子どもと大人



 エイティシックスの隊長の決め方はいたってシンプル。強いか否か。ジャガーノートを駆る能力が互角なら、拳を突き合わせて強い方が上に立つ。戦場に生きる彼らにとってそれは至極当然のことだ。強くなければ下も全員死ぬ。
 だから、基本的に隊長格の隊員は肉弾戦はもちろん得意だ。ステゴロ大会でも上位に食い込むのは大概彼らで。

「やっぱり強かったな、ノウゼン大尉」
「あいつに勝てたらバケモンだろ」

 徐に呟けばライデンの呆れ声が返ってきて、二人で居住区画に戻る道すがら、レイネシアは苦笑した。
 ステゴロ大会はシンの勝利で幕を閉じた。レイネシアも善戦し、初戦のリト、次戦のシャナには勝利したものの、その次でシンと当たってあえなく敗戦。互いに軍属の人間に手解きを受けた者同士だからか、基本動作は似通っていたが体力、筋力、瞬発力どれをとっても力及ばなかった。
 当然と言えば当然で。
 ただ──

「男の子は、やっぱり強いね」

 分かっていたが、ちょっとだけ、悔しさがないわけではない。自分自身もそれなりに鍛えてきた自負はあったから。
 手を出してくる相手を組み伏せて力を誇示するやり方が正しいとは言えずとも、そうしないと収めることができない場は確かにあった。だから、身に付けられる技術にはなんだって手を出した。
 それでも、敵わないことはたくさんある。

「そりゃ、十歳そこらのガキじゃねえしな。アンタに負けたらシンの沽券に関わるだろ」

 軽く肩を竦めたライデンを見遣り、レイネシアは「まあね」眉尻を下げた。
 子どもじゃない。確かにそうだ。昔の彼だって、出会った時は自分より背丈も低く、まだ戦場に慣れきっていない少年だった。
 どうにかして守りたいと、自分ができることをしたいと、強く思って。
 けれど、彼らはどんどん大きくなる。精神的にはまだ不安定な部分はたくさんあっても、確実に成長している。サポートできるほど自分は大人ではないかもしれないけれど、それでも。

「私も、もっと強くならないと」

 守りたい。
 隊員を、仲間を。
 一緒に生きろと言ってくれた、彼を。そして、自分自身も。
 守りたい。
 それが、何に起因する感情かは、心の中に閉じ込めて。
 レイネシアは、ライデンに微笑んだ。

     *

 はにかんだ表情に、息を呑んで。不自然と思われない程度で、思わず顔を逸らした。
 気を抜くと、思い出してしまうから。
 自分の腕の中で、震えながらも応えた彼女。一緒に生きろと伝えて、それに応じるように微笑んだ、相貌。今でも瞼を閉じればまざまざと思い出される。二人きりでいると、どうも脳裏にちらついてしまった。
 正直、深い意味があったわけじゃない。……いや、意味はあった。生きてほしいと、自分の傍で笑ってほしいと確かに願ったから、あのような言葉が自然と口をついて出た。
 ただ、口にして、数日間ベッドの上で追想して、気付いた。
 あれはもはや──

「ライデン? どうかした?」

 覗き込まれて目の前に現れた顔に、どきりと心臓が大きく跳ねる。きょとんと小首を傾げた仕草にぴたりと立ち止まって、少しばかり後退してしまった。
 ──ガキか、俺は。
 すかさず到来した自己嫌悪は心内で押し留めて、表情は取り繕う。

「……別に。それよりアンタ、学校生活用の備品とか準備し終わったのか? クレナやアンジュはいろいろと買い込んでたみたいだが」

 雑念を振り払うように明後日の方向を向いてライデンは話題をすり替えた。
 数日後から始まる学生生活のために、他のエイティシックスたちは日用品の買い出しに忙しい。女子は女子ならではの準備があるの、なんてしたり顔でクレナが言うくらいだ。女性、の彼女ならもっと準備はいろいろあるだろう。

「えっと……私は行かないよ?」

 けれど、返ってきた応えに、ライデンは目を丸くした。

「……は?」
「え……だって、あれは君達の教育プログラムであって私には必要ないから。私は基地に残って他の機甲グループの訓練のサポートとか、共和国からの派遣兵の管理とかいろいろする予定」

 休暇がてら施される隣町の学校での学生生活。初等教育すら受けていないエイティシックス達への教育プログラムではあるが、レーナも一緒に通うというから、てっきりレイネシアも来るかとライデンは思っていたが、違ったらしい。

「……いやでも、アンタも休暇が必要だろ。働き詰めじゃねえか」

 とはいえ、だ。共に学校へ来ないにせよ、休暇という名目上、彼女だって任務から離れるべきではないのか。
 怪訝な表情をしたライデンに、しかし彼女は苦笑する。

「んー……戦場に出るわけじゃないし、勤務スケジュールも君たちが学生生活送るのと似てるから休暇みたいなものだよ。それに、共和国に帰る場所はないしね」

 ふと、微笑んでいた相貌が僅かに陰った。なんてことはないといった表情で、しかし奥底にある哀しみは隠しきれない。
 大攻勢で彼女は親類も友人も全員失った。白系種の知り合いなんてものはもはやレーナやアネットなどの部隊員しかおらず、帰るべき家は、ない。
 なんと返せば良いか分からなくて「そうか」と、ライデンは当たり障りのない言葉を選ぶ。
 自分にとって共和国は帰るべき、守るべき祖国ではない。祖国なんてものは自分達の世代のエイティシックスにはない価値観だ。
 けれど、彼女にとっては。仮に親しい人間がいたのなら守るべき国になっていたはずだ。帰るべき場所もあったはずだ。
 迫害を受けながら、けれど少なくとも家族のような関係の仲間がいて、今は帰る場所もある自分達と。
 迫害した側で、家族も友人も失い、帰るべき場所も失った彼女と。
 対比してどうということもない。どちらがより哀しいとか、そんな背比べは意味がない。
 ただ、一緒に生きろと、無意味に死ぬなと手を伸ばして、結局、自分は彼女に何ができるだろうと。言葉がひどく、空疎になっていないだろうかと、思った。

「……というか、さっき共和国からの派遣兵がとか言ったか?」

 陰鬱な思考に陥りかけたライデンは、はた、と会話の中で出てきた不穏な単語に気付きを覚えた。
 ライデンの視線に彼女は肩を竦める。

「連邦軍が共和国に駐留してる分、共和国からも一定数の部隊を派遣することになったの。共同戦線のための士官の訓練って名目だけど、来るのは、ハズレクジ引いた、と思ってる厄介な白ブタ達ってところかな」

 口元は弧に歪めながら、歯に衣着せぬ物言いでばっさりと切り捨てた。心内がよく表れていると苦笑する。

「色付きに教えを乞いたくないと思ってても、連邦が一方的に駐留するのも後々面倒になるからね」
「面倒?」
「我が国を武力を以って不当に占拠した、とか。……あり得ないだろ、て顔してるけどなくはないよ?」

 思わず顔を顰めれば、今度は彼女が眉尻を下げた。
 確かに。あり得ないが罷り通るのか共和国で、だからこそ自分たちの無様を直視できずに滅亡までしたのだ。

「立場を明確化させる、てか」

 意図を汲んだライデンが苦く吐き捨てれば、レイネシアは頷く。

「向こうの軍人もきちんとこちらに来ることで互いに対等フェアな関係だと事実を積み重ねる必要があるの。ただ、どうせ色付きうんたらぼやいて面倒ごと起こしそうだから、この一カ月は客員士官の私が面倒を見ることになったわけ」

 レーナは学生生活な上に部隊の面倒を見る立場でもない。アネットとダスティンも然りで、必然的に、戦場を知り且つ部隊長も務めるレイネシアに白羽の矢が当たった次第だった。
 理屈としては分かる。
 ただ、ライデンは苦い表情を崩さない。

「……それ、何も起きないなんてことないだろ」

 トラブル、揉め事が起きることは明白で。休暇どころか戦場より厄介な仕事を押し付けられていないかと。
 しかし彼女は戯けた調子で苦笑する。

「私は一応、"誇り高き"白系種だからね。面倒とは言っても流石に連邦に押し付けられないよ。レーナたちに押し付けるなんてもってのほかだし」

 仕方ない、と諦念を口にする横顔を一瞥して、ライデンは嘆息する。どうしようもないとはいえ貧乏くじも過ぎるだろう。エイティシックスに対する差別が消えたわけでもなく、そのエイティシックスと共に戦場を駆ける彼女なんて白ブタにとって格好の的だ。
 ただ、自分に何ができるわけでもない。硬い表情の彼に、レイネシアは「心配するくらいなら、ちゃんと勉強してきて」なんて大人みたいなことを言うものだから、今度は仏頂面になる。
 子ども扱いするな、と口にしかけたけれど。

「フォンベルク少佐、少しいいかしら。連邦からの派遣士官のことなんだけど」
「はい。じゃあ、またね」
「……おう」

 ひらりと身を翻して、彼女はグレーテに呼ばれて行ってしまった。揺れる銀糸の髪を見送って、ライデンはもう一度、深く嘆息する。
 何ができるわけでもない。それでも、胸の内に渦巻く不快感は拭えない。

「あー……クソ」

 居住区画へ戻る脚が、止まる。床に張り付いたように動かなくて、その場でしばらく俯く。部屋に戻ってシャワー浴びて一眠りすれば良いのに、悶々と余計な思考が頭をよぎった。
 心配しなくていいとか、ちゃんと勉強しろとか。言わんとすることは理解できても素直に受け止められない。子ども扱いするなと言えば、それはそれでただの子どもだ。
 一緒に生きたい。傍で笑ってほしい。
 ライデンの願いに彼女は泣きそうな顔で、それでも応えた。生きたいと望んでくれたからもう無茶はしないだろうし、己を顧みない姿勢も見せないだろう。だから、心配するな、という言葉はその通りの意味だ。面倒だと認識しているが、対処できる範囲と思っている。
 それは、喜ばしいことなのに。
 何故だか、不満だ。

「……ガキかよ、ほんとうに」

 くしゃりと髪を乱雑に掻き回して、低く独りごちた。

 ──刹那だった。

「家畜ごときが、指図をするな!」

 ひどく、耳障りな声が、耳朶を打った。

     *

 日常はあっさりと奪われる。いつまでも続くと思っていた当たり前の日々は、ある日突然、何の前触れもなく終わりを告げた。
 いつも通りの日々をただ過ごしていただけだ。何か贅沢をしたわけでも、犯罪に手を染めたわけでも、他国を侵略したわけでもない。自分たちはただ、いつも通りの日々を生きていただけだ。
 なのに、奪われた。無情に、無遠慮に、不義理≠突きつけられて日常は滅んだ。
 自分たちはただ、誰の自由も権利も侵害せず当たり前を生きていたのに、奪われた。無辜の民は殺戮に呑まれ、非情の炎は何もかもを燃やし尽くした。業火に焼かれ、逃げ惑う民に悲痛な叫びが漏れる。
 いったい、自分たちが何をしたというのか。
 どうして、このような目に遭っているのか。

 ──そうだ。

《エイティシックス》

 ──やつらのせいだ。

《汚い色付き》

 ──義務を果たさない家畜のせいで。

《人語を喋る豚》

 ──みんな死んでしまった。

 それは、許されない。
 奴らを、許してはいけない。
 義務を果たさなかった奴らを糾弾して、もう一度、管理しなければいけない。
 自分たちは、誇り高い白系種なのだから。

     *

 リフレッシュルーム、と看板が掛けられたその部屋で、名前に似つかわしくない空気が漂っている。

「おい、何やってんだ」
「ライデンさん……」
「なんか、道に迷ってたみたいで。それで俺達に聞いてきたんすけど、逆ギレされて」

 駆けつけてみれば、入り口付近にいたのは、《ヘイムダル》の小隊長のイオリと《クレイモア》の隊長のリト。ステゴロ大会の結果でも話していたのか、手には飲み水を入れるボトルが握られていた。
 そして彼らの目の前にいたのは。

「逆ギレだと……?」

 白銀の眼が怒りに燃え上がる。

「わざわざ噛み砕いて話してやったというのに、理解できないのはお前たちの怠慢だろう!」

 烈火の如く怒り、唾を飛ばし散らす共和国軍人。紺青の軍服はもはや見慣れたものだが、着る人間によってこうも印象が変わると、改めて突きつけられる。大の男二人が、十歳以上は離れているだろう子どもにみっともなく怒鳴り散らす無様。
 なぜ、共和国人が此処に、という当惑と、変わらない白ブタの態度に辟易する二人などお構いなしに、男たちは喚き散らした。

「けがわらしいエイティシックスがっ! ろくに道案内もできないのか! 家畜はどこへ行っても家畜だな」
「んだと」
「よせ」

 自分たちはもう支配層ではないことが理解できない白ブタにリトの片眉が上がり、イオリの目が眇められ、ギリっ、と鈍い音を立ててボトルを握り締めた。もっともな反応だがライデンは彼らを制す。

「俺達は、共和国の士官用の執務室に案内しろと言ったんだ!」
「……申し訳ありませんが、自分たちは貴官のことを知らされていません。案内の文官はどちらに行ったか教えてもらえますか」

 二人を自分の後ろへと遣り、男たちの前に立つ。
 あくまで穏便に済ませようとするのは何も白ブタの機嫌を取りたいとか、連邦の体面を保つとかそんな理由じゃない。
 同じ地平に落ちる必要はもちろんないし、何より──呆れた様子で肩を竦めながら、面倒ごとを引き受けた彼女の心労が増えてほしくないだけだった。彼女が話していた共和国軍人とは、おそらくコイツらだろう。
 視界に入った階級章を確認し、邪険にせず、静かに穏便に。隣の二人が目を丸くしているがお構いなしだ。不快感などおくびにも出さず、いち尉官として毅然としかし丁寧に対応した。

 それでも、醜悪を煮詰めた人間は、どこまでも愚かで。

「ロクに案内すらできないのか! この、家畜風情が!」

 耳障りな声が、室内に反響する。嗚呼、やっぱり白豚は変わらない、と諦念が胸を掠める。
 しかし──

「撤回しなさい」

 不快な反響音が、収まると同時に。
 怜悧な声が、彼らの背後から聞こえた。

     *
 
 共和国からの派遣士官のうち、先遣隊として数人が連邦入りする。
 その情報自体は数日前に聞いていた。伝達要員の文官が派遣人数と期間を記した電子ファイルを持ってきた時に口頭でも説明を受けている。その先遣隊が本日付で着任することだって。
 だが、案内の文官がグレーテの元に連れて行くと聞いていたが、最悪を想定すべきだった。
 有色種を人と見做さない白系種が勝手に動き回ることくらい、予測できたろう。グレーテに呼ばれ「勝手にどこかに行ったみたい」と肩を竦められ、探すのを手伝ってくれないかと言われた時には正直、頭を抱えた。
 仕方ない、と。さっそく面倒ごとがのしかかってきたと重い足取りで居住区画へ戻ろうとした脚を回れ右した先。
 聞こえた怒声に、一瞬で、怒りが沸点に達した、

「先ほどの言葉を撤回しなさい」

 凛と、静かな声音で告げたレイネシアは、佇立する三人の脇を通り抜け、白系種の前に立った。真っ直ぐ見据える瞳には怒りの焔が灯っている。声を荒げはしないが、圧倒的な怒気を腹に押し留めて。
 その威圧を感じ取ったのか、白系種の男達は一瞬、気圧されたがしかし直ぐに鼻を鳴らした。何を馬鹿なことを、と言わんばかりに。

「いったい何を撤回するってんだ? 家畜を家畜と呼んだことか?」

 おそらく、レイネシアが部隊長としてエイティシックスと戦場を駆けていることを知っているのだろう。蔑視を隠しもしない。
 暖簾に腕押しなことは明白で。
 それでも、レイネシアは続けた。

「自分達の言動が"共和国の尊厳"も踏み躙っていると分からないのなら、今すぐ自らを共和国人と自称することをやめなさい」

 伝わらない、なんて分かっている。軍に属してからの歳月で嫌というほど共和国人彼らを見てきた。
 人は醜悪だ。世界は綺麗なんかじゃない。
 それでも。

《生きてくれ》

 リフレインした彼の声に、拳を握る。
 仕方ない、言ってもわからない、愚かな奴らだから。
 昔のようにそうやって、さもありなんと、悪意を穿った目で見るだけの愚者になるのは、ごめんだった。

「先遣隊として派遣されたにも関わらず、共同戦線を組む他国で"その国の兵"とトラブルを起こすような士官を共和国は寄越した……ご立派なことね」
「っ、なにを」
「事実でしょう」

 喚きに一才動じず、淡々と、詰める。
 
「己の国の国是すら忘れて唾を吐き続ける愚鈍な軍人など、不要なだけよ」

 凛然と言い放つレイネシアに、男たちはぐっと言葉に詰まった。言い返そうにもまともなスラングすら思い浮かばないのか、口をまごつかせる。

「……ああ、そうか」

 しかし、ゆらり、と。
 一人の男の視線が、レイネシアから背後の、ライデンへと向く。
 口元が、厭らしく歪んだ。

「俺達、共和国の男に相手にされないから手頃な奴らを懐柔、、したんだな。惨めったらしい、阿婆擦れが」

 ──咄嗟に制したのは、正しい判断だった。

「シュガ中尉、やめなさい」

 一歩、彼の足が踏み出すのが視界に入った刹那、硬い声音を出す。幸い、ぴたりと足は止まったが、溢れる怒気に冷や汗が流れた。あと数秒でも遅かったら、おそらく目の前の男の顔面は凹んでいただろう。
 冷えた獣の思考。敵を、獲物を狩る怜悧で残酷な殺意を押し殺した彼に、しかし男達は気付かない。
 それどころか、火に油を注ぐ。

「今すぐここで泣いて謝れば、相手をしてやってもいいぞ」

 レイネシアの足先から頭のてっぺんまで、視線で舐められる。夏場の薄手の服に、適度な肉と筋肉が付いた躰を品定めするように。
 下賎な視線を向けながら、己の愚に気付かない、醜悪。
 相手をするのも面倒だが、隣の狼の待てが効かなくなる恐れがあった。
 ひとつ、息を吐いて、レイネシアは彼らを見据える。「そうね」と呟き、一歩二歩前に出て、彼らの眼前に立った。
 にこり、と。爽やかな微笑を湛えて。
 
「惨めったらしく白色に縋って、それ以外の価値を持たない男達に操を捧げるくらいならレギオンに首を取られた方がマシだから、ご心配なく」

 お前たちは、レギオン以下だと。
 命と操を天秤にかけても、前者に傾くと。
 これ以上ないくらいの侮蔑を、与えた。
 一瞬、ぽかんと呆けた間抜けヅラがレイネシアを見つめる。数秒もかけて言葉の意味を理解した彼らは、みるみるうちに羞恥と怒りに顔を朱に染めた。

「貴様ァ!」

 伸びてきた手が、空を掴む。そこにいたはずのレイネシアを掴み損ねた腕を払い、代わりに突き出した脚に引っ掛かった無様な体躯が地に落ちた。
 嗚呼、レーナに失礼だったな。
 今のレーナでも、充分にあしらえる。
 薄ぼんやりと思考する余裕すらある中、何が起きたか理解できず、天井を見上げて口をはくはくさせる男の顔の横に。
 ガツンッ!、と鈍い靴音。

「私、自分より仕事ができない男が苦手なの」

 佇立するもう一方にも視線を遣り、ゆっくりと床に転がる男を見下ろす。唖然としながら、若干の怯えが入った瞳に、酷薄の笑みを向けて、告げた。

「相手をしてほしかったら、レギオンの首の一つや二つは手土産に出直しなさい、できるものならね」

     *

 正直、部屋にどう戻ったかうろ覚えなくらい、頭に血が上っていた。玲瓏な、涼やかでそれでいて有無を言わせない声で制されなければ、きっと自分は男を殴り倒していた。

「──わざわざ突っかかる必要なかったんじゃないのか」

 隠せない獣性を宥めて、男達に踵を返して立ち去る彼女を佐官用の執務室へ送り届けた後に、問いかける。不満丸出しの声音は子どものようだが構わない。

「あいつらだろ、アンタが今後相手をするのは。わざわざ面倒ごとを起こさなくても良かったじゃねえか」

 振り返った彼女が真っ直ぐライデンを見つめる。その目を見て話そうとしたけれど、少しばかり視線を逸らした。
 抗議の声を上げた彼女に、一瞬、ひやりとした。彼女の実力からして怪我をするとかはなくても、その心が、傷つけられるかもしれない、と。
 だから、彼女の尊厳が、矜持が、何も知らない白豚に軽んじられた瞬間、無意識に踏み出して殴りかかりそうになった。
 自分一人ならどうだっていいけれど、彼女が巻き込まれるのは、ごめんだ。

「別にあんなこと言われ慣れてる。俺たちにとっちゃ、怒りを覚えることすら面倒なくらいだ」

 図らずもつっけんどんな物言いになる。彼女が悪くないことは理解しながら、それでも、嫌だった。彼女まで白豚の悪意と憎悪に巻き込まれるなんて、見たくもない。
 勝手に首を突っ込むなと言えば引いてくれるだろうか。自分達と白豚の確執であって、アンタは関係ないと──

「私が嫌だから」

 玲瓏な声が、耳朶を打つ。
 鬱屈した思考は、凛と、毅然と言い放った彼女に塗り替えられた。
 目を瞠ったライデンと彼女の視線が交錯する。

「たとえ自己満足だとしても、言って伝わらないとしても、怒りを抑えるなんてことをもう、したくない。見て見ぬふりをしながら自分はあいつらと違うなんて、思いたくない。私が、嫌なの」

 固い意志が見える瞳だ。諦念を捨てた、抗議の焔が灯った、瞳。声を上げなければ容認していると同義だ、と雄弁に語る、瞳。
 真正面から自分の立場に、自分の気持ちに向き合う強さが、そこにはあった。
 嗚呼、そうだ。彼女は、そういう人間なのだ。
 
「それに、女だからと陰で言われるのもいい加減鬱陶しいから、清々した。私より能力が下の男に売る媚びなんて持ち合わせてないし、ざまあみろ、て感じだよ」

 ふんと鼻を鳴らして、彼女は吐き捨てる。虚勢を張ってるわけでなく、本心だろう。好戦的な笑みだ。
 六年前とは違う、気の強さを感じる口調にライデンは思わず吹き出した。

「レギオンの首取るなんざ、酷なこと言うじゃねえか。そもそもジャガーノートに乗り込む段階で無理だろ」
「格納庫にすら行けないだろうね」

 視線が交錯して、笑みが溢れる。互いにひとしきり笑い合った後、ライデンはひとつ息を吸って彼女を見た。

「ありがとうな、レイネシア」

 きょとんと、目を瞬かせた彼女に頬をかく。どこか気恥ずかしいけど、それでも伝えたくて。

「当たり前すぎて怒るのもアホらしいと思ってたが、アンタが怒ってくれるのは……嫌じゃない」

 昔の自分ならきっと、偽善者ヅラすんな、と吐き捨てていた。共和国人が自らの贖罪のために自分達を利用するなと。
 けれど、ライデンはもう知っている。彼女という人間が、どのような性状かを。守るために地に足をつけて、戦うことができる人間だと、知っている。
 だから、言葉にして伝えたくて。

「……本当は、君にももっと怒ってほしいんだけどね。けど、そう言ってくれて良かった」

 一呼吸置いた彼女は、ゆったりと目を閉じて、ライデンを見上げた。
 銀の瞳が、柔らかに。

「理不尽に対して怒ることを認めてくれるのは嬉しいし、安心する。私のことを否定しないでくれるのはね、嬉しい」

 他者の受ける理不尽に怒りを覚えることは身勝手としながら、それでも声を上げる彼女は──

「ありがとうね、ライデン」

 目尻を下げて、華のように、ふわりと穏やかな、可憐な微笑みをライデンに向けた。
 荒野に凛と咲く一輪の花が、陽光を受けて煌めいたような。自分にだけ向けられた、その笑顔に──

「……礼を言われるようなこと、してねえよ」

 無意識に伸びかけた手を、理性を総動員して押さえ込む。己が行動の不自然さに、けれど彼女は気づかない。
 これは、マズイかもな。
 頭の片隅で、状況を俯瞰した自分が嘆息した。





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