弾を装填したグロックの弾倉を再度外して確認する。入念に、丹念な確認作業をする理由はひとつだけだった。
必ず仕留める。その想いだけで、結城はこの二年間を生きてきた。親友の死の真相を知った時から、全てが始まった。
グリップを握る掌に迷いはない。己の手は既に多くの血がこびり付いている。洗い流すことは不可能なほど罪を重ねた。優しいと言われた自分が、人の命を何人も奪ってきたのだ。

──アイツが見たら、どう思うだろうな。

光を失った瞳を思い起こす。誰よりも正義感を持ち、優しく、思いやりのあった男の最後の顔とは思えない相貌だった。
埃臭く、外交が一切届かない室内で、結城が自嘲に口元を歪める。詮無いことだ、全てがもう、終わるのだから。
近くスピーカー音に鼓動が早くなる。あと少し、ようやく、いや焦るな。相反する感情が錯綜する中で、刻限はゆっくり、しかし確実に迫っていた。





仕事に面白さというものを感じることがここのところないのは、予定調和の政治ショーに辟易しているせいかもしれない。選挙戦が始まって以降、国政出馬、それも与党最大会派の後押しのある有力な新人の監察業務に充てられたことで、日々、非常に退屈な毎日を過ごしていた。

《この国に必要なのは、新しい政治です。ただ批判するだけの野党ではなく、党派を超えて議論し合う真の野党を私は望みます》

政治家は基本的に言うことが単調だ。単調な方が聴衆は分かりやすい。且つ、対立構造を明確化した方がウケが良い。何が争点なのかを懇々と説明するより、顔と勢い、話し振りが全てだと言う評論家もいるくらいだ。
いったい何のために、こんな人間を監察しているのかと嫌気がさす。どの地域に行っても似たような演説、来てくれたと喜ぶのは高齢者、当たり前だ、仕事を持つ人間がいるわけがない、自分然り。

『──セキレイから一、応答を』

雲の数でも数えようかと気の抜けていた中、唐突に聞こえた声に背筋が一瞬で正された。一とは、国松省吾議員視察班キャップ、つまりは自分のコールサインだ。

『一からセキレイ、どうぞ』
『視察対象(マルタイ)を今すぐ保護しろ』
『……は?』

青天の霹靂とも言える命令だった。先程まで退屈の極みを過ごしていた分、落差が激しい。
『危険が迫っているということですか』と、おずおずと聞き返す。今、保護などすれば、選挙活動に影響が、警察の横暴が、などと程の良い餌にされそうだと踏んだためだったが、怒気を孕んだ声が耳孔を強打した。

『M(マイク)の次の狙いはソイツだ!殺されたくなければ言うことを聞けと伝えろ!』

言うや否や、ブツリと無線は切られた。同時に、サッと顔面が青ざめていく。直ぐに、六人配置している各員に伝達した。

『一から六まで各員。視察対象(マルタイ)の周囲を警戒。直ぐに保護しろ』

受令イヤホン越しに動揺が伝わった。何故今更、こんな郊外の遊説先でそんな命令が出るのか。口には出さずとも伝わる気配に、キャップとして今一度伝える。

『いいか、一から六まで各員。今すぐ、だ。視察対象(マルタイ)を保護──』

しろ、とまでは言えなかった。伝えようとした刹那、壮絶な爆発音がキャップの耳朶を打ったからだった。突然のことに、思考が停止した。
轟音の発信地は、先ほどまで声高らかに弁舌をふるっていた国松候補の選挙カーで、轟々と燃え行く車に、周囲の人間はパニックを起こして逃げ惑っていた。爆発はひとつではなく、次いで、選挙カーに付けられていた支援者の車、路肩のゴミ箱から爆発が起こり、辺り一帯はパニックに陥った。黒煙が広がり、周囲を飲み込んでいく。
数分前から一転した光景に、息を呑み、キャップは直ぐに班員へ連絡を取った。

『一から各員!マルタイは無事か!………おい、各員!聞こえないのか!』

視察班六人、各受令マイクへコールを送るものの、つい先ほどまで返ってきていた部下達の声が聞こえない。爆発に巻き込まれるような位置に配置していた者はなく、寧ろ、視察対象(マルタイ)の死角になるような建物に配置した筈だというのに、返ってくるのはノイズだけだ。
なんだ、何が起こっている。たかが、国政出馬の一候補の遊説だった筈だ。いや、そもそもM(マイク)絡みだとしても、公安の視察班六人と一気に連絡が取れなくなるとはいったいどういうことか。
マルタイと班員の安否確認のため、路地裏から大通りへと一歩進む。
しかし、その歩みは、刹那に頭部に襲った激痛によって遮られた。
視察班キャップの身体は、ぐらりと傾き地に伏せる。何が起きたか把握する間も無く、行動不能状態に陥る。意識を飛ばす間近、視界に捉えたのは、フードを被った男の姿だった。





内堀通りでタクシーを拾う。行き先を伝えた後、洸はスマートフォンで河村に連絡を取った。「もしもし、河村さん。少し急用ができたので……はい、すみません……はい、お願いします、では」手短に伝えて、通話を切ると、片手に握りしめたペーパーに視線を落とす。
《国松省吾 遊説スケジュール》
記されているのは、都内各所での遊説時間。おそらく、記者用に用意されたペーパーだ。候補者に張り付かない記者用にご丁寧に用意してあるそれを烏丸がデスクに置いていたということは、彼は一日仕事で張り付いているのだろう。政経記者が行くべきだが、そこは彼と国松省吾の仲なのかもしれない。
思案していると、スマートフォンが振動した。電話口に出たのは先ほど連絡を入れた風見で、背景音からするに、車で走行中だ。助手席にいるのだとしたら、乗車しているのは降谷の車か。

『公安の担当チームには連絡を入れました。今すぐ国松を保護するように要請したので、動く筈です』
「ありがとうございます…」

自分で連絡を入れておきながら、洸は暗澹たる面持ちを浮かべた。
事件の元凶である人間がのうのうと生きている。人を社会をつくり、守る立場である筈の政治家が、人を陥れ、命まで奪わせた事実に臓腑が煮え繰り返る心持ちになった洸に、風見の声は冷静だ。

『気持ちは分かりますが、いずれ奴は捕まります』
「……今すぐ、ではないんですね」
「カメラ映像だけでは証拠として弱いんです。出資記録と併せないといけませんが、出資記録の割り出しにまだ時間がかかります。令状が降りるのはその後なので』
「……そうですか」

令状が通る前に逃げ果せられたら、或いは出資記録の改竄でもされていたら。不安は尽きないが、目下、注視しなければいけないのは、握りしめたスケジュール表の内容だった。

『結城は、来るでしょうか』

底堅い風見の声に洸も同じ声音で返した。

「結城が犯行に及ぶとしたら、投開票日当日、もしくは、──今、国松候補が遊説している場所です」

午前十時、遊説先のスケジュールに選ばれた都心から約一時間の郊外の街。

「投開票日当日は、幸村巡査の命日です。この前、彼のお墓に行った時に花が供えられていました。おそらく、結城が供えた物です。いつもは命日に供える花をその前に供えていた」
『そして、今遊説している場所は…──彼が命を絶った場所、か』

幸村巡査は、都心から一時間の郊外の街で自ら命を絶った。そこは、彼が生まれた街だったという。

「結城は今までも国松候補を狙うことは出来た筈です。敢えてここまで引き伸ばしたのだとしたら、意味のないところで殺さない」

国松省吾を殺すだけではない。投票日、おそらく最大会派の後押しを受けて当選するとみられる国松省吾を、幸せの絶頂の時に殺す。もしくは、自分が陥れた人間が命を絶った場所で同じように殺す。
どちらも考えられる可能性だ。しかし、遊説中の襲撃がなければ、残るは投票日当日の犯行となり、その間に国松を逮捕する材料は揃えることができる。
果たして、彼は今どこにいるのか。祈るような気持ちとなった洸を耳朶を打ったのは、風見の焦慮に駆られた声だった。

『……なんだと…ッ、状況は……不明…』

警察無線から届いたであろう情報に、風見が声を荒げていた。まさか、と心臓が大きく脈打った洸は、息を詰めて彼の言葉を待つ。『あぁ、分かった。降谷さんも一緒だ。すぐに向かう』と、硬質な声で返した彼は、そのままの声音で洸に伝えた。

『遊説中の国松省吾の選挙カーが爆破されました。車だけではなく、複数箇所で爆発が起こったようです。それに、原因は不明ですが、こちらが連絡を取っていた公安の視察班全員と本部との連絡がつかなくなりました』

予想以上の事態に洸は言葉を失った。複数人の公安警察官が連絡の取れない状況に陥っているなど、誰が想定できたろうか。「国松は…?」と生唾を飲み込んで問いかける。

『……分かりません。視察班とは連絡が取れていないので、現場の状況が分からない。支援者からの通報で発覚して、今、現場に警察官を向かわせています』

風見からの情報に洸は思案顔になった。
結城が動いたとみるのが妥当な状況だ。しかし妙な引っかかりを覚える。公安警察官が同時に連絡が取れなくなることに加えて、選挙カーが爆発したという、今までとは違うやり方。

『何か妙です』

「え」と、返した洸に風見は『結城のやり方にしては大胆すぎる』と続けた。
そうだ。車に爆弾を仕掛ける大胆なやり口を選ぶような男だろうか。彼の復讐劇で使われたのはいずれも銃や刃物。迅速かつ確実に復讐相手を葬ることを目的としている彼が、車を爆破なんてするだろうか。ましてや、選挙期間中の車の周りなど、一般人がいてもおかしくない。巻き込まれる危険もある。
チリチリと胸の奥に燻りを覚える。何か、嫌な感じが背中を駆け上がり、隠微な空気が胸の内に立ち込めた。

『降谷さん?……え、あ、はい』
「風見さん?」
『すみません、今……あ、降谷さんッ』

背景音が急に止まった。信号に引っかかったのか、路肩に止めたのかは不明だが、風見の焦りを含んだ声からすると急なことだったらしい。
「え」と、状況把握する前に洸の耳に平坦な声が届いた。

『君は来るな』
「……は?」

声の主は運転席にいるであろう彼で、唐突な命令口調に洸は頓狂な声を漏らした。呆然と二の句を紡げずにいる彼女に、降谷は淡々と紡ぐ。

『結城亮以外の人間が動いている可能性がある。状況が予測できない現場に来られても迷惑だ』
「………迷惑、ですか」
『今までは運良く上手くいっていたかもしれないが、それが続く保証はない……此処は、現実だ』

言葉の意味を理解できないほど愚鈍ではない。隣席の風見は何のことだと訝しんでいるだろうか。二人だけに通じる会話に、洸は、口元を歪めた。

「本気で言っていますか、それ」

心が黒く塗りつぶされていく感覚に陥った。

「私にとって此処は夢で、夢だから何でもできると思っていると。そんな都合の良い物語は現実では続かないと、そう、仰りたいんですか」

降谷は押し黙ったままだった。それは、肯定の意を示していた。
じくりと痛んだ胸に、洸は深く目を閉じた。

今さら、もう、どうしようもなかった。

此処は現実だときちんと認識しているとか、そんな御託を並べたところで、彼にとって既に自分は異質で、拒絶するべき人間になったことに変わりはない。自分達の生い立ちも性格も、作られたキャラクターという事実を伝えた時点で、もう、戻ることはできなくなった。
読者ではない、ひとりの人間として生きてきた自分さえも、全て壊す事実を話してしまった今、積み重ねた現実は瓦解した。

──私がしてきたことは何だったんだろう。
──私が生きてきた意味は、どこにあったんだろう。

ならば、残るのは儚い夢だ。

「……違いますよ、降谷さん」

くしゃりとペーパーに幾重にもシワがよる。ゆっくりと視界を開けた洸は、淀みなく紡いだ。

「──私にとっても、貴方にとっても、夢だったんです。だから、終わるだけです、覚めるだけなんです」
『……何を』
「最初から、何もなかったんですよ」

自分という存在を構成するのは他人だ。その他人がいない世界に来てしまったのなら、最初から──

「私はきっと、どこかで眠ってるんです。もう、夢から覚めないといけないんです」

自分は現実に生きているという夢から覚めなければいけない。
自分が傷つき、悲しむ人間がいるというのは現実に生きているから言えることだ。そう、最初から、此処は夢物語。

「だから、終わりにしましょう」

プツリと通信を切る。そのまま、スマートフォンの電源も落とした。洸は、曇天の空を虚ろな瞳で見つめる。
物語の終着点は、どこになるのか。
探し続ける問いの答えが、そこにあるような気がした。


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