『──速報です。十日午後三時に福岡市南区の博多銀行で男が職員を刃物で脅し、立て籠った事件は先ほど犯人が現行犯逮捕されました。ヒーロー"ワイルドアーム"が裏口から突入し、人質全員を救出。犯人を確保し、警察に身柄を引き渡したということです。人質に怪我人はいないということで福岡県警は──』
「…最近大活躍だなぁ、"ワイルドアーム"」
無精髭をたっぷり湛えた中年の男はテレビ画面を観ながらマグカップのコーヒーを啜る。ゆったりとした声音だが、男の背後では慌ただしく人が行き交っていた。
「やっぱりね、ヒーローはいいんだよね。人気だし、ウケ良いし、割とウェルカムだしさ。千崎さんもそう思わない?」
「…はぁ」
「覇気がない声だねぇ」
「すみません、意図が分からなくて」
「うーん、そっかぁ」
そっかぁ、ともう一度呟いた男の傍らで、千崎千歳は無言でテレビを見遣り、そして辺りを見渡した。
全国紙『日日新聞』の博多支局。九州最大規模の支局では、連日ヒーローネタが舞い込んでくる。人口の約八割は個性持ちの時代だ、悪事を働く輩は後を絶たない。今日も今日とて、博多地区でホークスの次に大人気のヒーロー"ワイルドアーム"がネズミのように湧く輩をホイホイと捕まえていた。
ヒーローがヴィランを捕まえる。即ち、記者の仕事も増えるということで。立てこもりの初報から経過、逮捕原稿、裁判の判決まで、今回も担当記者は他社に抜かれまいと闘志を燃やすだろう。
そんな中、政経デスクの並河は呑気な声でテレビを漫然と眺めているものだから、新米記者の千歳は眉をハの字にするしかなかった。背後では慌ただしく先輩記者が各所に連絡を取ったりサツ担に情報を聞くよう指示したりとてんやわんやだ。
なぜ自分はこの状況で、デスクの傍で突っ立ってテレビを一緒に観ているのだろう。
千歳は入社二年目の新米記者だ。メインの担当はなく、県政・市政・司法のほか経済畑の先輩の管轄を少しばかり。本来なら、今も忙しなく走り回っている先輩の代わりにやらなければいけないストレートニュースがあるが、その全てを今日はやらなくても良いと言われた。その代わりに話があると。
テレビを観ながら雑談、なわけないので嫌な予感しかしない。
「ほら、ここ最近ウチの見出し弱いんだよ。カタブツ新聞なんて言われっちゃってさぁ。化石なジジイ共は週刊誌と差をつけないととか言うけど、まず手に取って見られないと話にならないわけ、分かる?」
「それは、そうですね」
かといって週刊誌に続けば既存の読者からの反発だって目に見えているくせに。
その一言を呑み込み、しぶしぶ頷いた千歳に並河はニコリと綺麗に口角を上げた。
「てわけでさぁ、行ってきてくんない? ヒーロー事務所」
「……はい?」
「あ、"ワイルドアーム"の事務所ね」
はい住所ここね、とスマートフォンに届いた通知。目を丸くして固まった千歳を他所に並河は、話は終わり、と他紙の紙面を見始めた。
フリーズして三秒後、状況を飲み込んだ千歳は慌てて声を上げた。
「ちょ、待ってください! なんでヒーロー事務所に!?」
「ヒーローを丸裸、てコンセプトの頭記事欲しいんだよ。密着していろいろと見てきてほしいわけ」
「私、政経班ですよ!? 社会班でも別に」
「最近、ヴィランの軽犯罪多くて手が回ってないの知ってるでしょ? 政局も動きないし、県政に関しては千崎さんはサブだから忙しくないし」
要は、半遊軍で扱いやすいということだ。明確な担当がない自分は確かに管轄のある先輩よりは動きやすい。
「社会勉強兼ねてぜひ君に行って欲しいんだよ。こんな機会滅多にないんだからさ」
どうせ思いついたけど振り分ける人員がいないだけだろう。取ってつけたような理由を並べるな。
心中で毒を吐きつつ、ちらりと視線を背後に遣れば、千歳のことなど眼中にないと他の諸先輩は社外に出てしまっていた。残っているのは事務方メンツしかいない。
硬過ぎず、しかし新聞社たる矜持は忘れずに。けれどやっぱり柔らかに。そんな面倒くさいオーダーを受けたがる記者の姿はどこにもなかった。
仕方がない。
「…分かりました」
上司の命令とあらば従う他ない。千歳に残された選択肢は、小さく頷くことだけだった。
ヒーロー"ワイルドアーム"は十年前にデビューした中堅からベテランの域のヒーローだ。有名どころで言えばイレイザーヘッドやプレゼントマイクの世代になる。
個性"アーム"はその名の通り腕にまつわるもので、肩から先がゴムのように伸びる個性、と言われている。厳密には少々違うようだがホームページのプロフィール欄にはそう書かれていた。
「見ものでルポで面白おかしく、て一番しんどいやつじゃん…」
頭に叩き込んだワイルドアームのプロフィールを反芻して千歳は肩を落とした。地上三階建てのビルの全てのフロアが事務所、サイドキックの数も人気ヒーローに次ぐ多さ。ホークスほどではないが人気急上昇中の地元ヒーローだ。ルポで書くにしても面白おかしく書くのは自分には荷が重い。
だいたい新聞社が週刊誌のような形態のものを書けるはずがないだろう。事実に即して憶測を書かず、所感は最低限の鉄則を無視したものなんてコラムくらいなものだ。「ネット記事みたいなおかしさで」という無茶振りを新人にさせるな、塩梅も何も知るか。
「──日日新聞の方ですね! よろしくお願いします!」
しかしながら、上からの命令は絶対、がサラリーマン、ひいては新聞記者の宿命だ。
重い足取りで受付を済ませた千歳は通された部屋で内心を覆い隠すように笑みを顔面に貼り付けた。よそ行きの顔は得意だ。
「日日新聞の千崎です。この度は取材を快諾いただきありがとうございます」
「そんなそんな。テレビ取材はあっても新聞の密着なんてそう機会がないですから、こちらとしてもありがたいですよ。僕らはそんなに大きな事務所じゃないし」
謙遜が行き過ぎだろう、と千歳は苦笑する。サイドキックがいないヒーローだっているのだ。ビル一棟を買い取りサイドキックを要する事務所が大きくないとはどんな認識だ。
とはいえ、人の良い笑みを浮かべる彼に失礼な態度を取る理由はない。「ご迷惑にならないように取材しますね」と高めの声で応えた。
「何か飲まれます? コーヒーで良いですかね、ブラックでも?」
「あ、そんな。お気になさらず」
「いやいや、せっかく来ていただいたんですから、まずはゆっくりお茶でも」
にこりと微笑まれれば、それ以上断るのもマナー違反だ。
ワイルドアームの柔らかな押しに「では、すみません」と千歳が大人しく席に座りかけた──その時。
「ワイルドアームさん、こんちは…て、お客さんスか?」
ドアノブが回される音に次いで聴き慣れた声が部屋に響いた。耳朶を打ったその声に千歳は思わず息を呑み、振り返る。
視線の先の人物に、固まった。
そこに居たのは、齢十八でデビューしてから半年でビルボードチャートのトップ10入りを果たした今注目の若手。テレビに引っ張りだこでファンサービスだって欠かさない、知らぬ人などいないプロヒーロー。
「ホークス、ちょうど良かった」
ウィングヒーロー『ホークス』その人の登場に、ミーハーではない千歳すら心臓が跳ねた。ホークス関連の取材ももちろんあるが若輩の自分が管轄したことはなく、彼はいつもテレビの向こう側の存在だったからだ。
ワイルドアームはホークスを招き入れると、千歳の隣に立った。
「紹介するよ。日日新聞の記者の千崎さんだ。一週間だが密着取材をしてもらう予定だよ」
ホークスの視線が千歳に移る。目と目が合い「お世話になります」とすぐさま千歳は頭を下げた。「ドモ」と軽く応えながら、彼の視線は千歳が首からぶら下げるネームプレートにかかった腕章に向けられる。
「へぇ…珍しいっスね。大手紙はあんまそういうの好きじゃないかと」
意味深なホークスの言いぶりに、千歳は「あー…」と苦笑した。
「ウチちょっと固すぎるんで、柔らかい話題づくりに挑戦しようとしてるんです」
へらりと曖昧に笑う千歳に、ホークスは「へぇ…」とこれまた短く感嘆詞を漏らす。
考えが読めない瞳に戸惑ったが、ホークスはすぐにテレビで見る笑顔に戻った。
「どうせなら俺のとこにも来て下さいよ。ウチ、テレビはよく来るんですけど紙面で来るの週刊誌ばかりなんですよね。大手紙さん来るなら皆喜びます」
「え…いやいや、"速すぎる男"なんて呼ばれている方のところに行っても置いてかれて何も書ける気がしませんよ」
リップサービスにしても思わぬ申し出に恐縮してぶんぶん首を振る千歳にワイルドアームが微笑む。
「それは、私たちが遅いということですかね?」
「え…あ、いや! そういうわけでは」
「はは! 分かってますよ。すみません、少し意地悪でしたね」
冗談めかした声音で快活に笑うワイルドアームに千歳は平身低頭になる。彼は常に外行の笑顔なので冗談なのか本気なのか、分かりづらい。
この先、この調子で本当にやっていけるのか。
不安を抱えたまま、彼女の取材は始まった。