ある少女が見た真実



 ──人語を喋る豚は、もはや豚と呼べるのだろうか。

 居住性が良いと言えない空の棺桶の中から見える荒廃した大地を見つめながら、レイネシアは薄ぼんやりとそんな疑問を反芻させた。前を見れば機長と副機長が何やら談笑している。が、眼下に収容施設が入るとそれは嘲笑へと変化した。嘲笑、蔑視、極め付けは侮蔑の最上位と言えるお決まりの言葉。

「知性のない豚め」

 変わらない言葉群はもはや慣れっこだ。あまりにも耳慣れしすぎて、逆に聞かない日の方が少ない。
 エイティシックス。この国においてそれは豚という単語と同義だった。サンマグノリア共和国の外側、人が存在しない八十六区に住む人型の豚の呼称。人語を話す、豚達の総称。
 知性のない豚は、人語を理解しないのではないか。
 機長たちの談話に心内で毒づきながら、しかしレイネシアはさして興味はないと視線を窓の外へと向けた。
 軍に入隊して半年あまり。配属先は輸送部隊というなんとも味気ない場所だったが、そもそも軍の体を為していないこの国で、華型の部隊などない。外敵の相手は無人兵器がするため、軍人というものはお飾りだ。兵器管理をする部署もあるが、指揮をとっている人間をレイネシアは見たことがなかった。各部署の見学の中で最も仕事をしているといえば皮肉なことにこの味気ない輸送部隊かもしれない。
 知性について講釈垂れるほど、この国は成熟していない。
 しかし、その国の軍属となった自分に、何か口出す権利もまたなかった。


「──オラ! 豚共、餌だぞ」

 武器弾薬、換えの兵装を指さした機長はゴミを見るような目を彼らに向けた。人型の豚、エイティシックスと呼ばれる白系種以外の少年少女達はその視線を当たり前のものとして受け取り、補充品を運び出して行く。共和国軍人達はそれを手伝うどころか、早くしろと言わんばかりに喚き散らしていた。大の大人が、自らの子と同じくらいの子ども達を怒鳴り散らす異様さに、レイネシアは眉を顰める。
 黙ればいいものを。
 彼らが人間ではないのなら、怒鳴る必要もないだろう。犬猫に怒鳴る人間はそう多くない。ヒトと同じではなく、対等に扱わないのならむしろ話しかけない方が無難だろう。
 しかし、レイネシアの考えの方が共和国では異質だ。エイティシックスは人ではない消耗品なのだから、何をしても罪にはならないと本気で信じている人間が大半だった。
 冷静に考えれば、理路整然と物事を思考できる人間ならばそれが異様だとは直ぐに理解できる。
 それでも、根本の考えが揺るがないのは──

「恐いくせに」

 機械兵器に殺されることが、その考えを自ら受け入れることが。己の命も矜持もズタズタに引き裂かれることを恐れているからに他ならなかった。
 罵声を聞き流して黙々と作業に従事するエイティシックス達を見つめながら、レイネシアは彼らの住まう施設に視線を移した。防寒、耐熱どちらにも適していなさそうな簡素なコンクリート造り、二階建て。映画、スポーツ、ゲームなどの娯楽は一切ないこの前線基地で、自分と同じくらいの歳の少年少女達が暮らしている。明日は死ぬかもしれない、死んでも墓も建てられないこの場所で、日々を過ごしていて──

(……あれ)

 ふと、視界の端に少年が一人映った。玄関から出てきた彼は、怒鳴り散らす大人達を睨め付けると、何かを両手に抱えて建物の裏手へ逃げるように走って行く。
 幸いなことに、機長達は怒鳴ることに一生懸命で気づいていなかった。

「──それ、なに?」
「うわぁああ!!」

 座り込んだ少年の背後から声をかければ、その背は面白いくらい跳ね、振り返った。「なんで…」と口をハクハクさせる彼を尻目に、レイネシアは覗き込む。

「……お墓?」

 覗いた先にあったのは、楕円状の石柱に花飾り。その周りには、野戦服の切れ端などが丁寧に並べられている。それが何を意味するのかは明白だった。
 視線を彼へと戻せば、彼はぐっと言葉を詰まらせた後、目を逸らした。奥歯を噛み締める様子からして図星なのだろう。そして、白系種にこれが見つかったことが何を意味するのかも、理解している様子だった。
 エイティシックスは、墓を建てることを許されていない。

「これ、見つかったらどうするつもりだったの? 禁則事項ってことは知ってるよね」

 問い質しながらレイネシアは自答する。
 分かっているから、なんだというのだ。

「……なら、どうすんだよ」

 低く唸るような声が少年から漏れる。齢十そこらの子から出る声とは思えない、深い憤怒に塗れた声。

「あの白豚共に報告しに行くか? アンタまだ軍に入って浅い甘ちゃんだろ? いい手土産にでもなるかもな」

 吐き捨てながら、怨嗟の焔を瞳に灯した少年はレイネシアに敵意を向ける。
 分かっているのだ。少年も、少年以外のエイティシックス達も禁則事項など百も承知だ。理解できないはずがないだろう、"白系種如き"が分かることが。
 しかし、それがなんだというのだ。そもそも、約束事など守るつもりのない人間達の決めた規則になんの意味があるのか。
 前線で戦っているのは、自分達だ。

「…別に、興味ないから」

 噛み付かんばかりの気迫の少年にレイネシアは踵を返す。荷下ろしが終わったら直ぐに出発だ。探しに来られて此処を見つけられてもそれは厄介で、さっさと戻ることにこしたことはない。面倒ごとは避けたかった。
 小走りで輸送機まで帰れば「何をしていた」と聞かれたため「豚の調教です」と表情一つ変えずに答える。機長は満足した様子でそれ以上は追及しなかった。その頭のおめでたさが逆に扱いやすい。共通敵を見つけたと思うほど人間は身内に甘くなる。
 備品の搬出リストを確認して、輸送機は離陸した。時事刻々と消耗されて行く兵装の補充のため近いうちにまた来ることになるが、果たしてその時、今日と同じ人数がここにいるのか。
 考えても仕方がない。
 レイネシアは首を振り、再び、荒野となった景色を眺めた。

     *

 ──どうして、あの人達は連れて行かれているの。

 幼い声が純粋な問いを口にする。
 項垂れながら、怒声を上げながら、泣きながら連れて行かれる人々がいた。銃を持ち彼らを追い立てているのは白銀の目と髪を持つ人間達。女子どもも関係ない。彼らは容赦なく、一片の慈悲もなく、まるでトラックに家畜を載せるように彼らを追い立てた。
 つい昨日、つい数時間前、数分前まで、彼らがいる日常を当たり前のものとしてきた少女にはそれが異質としか見えなかった。大人達が何か隠微な雰囲気をここ数週間持っていたのは理解していたけれど、それが何を意味するのか少女には分からなかった。

『ねぇ、どうしてなの』

 少女は前を歩く父母に問い掛ける。
 父母は、微笑んだ。

『アレは私達とは違うからよ』

 少女は首を傾げる。

『違わないよ。この前、遊んだ子もいるし、それに私達だって──』

 純真な言葉に、母からは平手が返ってきた。パァン、と乾いた音が響き、次いで父が少女の口を手で塞いだ。

『黙りなさい』

 少女は、二人の豹変ぶりに訳もわからず頷く。血走った父の眼。何かにひどく怯えるようにあたりを見渡す母。狼狽する二人に、少女はいやでも悟ってしまった。

 ──嗚呼、せかいはきっと変わってしまったんだ。

 自分の生きてきた世界は、壊れてしまった。体現するかのように有色種の人達は街から消え、代わりに流布され始めたのは新しい価値観。
 有色種は、人型の豚。
 白系種が飼育しないと生きていけない、下等な生物。
 敵国の豚ども。
 故に──その命の管理は白系種が担う。
 大人達はその異常すぎる価値観を受け入れた。もちろん、抗う大人達も中にはいたが、反旗を翻すほどには至らなかった。中には前線に出た大人達もいたが、ほとんどは帰ってこなかった。
 幼い少女はなぜ、このような差別が罷り通るのか理解ができなかった。なぜ、見た目の色だけで判断するのか。なぜ、白い人間達は口を閉ざすのか。
 理不尽な状況を目の当たりにした少女は、徐々に真実を知ることになる。


「──我がサンマグノリア共和国の誇る自立無人戦闘機械の迎撃により、我が方の損害は軽微、人的損害は皆無であり─」

 耳障りな音声に自然と片眉が上がる。何一つとして真実を報道しない戦況報道に街行く人々は無関心だ。関心を示した壮年の男は満足げに頷いたが、それはそれで滑稽である。
 誰一人として自国が今、レギオンという機械兵器共に戦線を押し込まれ、国土の半分以上を失っているという事実を認識していない。いや、まともに認識するほどの胆力がないのか。どちらにせよ、自国が今、戦争下ということを自覚しているとは到底思えなかった。
 レイネシアは街行く人間を尻目に、軍令本部へと足を進めた。微笑み、笑い合い、あるべき日常とも言える景色を視界に入れて彼女は嘆息する。
 辟易することすら、もはやとうの昔に無意味と学んだ。
 
「──失礼します、大佐」

 ドアノブを捻り、入室する。踵を揃えて気をつけの姿勢をとっていれば、「楽にしなさい」と苦笑が聞こえたため肩の力を抜いた。

「私が呼ぶ時くらいその堅苦しさを無くしてくれないか」
「いくら親戚とはいえ、大佐は大佐ですので」
「やれやれ、カタブツ具合は父親そっくりだな」

 ふ、と笑みを溢す男、ジェローム・カールシュタールにレイネシアは表情を和らげることなく近づいた。
 カールシュタールはレイネシアの父、アルフレド・フォンベルクの従兄弟にあたる。軍に入る娘を案じたのか、良くしてやってくれと頼みの連絡を入れたらしい。カタブツと有名な男の意外な側面を見たと、着任したその日に笑われたのは記憶に新しい。
 カールシュタールは、初任務はどうだったか、とか、上官にパワハラを受けなかったか、などさまざま聞いてきたが、レイネシアは全てに卒なく回答した。問題ありません、と決まりきった答えにカールシュタールは嫌な顔一つせずに頷き、口角をあげる。

「順調そうでなによりだが、そう固くならなくていい。君が前線に出ることはないんだし、取り返しのつかない失敗だって起こりはしないのだから」

 朗らかに告げられた言葉に、レイネシアはぴくりと肩を揺らした。
 善意たっぷりの声音だ。自分をリラックスさせるための言葉だ。脳ではそれを理解できるし、好意を受け取ることもできる。
 しかし、レイネシアは言下に尋ねた。

「なぜ、ないと言い切れるのですか」

 冷や水を浴びせるような声音で、尋ねた。

「戦時下の我が国において前線に出ることはないと…レギオンとの戦闘があり得ないとなぜ断言できるのですか。八十六区の"前線部隊"のための兵站が我々の役目なら、前線維持のための失敗は取り返しがつかないことではないのですか」

 我らが国を守るのは、我らではないのか。

「今は戦争中であります、大佐」

 シン、と静寂が流れる。
 レイネシアの対応は、軍人としては至極正しかった。もっともな意見だった。当たり前とすら言える、軍人としての心構えだった。
 しかし、レイネシアは失念していた。
 彼は──この状況を受け入れている、軍人だ。

「口を慎みなさい、フォンベルク"曹長"」

 ハッ、とレイネシアは息を呑む。いつもなら無意識下で押さえつけていた問いを抑え切れていなかったことに唇を噛んだ。
 バツが悪そうに顔を背けるレイネシアにカールシュタールは続ける。

「軍学校を主席で卒業した自覚を持ちなさい。己の理念を持つことは構わんが、いらぬ反感を買う言動は組織では悪手だ、褒められることではない」

 嗜めるカールシュタールに「申し訳ありません」と頭を下げつつ、レイネシアは顔を顰めた。
 主席で卒業した先が輸送部隊のお手伝いか。
 いかに楽に、いかに堕落した生活を送れるか。それがこのサンマグノリア共和国の軍における、出世の形である。お飾りの軍隊、仕事などあってないようなもの。守りの要は、無人兵器だ。
 その現状を、聡明なこの人が受け入れていることが、ひどく気に食わなかった。
 レイネシアは逃げるように執務室を後にした。廊下を歩けば、「曹長サマはもう仕事終わりですかあ」と、若い兵達からの嗤笑が向けられたが、いないものとして扱う。初任の時からこれだ、慣れないわけがない。
 軍令本部、もとい王宮から出たレイネシアはメインストリートまで早足で駆けてから、顔を上げる。行き交う人々、多様な商店、豊かさと発展を象徴する街並みを目にしながら、彼女は拳を握り締めた。

(……仮初だ、こんなもの。この国はもう──)

 胸にせりあがったのは、忸怩たる思いだった。
 この国は、あの時負けたのだ。自国の窮地に自ら剣を取ることなく、喧伝して広く受け入れた移民を前線に送り出し、その状況を受け入れた瞬間からこの国は、敗戦国となったのだ。五色旗の掲げる理念を放棄したあの時この国は敗戦国となり、理念なき国家は差別を受け入れた。
 この国は、もう終わっている。
 それが、レイネシア・フォンベルクが五年かけて学んだ、この国の真実だった。





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