ある佐官と青年の──
商業区として栄えた行政区の一角。生体反応など一つとしてない灰色の街を斥候型が、近接猟兵型が、自走地雷が闊歩する。
元は国外企業の大規模誘致を目的に開発された行政区画。整然と立ち並ぶビル群はもはや芸術と評されたほど、シンメトリーが美しい。それが幾重にも並ぶのだから、八十六区内でも類を見ない都市景観となっている。
区外から来た者たちは口を揃えた。
ぜんぶ、おなじ。
同じようなデザイン性の建物が、これまた似たような道路の両脇に等間隔で並べば無理もない。各道路に名前はつけられても、初めて来た人間には目印にすらならなかった。
似たような景色を拝める廃墟の都市に、しかし今跋扈するのは白い豚ではなく屑鉄で。ある種、人の営みを感じにくかった近未来的な都市景観に合っているとも言えた。
斥候型が、近接猟兵型が、メインストリートを整然と歩く。雲ひとつない夜に、星雲の輝きを受けて。
そのレギオン達の中心で、一機の戦車型が、光学センサーを鈍く光らせた。
*
名前は、個人を識別する記号だ。人類という種族の中で、個を認識するための道具でしかない。
『ライデン』
それでも、名前を伝えることに人は意味を見出す。
幼き時分、まだ少年の面差しが色濃く残っていたであろうその時、ライデンは彼女と出会い、そして伝えた。たった三度しか出会わなかった彼女に、自身の名を伝えた。
深い意味はないと言ったらそれまでだ。
けれど意味を見出すなら、自分は純粋に彼女を気に入ったのだろう。不器用で、けれど真っ直ぐな瞳を。己の罪を自覚しながら、それと向き合おうとする愚直さを幼いながらライデンは感じ取り、そして応えた。隔意を示しながら、それでも、と。
『また、どこかで』
そんなライデンに、柔らかな微笑で彼女もまた伝えた。また、なんてエイティシックスには似合わない言葉を彼への花向けとして送った。
次があるか分からない。明日すら見通せない。その絶望の日々を理解しながら、けれど彼女は言葉に込めたのだ。
あれは、祈りだ。
行き着く果てが、いつどこかなど分からない自分への、祈りと願い。
どうか、果てることのない明日があり続けてほしいという彼女の願いだった。
「──ライデン、大丈夫か」
「……ん?」
「心ここに在らず、て感じだよ。本当に大丈夫?」
「あの少佐と一悶着あった時からよねぇ」
「え!? なに、ライデン! なんかされたの!?」
「クレナ、落ち着きな」
格納庫で横一列に並び、機体準備までの短い時間を待っていたライデンに、興味津々と言ったクレナの視線が向けられる。好奇の中に案じる色が見えるのは、少佐、が白系種であるからだろう。「何もねえよ」と乱雑に頭を撫でれば、クレナは不満げにライデンを睨め付けつつしかし大人しく「なら良いけど」と口を窄めた。
任務前に考え事などらしくない。レーナを想うシンが死神とはかけ離れたトンチキになるのを目の当たりにしてきた自分が、まさか同じように他人に心配されるほど腑抜けていたなど。
ひとつ息を吐いて呼吸を整える。集中しろ、と己を律した。
和気あいあい、といった様相で、各隊のそれぞれの僚機に隊員は乗り込んでいく。いつも通りの日常の中で、しかしライデンの視界に入ったのは、彼女だ。
レギンレイヴの搭乗員に支給されるライフルを担ぎ、コックピットに乗り込んだ彼女の視線がふと、ライデンへと向けられる。
無感情、無感動、仄暗い瞳がライデンを捉え──
(なっ……)
一瞬、その瞳が虹色に見えた気がして。
けれど、直後に視線は逸らされ、鈍い音を立ててハッチは閉じられた。
『今回は北部行政区の中でも商業区として栄えた、高層ビル群が乱立する地区です。ブリーフィングでも説明しましたが、想定される敵の潜伏総数、位置が分かるまで単機突入はくれぐれも避けてください』
再度、知覚同調伝えられるレーナの指示に応答はない。
須臾に各隊は、言わずとも分かる、と言わんばかりに飛び出して、状況を開始した。
シンの異能とこれまでの戦闘からレーナが計算した敵部隊の主力総数、想定されるレギオンの構成と電子地形データを基に、潜伏レギオンを炙り出しながら、自動工場から生産されたレギオンを屠っていく。頭に響く悲鳴、哀哭は意識の外に追いやって淡々と、目の前の敵に機械的にトリガを引く作業はいつものことだ。
その中で,スピアヘッドとヘイムダルは、先遣隊としてメインストリートと周辺建造物のレギオンを掃討していた。
『だるいなぁ。何匹いるの、これ』
『無駄に数だけいる上に、遮蔽物が多いから厄介ね』
『ほんとほんと。射線通る所探すの面倒くさい』
いつも通りの任務。特筆すべき敵影もない、ほぼカモ打ち任務に戦隊員が辟易とした声を出す。
しかしそれはエイティシックスならではの会話で、歴戦の猛者だからこその余裕だ。
あと数分もすれば、レーナの分析結果が出て、前進機と斥候型の潜伏場所と規模が算出される。
いつも通り、いつもの任務、その最中に。
───その声は、聞こえた。
《会いたい》
ひどく哀切が込められた、声が、知覚同調越しに隊員の耳朶を、打った。
何かに縋るような、万感の想いを吐露するような、ひどく、ひどく切なく、胸をかきむしられるような、声が。
悲鳴でも哀哭でもなく、死への恐怖と絶望でもない。
ただ、誰かを想うような切なる声が。
『各員、警戒しろ。方位七〇、距離一五〇〇にいるのは……《羊飼い》だ』
『──総員、今から斥候型と前進機の潜伏予測地点を送ります。スピアヘッドとヘイムダルは迎撃を』
その声を切り裂くように、シンの怜悧な声が、レーナの凛然とした声が情報を伝達する。
感情が不要な戦場で、けれど人間よりレギオンの方が情感豊かな声を出す、おぞましさ。
それに慣れ切っている隊員達は、指示に応じるように僚機を疾駆させる。歴戦のエイティシックス達が目の前の小隊、中隊を着実に狩る中──
『……っ、隊長!!』
刹那、ニコの焦慮に駆られた声が耳朶を打ち、次いでモニターに映ったのは隊列を飛び出した《レッドウルフ(レイネシア機)》のブリップだ。
戦隊長があろうことか、自隊を置き去りにして前へと出た。
ライデンが瞠目している間にも、ブリップは真っ直ぐ、待ち伏せしていたレギオン二個中隊の、その後方、中央に位置する戦車型──指揮官機へ向かった。猛然と、他の追随を許さない勢いで。
あまりにも無謀で、馬鹿げた、指揮系統を無視した行動に思わず呆然とする。
が、すぐに状況を把握したのは、第八戦隊だった。
『こちら《ペルセウス(ニコ機)》。隊長機を援護する』
『おい待て! アイツは』
『どちらにせよ、両翼から叩くつもりだった。《レッドウルフ》が何のつもりかは知らないが、単騎で囮になるなら好都合だ。こちらは右翼を叩く』
抗議の声を上げたライデンに被せるように、状況把握したシンが冷徹に伝えれば、ニコは同じように、淡々と返す。
『分かってる。……《ペルセウス》から各員、《レッドウルフ》を援護しつつ左翼の斥候型と近接猟兵型を削ぐ。いいな?』
『了解』と言下に返した各員は、《ペルセウス》の指示を受けて散開する。即座に順応する性質はエイティシックスとして戦場を駆けてきたからこそだ。
逡巡と焦慮は何よりの毒だと彼らは嫌というほど知っている。隊長機の離脱など、彼らは"いくらでも"見てきたのだ。
隊から離れゆくブリップを一瞥し、ライデンはかぶりを振る。
今は、考えるな。
思考を止めれば待つのは死だ。
獲物を狩る猟犬の瞳を細めて、ライデンは目の前の屑鉄に照準を合わせた。