ただいま



 銀の瞳と髪が、揺れる。砂埃を含んだ風が凪いだ。
 林立する建物群の側で朽ちた戦車型を、ただ佇立して見つめる瞳は切なげに細められて。
 氷の表層は崩れ落ちて、そこにいたのはただの、白系種だった。
 華奢な体躯に似合わない対装甲ライフルを手に、彼女はただ、黙する戦車型を見つめる。深い哀の色を帯びた双眸と、僅かな微笑を湛えて。弔いたい相手を屠り、嘆きも泣きもせず、彼女はただ、《彼》を静かに見送った。
 泣きたければ、泣けばいいものを。
 胸に抱いた想いは、しかし直ぐに違うと否定する。
 泣けないのだ、きっと。
 彼女はもう、既に一度、見送ったのだから。
 だから、泣きたくても泣けない。
 むしろ、送るのなら泣いてはいけないと自戒するように、彼女は努めて微笑みを保っているようにも見えた。
 その姿は、ひどく美しく同時に。
 
 ひどく──寂しく、彼には思えた。

     *

 北部行政区『商業区』の奪還任務は、独立機動打撃群、第一機甲グループの目覚ましい働きにより、つつがなく終了した。今後、以北の行政区に関しては共和国正規軍と連邦軍の混成連帯が担う運びとなり、連邦と共和国とを行ったり来たりをしていた独立機動打撃群も、晴れてようやく共和国から帰ることができる。部隊員全員が、息苦しい場所からやっと羽を伸ばせると浮き足立っていた。

「……ミリーゼ大佐、今なんと」

 しかし、佐官に割り当てられた特別会議室内で、レイネシアは氷の表層に怪訝の皺を刻んで目の前の歳下の上官を凝視した。彼女の視線を受け、上官であるレーナは、ぐるりと、楕円を描いたテーブルの端で電子書類を一瞥した後に「ですので」と彼女に向き直る。

「今回の単機行動に関して、処分はありません。貴女は《囮》として戦車型を釣り、そして見事撃破しました。命令違反ではなく作戦の範疇です」

 にこりと綺麗な弧を描いた口元に、レイネシアの片眉がぴくりと動く。眇められた目に、しかしレーナは笑みを崩さない。
 ひとつ、レイネシアは嘆息した。

「……詭弁に過ぎません。私は戦隊員を危険に晒しました。罰は必要です」
「……そうですね」

 硬い声音で進言する彼女にレーナは暫し考える素振りを見せた。
 が、直ぐに目尻を緩めて、茶目っ気を込めて問いかける。

「でも、もう十分に罰を受けられたんじゃありませんか?」
「……何を」
「あの子達の涙は、相当堪えたのでしょう?」
「………」

 言葉を詰まらせたレイネシアは、苦笑を浮かべるレーナにバツが悪くなり、視線を逸らす。
 脳裏には、先だっての記憶。《羊飼い》を撃破して基地に帰投した時の彼らとの一幕が甦った。


 ポケットに入れていたハンカチでこめかみより少し上にできた切り口を押さえながら、《レッドウルフ》を第八戦隊の僚機が並べられている位置に戻す。
 戦隊服の襟元を濡らす鮮血に、洗濯しないと、なんて呑気なことを考えながらハッチを開け、機外へと降り立った──刹那。

「っ、わっ!!」

 突如、体に衝撃。正確には、小柄な少年少女がレイネシアの体に、ひし、と抱き着いた。
 
「隊長の馬鹿! バカバカバカバカバカァア!」
「え、ぇ……」
「何勝手なことしてるの! 馬鹿! ほんとばかぁ!!」
「心配したんですよ! 単機で戦車型に突っ込むなんて、なんで貴女がやるんですか! ニコさんが指示出してくれなかったらどうなってたと思ってるんですか!」

 状況把握の前に浴びせられた非難の嵐に、虚を突かれて思わず閉口する。抱き着いているのは部隊の中でも年少組の二人で、無理にひっぺがすこともできずに戸惑うレイネシアの耳朶を、すすり声が打った。

「……いぎでて、よかっだぁあ」
「ほんとうに、ふざけないでくだ、さ……うぅ」

 自身の戦闘服を濡らす雫が誰のものかといえば、目の前の二人しかおらず。
 肩を震わせ、涙する部下たちに掛ける言葉を失したレイネシアは、しかし「隊長、分かるでしょう」と近づいてきた副長のニコに諭された。

「みんな、貴女のことが心配だったんです。お願いですから、もう無茶はやめてください」

 神妙な声と表情で紡ぐ彼に呼応するように、抱きつく二人の力が強まる。ぎゅう、としがみ付く彼らに、レイネシアは僅かに唇を引き結んだ。
 心配なんて、しなくて良いのに。
 自分は、ただの機械で部品で。歯車でしかないのだから利用するだけでいいのに。
 隔意を示してくれた方が良いのに──
 
「……すまなかった」

 けれど、レイネシアの両手は彼らの頭部を柔く撫でる。
 自分を慕う彼らの想いに、さしもの機械人形も拒絶を表すことはできなかった。


 ──レイネシアの苦い表情に、レーナは眉尻を下げる。駄々をこねる子どもに呆れるような、その柔らかな視線に居心地が悪くなり、レイネシアは視線を僅かに逸らした。
 分かっているのだ。
 どうあがいても白系種の自分と彼らは交わることができない──それは、自分がそうありたかっただけということは。
 四年前のあの日、失ったものの大きさに絶望し、己に枷を嵌めたのは、自分だ。交わってはいけない、部品として認識されるように心を閉ざさなければいけない、そうやって隔意を示し続けて。

「──以前、《アンダーテイカー》が首無しになって現れたらどうするか、と聞かれましたね」

 レーナの問いかけに、沈思した意識が呼び戻される。
 視線を上げれば、彼女は真っ直ぐ、レイネシアを見つめた。

「私はきっと、少佐と同じ道を歩みます。けれど、私は一人じゃない」

 穏やかな微笑みを、湛えて。

「必ず討ち果たすと誓っても、一人じゃありません。それは少佐、貴女もです」

 銀鈴の声が、紡いだ。

「ひとりじゃ、ないんですよ」

     *

 隔意を示し続けた先にあるのは、孤独だけだ。
 己が使い潰し、殺していった彼らとの隔意。己が"視て"、凡ゆる弱みを握り強請った白ブタとの隔意。
 全ての他人を利用して、使い潰して、その先にあるものなんて、ロクでもないにきまっている。
 だから、彼を討ち果たすその時が自分の最期だと。共に逝く覚悟を持っていた。
 なのに、彼女は言う。

(……ひとりじゃない)

 家族も友人も、誰をも失った自分に。
 看取って、看取り続けて、何人も何人も殺してきた自分はひとりじゃない、と。

(いまさら、そんなの)

 分かっている。自分を見る目が、機械人形としてではない人間もいるということは。
 けれど──

「……あ」
「……貴女は」

 黙考しながら歩いていると、廊下の角でばったりと。目の前に現れたのは首無しの騎士、シンエイ・ノウゼンと以下その隊員だった。八十六区の戦場を生き抜き、且つレギオン支配域を抜けて連邦に辿り着いたエイティシックスの中でも生え抜きの彼ら。
 その中で、他のメンバーより頭ひとつ抜けた彼と目が合って。

「……この前の戦闘では迷惑をかけた。すまない」

 互いに少しだけ見つめ合って、けれど直ぐにレイネシアは能面を取り繕って頭を下げる。事務的な声に、シンもまた「いえ、戦局への影響はさしてありませんでしたので」と同じ声で返した。

 ──ちがう。

 本当は、もっと言いたいことはある。あの時、サポートをしたくれた礼もまともにできていない。氷の表層で能面を貼り付けて隔意を示して、そんなことがしたいわけじゃないのに。
 けれど、月日の中で染み付いた感情を殺す術は簡単には抜けなくて。
「では、失礼します」とシンが会釈をして通り過ぎる。その後を他の隊員も続いて、最後に彼が、通り過ぎた──


《レイネシア》


 刹那、耳朶を打ったあの声が、脳裏に蘇った。

「──っ、シュガ中尉」

 弾かれたように、レイネシアは振り返り、彼を呼んだ。体のうちにかけあがった感情のままに。
 このままではいけない、と、本能が理性を凌駕して。
 しかし、響いた声に彼は応えることなく進んでいく。「ライデン、呼んでるよ。いいの?」と尋ねる小柄な少年に、軽く肩を竦めて。

「シュガ中尉っ! 待って」

 一歩、レイネシアが踏み出す。懸念を表に出して彼女を振り返るのは彼や死神以外で、尚、そっぽ向いて歩く彼に、レイネシアはもう一歩、踏み込んだ。


「──っ、シュガ君!」


 息を吸って、叫んだ彼の名前。無意識に呼んだあの時とは違う。今度はちゃんと、自分の意思で選んだ、呼び方で。
 けれどその瞬間。
 ぴたりと彼の足が、止まった。

「……さき、行っててくれ」

 必然的に一緒に止まったメンバーに、彼は淡白な声で伝えた。後ろ姿だから表情は分からない。声音にも変化はない。
 けれど、ふと銀色の髪の少女が穏やかに微笑み、面々の表情もちょっとばかし緩む。「分かった」と踵を返した死神の声は、いつも通りだった。
 足音が遠ざかり、必然的に二人になる。くるりと、彼が振り返ってそのまま歩いてくるモーションに、図らずもレイネシアの体は強張った。視線を合わせられずに下へとずらす。
 いまさら、どんな顔をすれば。
 機械人形などと言われて、他者と境界線を引き、触れ合いを拒絶してきた自分が、いまさら何を言うのか。
 視界に、彼の両脚が入る。目の前に来た相貌を見ることができずに、けれど先だっての礼すら言えていない。
 ぎゅ、と拳を握って息を吐く。早鐘を打つ心臓をなんとか落ち着けた──その時だった。

「ようやく呼んだな」
「……え」

 穏やかな、声。呆れたような口調に、自然とレイネシアは面を上げた。
 視界の先の彼が、口元を、緩めて。

「ひさしぶり、だろ」

 ──レイネシア。

「……あ」

 走馬灯のように、脳裏に蘇ったのは、まだ幼さの残る彼の記憶。毛を逆立てる猫のように自分を警戒して、拒絶を示されて、けれど最後は、そう。
 また、と伝えた。
 その明日が陰らないようにと強く願った。
 六年前に交わした、言葉が思い起こされて──

「……っ、」

 言葉に詰まり、レイネシアは俯く。胸にせり上がった情動が、虹彩モニターを揺らして目尻に雫を作った。
 生きててくれた。
 多くを見送って、失って、たくさんの死を目の当たりにしてきた中で、あの日背を向けた彼はこうして今、ここにいる。

「おいおい、泣くなよ。一応、感動の再会だろ」

 呆れ声の彼に、ふい、と顔を横に逸らして、俯き目元を隠す。
 ひとつ、息を吐いて鼓動を落ち着けて。瞬いて雫を流し切ってから、もう一度、彼を見上げた。

「その、先の戦闘では世話に……じゃなくて」
「その喋り方、マジで似合わないからやめた方がいいぞ」
「……癖だから。もうずっと、こうしてきた」

 隔意を示すため、自分を律するために己に課してきた楔は簡単には抜けない。
 それでも、今。

(ひとりじゃ、ない)

 銀鈴の声がリフレインする。
 彼と会って、今だけでも、あの時の自分に戻ろうと思えた。
 看取り続けた中でまた出会えた奇跡に、胸が詰まった。

《また、どこかで》

 六年という歳月を生きた少年を、今一度見つめる。背丈が大きくなり、青年に近い相貌となった精悍な彼に、目尻が緩んだ。


「ひさしぶり、シュガ君」


 また、会えたね、と。
 穏やかな声音で、機械人形は紡ぎ、微笑んだ。





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