隔絶する未来



少年少女達が円テーブルを囲って面を突き合わせている。数ある会議室の一番小さな部屋で、わざわざ《戦隊ミーティング》と、利用申請時に名前と用途を記入してまで防音性の高いそこを使いたかった理由。

「で、どう思う?」
「どうって?」
「何がじゃ」
「そりゃ、あぁいうことよ。ねぇ、セオ?」
「僕に聞かないでよ。てか、クレナが一番よく分かってないよね」
「私は! その……どう、て聞かれたら少し困るけどさぁ」
「なら私も困るんだけどね」
「……あの、これはいったい……」
「あ、気にしないで。クレナが人数少ないと話し合いにならない、て駄々こねるから来てもらったけど忙しいならいいよ」
「レーナ」
「あ、シン待ってください! 私は時間ありますから、だから引っ張らなくて大丈夫ですから」
「もー!! シンもレーナも! ちゃんと話聞いてよ!」

 ダンッ!、と両手で勢いよくテーブルを叩いて前のめりになったクレナに一同の視線が集まる。一同、とはシン以下スピアヘッド戦隊とマスコットのフレデリカ、何故かクレナに連れ出されたレーナだが、隊員で呼ばれていない者が、一名。

「ライデンとあの少佐のこと! 知りたくないの!?」

 防音性能の高い部屋を突っ切るのではと危惧するような高音が、室内に響き渡った。
 クレナ・ククミラの関心事はここ最近、二人の少年少女に向けられている。少年でも少女でもない年齢、というのは置いといて、彼女は二人の関係性に疑問を抱いていた。

「前は何も知らないとか言ってたのに、最近よく二人で話してるし、昔からの知り合いみたいだし、気になるじゃん」
「まあ……まったく気にならないかと言われたら違うけどさ」

 ぷくう、と頬を膨らませたクレナにセオがとりあえず同意を示す。その視線は、自然と付き合いが最も長いシンに向けられた。

「知らない」
「ほんとに?」
「知るわけないだろ。たぶん、俺が会う前の話だ」
「けど、白系種のばあさんに匿われてたとかあったじゃん。あの時の知り合いとか?」
「それならなんで知らないなんて言ったのかしら。訳ありみたいだったけど」
「昔よく遊んでいたのに、次会った時には人が変わっていた、とか……」

 レーナが推論を述べながら、その視線がおずおずとシンへとスライドする。「何ですか」と若干、不機嫌が増した声音に間髪入れず「何でもありません」と苦笑を浮かべた。
 三人寄れば文殊の知恵、ということわざが東方にはあったらしいが、三人どころか倍の数いても建設的な議論にもなりはせず、ああでもない、こうでもない、と好き勝手な推論が飛び交う。
 休日だからと時間を気にせずやいやい言い合う面々に、おやつとしてチョコレートを食んでいたフレデリカがため息交じりに一言。

「おぬしら、直接聞けばよかろう」

 最年少のもっともな意見に、しかし一堂は揃って口を噤んだ。
 それができたら苦労しない。
 表情に込められた苦い思いに、フレデリカが再度、大きくため息を吐いた。


「──で、あのシュガってやつは、なんなの」

 別の会議室でも似たような話し合いが繰り広げられているとは露知らず、《ヘイムダル》の各員もまた、神妙な顔で円テーブルを囲っていた。重大な作戦会議と言わんばかりの相貌で、しかしテーブルの真ん中にはちゃっかり茶菓子がある。つまりは、大して重要でもない会議だ。当人たちは大真面目だが。

「なにって、隊長の知り合い以外何があるんだよ」
「そんなこと分かってるわよ! 問題は、なんであんなに仲良さそうなの!」

 信じられない、といった形相で頭を抱える黒髪黒目の少女、アヤメ・スオウに、黒髪碧眼の少年、イオリ・シンジョウが嘆息した。他の面々も同様だが、かといって邪険にしない程度には関心はあるため、少女の話に付き合ってはいる。
 アヤメや他隊員が知る彼女、レイネシア・フォンベルクは、機械人形、と揶揄されるほど表情が変わらないハンドラーだった。輸送部隊として来た白系種に対しても自分たちに対しても友好的な態度は一切見せずに、ただ己の職務を遂行するためだけに生きているような、人形。屑鉄かよ、なんて謗った隊員もいたほどだ。今、八番隊にいるメンバーも、最初はその冷徹さに憤りを覚えた。

「それを知ってどうするんだ」

 ──ただ、一人を除いては。
 各員の視線が淡白な声を出した一人に、ニコ・クロノスに向けられる。腕を組み、感情を読ませない表層で部下たちを見遣る彼に、アヤメが口を窄めた。

「どうもないし。ただ、知っとかないとモヤモヤするだけだし」
「ここ二、三年の付き合いなんだから、別にお前たちが知らない過去があっても不思議じゃないだろ」
「そんなこと……分かってるし」

 何を今さら、とため息を吐いたニコにアヤメが唸る。テーブルの上の茶菓子の包みで手遊びしながら、腹に据えかねる想いがあるのか、膨れて口を噤んだ。
 しばし沈黙が流れたが、しかし彼女は「けど」と続けて、紡いだ。

「隊長……最近楽しそうなんだもん」

 不貞腐れたような、拗ねたような、けれどそんなことを思う自分自身に自信がないような、曖昧な表情と声音。複雑な心情が如実に表れている。

「嬉しいよ。隊長が笑ってくれて、すごく嬉しい。けど」
「俺たちじゃ、だめだったんだなぁ、て……思わなくもないんですよね」

 眉尻を下げて寂しげに苦笑したのはイオリで、同じ気持ちだと他の隊員も沈黙で語る。
 付き合いが長いと言われればそうではない。ここ二、三年の付き合いで全てがわかるわけでもないが、それでも自分たちの信頼は伝わっている自負はあった。それが双方向かは、わからなかったけれど。

「あたしたちが知らない、よく分かんない奴が隊長の笑顔を取り戻したと思うと、なんかむしゃくしゃする」

 自分たちの方が付き合いは長いのに。
 言外に込められたやるせ無さに、ニコは「気持ちはわかるが、やはり仕方ないだろう」と諭すだけで。
 そんな彼を見遣って、アヤメは尋ねた。

「ニコさんだって嫌じゃないの? 一番古参なのに隊長とられちゃって」
「とられるって、お前な」
「だって……」

 ぷい、とそっぽ向いたアヤメは不機嫌丸出しだ。嬉しいけど気に食わない。自分が好きな人というより、大切な家族を知らない誰かに取られたような、不快感。
 他の面々もアヤメを諌めないのは、多かれ少なかれ同じ思いを抱いている証左だ。
 どうして、自分たちでは足りなかったのか。
 足り得ていたら、もっと頼ってもらえたのだろうか。

「役不足だなんて、思いたくないもん」

 ぽつりと、侘しげに呟かれた言の葉に、ニコは黙ってその頭を撫でた。

     *

 ギアーデ連邦首都、ザンクト・イェデル。
 前線基地からバスと路面電車を乗り継いで数時間すると、商業施設が林立する区画を抜ける。人並みを分けた先に見えてくるのは白亜の大理石で構成された建造物、行政区役所だ。連邦は首都だけも複数の行政区に分かれており、住民票の管理や移動願、各種行政手続きは区役所で受け持っている。
 大理石の支柱にもたれながら、ライデンは忙しなく出入りする行政職員や市民を見遣った。髪色も瞳の色も多様な人種が行き交う様を見るのはもう慣れたが、連邦に着いた当初は違和感を拭えなかったものだ。幸福を体現する人の営みは、エイティシックスには無縁のものだったのだから。
 ふと、視界に入った男女は、二人仲睦まじく恋人繋ぎをして区役所へと入っていった。長髪の白系種と黒髪の有色種の組み合わせで、思わず、身近な戦友と上官を思い浮かべる。重ね合わせてみると、ちょっとだけおかしくて思わず頬が緩んだ。

「おまたせ、シュガ君」

 背後から聞こえた声に、緩んでいた頬を引き戻す。「おう。終わったのか」と平静を取り繕って振り向けば、彼女は複数枚のカードを見せて微笑んだ。

「庶務に頼んでも良かっただろ。わざわざアンタがいかなくても」
「そうもいかないよ」

 バス停で帰りのバスを待つために二人でベンチに腰掛ける。雑談をしながら、レイネシアは手にしたカードを再度確認していた。表に印刷されているのは、連邦市民に割り当てられているIDに加え──ヘイムダル戦隊員の姓名、写真、住所。

「あの子達の生い立ちを含めた書類を持っているのは私だし、一応、共和国の方での保護者は書類上私になっていたから、直接話した方が早かったの」

 陽光を受けたカードが、光を反射する。きらりと輝くそれを、レイネシアは丁寧に鞄にしまった。
 彼女が区役所に来た理由は、彼らの移住申請の手続きのためだ。
 ヘイムダルの隊員は連邦保護下となった際も彼女の下におり、書類上も彼女が保護者として庇護下に置いていた。通常ならば子育て経験のない未婚者が書類上とはいえ里親登録はできないのだが、人と見做されていなかったエイティシックスである故か、彼女は若干二十歳過ぎで十何人もの"親"となっていたのだ。行政職員も度肝を抜かれたことだろう。
 連邦保護下になったエイティシックスの多くは、施設に入るか、政府高官、元貴族の養子となるかなど連邦市民としての身分を保障される。レイネシアとしては、共和国人である自分よりも連邦市民としての身分を彼らに与えたかったため、早い段階で手続きを済ませたかったらしい。
 通常なら、連邦軍の文官がエイティシックスの書類手続きの一才を担うが、如何せん、特殊な経歴となってしまっているため、レイネシア自らが赴いて説明をした次第だ。

「養育施設もエイティシックスが多い場所で退役した子達も預かっているところだから支援体制もきちんとしてるって分かったし、やっぱり自分で来て良かったよ」

 微笑む彼女はまるで肩の荷が降りたと言わんばかりの口振りで。我が子らを信頼できる施設に送り届けられたと、安心する母親のようだった。
 定刻通りバス停に着いた車両に乗り、二人揃って横長のシートに座る。車内には、軍服姿の彼女に僅かに目を見開く者、怪訝な眼差しを向ける者。それら全てを分かりながら、彼女は黙って車窓へと視線を移した。

 ──ここ最近で、ずいぶんと笑うようにはなった。

 黄昏時の陽光を受ける横顔を見ながら、ライデンは過去に思いを馳せる。
 あの日、彼女と"再会"した日以降、彼女は少しずつだが変わり始めた。隊員とのコミュニケーションも増え、一線を画した、隔意を示した拒絶の姿勢は薄れてきている。ライデンとすれ違えば挨拶を交わし、時折、食事も共にした。
 少しは、気を許されているとは思う。連邦の街にはまだ慣れていない彼女が手続きに向かうと知り、同行を申し出たライデンを、最初は断りながら結局自分から道案内を要望してきたのも心境の変化の一端だろう。
 四年の歳月で殺した感情を取り戻すように、ゆっくりと他者との交流を深めて。

(けど……"それだけ"なんだよな)

 彼女を見つめて、ライデンは僅かに目を細める。
 少しは気を許されている──それでも、拭えない懸念がライデンの心内には渦巻いていた。

     *

 基地近くの駅へと戻るため、連邦首都でも商業施設が林立する区画を歩く。目抜き通りには多種多様な人種が行き交い、語らいながら街中を散策していた。
 街を彩る連邦旗は、陽光を受けてたなびいて。市民は、時折、大型モニターで中継されるヴァナルガンドの隊列を尻目に「かっこいい」「すごい」と羨望と憧憬の眼差しを向けながら、しかし次の瞬間には時勢とは関係のない話題に切り替わる。平和を謳歌する、その姿。
 そういえば、共和国も似たようなものだった。
 街中を歩きながら、レイネシアはぼんやりと過去を追想した。華やかなメインストリートの装飾、市民の笑い声、違うのは此処は白系種も有色種も共に在ることだ。
 ふと、視線に止まったのは、白系種と有色種のカップル。仲睦まじく手を繋ぎ、寄り添いながら歩いている。ウインドウショッピングを楽しんでいるのか、女性がショーウィンドウ越しに見えるワインレッドのワンピースを指差して、男性に何か話しかけていた。
 人種の差異なく、誰もが平等の世界が、此処にはある。白系種が有色種を使い潰すことも──有色種が白系種を蔑むこともない、世界が。

「レイネシア?」

 沈思していた意識が、浮上する。真横から掛けられた声に、レイネシアは顔を向けて声の主を見上げた。

「なに、シュガ君」
「いや、なんかぼーっとしてんなと思って」
「あー……ちょっとね」

 曖昧に笑って、取り繕う。その笑顔に、ライデンは僅かに眉根を寄せたものの「そうか」と視線を外した。
 その横顔を見つめていたレイネシアの視線が、ショーウィンドウに映る自分たちにスライドする。ガラスに反射する有色種と白系種の組み合わせ。共和国の軍服をまとった自分は、とてもあの仲睦まじく笑い合う同種の人々と同じではない。
 ──同じに、なれるはずもない。

「……おいっ」
「え……わっ!」

 霧散していた思考が、ライデンの呼びかけと唐突に引かれた腕に収束する。気付けば、怪訝な顔をしながらサラリーマンがレイネシアが先ほどまでいた場所を通り過ぎた。「前見て歩け」と嗜められ、頭を下げて謝罪しつつ、レイネシアはもう一度街行く人々に視線を戻した。

「何考えてんだよ」
「え」
「街に出てからずっと考え事してんだろ」

 視線は合わさず歩きながら、なんてことはない、といった風に問いかけるライデンにレイネシアは瞬く。確信を問いながら、けれど踏み込んでこない絶妙なバランスに苦笑して、彼女は答えた。

「共和国とは本当に違うのが、なんか新鮮だと思ったの」

 もちろん、帝国の気風が未だ色濃く残る部分もある。焰紅種、夜黒種の貴族が軍上層部を占める血統主義、属領への根強い差別意識。多様な人種が住まうことと他者への寛容はイコールではない。
 それでも、目に見える迫害を容認するほど腐ってはいなくて。

「人種関係なく人の営みが続いてるのが不思議で、けど安心する」
「……安心?」

 怪訝なライデンの声に、レイネシアは頷く。

 ──この未来が、彼らにあったのなら。

「せめて、あの子たちには、いつかこんな未来があってほしいと思うから」

 ようやく行き着いた、理不尽を強いられない世界。共和国の時とは待遇が雲泥の差となった、世界。
 自分がこれからできることは、この世界で、彼らが生き続けられるようにすることだけだと、伝える世界が此処にはある。
 たとえ、彼ら(エイティシックス)にそれが望まれなくても。
 たとえ、哀れみという形を変えた差別があるとしても。
 命が脅かされることのない平和がいつか──

「未来、ね」

 恬淡な声が耳朶を打つ。レイネシアが横を向けば、ライデンは、ぴたりと立ち止まった。
「シュガ君?」僅かに逸らされた視線を合わせれば、ライデンは「アンタは、」と口を開いて。けれど、その口は直ぐに閉じられる。逡巡するように泳いだ視線は、いつだってはっきりと物を言う彼にしては珍しく。

「シュガ君?」
 
 思わず、手を伸ばす。幼子に、弟に、妹に手を差し伸べる年長者のように。

「……なんでもねえよ」

 けれど、彼はその手を乱雑に振り払った。必要ないと切り捨てる冷淡さそのままに。
 パシンと、行き場を無くした彼女の手が宙に浮く。びくんと肩が揺れて、それに気づいたライデンがハッと息を呑んだが、罰が悪そうに顔を逸らした。
 気まずい空気が流れて、二人して沈黙する。街の喧騒は変わらずそこにあるのに、何も耳に入ってこなくて。
 不快な気持ちにさせる言動をしただろうか。何か気に触ることでも。
 四年もの間、人との隔意を示してきたレイネシアは自省してみたが、思い当たる節は見当たらない。でも、明らかに彼の機嫌は下降してしまった。
 どうしよう、と。思いながら口を開いた──その刹那。


「──共和国人が」


 悪意と憎悪、侮蔑が綯交ぜになった、声が。軍服をまとう自身に向けられる敵意の声が、聞こえた。
 
     *

 フレデリカ・ローゼンフォルトの異能は、見知った相手の過去と現在を垣間見る。
 フレデリカは、ひどく苛立っていた。腹の内から湧き上がる不快感に、一言、いや二言でも三言でも、いくらでもなじってやりたいくらいに、腹が立っていた。

「そなたは、いつまで業を背負うつもりじゃ」

 だから、フレデリカは苛立ちを隠しもせずに、そのまま相手へとぶつけた。昼食を摂り終わり、席を立った彼女に。
 彼女は、レイネシア・フォンベルクは数度瞬いた後、スゥ、とその瞳を細めた。銀の眼がフレデリカを怜悧に見据えて、唇が薄く、弧を描く。
 
「……覗き見は良くないよ」
「あんなもの、見なければ良かったと思うたところじゃ」

 フレデリカとて、見たくて見たわけではない。
 戦隊員の移民申請を終えて帰ってきた二人が、妙に距離があり、ここ最近の距離の近さから急にまた離れたことが多少気になって。
 だから、少しだけ覗いて、あわよくばいつも自分を子ども扱いするママを揶揄ってやろうかと思ったのだ。
 朝方出会った時に、意味深に、何かあったのかと口の端を上げて彼を見上げれば、さて見たこともない赤面でもしてくれるかと。
 そう、思ったのに──

「エイティシックスの失った命は己が罪だと、いつまで贖う気じゃ。終わりがないことなど分かっておろう」

 垣間見た彼と彼女の過去に見えた、名も知らぬ連邦市民の憎悪の瞳。それが真っ直ぐ向けられていたのは、共和国人である彼女で。
 その瞳と、何事かを紡いだ唇に彼女は何を言い返すでもなく、けれどすぐに瞼を伏せた。唇を引き結び、物言わぬ人形となった彼女に、フレデリカは忿懣を抱く。
 それで更に、見たのだ。エイティシックスの少年と笑う彼女を、その少年の死に直面して絶望する彼女を。
 絶望の果てに感情を殺し、機械人形に徹して己を使い潰したハンドラーの、その哀れ。
 そして、"それ"に囚われ続ける愚かさに、湧きあがったのは憤りだった。

「おぬしが何をしたところで戦局が変わるわけでも、エイティシックスが助かるでもなかった。それを己が罪だと、謗りに黙するなど傲慢がすぎるぞ」

 自分の罪だから、だから他人にそれを指摘されても言い返さない。それが、たとえエイティシックスと関係のない、ただの外野に過ぎない輩でも。
 その、ある種自身に無頓着な様がフレデリカは気に入らなくて。

「それでも……いや、だからこそだよ」

 けれど、彼女はゆるく首を振った。伏し目に確固たる意志を灯して、紡ぐ。

「その命の上に立っていた人間だからこそ、私は、仕方ないで済ませてはいけない……それは、してはいけないから」

 たとえ、無関係の人間であっても、事実は事実として受け止めなければと、訴える。
 
「命が掛かっていた事柄に対して、その命を奪える立場にいた人間が仕方がないなんて言ったら、いずれまた同じことが起きる。誰かに、仕方なかった、と言われても、自分自身がそれを受け入れては、いけないの」

 戦争だから、命令だから、自分はやりたくなかった、自分も被害者。
 そうやって、まるで自分こそが犠牲者だと言わんばかりの傲慢が、幾度の惨禍を招いてきたかは歴史が証明している。

「私は、自分の罪すら認められず、逃げる愚者にだけは成り下がりたくない」

 拳を握り締めて、過去を追想するように瞑目した彼女に、フレデリカは短く嘆息した。
 分かっている、理解できる。仕方ないで済ますにはあまりに犠牲は多く、故に、自戒は必要と。
 それでも、フレデリカには看過し難かった。
 "それ"を、認めることだけは許さないと心が叫んだ。

「たわけが。己が罪を自覚することと、それに囚われるのは、わけが違うわ」
「……どういう意味」

 警戒するように細められた瞳に、フレデリカは確信する。故に、口調は怒気を僅かに孕んだ。

「おぬし、"安心した"じゃろ」
「……なにを」
「共和国人と謗られたことじゃ」
 
 ピシリと、彼女の表情が硬化した。
 フレデリカの目が、鋭く彼女を射抜く。心の奥底に隠したものを、暴くように。
 目の前の彼女は、"囚われて"いるのだ。あの壁の中の過去に。
 隔意と侮蔑。自分たちとは違う異形種を見るその目。迫害者を蔑み、自らより下の劣等種と罵る言の葉に、何一つ返さないことはその証左だ。

「かつて共和国がエイティシックスにした仕打ちと同じ目を、己に向けられたことを受け入れているのではない。おぬしは、安堵しているのじゃ」

 ──おぬし、笑っておったじゃろう?

 睥睨すれば、彼女は息を呑んだ。突きつけられる事実にフレデリカを凝視して、けれど視線を力無く逸らす。
 笑っていた、その通りだと。
 なぜ、なんて決まっている。
 認めた相貌に、フレデリカは嘆息し、諌めた。

「おぬしの言う通り、仕方ないと目を背けることは己が罪と向き合わぬ、愚か者のすることじゃ。じゃが、他者の下らぬ義侠心を満たすための人形になることを是とするのなら、おぬしは大馬鹿者じゃ。たとえ、己を罰する何かを求めていたとしても」
「……」

 失わせた命への償いのように、己の心を殺して、己の罪に囚われ続ける、ある種の異常性。
 けれど、それは彼女一人で済む問題でもない。

「分かっておるじゃろう。同じヒトを、己と違う者と見做す目がどれほど人を盲目にするか。共和国の狂乱を見てきたおぬしなら、連邦の者がおぬしに向けた目の先にある危うさを、分かっておるはずじゃ」

 かつて、共和国人がエイティシックスに向けた目と同じ。己の行為が当然だと信じている、妄執に囚われた瞳。
 迫害者なのだから、当然だろう、と。
 正義と信じ、他者を不正義を踏み躙るそれが、愚行と気づかぬ危うさ。

「人は不正義を好む。己が正義を満たすために他者の瑕疵をあげつらい、糾弾する。その先にあるのが、絶え間ない争いだと気付きもせずに。それを理解しないおぬしではあるまい」

 小さな火種でも、燻り続ければやがて大火となる。
 いずれ、仮に、この戦争が"終わった"時、連邦と共和国との関係が今よりさらに冷徹になるその一助にでもなるつもりか、と。
 冷徹のその先にあるのは、新たな戦禍となるやもしれないのに。

「……本当に、貴女はよく見ている」

 ぽつりと、溢れた小さな声。人が出払った食堂で、二人沈黙の時間がしばし流れる。
 静かに佇む彼女に、フレデリカは肩を竦めた。

「……分かっておるなら、それで安堵するなど、決してするでない。先のことを考えるなら、なおさらじゃ」

 彼女は、愚かではあるが、頑迷ではない。己と他者の関係を、社会に与える影響を加味できない幼児でもない。
 諌めるフレデリカに彼女は、目を瞬かせる。

「さき……か。うん、そうだね」

 そして、淡く、その口元が緩んだ。
 朗らかな笑みに──しかしフレデリカは。

「"ちゃんと、考えないとね"」

 ぞくりと、背筋が粟立った。
 笑う口元、穏やかな瞳、形作られた相貌は確かに、以前とは違う柔らかさをまとっているというのにその声音は──

(こやつは……)

 どこか、他人事で。
 言葉とは裏腹に、自分とは無関係とは言わんばかりの、感情が薄い。
 己に対して圧倒的な無関心が、狂気が垣間見えた。





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