生死の天秤



 凄絶な死の行進に身体が震えた。命を命と思わず、ただ使い潰して終わることを矜持とするその姿に、慄き、立ち止まった。
 機械人形に生はない。命と呼べるものもないのかもしれない。けれど、自分達と会話し、共に戦う彼らを屑鉄と同じ機械とは思えなくて。
 だからこそ、道を開くために己の体を潰した彼女たちに、泣きそうになった。
 同時に、戦いを矜持とするその姿に、自分達を見た。
 違うと思っても、否定しても、重ねてしまった事実は払拭できない。どうして、そんなに笑って、自らを差し出して。嗚呼、でも確かに笑いながら死んだ仲間も大勢──。

『来なさい』

 止まってしまった身体を揺り動かすように、その声はリトの耳朶を打った。レギンレイヴの光学モニターが映し出したのは、一機の同型機。
 同じ機体が、アルカノストを踏み潰した。中にいたシリンの頭部はひしゃげて、青色の液体が流れ出る。ぐしゃりと、無慈悲に、無感情に。
 踏み潰したレギンレイヴの中の人間のことを、リトはよく知らない。けれど、そいつがどんな立場の人間かは知っている。髪と目の色と軍服の色が示す、事実。
 かつて、自分達が白ブタと罵った、壁の中の人間だということを、リトは知っていた。
 

「──平気? オリヤ少尉」

 物思いに耽っていた思考が現実へと帰る。見遣れば、白銀の髪と瞳の女士官が、自分を見つめていた。
 三十分後の出撃に備え、格納庫は整備班と搭乗者の声で慌ただしい。だというのに、自分の意識は茫洋と揺蕩って、心ここに在らずなことは明白だった。
 けれど、口をついて出るのは不機嫌な声音。

「何が、ですか」
「少し思い詰めてる感じがしたから。気のせいなら良いけど、もし任務に不安要素があるなら私たちの部隊だけでも」
「別にいつも通りですけど」

 気取られたくなかった。特に、この人には。
 死ぬことも、死なれることも、本当はこわい。慣れなくて、だからシリン達の最期だって未だに脳裏に鮮烈に焼き付いている。自分達の行き着く先は畢竟、彼女達と変わらないと、突きつけられた気がして。
 こわい。
 けど、自分のその弱さを、他でもない彼女に気取られるのは嫌だから、「大丈夫ですから」と、再度突き放すように、そっぽ向いて吐き捨てた。

「俺は、俺たちは──エイティシックスだから、戦場なんて慣れっこです」

 あんたと違って。
 言外に含みを持たせる。隔意を示すのは違うと理解しながら、けれど表明する。己はエイティシックス。戦場を誇りとする生き物だと。
 決して、壁の中にいた人間とは相容れないのだと。

「……分かった」

 沈黙の後、彼女は一言、それだけを返して僚機へと駆けて行った。別段その後ろ姿に思うところはなくて、黙ってリトも見送る。走るたびに揺れる銀髪を見遣って。
 けれど、胸の奥に何かつっかえた、形容し難い感情が残った。

     *

 余計なことを言った。
 アヤメやイオリと同年代の、まだ十代半ばの子らが、あの攻城路を見て平然とできるわけがない。事実、あの後の年少の子らの書類上のミス、任務での不注意は目に余るものがあった。
 今回は、レギオンの拠点、竜牙大山攻略のための欺瞞任務だ。目標拠点への経路啓開のため、司令部が立案した作戦を気取られないための、競合区域に侵入する任務。狩りはない、比較的安全ともいえる任務のため、出撃前に話しかけたが、余計な一言だった。
 機器の駆動音とノイズを聞きながら、レイネシアは操縦桿を傾ける。出撃し、レギオンとの戦闘前に物思いに耽るのは良くないと理解しつつ、それでも考えることは止めれなくて。

『フォン少佐』

 思惟を巡らせていると、現実に戻された。細く、気弱げな声は、クレイモア戦隊副長のイリナ・ミサ少尉。フォンベルク少佐、では長いからと愛称で呼んでくれる、アヤメ達と同年代の少女。

『すみません。リトがなんか、ちょっとひどいこと言った、てウジウジしていたので』

 知覚同調を自分だけに繋いで話したのは彼への配慮だろう。細やかな気配りができる子だ。

「ちがうよ。私が、ちょっと無神経だっただけ」

 言いながら、レイネシアは出撃前の彼の相貌を思い返す。
 確かに、精神的に不安定になった子たちは多くいて、けれどリトは腐ってもあの絶死の戦場を生き抜いたプロセッサーだ。エイティシックスとしての誇りだってある。壁の中で死とかけ離れた生活を享受していた白系種白ブタに、心配される謂れなどないだろう。

『……フォン少佐は、少し考えすぎです』

 自戒したレイネシアに、しかしイリヤは静かに、紡いだ。

『リトを心配してくれたことは、余計なことじゃありません。ちょっと今は余裕がないのでつっけんどんな態度を取ってしまいましたが、フォン少佐のことは嫌いじゃないんです。白ブタと思ってたら、ウジウジなんてしないですよ』

 だから、気に病むな、と。語る彼女にレイネシアをはふと、口元を緩める。
 優しい子だ。いつも前に出すぎるリトを支援して、私生活でも口が過ぎる彼を支える、彼女らしいフォローだった。
 イリナはいつもそうだ。若年ながら隊の仲間に気を配り、いつも微笑みを絶やさない。無茶な動きをするリトをサポートしながら、支隊への指示も出せるのは彼女がいつも周りを見ているからだろう。

「……ありがとう、イリナ。ごめんね」

 気を遣わせてすまない、と。力なく笑った声に、同調越しの彼女はしかし何も答えることなくしばし黙した。
 妙な沈黙が流れる。機器の駆動音とレギンレイヴの歩行音だけがその場を流れて。
 どうしたのか、と。瞬いた彼女の耳朶を打ったのは。

『正直、リトの気持ちも少しは分かります』

 イリナの、やけに神妙な声だった。
 ぽつりと静かに漏れた声は、硬さを孕んでいる。言いたかったけれど言えなかったことを、口にするような緊張が垣間見えた。

『私はフォン少佐のことを白ブタとは、もちろん思っていません。大攻勢の時に北部戦線のエイティシックスを率いたことは聞いてますし、何よりアヤメ達の反応を見てればフォン少佐が、良い人なのは分かります。……けど少佐は、私たち、エイティシックスとは違います。だから、分からないんです』

 滔々と紡ぐイリナは、ひとつ息を吸って、問うた。

『どうして少佐は、戦場に立ち続けるんですか』

 ひゅ、と。一瞬、息を呑んだ。
 鈍器で頭を殴られたような衝撃がレイネシアを襲う。分からない、と悩む、その声音にレイネシアは言葉に窮した。
 答えられない彼女に、イリナは続ける。

『私たちはエイティシックスだから、その生き方しか知らないからここにいます。けれど少佐は違う。大切な人を弔って、それでも尚、少佐が戦場にいる理由はなんですか』

 自分たちは、エイティシックスだから。エイティシックスは戦うもので、死ぬものだから。だから戦場にいることは至極当然で、誇りですらある。常人なら逃げ出したい過酷な状況下に慣れている、化け物のような存在。
 ならば、エイティシックスじゃない人間が、祖国や名誉、守るべき市民すらいない人間が、戦場に赴く意味は、なんだと。
 戦場こそ己が生きる場所と定めた人間以外が、戦場を選ぶなんてそんなの。
 
『いやなんでしょう? 本当は、戦場なんて』

 イリナの声が僅かに震える。そうあってほしいと、そうあるべきと、どこか願うような、声音。

『少佐は良い人だから、辛いはずです。人の死が目の前にあって助けられない状況に慣れてるわけがない。なのにどうして、管制側ではなく戦場ここを選んだんですか』
「それ、は……」

 困惑と哀切が入り混じる声に、レイネシアは自然と握る操縦桿に力を込めた。
 問いの意味は分かる。
 けれど──応える勇気が、なかった。
 応えたら、認めてしまったら、ひどく空疎な自分の心を曝け出してしまう。だって、その通りだから。
 逃げられるのに、本当は逃げたいはずなのに。
 戦場なんて、戦うことなんてほんとうは、いやなくせに。
 人の死を見ることは、辛いくせに。
 自分の無力さを痛感することから、目を背けたいくせに。
 ぜんぶ、ほんとうだ。自分の性根は白豚となんら変わらない。
 けれど、それでも立ち続けるのは。

《──しあわせに》

 ふと、脳裏に蘇った、レギオンに取り込まれた"彼"の最期の声。そう聞こえただけかもしれない声を思い起こして、レイネシアはひとつ瞑目する。
 先を見るなんて、しあわせなんて
 そんな、人並みの感情はもう自分には。

 そう、思った──矢先だった。

「──っ!」 

 大地を揺るがすほどの轟音が、鳴り響く。刹那、共に前進していたニ個小隊のブリップが、消えた。銀幕が張る猛吹雪の中、無情に。
 警告音アラートが鳴り響く。光学モニターが赤く染まり、沈思していた意識が一気に覚醒した。

『っ、散開!』

 誘い込まれた!
 状況を認識した瞬間、須臾にレイネシアは指示を飛ばした。的確に、小隊を屠った砲撃。雪の紗幕のせいで火器管制レーダーが使えないのはどちらも同じ。けれど、競合区域とはいえレギオン支配域にほど近い場所だ。
 こいつらは、読んでいた。地の利を生かし、前進ルートを絞り込んでキルゾーンを設定していれば、タイミングは前進機から待てばいい。
 林立する木々の間から顔を出した斥候型に八十八ミリ砲が火を吹く。次から次へと雪中から光学センサーを光らす屑鉄の数は減る気配がない。
 応戦する《クレイモア》、《ヘイムダル》両戦隊の状況が急転直下で悪化する。負傷機多数、孤立救援要請が知覚同調越しに交錯した。しかし、林の多い区域では連携が取りづらく、吹雪が進路も退路も阻む。
 それを待っていたかのように、的確に長距離砲兵型の榴弾を注ぎ込み、レギオンは戦力を削いできた。

『一時方向の近接猟兵型の小隊を叩きます!』
『っ、イリナ! 待て!』

 焦慮に駆られたリトの声が耳朶を打つ。光学モニターを見て、次いで戦闘前に頭に叩き込んだ周辺の地形データを重ね合わせ、レイネシアは息を呑んだ。

「待って! イリナ!」

 そっちはダメだと。
 叫ぶ前に、同調越しにイリナの悲鳴が耳をつんざいた。

     *

 モニター越しに見えた近接猟兵型の数は小隊規模。けれど、何匹か斥候型も従えていたため、長距離砲兵型や戦車型の目は潰すべきと判断した。
 小隊を一つ連れて、白紗幕の中を駆ける。足の速いレギンレイヴで駆け、林を抜けた先、会敵するその瞬間だった。

「なっ、きゃあぁああ!!」

 がくん、と。崩れた足場に複数の機体が巻き込まれる。機体が大きく揺れ、転げ落ちた。
 何が起きたと、酩酊感の抜けない頭をもたげてモニターを見れば、降り積もった雪の狭間から赤黒い山肌が僅かにうっすら見える。
 連合王国の山々は急峻な山麓。林が林立する地帯と断崖が隣り合わせだ。雪の紗幕のせいでモニター越しでは見えなかった、天然の落とし穴。
 それを──レギオンが活用した。
 そしてそれに気づいた時には、彼女の命運は決していて。
 あ、と溢した吐息は、警告音に掻き消される。
 刹那、砲弾の驟雨が、イリナのレギンレイヴ上に降り注いだ。

     *

 知覚同調越しに聞こえた叫び声に、リトは一瞬、立ち竦んだ。呼吸が途端に荒くなって、心臓が早鐘を打つ。
 誘い込まれた、と理解はできるのに、思考が追いつかなかった。長年、共に隊を率いたイリナの声が、ぷつりと途絶える。

「っ、イリナ……おい! イリナ!!」

 操縦桿を握る手が震えて、動悸が止まらない。戦隊各位の呼び声がどこか遠くに聞こえて、脳が考えることを拒否しているようだった。リト。オリヤ少尉。隊長。さまざまな声の主の呼び掛けに、けれどリトの意識は光学モニターの彼女のブリップに集中して。

『──リト……』

 さなか、耳朶を微かに打った声に、リトはハッと息を呑む。生きてる、と。見えた希望に操縦桿を前へ倒して。
 けれど、直ぐに目の前は暗闇に覆われた。

『おね、が……い』

 ──撃って

 分かっているだろう、と。伝える声音。
 エイティシックスならば、何をすべきかを理解しているだろうと言外に伝える。
 ぴたりと、リトの《ミラン》は、動きを止めた。

『リト、おね、が……も、う』
「あ……」

 こぷりと、何かが"溢れる"音がした。それが、何か分からないほど、リトは新米の兵士ではない。
 何度も見てきた、聞いてきた。降り注いだ砲弾が破片を撒き散らし、アルミの装甲を引き裂いて内部の柔らかい肉を裂く様なんて。痛い苦しいと、苦悶に顔を歪めて虫の息となった仲間たちが、無惨に首を取られる姿も、またそれを阻止する瞬間も。
 だから、今自分がすべきは後者だと、判断することもできた。

「──っ、」

 けれど、リトは動けなかった。指示を、出せなかった。慣れきっているのに。何度も何度も何度も何度も、経験してきたことなのに。
 こわい。
 死ぬのも、死なれぬのもこわくて。だから、あの凄絶な死の行進に激しい拒絶反応を抱いた。
 死にたくない、死なせたくない。
 けど、エイティシックスは戦場に生きるから。いずれ死ぬ運命さだめの、生き物だから、だから自分達が引くことは、許されていない。
 矛盾する感情を内包して出撃して、けれど目の前に顕現した死に、リト・オリヤは動けなかった。助からない。須臾に判断を下しても、その命令が出せない。
 イリナの首を、持って行かせるわけにはいかないのに。
 けれどまだ、生きている。死ぬ運命でも、まだ。

「イリ、ナ」

 自分を支えてくれた。無鉄砲で言葉足らずな自分のそばにいて、あの戦場を一緒に生き延びた、大切な副官の彼女。いつも微笑んで、落ち込む自分を励ましてくれた、たった一人の。

「いやだ」

 死なせたくない、死んでほしくない。

「イリナ」

 お願いだから、と。か細く漏れた、声。
 いなくならないでと、光学モニターを見る瞳が滲んだ。

『第五小隊、ポイント六三に照準を』

 その、静かな駄々が、怜悧な声に切り伏せられる。凛然とした声音に、リトの心臓が大きく脈打った。
 駄目だと。思ったのは果たして"どちら"のことか。
 全てがスローモーションのように、視界に映る。嘘だ、待って、何も言えずに呆然と。
 そして現実を自身で理解する間もなく、その声は、冷徹を下した。

『──撃て』

 発せられた指示に、息が詰まって。あと数秒が、一生のように感じられた。
 待って、と言う間もなく、けれど最後に、耳朶を打ったのは柔らかな声音。

『リト』

 囁くように、優しく紡がれた名前を最期に。
 イリナのレギンレイヴのブリップは、消失した。

     *

 生死の天秤が、死に傾いた。
 光学モニターから消えた友軍機のブリップに、詰めていた息を吐く。心臓が早鐘を打って、呼吸が速くなるが、それでも平静を失わまいと睨み付けるのは赤のブリップ。
 悲嘆に暮れるのも、後悔も、先だ。今は、目の前の現状に即応しろ。
 冷徹な脳内に応じて、レイネシアは状況を分析する。
 こちらの啓開進路だけでなく、レギオンは退路まで読んでいる。キルゾーンに誘い込み、さらに進路を予測して近接猟兵型を潜伏させているその、戦法。

『《レッドウルフ》より司令部、救援要請』

《羊飼い》が、いる。
 であるならは、《クレイモア》と《ヘイムダル》だけでは分が悪い。ただでさえ視界不良な悪天候なのだ。レギオンの場所と規模を特定でき、かつ指示を出せる《死神》くらいしか応戦できないだろう。

『オリヤ少尉! 残存小隊を率いて後退を!』
『っ、了解』

 急峻な山肌に打ち付ける雪の嵐。火器管制レーザーが通りにくい悪条件で、それでも"目視"でレイネシアは後方の小隊に目標座標を指示し、後退を支援する。けれど、数に押されて、友軍の青のブリップは瞬く間に消えた。

「第二、第三小隊はポイント〇五へ。孤立小隊の支援を。第五小隊は場所を移動しながら砲撃を続けて」

 砲撃の間隔と近接猟兵型の小隊数から見て、《羊飼い》は大隊規模。脳内に広げた地形図を頼りに、せめて《クレイモア》が競合区域から出るまで、《スピアヘッド》と交代できるまでの時間稼ぎはしないといけない。
 今の彼では、おそらく戦えないから。

『各位、深追いはせず、遅滞戦闘を。応援部隊が来るまで持ち堪え──っ、』

 刹那、警戒音が耳朶を強打した。同時に前方、二百メートル地点に大穴が開く。衝撃波に耐え、須臾に各方位を警戒。悪天候の中見えた、忌々しい屑鉄の姿。

「ニコ、後方に前進機!」
『っ、隊長! これは』
「分かってる! 第五、第六小隊は後退進路啓開!」

 その間にも、砲撃は続く。榴弾が破片弾を撒き散らし、僚機が次々と戦闘不能に追いやられる中、後退進路上に斥候型が、近接猟兵型が姿を現した。
《羊飼い》の大隊だけではない。挟撃用の部隊を予め潜伏させ、獲物がかかるのを待っていた。狩りを知り尽くした、エイティシックスの無情と冷徹がなせる技。
 それでも。

「──死なせない」

 リフレインする、イリナの最期の声。自身が死ぬと、自分はここまでだと悟りながら、尚、彼のことを想った哀切の、声。
 その願いを無にしないために。レイネシアはひとつ瞑目すると、光学モニターを睨み付けた。

     *

《クレイモア》と《ヘイムダル》が敗走している。
 司令部からの応援要請を受け、格納庫へ向かう中、ライデンは胸騒ぎを覚えていた。
 どちらの戦隊も、レイネシアを除けば八十六区の戦場を生き延びた歴戦のエイティシックスたちだ。僚機の扱いはもとより、戦術戦略についても肌身で理解している戦いのプロ。
 しかしその彼らが敗走するということは、敵の数が予想より多かったか、こちらの進路を予測されていたか。
 或いは、先のシリンたちの吶喊が、まだ尾を引いているか。
 いずれにせよ、吹雪の中の戦闘ならば《スピアヘッド》が出ざるを得ない。管制機器による索敵が当てにならない以上、シンの異能が頼りだ。
 思考を切り替える。仲間の生死への憂慮を閉じ込め、己の為すべき任務へと意識を集中させる、戦場の獣の性状。幾年も、死と隣り合わせの生活を送ってきた狼の本能とも言うべき切り替えだった。

《生きてるだけで、いいんだよ》

 ふと、冷徹な思考のそばを過ぎった、侘しげな相貌に足が止まる。
 自分の方が死ぬ可能性が高いくせに。戦場なんて似合わないくせに。他人の幸せを願う、彼女の儚い笑顔。
 知覚同調越しでは、まだ彼女の訃報は入っていない。
 胸騒ぎが、大きくなって。ひとつ、落ち着くように息を吐く。
 僅かな焦慮に駆られて、ライデンは《ヴェアヴォルフ》に乗り込んだ。

 救援要請を受け、《スピアヘッド》の出撃を司令部が決定してから、二時間。変わらぬ雪の紗幕の中、《ヘイムダル》は近接猟兵型と対戦車砲兵型の一個大隊からの急襲、砲撃を受け、且つ退路を阻む部隊の掃討も請け負っていた。
 遅滞戦闘は本来、一個戦隊だけでなく、複数の戦隊が補給をしながら交代で退路を維持するものだが、欺瞞のため競合区域に入る程度の任務にそこまでの戦隊規模は割けない。万が一のために二個戦隊で任務に当たっていたわけだが。

『アヤメ! 前に出過ぎだ、戻れ!』
『っ、斥候型がいるんだよ! 叩かないと砲撃が』
「イリナがそれでやられたの、見てたでしょう。戻って」

 林立する針葉樹の間から顔を出した斥候型を斬り伏せて、レイネシアは淡々と告げる。脳裏で蘇る彼女との最期の会話を脇へ追いやって、冷徹を下す。
 悲哀に呑まれたら、適切な判断が下せない。
 彼我の戦力差がある以上、今の最善は戦力の損耗を避けつつ、孤立小隊を拾って撤退することだ。レギオンを相手取り、削ることじゃない。

『──こちら《アンダーテイカー》。《クレイモア》は撤退を開始した。これより会敵する』

 知覚同調で入った救援の声に、レイネシアはひとつ息を吐く。《クレイモア》、リトたちは無事ならしい。ひとまず、第一目標はクリアした。

『《レッドウルフ》了解。敵は近接猟兵型と対戦車砲兵型の二個大隊と推察される。おそらく《羊飼い》が指揮しているので、注意を。こちらは孤立小隊を救援して撤退する』
『了解』

 短く応えたシンの声は、変わらない。色のない、無機質な声音。冷静を通り越して冷徹なまでの、戦場に生きる人間が出す声色。
 しかしすぐに、知覚同調は切られた。互いが目の前の敵へ集中し、不必要な情報が入り乱れるのを避けるためだ。
 光学スクリーンのマップに《スピアヘッド》を確認し、レイネシアは赤のブリップの位置を見る。針葉樹の林立地帯を抜けたすぐ先で、分断させられた孤立小隊が中隊規模のレギオンと交戦している。

「第二、第三小隊はポイント〇六へ。孤立小隊の撤退援護を。第四小隊以下は第二、第三小隊の進路啓開の援護射撃をしながらポイント一五まで後退。砲撃位置は方位六ニ、距離二〇〇〇──撃て!」

 アヤメとイオリの小隊を向かわせ、砲撃部隊に進路を啓開させる。青のブリップが赤を食い散らかし、孤立小隊の周りのレギオンが後退していった。
 撤退援護のため、二人の小隊の後方数百メートルに位置取りながら、レイネシアは思考を展開させる。
 ──いける。
《スピアヘッド》が《羊飼い》の大隊を引き受けたことで、砲撃の驟雨が止んだ。雪の紗幕があっても、ブリップの位置と脳内に広げる地形データ、そして友軍の"目"があれば──

『っ、きゃあぁあ!!』

 刹那、耳をつんざいた、悲鳴。孤立小隊の支援に向かった第二小隊の小隊長──アヤメの、声。

『アヤメ!!』
『このっ、ちくしょう! ふざけんなっ! この! このぉ!!』

 イオリの悲痛な声も耳朶を打つ。
 何が起きた、と考える前に"視"て、眼前に飛び込んだ彼女の視界に、レイネシアは息を呑んだ。
 近接猟兵型の群れが、雪野から這い出て小隊に迫っている。どこから湧いてきたと言わんばかりの数だが、吹雪でレーダー系統が軒並み馬鹿になっているのはどちらも同じ。
 ならば、救援に来たカモを待ち伏せればいいと。
 対戦車砲兵型の驟雨が止んだため、油断していた。元エイティシックスなら、《羊飼い》なら、友釣りの有用性は、よく理解している。小隊を分断する意味を、その身を持って知っている。

『っ、孤立小隊全滅! 隊長!』
「──イオリ! アヤメはっ、」
『脚がやられてる! これじゃ、動けない! クソ!』

 青のブリップが消え、代わりに出現した二個中隊規模のレギオンが迫るのは、アヤメとイオリの小隊。撤退しようにも脚部損傷により歩行不可。二人がいるのは針葉樹林を抜けた雪野で、遮蔽物がないに等しい。レギンレイヴの射線も通りやすいが、それを嘲笑うように近接猟兵型の群が距離を縮める。僚機の開閉ハッチがやられたのか、イオリや小隊員がこじ開けようとするが、扉は開かない。
 その光景に、レイネシアは考える。
 嗚呼、どうしよう、と。
 頭の片隅にあった恐怖が、思考を埋めた。
 このままではニ個小隊が全滅する。なら、アヤメを置いて他を下がらせるか。そうしたら、アヤメはどうなる?
 冷徹を下した己を振り返る。レギオンに首を取られるわけにはいかないから、だから命じた。助けられる可能性を排した。自分には助けられないと、だから。

『たいちょう』

 瞬間、鼓膜に届いた、か細い声。幼い子が、誰かに縋る時の、それ。その声に、意識は現実に戻る。
 いや。たいちょう、と。もう一度、小さく呼ばれて。
 かつて、壁の中のちっぽけな管制室で聞いた、自分を慕ってくれた少女と同じ、その、震える声が──

『たすけて』

 惑っていたレイネシアの操縦桿を、前に倒した。
《レッドウルフ》が林の中を駆ける。戦隊長としての責務をかなぐり捨てて、真っ直ぐ、針葉樹の森を、抜けた。知覚同調越しに聞こえるニコの静止を振り切って。
《レッドウルフ》は、近接猟兵型の群れに、単機で飛び込んだ。

     *

 死ぬ時は、きっと潔く逝けると思ってた。
 初めて配属された部隊で、収容所で一番仲が良かった友達が死んだ。三回目の戦闘で、慕っていた副長を助けたいと叫んで、二人仲良くレギオンの砲撃で吹っ飛んだ。友釣りというのは、残酷で、そして呆気ないと体感した。
 次の部隊で仲良くなった友達は、何匹もの近接猟兵型に囲まれて敗走する中、知覚同調越しに叫んだ。助けて、助けて、と。
 けれど、最後には自走地雷に組み付かれて弾け飛んだジャガーノートの破片に、引き裂かれて、呻きながら死んだ。
 何人も見送った。そして、何人も見捨てた。だから、死に対してなんの感慨も湧かないし、いずれ自分も形は違えど同じ肉の塊になると思ってた。
 思ってた──はずなのに。

「いや」

 いざ、目の前にそれが現れると、背筋が凍った。こんなに呆気なく、こんなに無情に、訪れるなんて思ってなかった。
 首を取られないために砲撃で死んだイリナを思い起こして、余計に胸がかきむしられる感情が芽生える。
 死にたくない。こんなところで、まだ、死にたくない。
 せっかく生き残った。イオリと、仲間と生き残った。友達もできて、隊長だって笑ってくれるようになった。これから、きっともっと、こんな世界でも生きてればまだ、何があるかも、て。
 だから、たいちょう、お願い。

 ──たすけて。

     *

 雪野に降り立ったレギンレイヴが、ぶわりと足元の新雪を纏う。紗幕の光学センサーがぎろりと近接猟兵型を睨めつけ、八十八ミリ砲が火を噴いた。
 当然、レギオンも応戦する。対装甲高周波ブレードを横殴りに振り切ったが、即座に後ろに飛んだ《レッドウルフ》の機銃掃射に沈黙した。
 近接猟兵型はその名の通り、近接特化のレギオンだ。前脚部の高周波ブレードを以って敵装甲を破壊するのが主な戦い方だが、背部には砲撃戦用の七十六ミリ多連装対戦車ロケットランチャーを備えている。
 後方に控えていた部隊が一斉に砲撃。すかさず後方支援部隊が迎撃したが、振動が大地を揺らした。その間にも、《レッドウルフ》はアヤメ、イオリの第二、第三小隊から敵機を遠ざけるため、遮蔽物のない雪野を駆ける。
 目の前の敵に集中しながら、しかし視界を覗き見れば、アヤメが僚機から脱したことが確認できた。すかさず、ニコが両小隊への撤退と砲撃支援を伝える。
 ──刹那。

「……この音」

 光学モニターを見、主砲を撃ったレイネシアは、鼓膜を揺らした音に眉を顰めた。その間にも現れる無数の近接猟兵型の斬撃を避けつつ、耳を研ぎ澄ませる。
 数秒、思考して。そして気付きに至った。
 レギオンとの距離を取りながら、各種計測器の値を確認する。数日の気温、積雪、地形データと照らし合わせた傾斜。

「砲撃部隊、ポイント八五に榴弾を!」
『え……でも、』

 困惑が知覚同調越しに伝わる。
 無理もなかった。レイネシアが示したポイントは、今まさに彼女がいる場所から山頂方面に七百メートルは離れている。

『早く!』

 レギオンと距離を取り、追いつかれながら応戦するレイネシアの声に、しかし隊員は即応した。大攻勢前からレイネシアの指揮に入っていた小隊長が、各位に命令する。
 号砲。
 砲撃から数秒後、雪の紗幕の先に着弾した振動が、大地を揺らして。
 しかしその音に、地を揺らす竜の咆哮のような、地響きと共に大地が吠える声のような音が、重なり合った。
 レギオンたちの動きが止まる。光学センサーがぎょろぎょろと辺りを見渡した。
 瞬間、《レッドウルフ》は弾かれたように雪野を駆ける。途中、近接猟兵型の吶喊を横っ飛びで避けて、代わりに斬り伏せながら尚、止まらない。
 ごお、と。急峻な山の頂付近で聴こえた、轟音。大地を震わせ、迫る音と共に、紗幕越しにも見えた塊に、レイネシアは息を呑んだ。
 共和国は平野が多い。連合王国ほどの急峻な山岳地帯はなく、ゆえに知識として"それ"を知っていても、目の前にするのは初めてだった。
 降雪が続く厳寒期。降り積もる新雪が、一定の気温、振動によって滑り落ちる、表層雪崩。前兆として振動が伝わることで聞こえる、ワッフ音がある。晩春というのに凍てつく冬の世界を作り上げている連合王国の、レギオンに空を支配された特異な環境下であるからこそ起きた自然現象だった。
 最高時速二百キロにも到達する雪の脅威が迫る。レギオンを飲み込み、急峻な斜面を滑り落ちる塊にレイネシアは《レッドウルフ》を疾駆させた。遮蔽物のない雪野ではあっという間に飲み込まれる。数百メートル先にあるのは断崖絶壁だ。落ちればレギオンもろとも谷底に水分を多分に含んだ雪と叩きつけられる。
 針葉樹の地帯まで、せめて。
 しかし、直後、警告音が鳴り響く。同時に、レイネシアは咄嗟に《レッドウルフ》を停止させた。
 前方、百メートル地点に大穴が開く。低くした姿勢でレイネシアは舌打ちをし、目端に捉えた雪の塊に今度はワイヤーアンカーを射出した。森林地帯に程近い岩壁に巻きついたと同時に、アンカーを巻こうとしたが。

「っ、」

 轟音。衝撃。次いで、アラートが鳴り響く。脚部損傷。主砲被弾。目の前で千切れたアンカーが紗幕に覆われる。
 光学センサーが、雪崩を捉えた。スローモーションのように迫るそれと、巻き込まれるレギオンたちを見て。
 ふと、詰めていた息を、吐く。どこか他人事のように、目の前の光景が脳に伝わる。

 嗚呼、これは。
 たぶん、だめだ。

「ニコ」

 死が、見えてしまって。

「頼んだ」

 理解した瞬間、皮肉にもやるべきことは冷静に考えることができて。
 言下にニコの叫び声が耳朶を強打したけれど、あまり響かなかった。何かを誰かが言ってて、けれど目の前の光景にもう、脳が思考を放棄した。
 迫る死に、向き合う余裕もなくて。
 ただ、脳裏によぎった隊員たちの顔に、自然と、苦笑が漏れる。

 だいじょうぶ。
 もう、あの子たちは。

 諦念と安堵が入り混じった、刹那。
 ふと、見えた、彼のかんばせ。面倒見が良く、けれど年相応の幼さもある、青年の。

「──あ」

 思い出した、その時。
 衝撃音と共に彼女の意識はブラックアウトした。

     *

 悲しませたくないと、思った。
 自分が生きる意味も、生きたい理由も分からなくて、死にたくないけれどそれを仕方ないと割り切る程度に、生にはしがみついてなかった。
 けれど、それでは駄目だと、気付いた。
 悲しむ人がいる。お人好しで、面倒見が良くて、朗笑を湛えて自分達を見守る、甘ったれ。逃げればいいのに、戦場なんて似合わないのに、それでも、と共に在ろうと足掻く。
 だから、根負けした。
 自分達の幸せを願うほど、世界の色彩を知ってるわけじゃない。無機質なモノクログレーでしかない無情な世界は、実は彩り溢れた希望がある世界だなんて、知らないし知ろうとも思わない。
 それでも、自分達の未来を自分達以上に願い、掴み取ろうとする彼女の願いを、叶えたいと思ったから。
 だから、生きようと思った。
 悲しませたくないから、生きるのだと自戒した。
 なのに。

「隊長!!」

 ふざけるな。
 頼んだ、と知覚同調越しに届いた、乾いた笑い。諦念が色濃く乗った声音に言下に叫んだけれど、現実は無情だった。
 こんなことのために、生きてきたんじゃない。あんたが生きろと、生きてほしいと願ったんじゃないか。
 あんたが生きているから、願うから。
 だから──動けなかった。
 あの人の願いだったから。生きててほしい、未来を見てほしい、死なないで。
 置いていかないで、と。
 あの日、大切な人に置いて行かれて、生き永らえたあの人の、願いだから。
 死ねない。
 死んだら、あの人の願いを裏切ってしまう。
 たとえそれが、当の本人の危機であっても、ニコは動くことができなかった。
 行くな。頼むから。
 それでも、胸中で、胸が張り裂けそうな気持ちを叫んだ、その刹那。

 一機のレギンレイヴが猛然と、雪の紗幕を駆けた。

     *

どうして、置いていくんだ。
 暗闇の中で声がする。悲壮に満ちた、哀しい亡霊の声が聞こえる。
 どうして。助けて。死にたくない。行かないで。お願い。
 置いていかないで。
 反芻する幾つもの声に首を振る。暗闇の中、誰でもない何かに、目を向ける。
 違うよ。
 声に出して、吐露した感情。
 だって、置いていったのは。置いていかれたのは──

『いかないで』

 私の方だった。


「──起きたか」

 暗闇から目を開ける。簡易照明の光源に目を細めながら、ゆっくりと。若干の酩酊感のある起床特有の気怠さに、しかし、気づきを覚えて勢いよく身を上げた。「うわっ、いきなりなんだ」と、前の操縦席でのけぞった彼に、レイネシアは呆然と呟いた。

「……な、んで……」

 どうして、彼が居る。

「いちゃ悪いかよ」

 瞠目するレイネシアを前に彼は──ライデン・シュガは片眉を上げて吐き捨てた。






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