ある青年が知りたい真実2



ニコ・クロノスが《彼女》と出会ったのは、四年半前だ。
 当時の彼女は、機械人形とはほど遠い、少し愛想が悪いところもありながら、お節介で世話好きな人の良いハンドラーだった。まともな指揮官制をせず、仲間をむざむざ殺した白ブタしか知らなかったニコにとって、彼女は異質そのものだった。
 激戦区に近い部隊に配属され、不安な日々を送っていたニコを、彼女は甲斐甲斐しくサポートした。

『大丈夫だよ、ニコ』

 突っぱね、暴言すら吐いたニコを彼女は諌めることなく、対等に接した。大丈夫、と常に彼をサポートし、不安な日々を払拭できるよう尽力していた。
 大丈夫。それは、魔法の言葉。
 現に、隊の損耗率は著しく低い。まともな管制ひとつできない白ブタ達と違い、彼女はきちんと、適切な指示を与えていた。

『……お墓、なんで造ったんですか』

 そして彼女は、エイティシックスの死を悼んだ。隊舎の近くには小さな墓が造られていて、死亡した隊員の遺品が供えられると、いつも彼女は訪れた。
 あまりにも不可解で、理解し難い行為にニコが尋ねれば、彼女は淡く微笑む。

『私のため』

 たった一言。けれど言葉に込められた想いを読み取れないほど、ニコは鈍感ではなかった。
 嗚呼、この人は愚かしいほど、美しい。
 この世の地獄で、それでも尚、凛と真っ直ぐ立つ姿は美しく、そして愚かで儚い。エイティシックスの矜持が戦場で戦い抜くことならば、彼女のそれは見届け続けることだと、その背中は語っていた。
 逃げればいいのに。
 こんなところから逃げて、壁の中で幸せに、好きな奴とデートでもして穏やかに過ごせばいいのに。
 ひねくれた思考を見透かすように、彼女は笑うのだ。

『大丈夫』

 けれど、その笑顔は脆くも崩れ去っていった。


「──隊長の性格、だと?」
「あー……まぁ、その。あれだけ何も言わないっつーか、淡々としてるとまともなコミュニケーションをとれてんのか、とか」

 歯切れ悪く、罰が悪そうにニコから視線を逸らしながら話すライデンに、ニコの眉が顰められる。不審感を顔に貼り付けたが、仕方のないことだ。
 年若い隊員の部屋の前から複数名の声が聞こえ、軍規の二文字を体に刻んでおこうかと扉を開けば他隊の副長がいるという珍妙な現場に遭遇し、さらにその副長にあれよあれよとリフレッシュルームまで連れて行かれるなど思ってもみなかった。
 何故あの場にいたのか。詰問したい衝動に駆られたが、そんなことより気になってしまったのは、彼の問いだ。

 なぜ、この男が隊長を気にかけるのか。

 行政区奪還任務はつつがなく進行している。総指揮官、戦隊総隊長、以下各戦隊長との連携も特段の不備はなく、第八戦隊は主に陽動役として先鋒を切り、露払いも含めた任務を行っていた。
 任務中の指令の聞き逃しなど勿論なく、タイムラグを引き起こした記憶もない。部隊の運用において、不足と取られる謂れはないはずだ。
 だというのに、コミュニケーションやら性格やら、とてもあのスピアヘッド戦隊で死線を潜り抜けた《号持ち》の台詞とは思えず、ニコは数秒、黙した。

「……お前のところの隊長も似たようなものだろう」
「いや……まぁ、愛想は間違いなくねぇけど、そっちの隊長と違ってアイツは昔からあのまんまで…」
「………」

 ぴしり、と彼の表層が硬化する。
 昔からそのまま、という言葉と彼の、しまった、と言った表情に、ニコは確信した。
 
「ウチの隊長と、知り合いか」
「……知り合いってほどでもねぇよ。俺がまだ、駆け出しのプロセッサーだった頃に会ったことがあるだけだ。六年前だったか」
「六年前…」

 知らない。それは、自分が彼女と出会う前だ。
 聞けば、彼は大人しく過去を話した。
 駆け出しのプロセッサーだった頃、同じく軍人になりたてで、輸送部隊にいた彼女と出会ったこと。いけ好かない相手だったが、自分が造った墓に足を運んでいたこと。

「部隊の再編で離れることになったが、別れる時に、また、なんてエイティシックスに言う奴はなかなかいねぇからな」

 知ってる。彼女は、そういう人だった。
 エイティシックスを踏み台にしている人種という自覚を持ちながら、それでも必死に助けようともがく。一線を引きながらしかしどこか甘く、故に彼女は──

『──ごめんなさい』

「……で、その時と性格が違いすぎるから、何があったのか、と聞きたいのか」

 険のある声音を出せば、ライデンは何か言いかけて、しかし逡巡した後に押し黙る。聞いて良いのか、聞いて意味があるのか、そんなとことを考えているのは想像がついた。合理的で理性的なエイティシックスだからこそ、問いの意味を考える。意味のない問いに価値はないと知っているからだ。
 掛け時計の針の音が無言の二人の間を流れていく。
 黙したライデンを見据えながら、ニコは彼女との会話を思い起こした。


『──ハンドラーを、やめる?』

 夜の帳も下りて、隊員も寝静まった深夜。連邦保護下にある共和国正規軍の隊舎の中でも、佐官に割り当てられた特別室に招かれたニコは、目の前の上官の言葉をそのまま返した。
 冗談だろ。
 言葉に出さずとも滲む感情を悟った彼女は、変わらぬ氷の表層を僅かに歪ませる。最古参の自分だからこそ分かる微妙な表情の差異だ。
 彼女の唇は決して諧謔を弄さない。いつだって、粛々と決定事項を伝えてしまい、こちらなど見ずに去ってしまう。
 《あの日》からずっと、彼女の心は閉ざされたままだ。聞かなければ、きっと理由も話さず去ってしまう。
 だから、先に問うた。

『……見つけたんですか、あの人を』

 ぴくりと、目に見えて分かるくらいの動揺。
 揺れ動いた瞳をしっかり見つめれば、瞼を下ろした彼女は、静かに応えた。

『……第八十六独立機動打撃群の奪還作戦の範囲内に確実にいる。見えた景色の中に、見覚えのある建物があった。……必ず、《彼》はいる』

 鉄仮面を被りながら、その声は悲願を前に熱を帯びている。積年の想いを悟ったニコは、拳を握りしめた。
 嗚呼、これはもう、止めることはできない。
 次の言葉も、彼女の想いも痛感している。

 "故に"、己の出す答えも決まっていた。
 
『私は、あの部隊に志願する。今後は連邦の指揮下に入るもよし、保護下に入り連邦市民として暮らしてもよし、好きにするといい。少なくとも、不自由は』
『俺たちも行きます』

 毅然と、言い放った言葉に彼女の目が見開かれて、端正な顔が歪む。
 それもお構いなしに、ニコは続けた。

『俺たちは貴女に命を預けた。今までもこれからも、俺たちの指揮官は貴女だ。今さら、放り出すのはナシですよ』

 淡々と、平然と伝えるニコに彼女が首を振る。

『危険が伴う。許可できない』
『なら、共和国の正規軍に残ります』
『………』

 言下に斬り伏せられても、食い下がる。

『《その時》が来たら、サポートする人員は必要でしょう。そんなの俺たち以外できない。そもそも、俺たちには行く場所が他にないんです』

 行き着く場所なんてどこにもなかった。共和国にも、八十六区にも、この世界のどこにだってありはしない。
 戦いを強要されて、世界から見放された自分達にとって、帰る場所もまた戦場にしかなかった。
 掛け時計が時を告げる。
 深い、深い深淵を見つめる瞳が己に向けられて。

『……了解した』

 重い沈黙があけた後、彼女は低く紡いだ。仄暗い瞳は変わらず冷然と、互いの間に線を引いている。
 変わらない距離感に、ニコはひとり、唇を引き結んだ。


(──こんな偶然があるとはな)

 ライデンを見据えたまま、ニコは、ふと、笑みを溢した。
 《あの時》からずっと、彼女はひとりで、暗闇を歩き続けている。いつか来る《その時》のために、ハンドラーからプロセッサーへの転向と血の滲むような訓練を重ねて、背負った罪科を下ろす場所も、時も、何もかも分からずに、ただ、歩き続けている。

「……案外、外野の方がどうにかしてくれんのかもな」
「は?」

 自分達は知りすぎた。近すぎた。重荷を受け取るにはあまりにも、非力だ。
 けれど、目の前の男の存在は、ともすれば自分達よりも、救いかもしれなかった。

「隊長が変わったのは、四年前だ」

 伝えることが最善かは分からない。六年前に出会った、ただのプロセッサーの一人といえばそれまでだ。
 けれど、状況を変える楔を打つのなら、もはや自分達では役不足で。
 だから、彼と彼女のつながりに、託したかった。
 己の言葉を待つ真摯な瞳から目を逸らし、ニコは語り始めた。






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