どこか、現実味がない。

 千崎千歳は、いつもヒーローを見る時に感じていた。テレビの向こう側でも目の前の逮捕劇でも、いつだってヒーローは現実とはかけ離れた場所にいた。
 だって、出来すぎていたのだ。ヒーローはいつだって、完璧だ。
 声援を浴びて、人気投票があって、ファンが付く。世に働く人々は無数にいるのに、ヒーローだけが脚光を浴びて。カッコいい、というそれは個性社会により映画の中だけではなく現実のものとなった。
 だからだろう。ヒーローは、現実と虚構に混在している。確かにヒーローは現実にいるのに、その存在は映画の中のように虚構に塗れて虚実入り混じる曖昧な存在になってしまった。
 千歳にとって、ヒーローは遠い存在だった。


「──どこに行ったんだろ」

 ネオンきらめく繁華街から奥へと進んだ先は闇が蠢いている。カランと空き缶ひとつが風で転がる音さえよく響いた。
 取材最終日。ロングインタビューも取れ、ヴィラン確保の逮捕劇も撮影でき、サイドキックにも話を聞けたため、オールアップと帰宅の途に着こうとした千歳は、サイドキック数人に誘われて博多の繁華街へと来た。長期取材の終わりに相手と一杯はザラにあることで、記事起こしは明日からだからまぁいいか、と付き合ったのが五時間前。終電が無くなるのでお開きとなり、ほろ酔い気分のサイドキック達を見送って自分も帰宅しようとした千歳は、ふと視界に入った人物に足を止めた。

「絶対にワイルドアームさんだったよね」

 深夜を回る頃でも人手はそこそこに多い中で、それでも彼の姿が目に留まったのは、この一週間ずっと見てきたからか。黒のロングコートと帽子で一見すると彼と分からない風貌だったが、背丈と歩き方で彼と認識した。
 見回りか、と足を進めようとして、しかし再びぴたりと止まる。

(ならなんで、あんな格好?)

 極秘任務ならそれこそ記者として付いていかない道理はなかった。書く書かないは別として、情報は何よりも武器となる。仮にプライベートなら、スカッた、と肩を落として帰ればいいだけだ。
 闇夜に紛れそうになる後ろ姿を見据えて走り出し、そうして辿り着いたのがネズミ一匹いない裏通りだった。
 後ろ姿を付けて十数分、喧騒もだいぶ遠くなった。区内でも指折りのガラの悪い地域に女一人で居るのはよろしくないと理解はしている。好奇心は猫を殺すというが、抗い難い。
 迷い猫はフラフラと辺りを見ながら足を進める。古びた看板の前で澱んだ眼をした男にじっと見つめられ、ゾワリと背筋を震わせながらも歩みは止めなかった。

(…見失っちゃったかな)

 しかし、歩けど歩けど見つからない。
 見失った背中に嘆息し、諦めて元来た道を帰ろうとした──その時だった。

「…こんな所まで歩かせるな」

 ピタリと足が止まる。闇夜の静寂の中、拾った微かな声に全身が震えた。

(ワイルドアームさんの声だ)

 やはり見間違えじゃなかったのだ。
 ビル間の細い通りの突き当たり、あと数歩歩けば角に当たる場所で止まったのが幸いだった。ワイルドアームの声は角を曲がった先から聞こえたからだ。
 一歩、二歩、息を潜めて近づく。

「仕方ねぇだろ。サツも他のヒーローの目も出し抜くなら、もっと遠くで落ち合いたいくらいだ」

 聞こえた声に、息がとまった。

「勝手に遠出すると下の連中に不審がられるだろ。特にこの一週間は記者につきまとわれて動きづらかったんだ。たく、鬱陶しい女だったな」
「んだよ、若ェ女なら良いじゃねぇか。バリバリ仕事してます、て奴ほど鳴かせたら楽しいだろ?」
「ハッ、相変わらず考えることがくだらねぇな」

 ほぼ無意識に、千歳はボイスレコーダーを起動していた。生唾を飲み込んで、息を吐いて早鐘を打つ鼓動を落ち着かせる。
 思わぬ現場に出くわしてしまった。会話内容に面食らったが、須臾に理解できないほど愚鈍ではない。耳をそば立てて、音をつぶさに拾う。
 ワイルドアームの口振りからして、相手はスジものだ。甘く見積もっても仲が悪いとは思えない。

「で、次は何処にすんだよ」
「次、てなァ。さすがに下の奴らも及び腰になってんだよ。テメエがホイホイ捕まえてくれるせいでよ」
「んだよ、しっかり手綱握っとけよな。お前の号令がないと動かねぇだろ」
「いざとなったら薬で言うこと聞かせるから心配いらねぇよ。だが、あと一週間は待っとけ」

 ケタケタと嗤笑が耳につき、千歳は拳を握りしめた。爽やか笑顔で応対するワイルドアームの顔が脳裏で歪んでいく。

(マッチポンプだった、てこと?)

 強盗件数の減少に反比例するワイルドアームの確保件数。パトロールするサイドキックの配置場所を変えたことでヴィランを効率的に確保できるようになった─。
 真っ赤な嘘をいけしゃあしゃあと宣い、実際はヴィランと通じて犯罪を起こし、自ら確保する。
 現実の向こう側の真実が綺麗だとは限らない。

(確保件数の伸び悩みから犯罪に手を染めたのか、元の性状が腐っていたのか分からないけど…)

 いずれにせよ、見て見ぬふりをすることはできない。
 音源は取ったため、千歳はカメラを取り出し、サイレントモードに切り替えた。ひとつ息を吐いて、コンパクトミラーで死角から角の向こうの様子を確認する。幸いなことに話に夢中になっている二人の注意は散漫になっていたため、息を殺してシャッターを切った。

(これで…)

 証拠は揃った。


「なァにしてんの、オネーサン」


 そう、思った矢先だった。

 ゾワリと全身が総毛立つ。背後から聞こえたねっとりと身体にまとわりつくような声音に、反射的に距離を取った。
 それは即ち、彼らの視界に入ってしまう行為で。

「──っあ!」
「うわっ! ンだよいきなり」
「……貴女は」

 刹那、千歳の身体は"宙に浮いた"。
 正確には、ワイルドアームの伸びた腕と、手から伸びた"指"に身体を絡め取られ、身動きが取れない状況に陥った。
 しまった、と舌打ちしつつ、現状を俯瞰する。

(腕が伸びる個性だけじゃない、て…こういうことか)

 おそらく、任意の部位を伸ばせるような個性だろう。腕だけの使用をしていたに過ぎず、奥の手のして取っていたと推察された。

「駄目だろ、隊長。聞かれたらマズイんだから、ちゃんと背後には気を付けろって」

 そして、絡みつくような声に失念していたが、その声にも聞き覚えはあった。

「……サイレント」
「お、覚えてくれてたの? 俺のこと」

「うーれしー」とニコニコと笑う青年に、千歳は冷や汗を流す。
 サイドキックの『サイレント』。ワイルドアームの右腕とも称されるヒーローだ。個性『沈黙』は──

「悪いな。いつもはお前が"消す"から音に気を配らないんだよ」

 周囲、三メートルの範囲の音を消す。隠密行動、特に建物制圧に有効な個性だ。
 迂闊だった。彼一人だけではなく、仲間もいることは想定するべきだった。
 しかし、たかが一市民の千歳にそこまで気を巡らす余裕はない。目の前の事象を俯瞰し、何をすべきかを判断しただけでも褒めてもらいたいところだ。

「さぁて、千崎さん」
「っ、」

 ギチリ、と絡み付いた五本の指が身体を締め上げる。

「なんでこんな所にいるんですか。見ちゃ駄目でしょう、こんな場面。頭の回転が早い貴女なら、見つかったらマズイことくらい理解できたろうに」
「…認められるんですか…。ご自身がヴィランと繋がっていたことを」

 あくまで冷静に、鋭く見据える千歳に、ワイルドアームがくっくと喉を鳴らす。

「まぁ、都合が良いんですよ。僕は確保件数稼げるし、彼らは末端を切り捨てて僕らから金が手に入る。…それに、それだけじゃないですよ」

 ニィ、とワイルドアームの口角が歪む。

「強盗が捕まるイメージのおかげで犯罪そのものが減っていくんですよ。見たことあります? 県の犯罪白書見たら分かりますけど、年々ここらの強盗犯罪減ってますよ。だから、これは世の中のためなんです、千崎さん。真実より事実の方が大事なんです」

 ワイルドアームの言葉に、千歳は黙する。
 するりと、彼の指先が千歳の顎に頬に添えられた。

「だから、そこに落ちているカメラのデータと、録音したであろうレコーダーのデータを消してくれるなら、ひどいことはしませんけど…どうです?」

 三日月に歪んだ瞳に光はない。後方のヴィランはニタニタと下卑た笑みを浮かべ、彼の隣に立ったサイレントも同様だ。全員一様に、状況を愉しみ、そして自分達の優位性を疑いもしていない。
 千歳は、周囲に視線を走らせた。胸ポケットにボイスレコーダーは入っている。落としたカメラは幸いなことにバッグの上。壊れていないことを祈ろう。
 ひとつ瞬いて、息を整えた。

「それは、なかなか素敵な申し出ですね」

 伏せていた顔を上げて、にこりと微笑む。


「クソくらえ、です」


 瞬間、ワイルドアームの身体は"五十メートル先の彼方に移動"し、千歳の身体は自由になり地に落ちた。

「……は?」
「へ?」

 唐突に消えた身体に、ワイルドアームだけでなく二人も目を瞬かせた。

 いったい何が起こった。

 状況把握は得意とするプロヒーローとはいえ、瞬間的に起こる現象に対しては時間を要する。
 対して、千歳には彼らの個性をある程度知っているというアドバンテージがあった。
 身体の自由を取り戻した彼女はすぐにバッグとカメラを手に取ると、"視線を上空へ向けた"。

「なっ!」
「はぁ?!」

 次の瞬間、素っ頓狂な声が彼女の"真下"から聞こえたが、そちらには目もくれず、直ぐに視線を前に。そして、雑居ビルの屋上を、見た。

「っ、!」

 ドサリと、身体が屋上に転がる。なんとかバッグとカメラだけは抱きかかえて保護したため、服が少々擦り切れたが構うものか。
 急いでバッグにカメラを突っ込むと、千歳は再び、前を見据えた。ネオンが煌々ときらめく繁華街まで、ざっと三キロ。

(行けなくは、ないか)

 震える拳を、強く握った。

 ──千崎千歳の個性『転移』は、肌に触れている凡ゆるモノを移動させる個性だ。肌に触れていることと視界の範囲内、回数と距離も限られている個性のため、日常生活で使う時と言えばフロアの端にいる同僚に物を渡す時くらいだった。
 肌に触れたのが人間なら、着用している衣服までなら移動も可能だ。そして自身の移動もできる。

(こんな形でまた使うなんてっ、)

 学校に遅れそうになったとか、近所の犬に追いかけられたとか、そんな日常の緊急時にしか自身の移動は使ったことがなかった。公共空間での個性使用は法律で禁止されている。
 無闇やたらに使うものではないというのは重々理解しているが、人生最大の緊急事態だ。繁華街まで行けば警察の目も届く。さしものプロヒーローも警察に保護されては動きようがない。

 逃げ切れば、勝ちだ。

「──舐めてんじゃねェぞ!」

 一瞬、気が大きくなった刹那、怒号が静寂を切り裂く。同時に、咄嗟に千歳は真横に視線を走らせ、隣の雑居ビルの屋上に身体を移した。

「っ、い!」

 身体が転移した瞬間、しまった、と気付いても遅く、想定より高めの位置に現出した千歳は不恰好に着地した。ぐぎりと足首が嫌な音を立てる。
 千歳の個性は、真っ直ぐ、一定の視界であれば距離感も方向感覚も掴みやすく、自身の移動先も把握しやすいが、真横や後ろなど、方向転換をする場合はそうもいかない。
 視線を横に走らせ、新たに視界に入れた構造物の何処に着地するのか。着地地点から数十センチ上になればバランスも崩れる。プロヒーローならばその判断も容易いだろうが、あいにく千歳は一般人だ。
 がくん、と膝をつき、痛みに顔を顰める。捻ったのか、立ち上がろうとしても激痛が走った。
 痛みに悶える千歳の後ろに、すぐさま人の気配が来る。

「あー、やっぱり視界の範囲内の移動か。見てる範囲しか移動できてねぇもんな」
「馬鹿正直にまっすぐしか移動できてなかったしな。まぁ、咄嗟に横向いて俺の腕を回避したのは褒めてやるよ」

 緩慢に振り向けば、闇夜を背にワイルドアームとヴィランが口角を上げて千歳を見下ろしていた。勝ち誇った笑みを浮かべている。

「繁華街までなら逃げ切れると思ったみたいだが、こちとら一応、プロヒーローやってんだよ」
「残念だねェ。さっさと降参してりゃ、可愛がってやったのに」

 一歩、一歩、近づく二人に思わず抱えたバッグをさらに強く抱きしめる。ぐっ、と身体を強張らせて──

 それでも彼らを見据える瞳に、恐怖はなかった。

 こわい、とか、助けて、とか。そんな、本来真っ先に抱くはずの感情と言葉は何故か出てこなくて。絶望的な状況で、しかし何よりも千歳が憂慮したのは腕の中の物だった。
 取引現場を抑えたカメラと胸ポケットのボイスレコーダーだけは、取られるわけにはいかない。

(…これだけでも、何処かへ)

 せめて、遠くへ。
 縋るように、彼らの背後に視線を遣った。


「…んとに、おいたが過ぎるんだよ」


 その先に。
 翼が、羽ばたいた。

「……え」

 見間違いかと瞬いて、呆然と口を開けて。もちろん、それは目の前の二人も同じで、振り返った先に佇立する。なんで、とか、どうして、とか。そんな疑問が浮かんでしまった。
 そして、その場の全員が突然の来訪者に呆気に取られていた隙に。

 ヴィランは全員地に伏せた。

「……は?」

 速すぎる男とは聞いていた。出世が早いとか、そんな意味だと思っていたがどうやら違ったらしい。
 瞬きの間に、彼─ホークスが放った羽は無数の弾丸となって眼前のヴィランを打ちのめした。反撃の暇などない。その思考すら許されない間だった。呆気に取られていた、その僅か数秒で、ホークスは状況を終了させた。
 無数の羽のどこにそんな力があるのか知る由もないが、適確に急所を捉え、地に伏せた二人が縫い付けられる。さらに、どこぞやに待機していたであろうサイレントも羽に連れられてやってきたものだから、千歳が呆然とするのも無理なかった。

(……映画みたい)

 何処かへと連絡を入れるホークスを見つめながら、千歳は薄ぼんやりと、呑気に状況を俯瞰する。ワイルドアームの逮捕劇とは違う、あまりにも鮮やか過ぎて、映画のワンシーンと言われた方が納得いくくらいの手際の良さだった。

「──で、大丈夫ですか」
「……あ、はい。なんとか」

 一瞬、間を置いて答えたが、ホークスは視線を千歳の足へと向ける。「大丈夫じゃないでしょう、それ」と指差した捻った足首を見れば、なるほど確かに、なかなかに腫れていたが、千歳は言下に返す。

「いや、たぶん大丈夫ですありがとうございます一人で帰れますそれでは」
「コラコラ。帰ってもらったら困るんですよ」

 片足で立ち上がり、進もうとする千歳にホークスが静止をかける。
 しかし千歳は感情が昂っているのか、平静な声の割に饒舌だった。

「あ、そうですよね。警察の取り調べとか…あと、証拠渡さなきゃだし。いやでもすっぱ抜きたいから先に社に送ってもいいですか? 輪転機回ってるから明日には間に合わないけど夕刊ならいけますし。あとネット速報なら帰ってからすぐにでも」
「千崎さん」

 パンッ、と千歳の目の前でホークスが手を叩いた。パチパチと瞬いた千歳に彼はへらりと笑う。

「あー…、取り敢えず、一旦、落ち着きません? ほら、今アドレナリンけっこう出てるでしょ」
「え…っと。まぁ…だって、こんな偶々、ヴィランとヒーローの裏取引現場見つけて、証拠掴んだら消されそうになって、そしたら偶々、今度はホークスさんに助けられたとか、もうびっくり続きでアドレナリンだって出まくるのは致し方ないというか……あ」

 勢いよく喋り続けていた千歳が、はた、と止まった。

「…ホークスさん、なんで此処におられるんです?」

 ぴくり、とホークスの眉が動く。次いで、表情筋が強張った。
 口にしていて、気づいた違和感だ。
 何故彼は、こんな良いタイミングで現れたのだ。

「此処、ワイルドアームさんのエリアだった筈ですよね。そりゃ、エリア内だけで活動するわけないですけど、こんな夜更けに偶然出会うなんて…」

 言葉にすると、違和感はどんどん大きくなる。そうだ、どうして彼がこんな場所に、こんな時間に、タイミング良くいるのだ。
 千歳の問いかけに、しかしホークスに変化はない。硬い表情を保ったままだ。常のヘラヘラした笑顔ではない、硬質な、顔。
 不安が増長して、思わず問いかける。

「…あの、ホークスさ…っ、」

 ん、と。言い切る前に。
 屋上扉が、勢いよく開いた。
 びくりと身体を縮こまらせる。何事か、またヴィランかと、おずおずと振り返れば、そこにはダークスーツに身を包んだ男が立っていた。歳は自分より少し上か、それ以上か、判別がつきにくい顔立ちをしている。しかし妙に整っていて、釣り長の眼と色白の肌が印象的だった。

「失礼します。日日新聞の千崎千歳さんですね?」

 ぽかんと眼を丸くしていた千歳に、男は口元を穏やかに緩めて物腰柔らかに聞いてきた。
 虚をつかれた千歳だったが、名乗ってすらいないのに所属先まで割れていることに慄然とする。
 身構えると、彼は変わらないトーンで紡いだ。

「私は、ヒーロー公安委員会の田崎と申します」
「…公安、委員会」

 所属組織名に、千歳は眉を顰めた。
 ヒーロー公安委員会といえば、仮免試験などを担当する組織だ。警察とは違う、ヒーローを管理する、国の委託を受けた独立組織。しかし、その活動内容は不明瞭なものが多い。
 公安委員会の活動が表に出るのは仮免試験の取材くらいで、千歳も関わったことはない。秘匿性が高く、取材そのものがやりにくい相手とも聞いていた。

「…公安委員会の方が何故こんな場所へ?」

 不信感をあらわにして、千歳は田崎という男を睨め付けた。表舞台に出ない組織だ。何故そんな組織が、警察より先にこの場に来たのか。
 千歳の視線を受けた彼は、ひとつ息を吐いて「単刀直入に申し上げます」と応えた。

「今日のことは記事にはしないでいただけますか」

 すっぱりと、一切の澱みなく言い切った彼に千歳は面食らう。「…は?」と、初対面の相手に些か失礼な態度を取る程度には動揺した。
 いったい、何を言っている。

「…ヒーローがヴィランと共謀していた事実を、無かったことにしろと?」
「そういうことになりますね」

 思わず、ボイスレコーダーに手が伸びかけた。しかし背後のホークスと田崎の側に別のスーツ姿の男が現れたことで分が悪いことを悟る。

「…事実を、事実として報じることは報道機関の役割です。これは、報道権の侵害になりますよ」

 報道の自由は侵されてはならない。勿論、誤報を伝えることは言語道断だがこれは証拠もある。実名報道に配慮すべき被害者もいない。
 ヒーローがヴィランと共謀していたなど、報じなくて良い理由は──

「報じる意味を、貴女は理解していますか」

 凛と、響いた言葉に、千歳の目が見開かれた。
 唖然とする彼女に、田崎は淡々と紡ぐ。

「今やヒーローは警察に代わりヴィランという犯罪者を捕える、英雄です。社会正義の代名詞ともいえる存在にまでなってしまった以上、ヒーローによる悪事の影響は計り知れません」
「それは…」

 田崎の言葉に千歳は言下に言い返せなかった。
 確かに、ワイルドアームの活躍もあり、強盗犯罪はここ数年減少した。マッチポンプの件数を除くならさらに減っただろう。

「ヒーローへの不振は社会悪を助長させ、犯罪の増加につながります。ヒーローは、健全でなければいけない。健全ではないと突きつけられた時、人々の中に培われてきたモラルは簡単に崩れる」
「…モラル?」
「"ヒーローが社会を守るから個性を使用しない"というルールは、ヒーローが健全だから機能する。瓦解すれば、ヴィランはそれを歓迎し、社会は個性乱発の無法地帯となりかねません」

 ゾッとするような内容を、彼は能面を張り付けて宣った。息を呑んだ彼女に、さらに畳み掛ける。

「ヒーローへの信頼が揺らげばヴィラン犯罪は増加する。故にその芽を摘み取るのが、我々の役割でもあります。ワイルドアーム、サイレント及び関係している全てのプロヒーローについて、我々は調査を重ねてきました。近いうちにヒーロー資格の剥奪を視野に入れていましたが、その前に今回の事案が起きてしまった」
「…つまり、私が余計なことをしなければ、丸く収まったと?」

 問いかけに、田崎は応じない。肯定と受け取り、千歳は拳を握り締めた。
 ヒーローは健全であり、社会正義でなければいけない。
 確かに、かの伝説級のヒーロー『オールマイト』は希望の象徴と呼ばれている。ヴィランを確保し、災害から人々を救う英雄。性状はさまざまであれ、ヒーローが市民の信頼を得ているからこそ、この国の犯罪率が他国と比べて群を抜いて低いという調査結果もあるのだ。
 真実が、善いとは限らない。報道のその先、受け取り手のことまで考えた時、果たして公表することは善となるか。
 彼の話は、理解はできる。

(けど…それじゃ─)
「千崎さん」

 もう一度、名前を呼ばれてびくりと肩を揺らす。
 切長の怜悧な双眸は、千歳を捉えて離さなくて。見据える瞳から、眼を逸らすこともできなかった。

「よろしいですね」
 

「──いやぁ、すみませんねぇ。せっかくのスクープなのに」

 昼行灯なホークスの声が逆に少し寒々しく、千歳は陰鬱な表情をさらに曇らせた。既に屋上に公安はおらず、いるのはホークスと彼女の二人だけ。押し寄せる不甲斐なさと、やるせなさに、千歳は何も返せなかった。
 ホークスがこの現場にいた早く着いた事実、直後に公安が来た事実は否が応でも千歳に理解を求めた。
 秘密裏にワイルドアームを確保し、ヒーロー資格の剥奪を考えていたのなら、"子飼い"のヒーローの一人や二人、いてもおかしくはない。そういえば、彼はやたら現場に来ていた。初日に会った時、ヴィラン確保の時。おそらくワイルドアームの行動パターンを事前調査していたのだろう。

(…なに、それ) 

 自分が動こうが動かまいが、結果は変わらなかったなんてそんな。

 ──無力なことが。

「…千崎さん」
「え…てっ、わ!」
「ちょーっと失礼しますよ」
「ひっ、や! ちょ、何やって! たか、たかい!」
「はいはーい、大人しく送られてくださいね」

 呼び掛けられたと同時に、ふわりと浮遊感。横抱きにされたと認識する間もなく、一気に上昇して眼下に街並みが見える位置まで来てしまった。高いどころの話ではない。落ちたら死ぬ。
 唐突なホークスの行動に身体を強張らせる。ぎゅ、と服を握りしめた千歳に「怖がりすぎでしょ」と彼が吹き出したため、「慣れてるわけないでしょう!」と言下に反論した。聞けば、足を挫いているから家まで送る、とのことだ。なら先に言え、いやでも送ってもらわなくても良い。
 ぐるぐると思考が錯綜したが、結局、大人しくする他ないと悟った千歳は、至近距離の彼を見つめた。

(…不思議な人)

 前を向き、常の笑顔を貼り付ける横顔に、疑問が湧く。
 自分とそう歳が変わらないというのに、何故、彼が公安の裏の仕事を引き受けているのか。日々、不祥事を起こしたヒーローを突き止めて、不自然にならない程度に引退という形を取らせて。
 もしかしたら、それ以上のことだって──
 考えて首を振る。考えすぎても、真相にたどり着ける気もしない。
 けれど、見つめる先のその相貌に、聞きたかった。

(どうして──)


「納得できない、ですか」


 穏やかな声が耳朶を打った。「え」と漏らせば、彼は前に向けていた視線を自分へ寄越す。
 至近距離で交錯したため、思わず視線を外した千歳の目に、ネオンの煌めきが映った。街中の喧騒が聴こえてきて、現実が戻って来る。
 いつも通りの日常を見つめて、千歳は は紡いだ。

「…仰られることは分かるんです…。分からないわけじゃ、ないんです」

 言葉を、絞り出す。やるせなさと、不甲斐なさを濃縮した声を捻り出す。
 社会を守るのはヒーローで、社会を維持するのもヒーローで。そんな社会に現実になっているということは、痛感していた。
 自分がどれだけ映画のワンシーンのように感じても、事実、ヒーローによって社会の安寧は保たれている。他の誰でもない、英雄たちによって。
 けれど、だからこそ思うのだ。
 ヒーローがいる限り安寧が保たれるというのなら──

「…けどそれなら、ヒーローに何かあった時、誰が社会を守るんだろうと…そう思うんです」

 その現実が、価値観が覆された時。
 はたして、人は強くいられるのか。
 ヒーローに全てを依存して、自分達は枠外から見るだけしかできないそんな社会を創り上げていることのおぞましさと異様さが、千歳はひどく、おそろしかった。
 千歳の言葉に、ホークスは数秒黙し、「そうですか」とだけ返した。
 ヒーローの彼が何を思ったのか、千歳には分からなかった。

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