ある曹長が秘する真実
部隊の再編に伴い、ジャガーノートの交換部品の他にも他部隊からの移入組の輸送計画が軍令部から届いた。初任務からひと月もしないうちに再編とは、聞いていた通りの損耗率だ。アルミの棺桶とも揶揄されるジャガーノートの装甲は脆く、レギオンの脚の一振りでも当たれば中の人間の体は保たない。そして共和国にとっては中に人間はいないため、書類上は単なる損害として扱われる。
前線基地へ降り立つと、あいも変わらず機長以下はエイティシックス達に怒鳴り散らした。損耗の頻度が馬鹿にならないとか、もっと丁寧に扱えとか、凡そ戦時下の軍人とは思えない発言だが、当のエイティシックス達はどこ吹く風と聞き流している。
レイネシアはくるりと辺りを見渡した。初任務の時は二十名以上いた人員が、たったの五人程度だ。ひと月しないうちに、ここまで人員が減った──否、死んだのだ。
陰鬱な面持ちになったレイネシアの足は、前線基地の裏手へと向かった。
「…増えてる」
楕円状の石柱に花飾り、周りには野戦服の切れ端。その数は、以前ここで見た時より明らかに増えていた。
そっ、と墓石に触れる。誰の名前も彫られていない無機質で、しかし多くのエイティシックスの確かな墓標。
「…何の用だよ」
剣呑な声が耳朶を打ち、レイネシアは振り返る。見れば、先日来た時に話した少年が此方を睨め付けていた。その手には、野戦服の切れ端が数枚握られていて。
「邪魔」
ぼんやりと少年を見ていたレイネシアを退けて、彼は墓標の前に切れ端を置いた。雨風に晒されても飛ばないように小石を上にする。少年の背からは悲壮感などは感じられない。ただ日課をこなすように仲間を弔うその背に、レイネシアはかける言葉が見当たらなかった。
この部隊は再編され、新たな部隊員達がまた果てのない戦いを強いられることになる。
ここにある野戦服はどこまで増えるのだろうか。
今度は、いつまで持ち堪えるのだろうか。
考えても詮ない疑問が浮かんでは消える。
「…ねぇ」
それでも、自然と口をついて言葉が出る。
「名前、なんて言うの」
興味がないとにべもなく彼に答えたはずの自分が、面倒ごとに首を突っ込まないと決めたはずの自分が、その口からこぼした問い。
自分の中の倫理が声を上げた瞬間だった。
しかし少年は、片眉を上げる。
「なんで」
「……なんとなく」
「んだよそれ、家畜でも名前くらい覚えてやろう、てか」
「違う」
言下に否定したレイネシアに少年は目を僅かに見開く。瞠目した彼に、彼女は物憂げに告げた。
「…同じだから」
違わないよ、と母親に言った幼い自分が蘇る。
「……は?」
しかし、怒気と言うには生優しい、腹の底から込み上げる憤怒を噛み殺したような声が少年から漏れたことでレイネシアはハッと我に帰る。
しまったとレイネシアが気づいた時には遅くて、開いた瞳孔に身を竦ませた。
「何言ってんだ、お前」
年下とはいえ、酸鼻極まる激戦地で戦っている彼と自分では、まとう空気が違う。壁の内側と外側では命の重みが違うのだ。
軽率だった。レイネシアは自身の言葉を顧みて項垂れる。「…ごめん」と紡いだ言の葉さえ少年の気に障ったらしい。盛大な舌打ちをした彼は苛立たしげに彼女に鋭い視線を向けた。
「同じ人間とか、そんなこと言ってんなら冗談じゃねえんだよ。同じならなんでお前は壁の中でぬくぬくと過ごしてコイツらは墓すら建てられずに死んでんだ、ア?」
一気に捲し立てられたレイネシアは二の句を紡げずに唇を噛む。徹頭徹尾、少年の言うことは正しかった。
同じなんかじゃない。自分と彼は、彼らは同じではない。決して交わらない総曲線で、それは例え"自分が何者であろうと"変わらない。
同じであっては、いけない。
「豚も人間として扱うアピールでもしてんのかよ…」
少年が吐き捨てる。どこか諦念と自嘲が塗れた声音にレイネシアの顔が歪んだ。
責め立てられる方が楽だ。
こんな子どもが、自分達を豚と自認して、差別を仕方ないと割り切るなんて、そんな残酷なことがあるか。
しかし、それでも──
「ごめんなさい…」
それを強要しているのは他ならぬ、レイネシア自身だった。自分が何者であっても、レイネシアは今、壁の中にいる。
言葉が見つからなかったため、レイネシアは少年に背を向けた。これ以上不快な思いをさせても意味はない。何を語ったところでこの隔たりは大きい。
それでも──
同じだから。
口中で侘しげに紡ぐ。
立場に明確な隔たりがあり、地雷原と壁による物理的な距離があっても、"同じ"だと。
秘すべき己の過去(ルーツ)を思い返して、レイネシアは拳を握り締めた。
*
鏡面に映る人間を見つめる。銀の髪と白銀の瞳、白系種特有の顔立ちは共和国ではごく一般的な容姿だ。外を歩いていても、軍令本部に出向いても周りと遜色はない。
レイネシアはふと、目を閉じた。目の前に暗闇が広がるが、しかし薄らと、そこに景色が現れた。
ヒビ割れた壁と古びたコンクリート造の廊下、そこに現れたのはレイネシアよりも歳上の男性だ。整備員の服を着ている彼の手が伸びてきて、視界の上を掠る。
笑いながら去る背中の次の景色では、ドアノブを捻ってどこかの部屋へと入っていった。ドアの向こうには十代半ば赤系種の少年がいて、何事かを喋っている。無邪気に口角を上げる姿に、レイネシアは瞼を上げた。
「……同じだよ、私も」
鏡面に映る人間が自嘲気味に呟く。白銀の髪を有する彼女の瞳は、今、透き通った蒼、紫、薄紅などに彩られていた。
昔、聞いたことがあった。自分達は、純潔ではないと。父は代々、白系種の家系だが、母は遠く異国の血を引いている。特定の種ではなく、さまざまな種が入り混じっているらしい。
故なのだろう。レイネシアにはなぜか昔から不思議な力があった。
"自身が出会った相手の視界を見る異能"
経過時間や距離に加えて、見る人数も制限されない異能のため一度に複数人の視界を垣間見たこともあった。夜寝る前の友人、両親、学校の教諭に使えばテストの問題用紙を見ることができ、レイネシアは非常に便利な異能だと考えていた。
しかし、異能を使う間はレイネシアの瞳は銀色から変化する。
故に、彼女の両親は決して異能を外で使わないよう厳命した。もともと、有色種に差別的なこの国で、自分達のルーツをおおっぴらにすることには抵抗があったためだ。
両親の選択は結果的に家族を救った。異能を使用しなければ白系種にしか見えないレイネシアと母親は、自身のルーツに口を閉ざすことで安寧を手に入れることができた。有色種と違わないと零した愚かな子どもがいようと、黙っていれば降りかかる火の粉はない。
「違わなかったんだ」
無邪気に笑うエイティシックスを視ながら、レイネシアは鏡面の双眸に触れる。
「違わなかったんだよ…」
くしゃりと、顔が歪んだ。
違わないと知っていたから、多くの友人と遊んだ。多様な種の友人と遊び、友情を育んできた。
それでも、最終的に隔意を示したのは、自分達だった。
多くの有色種が連れて行かれた後、不安になって垣間見た友人の視界は血で染まっていた。別の場面では腕が無くて、脚が無くて、臓腑が飛び出ていて、そして最期には、鈍色の殺人兵器が視界を覆う。見知った友人の視界はその後、垣間見ることはできなくなった。
人として、友人として接してきた彼らを、自分は見捨てた。身体的にも、精神的にも自分と同じだとほざきながら違うと示した。
彼らとの間に線を引くのは畢竟、ただ自分達を守るための言い訳に過ぎなかった。
*
臨時の補給品を輸送しろと命令を受けたのはそれから二週間後のこと。物資の名目でコンテナに積み込まれたのは、レイネシアより歳下の少年少女達だった。
つい先日に補充されたばかりだというのに、損耗率の高さに機長達は舌打ちをする。豚が世話をかけさせるんじゃないと鼻を鳴らす大人達にレイネシアは蔑視を送るが、しかしすぐに思い直した。自分もコイツらと変わらない、と。壁の内側から見ているだけの白豚にすぎない。
コンテナから出された子ども達の証明写真が撮られる。不遜な態度の子ども達に大人は唾を吐き散らして喚いたが態度は変わらない。いったいどちらが大人なのか分からなかった。
機長達の意識がエイティシックスに向けられている間に、レイネシアは建物の裏手へと足を進める。角から十数メートル先、こじんまりとした石柱に真新しい花飾りと野戦服の切れ端。一部の布は黒ずんでいた。
レイネシアはそっと石柱に触れた。指先で撫でて、感触を確かめる。この場所には何もいないと理解しながら、それでも触れながら想いを馳せた。
自分が見たエイティシックス達の視界を何度か視たその時の、絶望の景色。息が止まるような感覚と、無情に切れるリンク。
それは、歳ばもいかない子ども達に課されるにはあまりにも非道で非情な運命だった。
「またお前かよ」
耳朶を打った不機嫌な声は三度目だ。たかが三度目だがエイティシックスになかなか会えないレイネシアにとってはもはや慣れた声になっている。
緩慢に振り返れば、彼はわざとらしくため息を吐いた。以前、会った際には彼を不快にさせてしまったまま別れたため、レイネシアは僅かに身構える。
しかし、少年はレイネシアに憎まれ口一つ叩くことなく、石柱の前に立った。無言でその横に置いたのは二枚の切れ端。嗚呼、また逝ってしまったのかと悲しみに浸る余裕すら彼らにはないのだろう。
「お前、なんでここに来んの」
「え…」
唐突にかけられた声にレイネシアは佇立したが、少年は構わず続けた。
「贖罪の気持ちとかなら二度と来んなよ。お前の罪悪感を薄めるためにこれを造ったわけじゃない」
ピシャリと言い放たれた言に、レイネシアは黙して俯いた。
罪悪感がないといえば嘘になる。しかし、それを薄めるためとはまた違った。
見ないふりをして、関係ないと耳を塞いできた。
それでも、こうして足を運ぶのは──
「…罪、だから」
ぽつりとこぼしたレイネシアの言葉に少年が片眉を上げる。「はぁ?」と声を荒げた彼ではなく、石柱を見つめてレイネシアは紡いだ。
「これは私の罪だから…それを確認するために私は、ここに来るの」
自分自身の気持ちを再確認するように、訥々と、紡ぐ。
関係ないと目を瞑って、俯瞰して現実を見て、馬鹿馬鹿しいシステムと鼻を鳴らしていた。
しかしそれでも、この寂しい墓を前にして、自身の罪から目を背けることはできないと、倫理が叫んだ。
これは、自らの罪だ。
だから、自らが抱えるものだ。
一緒に戦って死ぬこともできず、かといって仕方ないと割り切ることもできない矛盾を孕んだ自分の罪は、記憶されなければいけない、この先、ずっと。
「忘れちゃいけない。忘れたくないから、私は来てるの。私の罪を忘れたくないから」
懺悔も悔恨もいらない。ただ、己の業を再認識するためだけの作業なのだ。
一気に言い切ると、二人の間に沈黙の帷が降りる。
ふとレイネシアは我に帰り、己の発言を顧みた。
(何言ってんだ、私…)
自らの決意表明をしてどうする。こんなことをこの子も聞きたいわけではないだろう。
謝ろうとして、けれどそれもまた違う気がして逡巡する。
そんなレイネシアの耳朶を、ぶっきらぼうな声が打った。
「ライデン」
「……え」
「ライデン・シュガ。俺の名前だ」
ふい、と顔が逸らされる。少しばかりむくれた年相応の相貌で、少年─ライデンは紡いだ。
「いけすかねぇ奴ってことは変わんねぇけど、名前くらいは教えてやるよ」
少しばかり目を逸らして短く吐き捨てる。ぱちくり、と目を瞬かせたレイネシアに、彼は鋭い視線を向けた。
「アンタの名前は」
「……私?」
「人に名乗らせて、自分は名乗らないってか?」
睨め付けた双眸に、レイネシアは沈黙する。何拍か置いて、彼女は静かに答えた。
「…レイネシア。レイネシア・フォンベルク」
「…フォンベルク、ひとつ忠告だ」
答えたレイネシアに、彼は目を細める。その眼光が鋭さを増した。
「俺達を人とみなすな。俺達もお前達を人とみなさない」
伝えられたのは、明確な隔意。敵意とは違うが、それでも相入れないと伝える視線だった。
人と豚、種として違うと理解させる声音はレイネシアの胸に深い楔を打ち込んだ。どこまでいっても、この距離は縮まることはない。それを理解させられる声にレイネシアは侘しげに瞼を伏せる。
しかし、刹那──
「俺は再編成で他の部隊に行く。だから……ここの世話をする奴はいなくなる」
ツンとしながら、しかし少しだけ棘が抜けた声が耳朶を打った。
その声に少しだけ混ざる期待を感じ取って、レイネシアは顔を上げる。絶妙に外した彼の視線に、レイネシアは数度瞬き、そして眉尻を下げた。
隔意はある、壁もある。
それでも、この結んだ繋がりは嘘じゃない。
彼が背を向けて、格納庫へと足を進める。今度はどこの戦地に行くのか、激戦区なのか。
いつまで、生きることができるのか。
無意味な思考に首を振り、レイネシアはその背に声をかけた。
「シュガ君」
出自も何も分からない彼に、告げた。
「また、どこかで」
「……二度と会わねえよ」
振り向かない彼の表情は窺い知れない。
それでも、彼はレイネシアを無視することはなかった。
去りゆく彼の背を見つめる。悲壮感など一つもない堂々たる背中に、レイネシアは祈らずにはいられなかった。
どうか、彼の君の未来がどうか閉ざされないことを。
どうか、この戦いの果てまで暗くならないことを。
つよく、強く願った。