ある佐官が負った傷
レイネシア・フォンベルクはその時一度死んだ。エイティシックスに友好的な白系種のいち尉官は、その日を境に別人になった。
機械人形と揶揄されるほど、彼女は撤退的に感情を排した。誰に対してもいかなる時も最低限の事項しか話さず、徹頭徹尾、氷の表層を貫き続けた。
その顔は同じ白系種にも向けられる。彼女は常に、表情を殺して任務にあたった。
そして彼女は"ある技能"を駆使して、軍上層部から政財界の重鎮に取り入り、そして凡ゆる弱みを握ることに成功する。
脅し、強請り、惑わして彼女は手に入れた──迎撃砲や誘導弾の使用権限を。
「……聞かなきゃ良かったかもな」
ブリーフィングルームへ行く傍ら、ライデンは先日聞いた話を頭の中で反芻し、深く嘆息した。
ヘイムダル戦隊のニコ・クロノスが語った彼女の過去は、想像より何倍も気が重くなる内容だった。
奇しくも、白系種とエイティシックスという関係で、今、繋がっている二人を見ているライデンにとって、彼女と彼女の旧友が辿った運命は彼らに背負ってほしくないものだ。
誰が悪い。誰か間違っていた。そんな二元論で片付けられるほど、甘い問題ではない。
生まれという変えられない宿命を持ちながらそれでも歩き続け、行き着く果てを共に見ることを願いあった者達が死別し、そして現実を突きつけられる。善悪も何もあったものではなかった。
(……四年、か)
ライデンとて、同時期に入隊した友人は全員死んでいる。行き着く果てを誰と見ることができるかなんて分からない。
それでも、"看取り続ける"哀しさが、全く分からないわけではなかった。四年間、感情を押し込めて、機械として過ごしてきた彼女を想うと、胸の苛立ちが募る。
(……て、なんで俺が苛つくんだよ)
ふと立ち止まり、己の感情に首を傾げるが、感情の処理の仕方をライデンは知らない。自身が抱く想いが何に起因するかも、分からなかった。
妙な苛立ちを覚えながら、さっさとブリーフィングルームへ向かおうとしたライデンは、しかし鼓膜を揺らした"不快な"音に立ち止まった。
「お時間をいただいてすみません。フォンベルク少佐」
高く、耳につく女の声。
知っている。共和国での奪還任務の中で、街中の街宣車から一度その声は聞いたことがあった。すぐに警備が駆けつけてその場では解散させられた、その団体。
「いえ、作戦会議までまだ猶予がありますので」
「ふふ、ありがとうございます。……噂に違わず、優秀そうな指揮官ね」
人が出払った談話室の入り口から聞こえる声。一人は、機械人形のその名の通りな声を発するレイネシア・フォンベルク。もう一人は──
「貴女はかつてエイティシックス達を"正しく"運用したと聞き及んでいます。非常に優秀なハンドラーの一人だったと、貴女のかつての上官も戦績を誇らしげに話してくれました。貴女なら、凡ゆる困難も打破できる、と」
──サンマグノリア純血純白憂国騎士団代表、イヴォーヌ・プリムヴェール。共和国暫定政府の補佐官で、エイティシックスの返却を要請している、白系種だ。
洗濯洗剤が何の用だと眦を吊り上げたライデンだが、すぐに思い直す。奴らが白系種の士官にある用など、容易く想像できた。
「……プリムヴェール代表。簡潔にお答えいただきたいのですが、私に何をお求めですか?」
死角から覗き見れば、彼女は、にこり、と。"おそろしく"口角を釣り上げて洗濯洗剤を見ていた。
眼差しに含まれる冷淡な感情に、洗濯洗剤は気付くことなく微笑む。
「あら、聡明な貴女なら理解できるでしょう? できるだけ早く、エイティシックスどもを回収して祖国へ帰還し、もう一度、国土を取り戻す。簡単でしょう?」
──貴女は、白系種なのだから。
あまりに陳腐で、思考停止をしている発言はもはや笑いを通り越して哀れだ。
己の国土も守れず、その気概すら持てずに逃げ帰った上、踏み躙られた矜持を守るために詭弁にすらなっていない暴論で他者を使い潰した。その事実を認められない哀れな人型のブタ。
自国の国土を取り戻すための一番の近道が共和国に恭順の意を示す以外ないと分からない、その哀れに、ライデンは口の端を釣り上げた。
馬鹿馬鹿しい。
しかし──
「白系種は人類史上稀に見ない優等種で、他の種族とは一線を画すのだから敗北するはずもない。先の後退はエイティシックスの無能のため、と?」
耳を疑う台詞が耳朶を打ち、思わず彼女を再度見遣る。「えぇ…えぇ! その通りよ!」と興奮気味の洗濯洗剤に、彼女は変わらない笑みを浮かべながら答えた。
「汚らしく劣等種のエイティシックスを管理できるのは、白系種だけ、ですよね?」
「そう! 貴女はやはりよく理解しているわ!」
「なら──家畜をきちんと管理できない白系種は、豚以下の人モドキというところですか」
しん、と。一瞬で静寂が流れる。
何が起きたか分からない。そういった様相で、洗濯洗剤は目を瞬かせた。
「……は?」
「備品の管理と修繕すら満足にできていなかったのでしょう? 彼らを管理できるのは自分たちと豪語しておいて、管理不行き届きの不備の責任を被せる……なんて厚顔無恥な所業は、とても"ヒト"ならできませんから、白系種は人以下の存在ではないでしょうか? 悲しいですね」
「貴女……何を、何を言って」
「何? 私は今、同じ言語を使っているつもりでしたが、通じていませんか? 言語の理解度まで家畜以下になったのでしょうか?」
「──っ!!」
口の端を釣り上げた、明らかな挑発だった。
それでも、それがわからない怒涛の攻めに、呆気に取られていた洗濯洗剤は耳まで真っ赤にして、腕を振り上げた。
「っ、おま──」
──バチンッ、と。
乾いた音が、閑散とした室内に響き渡る。
手を振り上げたモーションを見た瞬間、思わず飛び出したライデンだったが、結果、彼に視線を移した洗濯洗剤は攻撃材料を得たのか、烈火の如く怒り散らした。
「このっ! 無礼者!! なんて穢らわしいの! こんな色付きに感化されるなんて……嘆かわしい!」
「ご気分を害されたのなら、お詫び申し上げます」
悪手を取ったライデンを一瞥もせずに、あくまで笑顔を保ちながら彼女は頭(こうべ)を下げる。が、当然、洗濯洗剤がそれで気を良くするわけでもない。
《コイツ──》
横目で彼女の様子を確認しながら、ライデンは口内で舌打ちをした。
分かっててやりやがった。
苛立ちを覚えたライデンなど露知らず、洗濯洗剤は荒い呼吸を落ち着けて、彼女に尊大な面持ちで向き直った。
「……このことは軍上層部に報告させていただきます。こちらに逃げていられると思わないで頂戴。親類とも死別した貴女なんて何の後ろ盾もないのだから」
死別、という単語にライデンが彼女を見遣る。しかし、彼女は変わらず前を見据えていた。
不気味なほど口角を上げた、その作り笑顔で。
「ミリーゼの御令嬢がいるのだから、貴女なんて必要な」
「失礼ですが、代表」
酷薄の笑みから、背筋が凍るような声が発せられた。
洗濯洗剤の言に被せて彼女は淡々と、嫋やかに紡ぐ。
「私も仕事を増やしたくないのです。なので、あまり面倒なことをしないでもらえますか? そうすれば、私も何も知らないことにしますので」
「……なにを」
「慰安旅行、といったところでしょうか」
ぴくり、と洗濯洗剤の片眉が上がる。細められた彼女の瞳がその左薬指を捉えて、今度は頬がひくついた。
「代表はご結婚されていると思っていましたが、随分と懇意にされている方がおられるのですね。あぁ、少将閣下と言ってしまった方が良かったでしょうか」
「な……」
「共和国内だと何かとその、場所も限られますから、連邦はさぞ居心地が良いでしょう? 人目というものは一番厄介ですから」
「あなた……何故、なんであなたが」
「……ひとつ、良いことを教えて差し上げます、代表」
ゆったりと、一歩近づいた彼女は、内緒話をするように囁いた。
「私の"目"は、見ていますよ」
ひどく冷然とした視線と声音。
二度はないぞと警告する冷徹さに、洗濯洗剤は生唾を飲み込む。近づいた彼女から距離を取ろうと後退り、わなわなと肩を震わせたが、旗色が悪いことを察したのか、物言いたげな口を引き結ぶとすごすごと走り去った。
去り際に、「穢らわしい」とライデンを横目で睨みつけるのを忘れずに。
くだらない、とライデンは嘆息する。
「色付きを見たくねえなら来るなよ……て、ちょっと待てお前!」
去りゆく背中に吐き捨てたライデンは、しかし目の前の彼女が無言で歩き始めたため、慌ててその手を取った。ぐっ、と力を入れれば折れてしまいそうな、細い手首を握る。
ゆらり、と彼女の鋭い眼光が、彼を射抜いた。何のようだと雄弁に語る視線に、ライデンはしかし居竦まることなく、同じように彼女を睨みつけた。
「さっきの、なんだよ」
「洗濯洗剤を返品しただけだ」
「そうじゃねえ」
ちがう。聞きたいのはそんなことじゃない。
明らかな挑発。分かっていて敢えてやっていたその、行動についてだ。
「わざわざ煽って、殴られてやる、、、、、、必要がどこにあった、つってんだよ」
洗濯洗剤の掌が振り上げられた時、彼女の視線はその軌道を"追えていた"。つまりは、避けようと思えば、容易く避けることができたはずなのだ。
けれど、彼女は敢えて打たれた。
「……貴官には関係がないことだ」
ライデンの問いに、彼女は視線を僅かに逸らす。打たれた左頬は僅かに赤らみ、指輪が当たったのか、赤い線が走っていた。
苛立ちが、さらに募る。
「あぁ、関係ねぇよ。ただ気に食わねえだけだ」
頑として自分を見ようとしない彼女に、ライデンは吐き捨てる。
「贖罪のために慣れねえ仮面を何年も被る馬鹿の気持ちなんざ、分かりたくもねえよ」
「っ、」
僅かに見開かれた瞳。けれどすぐに、仮面は深く被られる。
素顔を見せないように、決して本心を悟られないように殻に籠る、その姿にライデンは奥歯を噛み締めた。
気に食わない。気に入らない。
「自分は白ブタだから憎まれて蔑まれるべきで、俺たちと共にいることはできないなんて本気で、今も考えてるならアンタは大馬鹿野郎だ。アンタの隊の連中が、アンタをどれだけ」
「ライデン」
「どうしたの?」
背後から掛けられた声に心臓が跳ねる。ヒートアップしていたせいで、周りが見えてなかった。
振り向けば、セオとアンジュが目を丸くしていて。
「なんか大きな声聞こえるから喧嘩かと思ったら、まさかのライデンの声でびっくりしたよ」
「あー……わりぃ。ちょっと、な」
「ちょっと、て……。喧嘩するようなこと最近なかったと思ってたけど。えっと、そちらは確か」
二人の目が自身に注がれた彼女は、くい、と手首を引く。反射的に、ライデンは掴んでいた手を離した。
「すまない、失礼する」
表情を伺わせないように下を向いて、彼女は足早に三人の横を通り過ぎる。
再度、その手を掴むことは、できなかった。