小話
「ところでライデン。お主は一緒に来ておらんのだな」
地下迷宮の探索、もとい、すったもんだしている男女へのお膳立て、を敢行しながら、フレデリカは隣を歩くライデンに問い掛けた。
死神と女王陛下ほどではないけれど、あからさまに互いに意識し合っていたからそれなりにエイティシックス達の耳目を引いていた彼らは、つい先日、結ばれたらしい。一番近い街へと二人で繰り出した日、斜陽に照らされながら仲睦まじく指を絡めて歩く彼らを《たまたま》見た隊員達はその場での冷やかしに加えてホテルに戻って各員に状況を報告した。
なので、もう全員、ライデンに大切な人ができたことは知っている。けれど、肝心の彼女は、今日は仕事だということだ。
「お前まで知ってんのか」と辟易したライデンは、しかし肩を竦めて答える。
「お前らに話題を提供する必要もないしな。あと、今はあの二人をどうにかするほうが先だろ」
確かに、一理ある。
互いにまだ、情操教育という面では未発達ゆえか。シンとレーナは、互いの距離や内面を掴みきれていない。自分の気持ちには気付けても、伝えるべきかしまい込むべきか、悩む姿は年相応といえる。
それに比べて。
「おぬしらはまだ、大人であったかの」
「はあ?」
なんの話だ、と怪訝な顔つきになったライデンに、フレデリカは笑う。柔らかに、口角を上げて。
「互いの想いを伝えるというのは、簡単なことではない。それは余裕がある者の特権じゃからな」
己を使い潰し、未来を見られないと現実から逃げていた彼女が、己が心と向き合い、他者を受け入れ、世界を広げた。受け入れることができたのは、周りを見て、己を俯瞰する余裕があればこそだ。
「あやつらも、それができれば良いの」
齢十そこらの少女にしては達観し過ぎている物言いに、ライデンはひとつ息を吐くとその小さな頭をくしゃりと撫でた。
*
想いを伝えて、繋がりはしたけれど、けれど大人としての責務とかやるべきことが変わったわけではない。仕事は仕事、プライベートはプライベート。それを分けて考える余裕は、とりあえず自分にはあるから、「一緒に行っても良いのよ?」と意地悪く笑ったグレーテに、「今度にします」と爽やかに返せたのだとレイネシアは思う。隣にいなきゃいや、他の人にとられたくない。そんな可愛らしい反応の方が好まれるかもしれないが、その線引きをする程度には自分は大人だったらしい。
それに、一緒に行かないことで、彼から土産話を聞くという口実を得て自室に招き入れることができたのだから、やっぱり行かなくて良かったと思う。
「──で、ダスティンの馬鹿野郎が水を差したことで計画はおじゃんになった形だ」
ベッドサイドに二人仲良く座り、まったく仕方ない奴、と肩を竦めたライデンに、レイネシアはくすくすと笑った。
「それは、うん。イェーガー少尉の重大なミスだったね」
「ほんっと、ようやくあいつらのすったもんだから解放されると思ってたのによ」
大仰に頭を抱える彼は、それは随分と彼らの煮え切らない関係に悩まされているとは聞いていた。レーナから何故か嫉妬の目を向けられ、シンの朴念仁ぶりとそれに起因するレーナとの不仲に振り回され、兎にも角にも《さっさと付き合え》と毒づいていた日々。今日この時、ようやく腹を括った二人に最大限のお膳立てをしたというのに、ダスティンが痛恨のミスを犯したせいで結局また先延ばしだと、彼はくどくどと本日の経過を語った。
同年代の彼らの年相応な冒険に、レイネシアは微笑み、しかし「けど」と、前置いて。
「時間はかからないと思うよ」
先だっての、彼女との会話を語った。
士官用の客室はそれなりに設備は整っているけれど、ホテルロビーのラウンジのソファはふかふかと気持ちいい。さらに、給仕が常に回り、特産の紅茶や珈琲を差し入れるものだから、ゆったりと本を読むにはちょうど良くて。
「あの! レイネシア!」
そんな穏やかな時間を切り裂くような、切羽詰まったような甲高い声が耳朶を強打したから、レイネシアは一瞬、びくりと肩を鳴らした。が、須臾に声の主が誰か理解して、緩慢に目の前に座った彼女に視線を移した。
「どうしましたか、レーナ」
パタンと本を閉じ、微笑む。聞きたいことはとてもよく理解できるが、自分から言うことでもない。
問われたレーナは逆に言葉に詰まって、「あの、その」と視線を彷徨わせる。分かりやすい。非常に分かりやすく、初々しい反応は鮮血女王と畏れられる大佐殿とは思えないほど、年相応だった。
レーナは、少しばかり黙した後、意を決したようにレイネシアを見つめた。
「……ライデンと、お付き合いを、始めたというのは本当ですか?」
「はい、本当ですよ」
間髪入れずに返したレイネシアに、大きな目がさらに見開かれる。あっさりと答えてもらえると思っていなかったという顔だ。
「そ、そうですか。それは、喜ばしいこと、いえ、その、私が言うのもおかしな話ですね、それはつまり、私としても嬉しいというか、その、同じ仲間として、」
しどろもどろで、言いたいことが不明瞭な言葉を連ねる。本当は聞きたいことはまだあるけれど、何を聞けばいいのか、どう尋ねれば良いかわからないといった顔に、レイネシアは目を細めた。
「レーナ」
穏やかに、その名を呼ぶ。妹に話しかけるような、優しい声音で。
銀の瞳が、柔らかに、緩む。
「私、いろいろ迷ったんです。白系種で共和国人で元ハンドラーで、彼と歳も離れている自分が、どうしてその隣を歩けるんだろう、て」
はっ、とレーナが目を瞠った。白系種、共和国人。
どうあがいても迫害者側の、自分達。
だから隣を歩くのはふさわしくないとか、蜜月な関係なんてもってのほかとか。きっと、優しい彼女のことだから、たくさん迷っているとレイネシアは悟っていた。
だから、伝える。
「けど、なんだか考えるのも馬鹿馬鹿しくなっちゃったんですよ」
「ばか、ばかしく?」
まだ自分より若くて、幼さを残す少女に微笑んだ。
「伝えられない理由を並べ立てても、結局、自分の想いを閉じ込められはしないんですよ。ずっと隣を歩きたい気持ちを捨てるなんて無理なんだから、迷っても意味なんてないんです。自分で、決断しないといけない」
自分の決断が正しいか正しくないか。善悪の問題なんて分からなくて、未来にどんな影響を与えるかも、今はまだ読めない。
「だから、レーナ」
ぴくりと名前を呼ばれた彼女が反応する。揺れる銀の瞳に、レイネシアは眦を下げた。
「憂慮する項目を並べ立てずに、ぶつかるのが最良だと思いますよ」
「なっ、」
「レーナなら大丈夫です。だってレーナは、とても強いんですから」
だから頑張って。勇気を出して。前に進んで。
「私は、貴女と彼の未来を信じています」
その先にあるのはきっと、間違いじゃないから。
「──レーナは臆病だけど強いから、だからちゃんと伝えられるよ」
脳裏に浮かべた彼女の姿に、レイネシアは確信を持って紡いだ。虚を突かれながら、けれど瞳に芯の強さを見せた彼女だ。自身の気持ちに向き合い、伝えることができるだろう。
そう、きっと。
明日の夜には周りも《上手に》お膳立てもするだろうし。
自然と視線がクローゼットへと向く。士官として、紳士淑女としての礼節を学ぶ名目のパーティーが、休暇の最終日に用意されたメインイベントだ。めいめいの保護者たる連邦貴族たちから、お抱えの職人選りすぐりのイブニングドレスが送られているのだろう。
貴族ではないものの、軍属の人間としてそれなりの教養を身に付けているためレイネシアも数着は用意していたが「どうせなら連邦にお金を落としなさい」とグレーテに小突かれて休暇前に街へと買いに行った。ので、明日が初披露だ。
「明日が楽しみだね」
いろいろな意味で、心が躍る。着飾ることに胸高鳴らせるのはいつぶりだろう。他の隊員のいつもとは違う姿も気になる。もちろん、目の前の彼も。
人並みに、楽しいと思えることが、レイネシアは何より嬉しかった。
微笑むレイネシアに、ライデンの大きな掌が頭に乗せられる。「そうだな」と応えながら、その手が肩に移り体を抱き寄せられた。レイネシアはそのまま、彼にしなだれる。
穏やかな日々だ。いつまでも続いてほしい。
至近距離になると、自然と視線がかち合って、それが合図なように啄むようなキスをする。気恥ずかしさはなぜか感じなくて、どちらかというと、もっと、と強請るように互いの体温を通わせる。
ずっと、このまま。
戦場なんて、明日にはなくなってしまえばいい。
出会えたのは確かに戦いがあったから。戦争が起こらなければ、交わることのない双曲線だったかもしれない。
けれど。
「──じゃ、そろそろ帰るな。明日は朝からいろいろと準備があるし」
唇が離れると、ライデンは、よいしょと立ち上がった。パーティーのための準備は確かに朝からだ。隊員もホテルスタッフも慌ただしくなるため、帰りの準備を含め明日はゆっくりと会う時間はない。
立ち上がり、見下ろす彼が「じゃあな」と手を上げ、背を向ける。
「あ……」
その背に、思わず腕が伸びた。ほとんど無意識に、伸びた手が、彼の服の裾を掴む。
意外性のある行動に、彼が目を僅かに見開いて振り返った。かち合った視線に、罰が悪くなって顔を逸らす。
付き合えて、想いを共有して、だからこれからも関係は続くのに。
今は戦場じゃなくて、明日もまた会えるのに。
こんな、浮ついた、ばかみたいな。
それでも──
「まだ、行かないで……」
四つも歳上なのに、子どもみたいな駄々で縋る。
特段、何をするでもない。用がこれ以上あるわけではない。
でも、行っちゃいや、と。
そばにいて、なんて。
ぎゅっ、と握った裾に視線を向けて、数秒。沈黙してから、レイネシアは錯綜する思考を落ち着けた。
これは、さすがに駄々っ子すぎるだろう。
恋慕にはまった思考がだんだんと正常に戻ってきて、慌ててパッと手を離す。
「あの! ごめんね? その、なんかいろいろと混乱してるかもというか。困らせたいわけでは──……っ、」
転瞬、視界が暗くなった。
次いで、ベッドサイドに座っていた体が仰向けになった。背中に、基地とは違う柔らかな布団の感触。
視線の先にいるのは、室内灯を背に受けて、表情が読めない彼だ。
「あの、ライデン」
「わりぃ」
「へ? っ、ひゃ、あ」
首筋に、柔らかな感触。くすぐったいような、少しピリピリするような、感覚。ぬるりとした舌が、肌をなぞって思わず腰が浮いた。
押し当てられた唇の間から覗く歯列に、僅かに食まれる。マーキングのようだと薄ぼんやり思いながら、レイネシアは体の火照りを感じる。
「ライデ、ン」
名前を呼んで、顔を上げた彼に口付ける。湧き上がる情動のまま奪った唇だが、刹那、両腕をベッドに縫い付けられた。
驚く間も無く、噛み付くような、キス。息つく間もない。何故なら、薄く開いた口にするりと割って入った肉厚な舌が、己のそれと絡まったから。
吸って、食まれて、絡められて。互いの体液を交換する、夜の空気。
あつ、い。
子どもだと油断していたわけじゃない。けれど、こういうことに不慣れだと思っていた。
なのに、こんな。
大人っぽい。艶のある、男性の。
翻弄される。
「──っ、ん、ぁ……はっ、あ」
ようやく離れた時、生理的に浮かんでいた目尻の涙をライデンの指先がすくった。
いま、どんな顔をしているだろう。
彼を見つめようとしたが、その前に影が落ち、首筋に黒鉄の髪の感触。
「……ライデン?」
「頼むから、まだ、イイ子でいさせてくれ」
え、と。返す前に立ち上がった彼に、一緒に引き寄せられて体を抱き締められる。
まるで、レイネシアを見ないように、、、、、、、腕の中に閉じ込めて。
「こちとら獣なんだ。ほんとうは、さっさと食っちまいたいのを押さえつけてんだから、煽んな」
己の感情の暴発を防ぐような、低く唸るような声。背中に回っている腕に力が入る。
食っちまう。その言葉の意味が分からないほど初心ではないが、まさか彼の口からそんな単語が出てくるとは思ってなくて、顔に熱が集まった。
エイティシックスの男女は幼少期から共同生活のため男女の意識が薄いと聞いていたけれど、それは対仲間だからこその話だと、痛感する。恋人同士となった今、互いの部屋に二人きり、というのは《何か》が起こっても不思議じゃない状況で。
「えっと、その……ごめん?」
「……分かったならいい」
「うん。……けど、あのね」
とん、と少しだけ、身を捩って彼から離れて、見上げる。
黒鉄の瞳に縋るように。
「今じゃなくてもいつか、分からないけどその……悪い子になっても、いい?」
「っ……あー! もう、お前っ、ほんとにそういうの、やめろっ」
再び腕の中に閉じ込められる。早鐘を打つ彼の心臓の鼓動に多幸感が満ちて、その背に腕を回した。「ごめんね」と悪びれもなく呟けば「るせ」と拗ねたような声が返ってくる。
彼女の言葉が現実となるのは、もう少し先のことだ。