いとしい人よ



 演習を終えた尉官達に報告書類の提出を命じて散会する。レギンレイヴの扱いに慣れていない新兵から自分より戦歴の長い古参兵が個々に、或いは仲間同士で談笑しながらその場を去った。今日のご飯なんだろう、シャワー浴びたらトランプしよう。日常的な会話が飛び交い、各々が一日の終わりの貴重な休み時間を満喫しようとする様子に頬が緩む。
 その途中、男女のエイティシックスが仲睦まじく笑い合っていた。付かず離れず、絶妙な距離感で。その場面に出くわした他の隊員が何やら冷やかしを口にして、場は一気に春めいた雰囲気になる。なになに、いい感じじゃん。二人はそういう関係? 違うよ、そんなんじゃない。そんなんってどういうことですかぁ。軽快な会話が飛び交い、当事者の二人は顔を真っ赤にして俯いていた。色恋沙汰はいつだって若者の興味を引く。
 そんな光景を見ていたからか。
 ふと、レイネシアの脳裏に先だっての会話が思い浮かんだ。


「──で、ライデンと何があったの」
「……え」

 青天の霹靂だった。唐突に降ってきた質問は彼女を直撃して、思考停止に陥らせた。
 食堂で女子隊員が揃ってランチタイム。明日には学校に行くからと、少しばかりの別れを惜しもうと何人かの女性隊員と食卓を囲った時のこと。クレナが発した問いに、レイネシアは数秒固まって、呆けた声を出した。
 迎撃体制が整っていなかった彼女を襲った爆撃に、追撃が来る。

「最近、隊長の視線がシュガにいってるのは把握済み」
「あ、アヤメっ! 何言って」
「んー、それを言うとライデン君も気にしてるわよね。少佐の方ばかり見てるし」
「かと思えば、なぁんか考え事する日も増えたし?」
「それとなく聞いたら察するのか避けられるし」

 スピアヘッドで長年、ライデンと戦場を共にしたクレナとアンジュ、ヘイムダルのアヤメなどから色恋沙汰が楽しくて仕方ない隊員まで揃って好き勝手に自身が見た二人の様子を口にする。
 わざわざランチタイムを狙ったのはこのためか。食べ終わるまでは席を立てない、かといって無視して食べることもできない。
 スクランブルエッグを突きながら、何これ逃げたい、と冷や汗が全身から吹き出るレイネシアに、しかし逃げようがない質問が飛んで来た。

「だからね、少佐」
「シュガと付き合ってるの!?」

 数秒、硬直。
 付き合う。付き合う。鼓膜に反響する声を理解するのに時間を要した後、素っ頓狂な声が漏れた。

「つ、き……はぁ!?」
「違うの?」
「違う! そんなの、」
「じゃあ、ライデン君のことなんとも思ってないんですか?」
「なんとも、て……」
「なんか言われたのかな? て思ってたんだけど」

 アヤメ、アンジュ、クレナから探るような双眸が向けられて、言葉に詰まる。
 脳裏に蘇った言葉と、声音と、表情。寒空の下、抱きしめられた体躯の感触は今でも鮮明に覚えている。
 一緒に生きろ。
 その時の熱だって、容易に思い出せる。優しく、力強い声だって。
 だから、意識しないようにしていたのだ。

「その、ちゃんと前見ろみたいなことを言われたけど……」

 口をまごつかせながら、改めて、思う。
 一緒にこれからを生きろなんて、そんなの。

 勘違いしても仕方ないではないか。

 だがしかし、相手は子どもだ。二十歳にもなっていない若者だ。ちなみに、グレーテ曰くレイネシアもまだまだ子どもの域とのことだが、共に学校生活を送るわけでもない。明確な線引きがされている。
 けれど、揺れ動く胸の内は否定しようがない事実だ。自分が何故、彼を視線で追ってしまうのか、どうして話すたびに、視界に入るたびに、心臓が早鐘を打ったり、頬が緩んでしまうのか。
 どれだけ自分を律して、大人だと自戒して、歳上らしく振る舞ってもいつか見透かされてしまうんじゃないかと、不安になる。

「隊長?」

 彼はきっと、そんなつもりではない。

「少佐、しょ う さ」

 ただ、自分のことを心配してくれているだけだ。そうでないと、説明がつかない。一緒にいた時間なんて彼女達に比べたらあまりにも──

「たいちょう!」
「……あ、え? なに?」

 唐突に耳朶を強打した声に揺蕩っていた意識が強制的に引き戻される。びくんと肩を揺らして瞬いた彼女を面々は、じい、と見つめて深く嘆息した。

「……前途多難ね」

 苦笑したアンジュに、レイネシアは所在なさげに眉尻を下げた。

     *

 所と時間が変わってギアーデ連邦士官学校の食堂。午前の授業が終わり、やれやれ少しは羽が伸ばせると、気の抜けた顔のエイティシックスの少年少女たちで溢れている。ビュッフェ形式で、各々が好きなだけ目当ての惣菜を皿に山盛りにしていた。

「──で、少佐と何があったの」
「………は?」
「連合王国から帰ってから、なんか仲良いじゃん。名前で呼んだりとか、雰囲気とかいろいろ」

 例に漏れず、スクランブルエッグと厚切りのベーコン、山菜のオイル炒めなど、こんもりと盛り付けて席に着いたライデンが、ここ最近はよくあいつと食べてたな、なんて薄ぼんやりと考えながら食べようとした刹那、目の前のセオが唐突に爆弾を落とした。本当にいきなりだ。前兆など何もなかった。
 迎撃体制を整える間もなく、左隣にマルセル、テーブルを挟んで二時方向にユート、十時方向にダスティン、最後にゆったりと、シンが右隣に座る。やられたも何もないが、示し合わせた面々の行動に、ライデンは内心盛大に舌打ちをした。どいつもこいつも愉快の二文字を顔に貼り付けている。特にシンはいつも通りの能面だが長年の付き合いでわかる。これは割と楽しんでいる時の顔だ。

「別に」

 となれば、自分ができる最善策は鉄仮面を被って取り繕うことのみ。揶揄という娯楽の提供などまっぴらごめんだし、外野から物見遊山の感覚で見られるのもたまったもんじゃない。シンとレーナじゃあるまいし。

「ふうん?」
「へえ」
「ほぅ」

 意味深な声音のセオとマルセルは口元が孤を描いている。実に憎たらしい。興味なさげなユートも若干、声が弾んでいる。これは割と貴重だが。
 めんどくせえな。
 ガスン、とベーコンにフォークを刺し、一口で放り込む。ガツガツと何も言わずに食べ進めるライデンに、セオが「というかさ」と、前置いた。
 
「高等教育を受けたレーナは学校(こっち)にいるのに、少佐は基地に残ったんだね」

 さも、何でもありませんよ、といった口調だが視線は好奇に満ちている。
 誰が乗ってやるか。
 咀嚼し、嚥下してから、ライデンはスクランブルエッグを掬った。

「そうらしいな」
「でもさぁ」

 ふと、セオの声が少しだけ神妙になる。

「レギオンとの戦争始まった時って、少佐は十ニ歳とかそこらでしょ? それから高等教育受けてても十六歳で軍に入隊してハンドラーとしてやってきたわけじゃん。それって、けっこうしんどかったと思うんだよね」

 呟かれた言葉に、ライデンの右手が止まった。視線がゆらりと、セオへと向く。
 明後日の方向を見つめながら、セオは続けた。

「戦争が始まった時はまだ子どもで、それでも自分が”迫害者”側と理解できる程度には分かってたわけじゃん。そんな人間が平和を享受して、壁の外の世界を知らないふりなんてできるわけないし、いろんな感情を押し殺してきたと思うと、わりとしんどいよな、て思うわけ」

「ま、死ぬわけじゃなかったろうけどさ」と嘆息するセオに、しかしライデンは思案した。
 彼女は、視ていた。友人が屠られる様を同じ視界で。罪を犯していない、世界の悪意すら理解できていない友人が、惨殺される無情。
 子どもながら、それが正しくないとは理解していたろう。
 自分より大人で、歳上の元ハンドラーで、軍属の人間としてレーナよりも長く任務に就き、醜悪な白豚の業も非情な戦場も見てきた彼女だけれど。

『心配しなくていいから』

 心を休める誰かとか、許せる相手とか。
 肩の荷を下ろす場所が、あったのだろうか。
 両親とも連絡をほとんど取らず、己の役目に徹していた彼女に。
 子どものように振る舞える瞬間は、これまであったのだろうか。

「……というわけで、ライデン。どうなわけ?」
「は?」
「少佐のこと、どう思ってるの?」
「どう、てお前」
「好きかそうじゃないかの二択じゃん」

 妙に真面目な話をしたかと思えば、やはり本題はそこなのか。スパン、とセオは言い切った。
 明らかに意識しているだろうと詰め寄るような口調に、けれどライデンは肩を竦める。

「別に、何があったわけでもねえよ」
「へえ。なら他人が掻っ攫っても問題ないな」
「は?」
「ライデン、目、目」
「シンのこと笑えないレベルだよ、それ」

 冗談だろうに真顔と平坦な声音でユートが宣うものだから、ライデンの眦が釣り上がり、ダスティンとセオが嘆息する。馬鹿野郎、シンよりはマシだと声を大にして言いたかったが、隣のシンが感情を読ませない血紅の瞳をじっとセオに向けたから言葉は口内に押しとどめた。

「てか、何も伝えてないの? ほら、あの雪山の時とかさ」

 シンの絶対零度の視線をなきものとして扱い、セオは頬杖をついてライデンを見遣る。
 何もないわけないでしょ。
 言外の問いに、ライデンはスプーンを静かに置く。
 一緒に生きろと伝えて、それに彼女は応えた。前を向いて、ちゃんと自分のことを考えると口にした。
 その言葉の意味は、ライデンだって考えていないわけではない。
 この先、一緒に生きたいと望んだのは自分だ。死んでほしくない。笑ってほしい。それはもちろんだけど、その姿を隣で見たいとも望んでいる。
 けれど、彼女は──

「何もねえよ──たぶんな」

 彼女にとって自分は、いったいどういう存在なのか。
 気持ちを押し測れるほど、ライデンは彼女を知悉してはいなかった。

     *

 珍しいから揶揄ってやろうとか、たぶん最初はそんなつもりだった。いつも兄貴分として周りをよく見て、声もかけて、世話もするライデンが歳上の士官相手に懸想しているなんて面白い以外のなにものでもない。
 けど、自分が思っていた以上に我が隊の兄貴分は奥手で、相手もまた同じならしい。冷静に考えれば当然かもしれない。
 白系種の元ハンドラーと有色種のエイティシックス。本来交わるはずのなかった二人なのだから。

「アンタさ、ライデンのことどう思ってんの?」
「……はい?」

 ならば、外野が何とか突きたくなるのは致し方ないことだ。シンとレーナほど甘酸っぱくもどかしい関係ではないが、見ていてどうなるのかは気になる。幸せになってほしい。そんな純真無垢な応援をしたいわけではないけれど、心労耐えないライデンが心許せる相手ができたのなら、喜ばしいことではあると思うから。
 半ば休暇で訪れている盟約同盟。軍人の保養施設の一つのラウンジの一角で、セオはどかりと、ふかふかのソファに座り込むと、ローテーブル越しに彼女に問いかけた。某かの本を読んでいた彼女は急に目の前に現れたセオに目を丸くして、そしてこてんと首を傾げる。
 
「急にどうしたの、リッカ少尉」
「セオでいいよ。僕も名前で呼ぶから」
「……それは、」
「なに、嫌いなの? 僕のこと」
「いや、そんなことはない、です」
「ならいいけど。で、どう思ってんの?」

 急に質問が飛んできて、さらに名前で呼んでいいとか。正直彼女、レイネシアにとっては状況把握が難しいところだろう。
 一ヶ月の休暇が終わり、学校から戻った自分達と今度は訓練、と言う名の半ば休暇で盟約同盟へ。盟約同盟の技術供与で組み立てられた新型機の最終テスト要員ということだが、テストがまだ始まらないため少しの間、休暇の延長だ。
 だから、軍務の合間の時間は文字通り手持ち無沙汰で、保養地に備え付けられた大型の風呂でエイティシックス含め、レーナやアネット、ダスティンなどは慰労会のようなことをしたが、その場に彼女はいなかった。聞けば、盟約同盟の士官とのテスト時間の打ち合わせや、連邦への報告資料の作成などグレーテの補佐を務めているという。
 なかなか捕まらない彼女が、今日は午後からは休養だと他の士官に聞いて、辿り着いたのが質素なラウンジ。柔らかな陽光が薄いカーテンレース越しに降り注ぎ、一角にはバーが備え付けられた洒落た空間。ゆったりとソファに腰掛ける銀髪を背後から確認して、目の前に座った。
 唐突に現れたセオからの、これまた唐突な問い掛けに、彼女は視線を泳がせる。

「どう、てその……大事かな」
「そんなのみんなでしょ。《ヘイムダル》の奴らとかもそうじゃん」
「いや、それはそうなんだけど……」

 歯切れが悪い。何かを言いさして、けれど口にできない、そんな曖昧な態度を繰り返されるものだから、セオの口からは盛大なため息が溢れた。

「あのさあ、シンとレーナじゃないんだから、言わんとしていることくらい分かるでしょ?」

 白銀の瞳を見つめる。真っ直ぐ、見据えた視線に彼女は僅かに口を引き結び、交錯したそれを逸らす。パタンと本を閉じて、眉尻を困ったように下げて。

「分かりたくはないけどね」

 曖昧に笑う。心の内を見せない、はぐらかす大人の対応。セオの周りのプロセッサーや共和国人にはない、ずるさ。それは相手を貶めようとする狡猾さはないけれど、どこか疎外感を覚える態度だった。

「ひとつ言いたいんだけど」

 嘆息して、ひとつ間を置いてから、セオは彼女を正視する。しっかりと、見つめて。

「レイネシアが思っているほどライデンは子どもじゃないし、レイネシアは大人じゃないよ」

 へらりと曖昧に笑っていた彼女の表情が固まる。真摯な眼に逃げられないと悟ったのか、俯き、黙した。
 きっと、ライデンが好意を寄せる相手なのだから、悪い奴ではない。それは同じエイティシックスの《ヘイムダル》の隊員の反応を見ていても分かるし、何よりこれまでの彼女の行動を鑑みれば白ブタと同格とみなすわけはなかった。
 ただ、だからこそ、セオは口にする。

「レイネシアがどうしたいかは僕にも分かんないけど、どんな選択をしたところで誰も咎めないし、そんな権利もない。けど、僕としてはさ、同じ隊というか昔馴染みというか、仲間としてライデンには幸せになってほしいわけ。こんな世界でも、誰かとご飯食べたりくだらない話したり、一緒にいたいと思えるなら、それは叶えてほしいって思うの」

 醜悪を煮詰めた世界でも、確かに手を伸ばしたい相手がいるというのは、幸せなことだ。

「だから、いろんなことから逃げないでほしい」

 ぴくりと肩を震わせた彼女が、小さく息を吐く。瞑目して、緩慢に瞼を上げた。
 銀の瞳が、柔らかな色を灯してセオを見つめる。困ったように眉尻を下げて、彼女は微笑んだ。

「セオは大人だね」
「別に普通だよ。むしろ、レイネシアが割と子ども」
「それ言われると、ぐうの音も出ないのが辛いなぁ」

 決してムキになって言い返さず、セオの指摘を受け入れる。相手の主張を自分の中に落とし込む度量があるという点では確かに大人だけれど、ライデンのこととなると子どものように及び腰になるアンバランスさ。
 きっと、この人もしがらみの中で生きている。

「もし、大人とか、共和国人とか、そんなことで悩んでるんだとしたらさ。諦めなよ」

 すくりと立ち上がり、セオは彼女を見下ろした。
 視線を向けた彼女に、にっと笑って。

「ライデンは、割と頑固だから」

     *

「それでさあ、せっかく誘ったのに『ごめん、一人で行きたい』て何!? なんであたしと一緒じゃ嫌なの嫌われてるの!? どう思う!?」
「…………おう」
「なにその反応! めんどくせえガキだと思ってるでしょ! ちょっと歳上だからって大人ぶんないでよ子どものくせに!」

 お前の方が子どもだろうが、事実。
 内心、盛大なツッコミを入れたが、大人なのでライデンはその言葉を呑み込んだ。大人なので。

「単に一人で買いたい物でもあったんだろう。なんで悪い方に考える」

 代わりに大人らしい返答をしてくれたのは隣で、うんざり、といった様相で聞いているニコだ。手に持つ盟約同盟の観光パンフレットから視線を外さずに答える。
 ホテルの一階ロビーのラウンジ。重厚な大理石の円柱が天に伸び、吹き抜けの天井とガラス張りの窓の外に広がる雄大な山麓が解放感を与える。優雅なひと時を楽しむため、盟約同盟特産の紅茶や乳製品を使用した菓子類が提供される落ち着いた空間のはずが、現在は連邦からの珍客用に貸し切られているため、本来の利用客の年齢層よりだいぶ低い。
 その一角で、行儀悪く喚いているのは《ヘイムダル》のアヤメ。テーブルを挟んで辟易した表情を浮かべているのがライデンとニコだ。もともと、アヤメに「話があるんだけど」と客室から連れ出されて、途中、目が合ったニコも巻き添いを食らった……というよりは、隊員の不始末を処理しようとついてきた感じだ。
 嘆息するニコに、アヤメはむくれたが、しおしおと肩を落とした。

「だって、いつも一緒だったのに、最近冷たい。嫌われるの嫌だもん」

 先ほどまで語気荒く喋っていたアヤメの声が萎む。心の底からの不安を体現する様相に、ライデンとニコは目を合わせて、嘆息した。

「あー……要は、お前はあいつのことが好きなわけだな?」
「す……はぁ!? そんなんじゃない!」
「いや、どう見てもそうだろ。一緒にいたいとか、嫌われたくないとか」
「べ、べべつに! 仲間として? ほら、兄妹として嫌というか!」
「ならイオリが他の奴とくっつくのは?」
「いや!!」
「ほらみろ」

 口の端を吊り上げたライデンに、アヤメが眦をキッと釣り上げた。毛を逆立てた仔猫のように、威嚇して。

「だいたい! あんたはどうなのよ!」

 感情の赴くままに、叫んだ。

「あたしは絶対にニコさんと隊長がくっつくと思ってたのに、急に割り込んできてさ! 隊長のことどう思ってんの!」

 転瞬、場が凍り付く。言われた意味を咀嚼するのに時間を要した。それは、隣のニコも同じだったようで、観光パンフレットに落ち、文字を追って上下していた視線が固まった。
 対するアヤメもアヤメで、自分の発言がよろしくはなかったと自覚はしたものの、時すでに遅し。言ってしまった手前、撤回できないものの、その先何も紡げずにぐっと言葉を詰まらせる。

「………アヤメ」
「あ、う……だって、だってぇ……」

 低く、硬質な声でニコはアヤメを嗜めた。一言だけで分かる叱責に、アヤメも半ベソをかく。
 なんだこの状況。
 えも言われない、宙ぶらりんな感覚を覚えながら、しかしライデンはアヤメの言葉を脳内で反芻した。
 隊長、すなわちレイネシアのことをどう思っているのか。くっつくのは、ニコだと思っていた。
 それは、そうかもしれない。そもそも自分達は出会いは六年前だが、まともに話し始めたのはこの数ヶ月だ。彼女と蜜月な関係になるとしたら、幾年も共に戦い、顔を合わせ、彼女の秘密を共有してきたニコだと誰もが思うだろう。
 買い物帰りのイオリに連れられ、自室へとずるずる帰るアヤメを尻目に、ライデンは徐に隣の彼に口を開いた。

「……お前、あいつのこと」
「勘違いするな」

 ピシャリと、はねつける声が被せられる。見れば、ニコは再度パンフレットの文字を目で追いながら続けた。

「確かにあの人が悲しむから死ねないと思ったし、生きようとも思った。けど、それだけだ。どうこうなりたいと思ったことはない」

 恬淡と紡ぐ彼に、しかしライデンは眉根を寄せる。

「なら、お前にとってあいつは何だよ」

 上官と部下以上に彼らの間にはつながりがある。大攻勢前からの古参兵。古くからの友人。秘密の共有者。
 コイツにとって、アイツは──

「手の掛かる姉貴」
「……は?」
「大人ぶって本音を隠したがる癖に、本当は臆病で、いつも虚勢を張る。こっちのこと心配するくらいなら自分の心配しとけといつも思う、面倒な姉貴だ」

 パタン、とパンフレットを閉じたニコは、隣りのライデンを見据えた。全てを包むような、広大な空を思わせる蒼の瞳が、彼を捉える。

「けど、姉貴だから″Kせになってほしい」

 きっぱりと、強い口調で彼は紡いだ。
 エイティシックスに血のつながりのある家族はいないけれど、培った関係性の中で生まれた"家族"はいる。
 たとえ、それが白系種であっても、ニコ・クロノスにとって彼女は大切な家族なのだと、その瞳は雄弁に語っていた。

「何があったかは詳しく聞かないが、あの人を悲しませるな。お前はあの人にとって特別なんだよ」

 強い想いが見える声音だが、返す言葉が見つからない。特別。その二文字は喜ばしいのか、それとも重荷なのか、受け取り方が分からなかった。
 黙したライデンに、ニコは静かに立ち上がる。

「臆病な死神と同列になりたくないなら、腹を括れよ」

 まさか、シンを引き合いに出されるとは思っていなくて、思わず思いっきり彼を見遣る。目を見開いたライデンに、彼は珍しく口元に弧を描くと、ヒラヒラと手を振ってその場を後にした。

「……はぁああぁあ」

 一人、残されたライデンは、その背が見えなくなってから、深く、大きなため息を吐いた。くしゃりと前髪を掴んで、俯く。
 自分の気持ちが分からないほど愚鈍ではないし、シンとレーナほど、もたついた行動を取るつもりもない。
 背中を押されて、それでも逃げ出すような臆病者になるなんて、ごめんだ。
 もう一度、深く息を吐き出す。出し切って、「よし」と、拳を握りしめて。

「誰が同列になるかよ」

 腹を括った人狼の瞳に、迷いはなかった。

     *

 貴女も休めと言われたけれど、彼らと自分の年齢差を考えると一緒にはしゃいだりとか、談笑したりするよりは、最終テストのための準備とか調整とか報告資料の作成とか、何かしら仕事をしている方が気が楽だった。一カ月、同じ白色の相手をした面倒な日々に比べれば、同じ軍務でもこちらの方がまだ良い。
 けれど、さすがに暇な時間とか、空き時間はできるわけで。

「街、出ないか」

 士官用の客室を訪れたライデンが、言葉少なにそう伝えてきたら、手持ち無沙汰に時間を一人で潰す選択肢なんてレイネシアにあるわけもなかった。

「……行き、たい」
「おう」
「えっと、ちょっと待ってね。今からだよね? あの、待ってて着替えてくるから!」
「あー、急がなくていいから。ロビーで待ってる」

 たった二言、三言、互いに返して一端別れる。パタンと閉じた扉に背を向けて、数秒、佇立。その後ゆったりと、放心状態でクローゼットを開けて、カチャカチャと服を手に取り、返す無意味な動作を繰り返しながら、けれど、レイネシアの頭の中は彼のことでいっぱいだった。
 これは、そういうことか。
 いわゆる、世の中で称される《デート》というものではないか。
 しかし須臾に、理性が待ったをかける。
 いや違う。そんなわけない。
 そうだ。エイティシックスの男女は幼少期から同じ居住空間のため、互いを男女と認識するより家族意識が強い。だから、この誘いだって──。

「……ちがう」

 錯綜する思考に、レイネシアは静かに首を振った。
 自分が思っているほど、彼は子どもではないし、自分は、大人ではない。
 大人だからと逃げる思考を咎めるように、セオの言葉がリフレインする。本当だ。こんな逃げの思考になる辺り確かに自分は、子どもだ。それは、自覚しないといけない。

「……よし」

 悩んだ末に手に取った服を袖に通す。普段は着慣れない、軍服以外の外行きの服を見に纏い、レイネシアは自室を出た。 



 ──しあわせ、とはどんなものだろう。



 石造りの建物群が林立する街中に、カフェやパン屋、スイーツ店など店舗が軒を連ねる。ホテルから一番近い街中で、ライデンとレイネシアは普段見慣れない異国情緒溢れる街並みを目で楽しんでいた。即興の演奏会が開かれたり、ジャグラーが大道芸を披露したり、非日常が繰り広げられる世界を二人で歩く。露店でクレープを食べたり、民芸品店を覗いたり、思い思いの時間を過ごした。

「──だいぶ歩いたね」
「ああ。坂ばかりだから、割と足にくるな」

 昼過ぎから坂の多い街中を歩き、辿り着いたのは赤い屋根の街並みを見渡せる小高い丘の上。街を散策し始めた時には頭のてっぺんにあった太陽は、斜陽を放っている。
 湖面と、街並みを淡く染め上げる橙色に目を細める。優美で、それでいて儚い景色を見つめていると。

「それ、あいつらの土産か?」

 ふと、掛けられた言葉に、レイネシアは彼の視線の先を追う。自身の手元。焦茶色の、少しばかり大きめの紙袋。口からちょっとだけラッピングされた商品が飛び出している。
 ライデンの問いに、レイネシアは頬を緩めて頷いた。

「うん。アヤメは甘いものが好きだからキャンディの詰め合わせ。あとイオリは写真が好きみたいだから、街並みの写真集と絵葉書。ニコはノウゼン大尉ほどじゃないけど濫読家だから、栞とかブックカバー。これ、この地方だけで編まれる生地なんだって。あと──て、ライデンどうかした?」

 喋りながら、レイネシアはライデンが口元を緩めていたことに気付いた。本人も無意識だったようで、ぱちぱちと数度瞬いた後に、苦笑する。

「いや。アンタ、ほんとうにあいつらのことが好きだよな」

 ライデンの指摘に、レイネシアはこのひと月余りの会話を思い起こす。
 確かに、連合王国から帰ってきてから、彼との会話の大半が戦隊員の話だった。ニコが最近語学の勉強を始めたとか、アヤメはお気に入りの洋服店があるらしいとか、日々の何気ない出来事ばかりを口にしている。
 理由は、理解できている。
 レイネシアは、ふと微笑んだ。

「──家族だから」

 ぽつりと、呟いた言の葉。愛おしい、その単語を舌に乗せた。家族という響きが、染み渡る。
 数歩歩いて、石造りの塀に手を乗せる。湖の先、山嶺に沈みそうな夕陽を見つめて、レイネシアは紡いだ。

「……私ね、ずっとひとりだと思ってた。大攻勢前から両親や友達とは連絡をとってなかったし、戦隊の運用や北部戦線全体の迎撃システムのこととかしか考えてなくて、ずっと一人だと思ってたの。戦隊のみんなのことも、仲間というより部下だと思ってて、守るべき相手だった」

 ひとりだから、何があっても構わない。自分がいなくても、守りたい相手は生きていける。
 ひとりだから、大丈夫、と。

「でもね、雪山でのあの時、ライデンに言われて気付いた。あの子達は、家族なんだって」

 脳裏に蘇るのは、彼らと過ごした日々だ。
 幸せになってほしい。未来を見てほしい。
 それは、家族だから。血のつながりがなくても、共に育ってなくても、それでも彼らは、自分にとって何者にも代え難い、家族。
 大切で愛おしい、家族だから。

「私は確かに、四年前に一番の仲間を、大攻勢で両親と友人も祖国も喪ったけど、新しい家族がいる。大切でかけがえのない家族が、私にもいる。それに気付けたのはね──」

 くるりと、振り返って、彼を見つめる。交錯した視線。じっと向けられた瞳に、微笑み、紡いだ。

「ライデン、あなた≠フおかげなの」

 伝えるべき言葉を、舌に乗せる。

 多くの人から背中を押された、言葉を掛けられた。その全てを思い起こす。
 たくさんの信頼を、勇気を、希望を、救いを、赦しをもらった。これ以上ないくらい、自分は果報者だ。
 その上で、脳裏に蘇った。

 ──しあわせに。

 眩しい、笑顔。柔らかな、声。
 一歩踏み出す勇気をくれる、心に染み渡る声音。
 
「ありがとう、ライデン。私に──家族を与えてくれて」

 万感の想いを、舌に乗せて。

 しあわせ、の答えを見つけた彼女は、彼に、満面の笑みを向けた。

     *

 かつて機械人形と揶揄された彼女の面影は、もうそこにはなかった。
 斜陽を受けて、晴れやかな笑顔を向ける彼女に、ライデンは胸に迫るものを感じた。
 自身の直感が、告げる。

 嗚呼、そうだ。
 自分がずっと見たかったのは──

「レイネシア」

 きっと。あの時からずっと。
 
「俺は──おれはっ、」

 言いさして、けれど紡げない。
 一緒に生きろと、生きたいと、そう告げた真の意味を伝えたいのに、上手く唇が動かない。
 彼女の前に立ち、その目を見つめながら、けれど紡げない。

 大切で、大事で、喪いたくない。
 たくさん衝突した。たくさんすれ違った。
 それでも、守りたい。
 喪い続けた彼女を、支えたい。
 一緒に生きて、同じ景色を見たい。

 自分は、彼女を──



「すき」



 か細く、しかし凛とした、はっきりと告げる声が、耳朶を打つ。空気を揺らした声に、ライデンが目を瞠った。
 目の前の彼女の相貌は、変わらない。
 かわらないその、笑顔。

「私は、あなたが好き。ライデン」

 紡がれる、柔らかで、暖かな、胸に染み渡る声。
 その声が、告げた。

「だから──私の隣に、ずっと一緒にいてくれませんか」

 伝えられた彼女の想いに、息が、止まる。

 ──堪えきれなかった。

 踏み出した一歩で、その手を掴んだ。
 そのまま、心の赴くまま。
 理性を殺した感情が、そのまま、口付けという形で、彼の想いを伝えた。
 一瞬、緊縮した彼女の体躯を抱きすくめる。数秒か、もっとか。
 そのまま、唇を合わせて、しばらくしてゆっくりと、離す。

「……先に言ってんじゃねえよ、馬鹿」
「……先にキスしないでよ、ばか」

 互いに拗ねた声音で、けれど見つめ合って直ぐに、破顔する。至近距離で、けれど恥ずかしいとか、羞恥心より先に来るのは──。

「好きだ、レイネシア」

 真っ直ぐな、想い。恋、愛、劣情、恋慕。どんな言葉でも表せられない、心の底から湧き上がる、想いだ。


「俺は、お前≠ニ生きたい」


 伝えた刹那、今度は彼女から唇が押し当てられる。淡く微笑む相貌が、ライデンに彼女の心を伝えた。

「私も」

 ──しあわせ、だと。

「あなたと一緒に、生きていきたい」



 世界は、醜悪だ。非情だ。残酷だ。
 いつ死ぬか、いつまで生きるか、何も分からない、誰にも未来は見えない。

 絡めた指先が、互いの体温を交換する。掛けられる声に、彼らは、より強く掌を握る。

 いつか、この手がもし、離れたとしても。
 いつか、世界が終わりを迎えたとしても。
 それでも、彼らは生きていく。
 大切な家族と、大切な仲間と。

 
 大切な──いとしい人と。



【終】





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