機械人形と小鳥
晩春というのにはらはらと雪が降り積もる銀世界。希望の象徴たる光を失った連合王国の末路とも取れる、寂寞が支配する。
レーヴィチ要塞基地に到着したレイネシアは、格納庫へのレギンレイヴの移送手配と大隊長への今後のスケジュール説明等の事務的な仕事を済ませ、外壁部に来ていた。
巨大な要塞の上部からぐるりと方位を見渡す。ホログラムや電子地図で数字データとして基地周辺の地形は把握していたが、目測も怠らないのがレイネシアのやり方だ。実際に見るのと、見ずに指揮するのとでは肌感覚が違う。
八十六区では、隊員の目で視ることができていた。これを、レーナは哨戒報告書と電子地図だけで正確な指揮をやってのけていたのだから、彼女の能力はやはり群を抜いている。圧倒的な分析、空間・状況把握能力と判断力。自分にはない、カリスマ性だ。
(ほんとうに、良かった)
彼女という稀有な存在が後進として出てくれたことは、僥倖以外の何物でもない。部隊指揮を離れて、戦場に身を置いても問題がなくなった。
たとえ、自分がこの先いなくなったとしても──
「──ノウゼン大尉?」
物思いに耽っていた思考は、ふと視界に入った彼によって中断される。視線の先にいたのは開閉ハッチを開けて外へと出てきたシン。
眼前にいるレイネシアに気付くと、彼はひとつ会釈した。
「そういえば、戻るのは今日だったね。おつかれさま」
「いえ……少佐は、下見ですか?」
「うん。私はレーナほど管制能力がないから少しでも見ておきたくて」
眼下に広がる断崖に視線を戻して苦笑する。隣に立ったシンもまた、外壁部から見える景色を確認している様子だった。総隊長として作戦前の下調べといったところか。
「要塞としては堅牢ですが、守りに入ると厄介そうですね。補給が難しい」
一帯を見渡したシンの見解に、レイネシアも頷く。
自然の岩壁を利用した砦は確かに堅牢だが、シンの言う通り、堅い守りは補給があってこそだ。ぐるりと一帯を谷底に覆われた基地では一度守りに入っても補給路を確保できない。
「レギオン相手に持久戦なんて考えたくないよ。こっちはあいつらと違って替えが効かないんだから」
意思も命もないレギオン。壊れれば替えの部品が補填されるが、人間はそうはいかない。持久戦に持ち込まれてジリ貧なのは人間側だ。
「ノウゼン大尉も無理は禁物だよ、けっこう無茶な動きするんだから。死んだら元も子もないよ」
少しばかり説教じみたのは、脳裏にチラついたレーナの悲しげな相貌が影響したのだろうか。
どれだけ共和国人自分達とエイティシックス彼らの間に壁があっても、共有できない価値観があっても、生あればこそ、だ。死んで残るのは、思い出という心を蝕む痛みだけ。楽しい、嬉しい。共有した感情は分たれて、独りぼっち。
だから、自分の身は大切にしろ、なんてことを宣ってしまったけれど。
「……貴女もレーナも、どうして俺達のことを気に掛けるんですか」
ぽつりと、シンから溢れた問い掛けに、レイネシアは瞬く。見れば、シンは視線を合わさず、真っ直ぐ岩壁を見つめながら紡いだ。
「戦場に身を置いているのに、どうして先を見るようなことを促すんですか。どうして……」
言いさして、けれど口を噤む。分からない、と。理解できないと引き結ばれた唇が物語っていた。その姿に、レイネシアはレーナとの会話を思い出す。
世界は醜悪なだけじゃないから、明日を見てほしい。そう願った少女の願いに彼は戸惑っている。
世界は、そういうものだ。事実、醜い。
なのに、どうしてと。彼はきっと、その答えを探し続けているのだろう。
哀しむ少女の横顔を思い起こして、レイネシアは、ふと、微笑んだ。
「それは、ノウゼン大尉も同じでしょう?」
「……同じ?」
眉根を寄せた彼に、レイネシアは頷く。
「その問いを私にするのは、レーナの未来(さき)のことを考えているから」
一瞬、彼が息を呑む。しかしすぐ、「っ、違います。俺は……」言下に返して。
けれど、その先は続かずに言葉に窮した。否定しても、自分でその理由が分からないのか、レイネシアを見遣った視線は直ぐに逸らされる。揺らぐ血紅の双眸に、レイネシアは瞼を伏せた。
違うと否定しながら、それでも彼は否定しない。レーナの在り方を、レーナの言葉を、彼は絶対に否定できない。
優しいから。レーナと同じで、シンもまた、ひどく優しい。世界に向ける諦念を、レーナに向けられない。凍てつく、血紅の瞳で見下ろして違うと切り伏せることもできるのに、それをしない。
「君は、君たちは……優しいよ」
微笑むレイネシアに、シンは応えない。否定を体現する彼に、けれどレイネシアは彼女を重ねた。
人を、世界を見限る彼を哀しいと彼女は言った。
そんな彼女を理解できなくても、それで終わりにしたくない彼がいる。
彼らの想いは、双方向だ。
自分とは……違う。
「私は、ただ一方的に私の理想を押し付けているだけ。けれど、レーナと君は違う。互いが互いの想いを理解しようとしている。私とは違うよ」
血紅の瞳が、惑うように揺れた。
*
──子どもを見守る親のような眼だと思った。
母の腕かいなに抱かれた感覚も、その眼も朧げな自分が分かるのかと言われれば違うかもしれないが、シンはたしかに、彼女の瞳の中に慈愛を見た。子どもを見守る、妹や弟を見守る、そんな眼。
「……俺は、俺たちは貴女達と違う。他人を想うなんて知らない。むしろ切り捨ててきた。生きるために」
居心地の悪さに、シンは吐き捨てるように返す。
自分を、優しい、と評する彼女に抱いたのは違和感と拒絶だ。
エイティシックスを率いた彼女なら知っているはずだった。生きるために仲間を切り捨てる酷薄さを。刹那を生きるから、他者の死に囚われない無情さを。レーナと同じ景色を見てきた彼女なら、自分たちの獣性を理解しているはずなのに。
どうして、そんな眼を向けるんだ、と。疑問を口にしないシンはしかし、耳朶を打った問い掛けに慄然とした。
「じゃあ──レーナを切り捨てられる?」
一瞬、言葉に詰まった。問われた内容を咀嚼できなくて、目を瞠る。
彼女は、そんなシンに更に問いを重ねた。
「この先、レーナを切り捨てる選択を迫られた時、貴方はそれができる?」
「それは、」
できる、と以前のシンなら言えた。果断なく、須臾に、切り捨てられた。
自分は置いていかれる人間だから。切り捨てて、残る人間だから。それが誰であっても、できるはずだ。
けれど、問い掛けにシンは頷けなかった。考えられるその未来を、想像すら脳が峻拒した。
「できなくていいの。ノウゼン大尉」
思考を止めたシンに、ひどく柔らかな声が掛けられる。交錯した視線の先で、彼女は泣きそうな、哀しい微笑みを浮かべていた。「できなくていいんだよ」と、彼女は再度、紡ぐ。
「この先、君が生きることがレーナの望みのように、レーナが生きることは君の望みだと私は思う。だから、自分のその心を忘れないで」
微笑んで、紡がれた言葉はひどく優しく、だからこそ、シン死神には残酷で。
「自分が、誰かを大切にしているという心は、忘れないであげて」
忘れてしまった温もりが自分にもあると語る彼女に、シンは戸惑いを隠せなかった。
話したこともあまりないお前に何が分かるのか。憤然と吐き捨てられないのは、彼女の言の葉に願いのような想いが滲むからか。
閉口したシンに、彼女は眉尻を下げ、視線をはらはらと雪が舞い落ちる上空へと向けた。
「レーナとすれ違うことはたくさんあると思うけど、全部、お互い生きてないとできないことだから。だから、時間がある時に話すと良いよ」
「阻電攪乱型が夜にはいなくなるから、観測塔に登ってみると良いかも。星が綺麗だよ」と茶目っ気混じりに告げると、彼女は背を向けてハッチへと引き返す。
帰る背中を見つめていたシンは、ぽつりと、問いかけた。
「……貴女には、いないんですか」
ぴたりと止まる、足。揺れた肩をシンは真っ直ぐ見つめる。
「自分が生きるための誰かは、いないんですか」
自分にとって生きる意味がレーナで、レーナもまた、それを望んでくれている。
まだ自分には幻想でしかないそれを、彼女は真実のように語った。
なら、この人は。
この人には、いないのだろうか。
海を見せたいと自分が思うような、そんな誰かが。
《置いていかれたくない》誰かが。
「……風邪、引かないようにね」
シンの問い掛けに、しかしレイネシアは、応えなかった。寂しげに紡がれた言の葉は、寒風に消える。
歩き去る彼女の背に、シンは言葉をかけることは、できなかった。
*
小鳥達が囀りながら、体を散らしていく。可憐な小鳥達は、微笑みながら鉄に呑まれていく。
生ある者の、逡巡も葛藤も恐怖も拒絶も知る由もない小鳥達は、狂ったように戦場を駆ける。駆けて、狩って、潰されてひしゃげる、その異様。
小鳥達は、可憐な乙女の姿で、しかし人の持つ生命を持たず、ただ機械人形として先陣を切る。
それが、己の使命と体現するように──
誰も彼もが、死人のような顔をしていた。生気が失われ、摩耗した精神を体現するように皆一様に口数が少ない。さらに晩春の人工的な厳冬が、体力も奪っていく。
(これは……)
体を休める隊員たちを見遣って、レイネシアは眉を顰めた。雪原用の大型車両の中にいた幾人かはレイネシアに空元気を見せたため、労った後に、小雪降る外へと出る。
──レーヴィチ要塞基地がレギオンに奪取され、攻城作戦の展開が告げられて数日。ベルノトルト以下、砲撃兵装中心の二個大隊は挟撃のため進軍してきている重戦車型・戦車型の混成、約八千輌を遅滞戦闘で足止めしている。対するシン率いる大隊部隊は、攻城のために約百メートルの断崖をよじ登る作戦に当たっていた。
しかし、進むも退くも地獄の現状で、アルカノストとジャガーノートは日に日に損耗している。攻城のために断崖を登ろうとしたところで、自走地雷の文字通りの突貫作戦に不用意に近づけもせず、攻めるはずが守りに入るザマだ。疲れを知らぬ屑鉄に対して圧倒的に不利な、人間。
(……なりふり構ってられない。部隊士気も落ちてる)
籠城戦は圧倒的に籠城側が優位だ。故に古来から、難攻不落の城を攻める際には兵糧攻めが鉄則だった。徹底的に補給を断てば良い。
けれど、今回は城の中に救出要員がいる上に、補給を断たれて早々に限界が来るのはこちらだ。攻める以外の選択肢がない。
脳内で幾多のシミュレーションを叩き出しても解決策が思い浮かばず、思考が鈍化する。疲労の蓄積は正常な判断を狂わせる。
「まだお休みになられぬのか」
ひとつ嘆息したところで、背後から声がした。ザクザクと雪を踏み締め近づいてきたのは、姿形は少女のソレ。
「……レルヒェ」
「あまり根を詰めますと支障が出ますぞ。警戒監視は我らと死神殿の異能で十分と思われれば」
嫋やかに、レルヒェが笑む。本物の機械人形の笑みはまるで人のような精巧さだが、その温度は死人と同等だ。
寒さに手を擦り合わせる己と違い、目の前の少女には当たり前だが防寒具すらない。はらりはらりと舞い落ちる雪が積もっても身じろぎひとつしないのは、寒気の中での戦闘続きの今は少し、羨ましい。
死者の体温は、低く、冷たい。
「……アルカノストの損耗率はプロセッサーと比べものにならない。軽減のための策もない現状をマシにするくらいのことは考えたくもなる」
「我らの心配など不要と通達はあったはずですぞ。我らシリンは人に非ず。人々の盾となることこそ本望だと」
レルヒェが朗らかに笑む。己達を使い潰すことを、可憐な笑顔で推奨する。
その笑顔に、レイネシアは首を振った。
「バックアップデータがあるからといって、無為に壊すのは効率が悪いでしょう。前線に予備機があって再生産が効くとはいえ、レギオンほどの生産量は見込めない」
「しかし、替えの効かぬエイティシックスの皆様と我らは違いましょう?」
「………」
沈黙は、肯定だ。
アルカノストの損耗率は確かに高い。けれど、レイネシアにとってそれはある種、不幸中の幸いとも言えた。生身の人間、エイティシックス達の損耗率は彼女達ほどではない。
「ひとつ、よろしいですかな」
半身を前に出して、レルヒェはレイネシアを正視した。人とは違う、人工物の翠の瞳が見据える。
「先の戦闘を見ていても、赤狼殿は死に慣れていないように思われる。果断なく切り捨てられるエイティシックスの皆様とは違い、逡巡が刹那に入る」
唐突な指摘に、レイネシアは言葉に窮した。
言下に何も返すことができなかったのは、図星だからだ。口を開こうとしても、何も思い付かなかった。
死に、慣れていない。八十六区でプロセッサー達を使い潰し、大攻勢で数多の白系種が縊り殺され、尊厳を奪われたなれ果ての姿になるのを見てきて尚、慣れていない。
理由は、分かる。
自分は、見てきただけだから。
戦場の一瞬を、自らの手で感じたことは、なかったから。手を伸ばせる位置にいたことなどない。
けれど──
(今は、違う)
ただ見てるだけ、感じることもできないところから、今は手が届く位置にいる。
だから、迷いが生まれる。助けられるかもと、その迷いが命取りになるのに。
彼らは、命の替えが効かないから。
「……戦場においては邪魔になると?」
レイネシアは静かに尋ねる。その思考は悪手しか生まないと分かっている、と言外に告げる声音。
しかし、レルヒェは彼女を見据え、ゆっくりと首を振った。
「いえ、故に貴殿なら、できる、と思ったのです」
訝しむレイネシアに、レルヒェは視線を据える。翠の人工の瞳が、一瞬、ひどく本物のように見えた。
「貴殿は──我らを人と見做しますか」