「ホークス事務所から取材依頼きたんだけど、何したの?」
 翌日、千歳は意味深なホークスの笑みの意味を上司からの質問で知った。眉を顰める並河に「あーはは」と言葉を濁す。
 仔細など言えるか。
 悪態を内心で吐きながら、思い出されるのは悪戯を思いついたような顔だ。詳細を話せないことを見越しながら、なんていやらしいことか。
 苦笑しか返さない千歳に、並河は「ふぅん」と興味なさげに取材依頼書に再度視線を落とした。
「君がワイルドアームの取材していた関係で手を挙げたみたいだけど、ホークスんとこは密着取材が割としづらい事務所で有名なんだよ」
「……はぁ」
 でしょうね、と内心相槌を打つ。公安からの黒い依頼のことを勘ぐられでもしたら面倒なのだろう。
「そんな事務所から『ぜひうちも』なんて普通は来ないんだけどねぇ。事務所の人曰く、ホークスとイイ仲、てことだけど」
「はあ!?」
「なに、付き合ってんの?」
「なわけないじゃないですか!」
 いったい、身内に何を話したんだあの人は。
 ズキズキと痛む頭を抱えれば、「違うのかぁ。付き合ってれば根掘り葉掘り聞けるのに」と若干残念そうに並河が呟いて、さらに嘆息する。
 とはいえ、依頼が来て、それが自分に伝えられたということは、会社命令がきたのだろう。
「というわけで、今度はちゃんとね?」
 念押しのように向けられた視線に、やはり頷く以外の選択肢はなかった。

「──で、どういうつもりですか、ホークスさん」
「開口一番になかなか面白いこと聞きますねぇ」
 特大ソファのある応接室に通され、腰を下ろして、さぁ取材、という場面で千歳は笑みを貼り付けてホークスに尋ねた。
 対するホークスの飄然とした態度に、じとりと目を細める。
「面白いもなにもホークスさんのせいでしょう? 社内で物珍しい珍獣みたいな扱いされるわ、ここに着いたらいろんな人にガン見されるわで居心地の悪さマックスなんですけど」
「俺はただ、『記者の人とだいぶイイ仲になって、いろいろ聞きたいって言われたから協力したい』て伝えただけですよ」
「超勘違いさせる発言ですよねそれ! なに爆弾発言かましてるんですか!」
 何してんだこの人。何してくれてんだコイツ。
 ひとつ、大きくため息を吐いてジト目を送る。涼しい顔のホークスを見て、再度ため息を吐いた。
「……もういいです。とりあえず、今日からよろしくお願いします」
 ノートとペンを取り出し、さっそく取材を開始する。ページをめくり、表題を記載してから千歳は視線をホークスに向けた。
「ホークスさんの過去からですけど、どうしてヒーローになろうと思われたんですか?」
「まぁ、例に漏れずヒーロー系の特番ってよくやるじゃないですか? それ見ててカッコ良かったというか、そんな感じです」
「ちなみに憧れのヒーローは?」
 ぴたりと、ホークスの顔が一瞬、硬直する。
「エンデヴァーさん、ですかね。ワイルド系というか、あのカタブツな感じが頼もしいんですよ」
「カタブツ……まぁ、ファンサはなかなかされない方ですね。ちなみにオールマイトさんではないんですか」
「オールマイトさんはありきたりですから。俺、一番より二番手が好きなんです」
 ニコニコと、流暢に話すホークスに相槌を打ちながら、千歳はペンを進めていく。
「何か具体的にエンデヴァーさんに惹かれたエピソードはありますか? 目の前でヴィランを逮捕したのを見た、とか……」
 ノートに落としていた視線を上げながら質問した矢先、目の前の彼の相貌に、千歳は瞬いた。
「ありますよー。十年ちょっと前ですかね、エンデヴァーさんが強盗犯捕まえた時にちょうどそこに居たんです。その姿が忘れられなくて」
 少し、懐かしむような。
 けれど、どこか寂しさと哀切を湛えた瞳。
 飄然とした態度から見えた彼のまた違った顔に、思わず間を空けてしまった。見たことのない、彼の奥底にある感情が見えた気がしてカリカリと紙の上を滑っていたペン先が止まる。
「……その時のエンデヴァーさんが、ホークスさんにとっての原点なんですか」
「まあ、そんな感じですかね」
 顔に貼り付けた軽薄を剥がしてみたくて、もう少し踏み込んで質問したけれど、軽く肩を竦められた。すぐに被り直された仮面に、千歳は内心で歯噛みをする。一瞬しか気の緩みを見せないところはさすがプロだった。
 質問に対してホークスはのらりくらりと当たり障りのない答えを返す。ワイルドアームに相対した時と似ている対応に、思わずため息が漏れそうになった。市民のため、安全のため、誰か何かのためにヒーロー活動をしている。それはそうだが、そんな当たり前を求めてなどいない。特に、公安の子飼いという裏の顔がある彼なら尚更だ。
 ヒーローの闇を知っていて、公安として粛清≠ニ隠蔽≠ノ手を貸すその胸の内を知りたかった。
「逆に俺も聞きたいんですけど」
 淡々と質問を投げていた千歳に、思わぬ問いかけが投げられた。瞬いた彼女は「え」と、ノートに落としていた視線を上げる。その先には、変わらず笑みを浮かべたホークスがいた。ファンサをする時と同じ、誰にも平等に向ける笑顔。
「どうして貴女は、記者になったんですか」
 けれど、その目はどこか違った。千歳自身を、千歳の考えをきちんと聞こうとしている、目。真っ直ぐ向けられた眼差しの中には、嘘偽りない感情が見えた気がして。
 思わぬ相貌に、千歳は言葉に詰まった。動揺に視線が揺れて、ひとつ息を吐く。「急になんですか」とへらりと笑って、はぐらかそうとしても彼は「聞きたいんですよ、個人的に」と返すだけだ。
 引き下がろうとしない雰囲気に、千歳はふと、思案した。
「割と小さい頃から、なれたら楽しいなと思っていましたけど」
 初めは、きっと憧れだった。
 情報を発信しながら鋭い視点で権力を切り崩す、社会と人のための仕事なんだと憧れていた。学校に新聞記者が講演に来て、そこで初めて憧憬を抱いた。
 ヒーローが活躍する画面の向こう側より、その画面を作り出す人達が、それを伝える人達が。自分には見えない向こう側を、自分に分かるように伝える人達に憧れた。
「私にとって、ヒーローみたいな職業だったのかもしれませんね」
 少しだけ戯けた調子で肩を竦める。自分の仕事がヒーローだなんて大層なことは思っていないが、間違いなく千歳にとって、記者職はヒーローより輝いて見えた。
 子どもの頃の憧れは、鮮明に記憶に焼き付くもので。

『真実より事実の方が大事なんです』

 そこでふと、脳裏に彼≠フ姿が過ぎった。
「……どこで間違えたんだろう」
 ぼそりと、意図せず吐露した言葉に「間違えた?」とホークスが首を捻る。ハッ、と肩を揺らした千歳は、「いえ! ホークスさんとか私ではなく」と苦笑した。
「先日、雄英高校の体育祭の様子を観たんです。誰もがああやって、純粋にヒーローを目指していたと思うと、なんだかやるせ無いなと思っちゃって」
 彼≠フことを口にするのは憚られたから、やんわりと遠回しに答えたが、察しの良いホークスはそれだけで悟ったようだった。
 プロヒーローを目指して切磋琢磨し、自身を高めて研鑽を重ねるヒーローの卵達。何を想い、何を願っているのかは人それぞれだが、見据える未来に見えるのは、社会の中で他者を助ける自分の姿だろう。
 誰もが憧れた。だからこそ、厳しい訓練にも試験にも臨むことができる。
「なりたい自分になれても、それを持続できる人ばかりじゃないんですね」
「……ヒーローに対して、不信感が芽生えましたか?」
 神妙な声色は初めてで。見れば、いつもの軽薄な笑みではなく、怜悧な眼差しを向ける彼がいた。
 真摯な瞳に、千歳は眉尻を下げる。
「それは否めません。でも、確かに想いがあったと信じたいです。誰もが、自分にとってのヒーローに憧れて大人になった筈だから」
 最初から、犯罪者になりたい人間などいない。赤子は保護者に育てられ、誰かの背中を追いかけて成長する。性状は千差万別だが、それが全てではない。どこかで歯車が狂い、普通≠フ人生から外れてしまう。
 社会という大輪の歯車になり得なかった彼らの誤ちが、どこから来たのだろうか。
 自身にかけられた問いが、千歳の中の記者魂を、揺さぶった。

     *

 エンデヴァーが自分の原点なのか。
 そう尋ねた彼女に、図らずも心臓がぎゅっと縮こまった。敵に暴かれそうな、正体がバレそうな、そんな危機感が募ったから、すぐに努めて平静を取り繕った。
 彼女は自分と似ている。笑顔と人当たりの良さを武器に相手の懐に入り込むのが上手い。ただ、親類すら切り捨てた自分と正反対で、むしろ他人と自分の境界が曖昧だ。一歩引いて事象を分析しながら、人の感情そのものに寄り添うタイプ。だからこそ、公安からの要請を受けつつ、けれど割り切れない程度には悩んでいる。
 厄介な記者という反面、どこか他人に対して甘い。
「──近づきすぎじゃありませんか?」
 公安委員会への定例報告を終え、帰宅の途に着こうとしたホークスを呼び止めたのは意外な人物だった。シックな黒スーツに色白の肌が映え、切れ長の目がホークスを捉える。
「やだなぁ、俺の軽薄さは田崎さんだって知ってるでしょ?」
「知っているからこそ聞いてるんですよ。君は、絆されるタイプじゃないでしょう」
「絆されてたら、今此処にいることはできないですね」
 公安委員、田崎の質問を、ホークスはケラケラと笑い飛ばす。
 彼女に近づいているのは、ただの監視と懐柔だ。幾つかの情報を見せることで満足して引き下がるなら、最初からシャッターを下ろす必要はない。自分が絆されるとしたら、原点であるエンデヴァーくらいか。
「あの手の記者は門前払いしたら割と食い下がるんですよ。なら、ちょっと仲良くしといた方が転がしやすいでしょ?」
 幼い頃から戦う術も、欺く術も身に付けてきた。他人の胸襟を開き、取り入る術も。
 全てはヒーローが暇を持て余す社会にするためだ。自分の原点に少しでも近づくために、名を捨ててまで歩んできたのだ。
 たとえ、物珍しい感性を持った相手であっても、所詮は陽の当たる道を歩いてきた人間であって、自分が懐柔されることはない。
 能面を崩さない田崎は、飄然と肩を竦めたホークスに「ならいいですが」とそれ以上、追及はしなかった。「どーも」と軽く会釈して、ホークスは玄関から飛び立つ。
 夕闇に染まった街を眺めて、脳裏に浮かぶのは彼女の言葉だった。

『確かに、想いがあったと信じたいんです』

 他者の性状は、本人にしか分からない。それでも、当初に描いていた未来は確かに輝いていたと、信じられるのは彼女が甘いからか。
「……何考えとるんか、俺は」
 絆されている、と指摘してきた田崎の言葉を思い出し、ホークスは思考を振り払うように、剛翼をはためかせた。

   *

スマートフォンを片手に画面をタップする。検索サイトで入力したのは《ヒーロー公安委員会》。トップページを開いて一番下までスクロールした先に、目当ての番号を見つけた。

「──驚きましたよ。まさか、貴女から連絡が来るとは」
「すみません。知っているお名前が田崎さんだけで」
 良いですよ、と軽く微笑む田崎に、千歳は申し訳なさげに頭を下げた。
 二時間ほど車に揺られ、行き着いた先は外界と遮断された陸の孤島のような山奥。ゆうに数キロはあるトンネルを抜けた先に一帯の山を切り開いて造られた要塞が現れた。
 凶悪な個性犯のみを収監する施設のひとつ。最高峰の警備を持つタルタロスを含め、全国で八カ所しかない刑務所の一つに、千歳と田崎を乗せた車は到着した。
 ふと、千歳は先日の彼との電話を思い出す。

『──ワイルドアームに会いたい、と?』
 硬質な声に若干の不信感を混ぜた声だった。
 ヒーロー公安委員会の代表電話に掛けて取り次いでもらい、電話に出た田崎に用件を伝えれば、彼は数秒間を置いて問い返してきた。
 何を言っている、と雄弁に伝える声色に、千歳は平然と応える。
「普通に面会申請ができないと思ったので、こちらに電話しました」
 表向きは引退の体を取っているため、通常の面会希望を出すわけにもいかない。かといって、面会を断念するほど行儀も良くない。
『会ってどうするんですか』
「どうもしません。取材の一環です」
『彼のことを報じられないということは』
「承知しています」
『会えない……と言っても引き下がってはもらえませんね』
 僅かに嘆息した彼に若干、緊張の糸が解れる。「すみません」と形だけだが口にすれば、今度は苦笑された。

 犯罪者への面会は通常、各刑務所に希望日を提出するが、いかんせん、ワイルドアームが収監されている事実を知る一般人は千歳を除いていない。
 故に、現れた千歳と田崎の両名に一番驚いたのは当人だった。
「誰が来たかと思えば、まさかアンタとはな」
 囚人服を着たワイルドアームは、些か頬が痩けていた。しかし筋肉質な巨躯は健在で、囚人服の皺が伸びきっている。
 どかりとパイプ椅子に座り、個性を遮断する特殊な面会版越しに彼は後方に控える田崎を、そして千歳に視線を移した。
「で? 犯罪に走って人生を棒に振った社会のゴミに、エリート様が何の用だ?」
 自嘲混じりに問いかけた彼の両目は愉悦に染まっている。状況を愉しむ彼のその目を、千歳は凛然と見つめ返した。
「ワイルドアーム……いえ、剛田伸五さん」
 本名を呼んだ刹那、ワイルドアーム──剛田伸吾は、三日月に歪めていた目を細めた。
「貴方の過去を少し調べさせてもらいました。生まれは北九州市。父親は建設業、母親は専業主婦で三人兄弟の長男として育てられた」
 睨め付ける彼に千歳は表情を崩さず、バッグから取り出したノートに視線を落として淡々と紡ぐ。
 彼の家庭は、世間一般の平均的な家庭。ともすれば、恵まれていると言っても良いのかもしれなかった。一家の大黒柱が家計を支えることができる収入は、側からみれば、裕福の部類に入る。
 しかし、それは外部から見える表層に過ぎない。
「十一歳の時、事業の不採算により会社が倒産。母親は家族を支えるためにパート従業員として市内のスーパーに勤務したものの、家計は火の車。父親は事業の失敗による債務に精神を病み、アルコール依存に陥る。消費者金融からの滞納連絡に精神が摩耗し、倒産から十ヶ月後に無理心中を図ったが、失敗。しかし、母親が腹部を刺され全治三ヶ月の重傷を負い、父親は服役した」
 幸せな家庭から一気に辛酸を舐める人生に。
 転げ落ちた生活に、しかし彼は真っ当に育つ。
「母方の実家に兄弟と引き取られた貴方は中学までは公立校に進み、その後は県内の高専に入学。ヒーロー科で勉学に励み、成績も実技もトップで卒業。以後は地元ヒーローのサイドキックを務めつつ、数年後には独立して現在に至る」
 ノートに落とされていた視線を、上げる。視線が絡まり、数秒置いてから、千歳は静かに尋ねた。
「どうして、ヴィランと共謀することになったんですか」
 胸に抱いた疑問を、口にする。
 解せなかった。彼の過去を調べれば調べるほど、千歳は理解が及ばなかった。
 幼少期の家庭環境により、挫折を味わって苦労する人間は一定数いる。けれど、彼がその部類に入るとは思えなかった。彼は中学入学以降、公的機関と親類の援助により、狭き門のプロヒーローへの道を歩んでいる。家庭環境の悪化により犯罪に走ることなく、真っ当な道を歩むことができた。
 なのに、何故。どうして。
「駆け出しのヒーローがどういう扱いを受けるか、知ってるか」
 千歳の話を遮ることなく聞いていた彼は、彼女の質問にひどく冷めた声音で切り返した。感情を削ぎ落とした表層で、紡ぐ。
「ヒーロー飽和時代の今、仮になれたとしても警察から確保依頼が来るのはたいてい、地力のあるヒーローばかり。駆け出しのヒーローなんざ、見向きもされねえ。大手事務所の小間使いのサイドキックになる奴らもいるが、それも地獄だ」
 苦々しい過去を追想するように、吐き捨てる。
「社長ヒーローに気に入られなきゃ、干される可能性だってある。だから、どんな条件も呑んで、安月給だろうと死ぬ気で働く。そのうちになぁ、壊れていくんだよ。崇高な使命感を持ってヒーローになったところで現実は泥臭い、汚ねぇ世界だ。ヒーロー向きの個性なんざ、何の意味もない。持て囃されたところで飽きられたら人気も落ちる」
 ヒーローは基本的に事務所とサイドキックを持つ。いわば、ヒーロー業の個人事業主というわけだが、昨今、問題視されているのが労働環境だ。ヒーローという職種上、表立って批判の的にはなりにくいが、大なり小なりパワハラだのセクハラだの、一般企業と変わらない労働問題は聞かれる。
 ただ、それが社会問題として取り上げられない最たる理由は、その職業の特殊性にある。
 そもそも、ヒーローは個性行使の対価として半ば自己犠牲を求める職業だ。常に命の危険を伴う。
 故にパワハラやセクハラ程度≠ヘ問題視されにくい。議論の俎上に上がることが、ヒーローという職種そのものへの懐疑を抱かせることにもなりかねないからだ。
「……より良い労働環境のために、犯罪に走ったんですか。それは、ヒーローとして本末転倒でしょう?」
 だからと言って、犯罪教唆をしていい道理はない。
「耳が痛い正論だな」
 ハッ、と剛田が鼻で嗤う。けれど、くっくと笑んだ後、心底、馬鹿馬鹿しいと、侮蔑を多分に含んだ声音で千歳に吐き捨てた。

「だが、正論に何の意味がある、、、、、、、」

 放たれた問いかけは、鋭利な言葉のナイフのようだった。自身を覆っていた常識が、傷つけられる。
 一瞬、たじろいだ千歳に、剛田は畳み掛けた。
「法による統治も、社会規範による軋轢の回避も、全てが恵まれた人間のシステムだ。……あぁ、分かるぜ。この世の大多数がそのシステムの中にいるだろうよ。けどな、システムの中にいちゃ、外のことは分からねえんだよ。絶対にな」
 分かってたまるか、と言外に伝える声音だった。内に抱えた世の中に対する憤懣を濃縮した剛田の言葉に、しかし千歳は、「そうですか」と、一言。かろうじて冷徹を保った。
「理由はどうであれ、貴方のしたことはただの犯罪です」
 彼の過去を暴いて、犯罪に手を染めた経緯を知って、それでも寄り添わない。寄り添うことは許されない。
「けど──貴方が卒業文集に将来の夢を書いた時の想いは、嘘じゃなかったと思います」
 それでも、取材した中で見えた幼い時分の彼の希望を、翳らせたくなかった。
 真っ直ぐ見つめる千歳の視線を、剛田は黙って受け止めた。見定めるような瞳が千歳を捉えて、ふと、歪む。
「……マスコミから何の音沙汰もないってことは、俺のことは世に出回ってねえわけだ」
 釣り上がった口の端に、どきりと心臓が脈打った。しまった、と思っても遅く、剛田は千歳の反応にしたり顔で語る。
「所詮、世の中そんなもんさ。システムを守るために汚ねえモンに蓋をする。世の中の人間の憂さ晴らしに、目先のぶっ叩きやすいヴィランをコケにする。そうやって、自分だけは高みの見物を決め込んで正論≠ノ溺れる奴らしかいねえ」
「そんな、こと」
「否定できるか?」
 愉悦を含んだ声音とは打って変わって、低く、咎めるように剛田が千歳を質す。
「お前は、社会から俺たちが外れたと思ってんだろ。安寧をもたらす社会に害をなすヴィランだってな」
「それはっ」
 否定できるか、と自問して、しかし言下に判断を下せない。
 千歳の反応を見越したように、剛田はせせら笑った。
「社会から俺たちが外れた? 馬鹿言うなよ。社会が俺達を除けた。俺達の居場所はどこにもねえんだと」
 ずい、と郷田が僅かに身を乗り出す。

「なぁ、幸せか? そんな世界」

 答えに窮した千歳を暴くように、咎めるように、彼は、ひどく優しく紡いだ。


「──満足ですか」
「……はい、知りたいことは知れたので」
 約三十分の面会を終えた千歳は、田崎に連れられて再び来た道を帰った。公務用の車の助手席から車窓の外に目を向けて、田崎の問いかけに静かに答える。
「同情したんですか? 彼の境遇に」
 心ここに在らず、といった様相だからか。田崎からの思わぬ問いかけに、千歳は頭(かぶり)を振った。
「しません。それは、同じような境遇で踏ん張っている人への冒涜ですから」
 罪は、罪だ。個性黎明期に、人が争い合わないために数多の犠牲の上に構築された法や社会規範があるから、世の安寧は守られる。ヴィランでさえ、安寧のある社会だからこそ=A犯罪に走ることができるのだ。黎明期の力こそ全ての時代ならば、より過酷な世の中になるだろう。
「ただ、彼のような人が出ない仕組みはないのかと、思いました」
 それでも、考えてしまう。
 何か、どうにかできなかったのか。
「社会が正しく機能しているのなら、どうして彼らは生まれてしまうのか。どこかでセーフティネットが働いたり、制度設計を見直したりすれば、変わったことはあるんじゃないかと思うんです」
「そこまで考えるが必要ありますか?」
 深く思惟に浸ろうとする千歳を切り伏せるように、田崎はぴしゃりと問う。
「堕ちる人間は大概、堕ちる性状があるものです。綺麗事だけで済まされない。そういう人間は、生まれた時から間違っているものですよ」
 きっぱりと犯罪者に処断を下す田崎に、しかし千歳は──

「それは違います」

 一瞬の迷いもなく、明瞭な意志を以て否定を紡いだ。欠片の逡巡も許さぬ間だった。
 確かに、犯罪者は裁かれないといけない。等しく平等に、裁かれる必要がある。
 けれど、違う。
 生まれた時から、持つ者と持たざる者が決まっているわけじゃない。
 だからこそ、どれだけヒーローが使命感を持ってヴィランを捕まえても結局、仕組みが変わらない限りきっと──
「それは、私達が言ってはいけないことなんです」
 持つ者が、持たざる者に隔意を示して、断罪だけで済ます社会に未来はない。

 ──なぁ、幸せか?

 そこに、幸福を築くことなどできやしないのだから。

     *

 田崎礼二にとって、ヴィランは社会の癌に過ぎなかった。正常な細胞の中で生まれる異分子。生まれてきてはいけない忌み子。社会に認識された瞬間、取り除かれるか消去されるだけの、何の価値もない存在。ヴィランとはとどのつまり、要らない人間だと思っていた。
 人間形成において環境は重要な要素だ。しかし同環境でも人生を転げ落ちる人間とそうではない人間がいる。両者を何が分けるかと言えば、本人の性状に他ならない。
 犯罪者など、ひとまとめにして処分してしまえばいいのだ。かつてレディ・ナガンがそうしたように、ホークスを使ってもっと粛清すればいいものを、現公安トップは慎重姿勢だ。放置すればするほど民間人の犠牲が増えるのなら、犯罪の芽は積むことが合理的だというのに。
「──下らない」
 漆黒の闇の中、田崎は小さく吐き捨てた。
 足下に転がる人間たちは、数十分前まで部屋の中で官公庁へのテロを企てていたプロヒーローだ。意識を失う者、呻き声を上げる者とさまざまだが、全員が床に縫い付けられいるだけで、命に別状はない。
 解放思想なるものに感化され、自らを戦士だと言って憚らない愚鈍な輩たちを、田崎は冷然と見下ろす。
「田崎さん、顔怖いですよ。何に怒ってるんですか」
 傍で、捕縛作業をしていたホークスが、いつもの軽口で話しかけてきた。貼り付けた軽薄な笑みはいつも通りだが、目は笑っていない。
 専門の回収業者≠ノ連絡をして後始末を頼んだ田崎は、ポケットからライターの煙草を取り出して紫煙を燻らせた。
「怒っているように見えますか」
「そりゃもう。こいつらを殺す勢いの目ですね」
「それは……失礼しました」
 いくらヴィランを社会の癌と捉えていても、態度に出すべきではない。心内を悟られては務まらない仕事だ。
 能面を被り直した田崎に、ホークスが小首を傾げる。
「何かありました? いつも淡々と捕まえていくのに、らしくない」
「何もありませんよ」
「ほらたとえば、この前、千崎さんと会った時に何かあったとか」
 一瞬、間を開けてしまったのは失敗だった。「なぜ、あの記者の名前が出てくるんですか」と、直ぐに平然を装ったが、ホークスはニヤリと笑みを深める。
「千崎さんっておもしろいでしょ? 隙がないけど自分の考えを素直に話す率直さもあって、話してて気分悪くならないんすよね」
 スゥ、と心の奥底を見透かすように、目が細められて。
「どうです? 絆されました?」
 まるで意趣返しのような問いかけに、田崎は頭にカッと血が上る。けれど、感情は表におくびも出さずに、ただ冷徹を保った。「くだらない話をする暇があるなら、報告業務を速やかにお願いします」と踵を返す。「はいはい、ちゃちゃっとやっちゃいますよ」と、ホークスもまた、それ以上何かを追及することなく、剛翼を闇夜にはためかせた。速すぎる男の背を見送り、田崎は足元に転がる輩を見下ろす。
「下らない」
 絆されるも何もない。自分はただ、役目を全うするだけだ。それが、公安に属する自分の義務であり、その先に社会の安寧がある。
 正義も悪も関係ない。
 ただ、癌は根絶しないといけない。それだけだ。
 けれど、胸に渦を巻く不快感は、どうしてか消えなかった。

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