんです」
「すみません…」
「いや、刀海さんは悪くないっスよ!俺が」
「お前は外にでも出てこい!」

見開かれた眼で一括された河村は、「はいぃ!」と秒で背を向けて部屋を飛び出していった。
縦社会の関係を如実に表したような光景に、ぽかんと目を丸くしていた洸は、再度視線を転じた烏丸に問いかけられる。

「……気になるんですか」
「…え?」
「例の事件、亡霊の話です」

心なしか凄みが増した眼が威圧感を放っている。敬語口調とは裏腹に有無を言わせない圧に、洸は「あー…」と逡巡しつつも答えた。

「そうですね…現役の警察官の方が殺された事件なので、何があったのかなと…その、少し前に亡くなった方もいるなんて、なんだか怖いなぁ、て」
「いやしませんよ、亡霊なんて」

硬い声音が否定を紡ぐ。「え」と目を丸くした洸に、烏丸は吐き捨てた。

「興味本位で昔のことをつつくもんじゃありません。二年前の事件と今回の件に繋がりなんてありゃしません」

その言い草に、洸は首を傾げた。

「……そう言い切れる何かがあるんですか?」

洸の問いに烏丸の顔面が一瞬硬直する。ひと睨み効かせた視線に心臓がきゅっとなりながらも、洸は続けた。

「殺しの嫌疑をかけられて自殺した警察官、その直属の上司が今度は殺されたなんて、もしかしたら、て不安が広がるのも無理はない気がしたんです。どちらの事件も銃で被害者の方は亡くなってるし…」
「刀海さん」

ピリリと場の空気に亀裂が走った。重い声音に、洸は息を詰まらせる。自分を見下ろす烏丸の視線に、動けなくなった。
鋭利なナイフのようなその視線に捉われて。

「言ったでしょう、興味本位でつつくもんじゃありません」

強烈な圧迫感だった。低く地の底を這うような声が洸の身体を締め上げる。思わず、こくりと頷く程度には、烏丸には相手を屈服させる圧力があった。
烏丸は、硬直した洸を見て顔面を僅かに軟化させると、「良い心がけです」と踵を返してクラブを後にした。去りゆく背中を、視線だけで追う。
烏丸がいなくなった室内で、洸はどっと全身に疲れを感じ、ソファにへたり込んだ。烏丸の圧力はその筋の人間かと見紛うほどで、あれでは敏腕記者ではなく、ヤクザの回し者だ。

「怖かった…」

早鐘を打つ心臓を落ち着けながら、しかし洸は烏丸の言葉を思い返した。
興味本位でつつくものではないと釘を刺した烏丸だが、そこに妙な引っ掛かりを覚える。

(妙に断定的というか…)

あやふやな、亡霊などという眉唾物の噂話に何故口を挟むのか。
そもそも、圧力をかけて深入りするなと止める必要があったのか。

組対という一般人ではない筋者を相手にしている部署で、警察官が危険に晒されることは、ない話ではない。殉職というのが起こり得る職業ならばただの噂が流れようと放っておけばいい。

(まぁ、気にはなるよね…)

ちらりと視線を移した先にあるのは、過去十年間の都内で起きた殺人事件をスクラップしたファイル。文字を目で追い、二年前のファイルに視線が置かれる。

「……烏丸さん、もう戻ってこないといいな」

強面の敏腕記者の影を確認しながら、洸はファイルに手を伸ばした。


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