ある左官が黙する理由
銀鈴の声が何かを訴えるように切なく響いて、けれど自分が放った言葉に彼女は口を噤む。
優しい少女の想いに、レイネシア・フォンベルクが示したのは、隔意だった。
自分の異能により《彼》のいる範囲は特定できても、正確な場所までは断定できない。だから、場所の特定ができる彼が当該地区の奪還任務の要だったことは、もはや運命としかいえなかった。
レイネシアは、悲壮を帯びる彼女の相貌を見つめる。
聡い少女だ。故に多く傷つき、学んできたということは理解できた。
だからこそ、レイネシアは伝える。
貴女は、私とは違う、と。
自身を案じる白銀の瞳は、過去に囚われた女を呼び戻そうとしている。明日を見ろと諭そうとしている。
彼女がアンダーテイカーに、そうしてきたという推察は容易にできた。彼を見る彼女の眼も知っていた。
だから、敢えて口にした、絶望を。谷底まで落ちた希望は、絶望にしか変わらない。
そして、絶望に塗りつぶされた過去からは、それ以外生まれないと彼女は知っていた。
*
初めて見た『死』は、哀哭と怨嗟に塗れていた。
その次に見た『死』は、それを認識する間もなかった。
おびただしい数の『死』に日々追われて、その度に無力感に苛まれる。けれど絶望なんて生ぬるい。彼らは『死』に慣れすぎて、日常の一部になっているのだから。
絶望を、絶望とすら認識できないその哀れ。
「──っ、はっ、あっ、ぁ……」
夢枕で見るのはいつも彼らの最期だ。振りかざされた鈍色の凶器が落ちて、ブラックアウト。耳に届く最期の断末魔、呻き声、泣き声は全て自分に教える、自身の無力さを。
ベッドから上体を起こして、大きく息を吐く。何度か深く呼吸を繰り返して、自身の喉がひどく渇いていることに気が付いたため、ベッドサイドのコップに水を注いだ。
カーテンを開ければ、まあるい月が青白く室内を照らす。テーブルの上には散らばった書類の束。それらを手に取ったレイネシアは数秒見つめた後に、乱雑に投げ捨てた。
紙面に書かれているのは、レイネシアがハンドラーとなってからまとめて、積み上げてきた戦闘記録。他にも、レギオンの攻撃パターンから各戦隊から上がってきた哨戒報告書、迎撃任務の成果まで多岐に渡る、レイネシアの武器。
それらを、彼女はくしゃりと握り締めた。
(なんとか、しないといけないのに)
引き結ばれた唇が、彼女の心内を物語る。
この数ヶ月、彼女の部隊の損耗率は右肩上がりとなっていた。
もちろん、彼女自身は分析と予測を怠ってなどいない。けれど、机上の知識は兵員の減少のスピードを落とすことはできても止めることはできない。必ず、誰かは死ぬ。
人が減ればその分、防衛戦は不利になるというのに、しかし兵員の補充はギリギリまで見込めない。再編に追い込むまで、共和国は彼らを使い潰す。
理不尽の三文字でしか表現できない世界がそこにはあった。
(レギオンの行動パターンが複雑化してきている。単調な行動じゃない、確実に"頭"が指示を出している。経験値が浅い子達が敵う相手じゃない)
先日の戦闘でも二人死んだ。キルゾーンに誘い込んだレギオンを掃討する近接部隊の一人と、面制圧の後方部隊の一人。近接猟兵型にひと突きにされ、自走地雷に埋もれた二人。
そのうち一人は、つい一週間前に来たばかりの、年端もいかない少女だった。
『隊長、あたし頑張るね!』
差し入れだと八十五区内からこっそり持っていった菓子に、少女は快活な笑顔を見せた。ハンドラーの自分のことを、隊長、と呼んで慕ってくれた、少女。
まだ幼さの残る顔立ちの、本来なら庇護されて学校に通うべき子は、しかし最期はあっけなく死んだ。
『──たすけて』
隊長、と耳朶を打った声。自走地雷に付かれた彼女は、最期に呆然と、声を震わせて小さく紡いだ。
部隊の仲間が地雷を排除する間もなく、"視えた"のは彼女のジャガーノートが粉々に砕け散ったその瞬間。鉄屑も肉も、混ざり合って弾け飛んだ。
隊長、と人懐っこい笑みで迎えてくれた少女の最期としては残酷で。けれど、他の隊員に言わせれば『楽に死ねた方』とのことだった。
恬淡に吐き捨てた彼らに、レイネシアは何一つ返すこともできずに──
『──レッドウルフからハンドラーワンへ』
首に巻いたチョーカー、レイドデバイスが淡く光る。任務対応時間外でも不足の事態が起きることを想定し、レイネシアは常にレイドデバイスを付けている。
「こちらハンドラーワン。どうしたの?」
この時間は任務外だ。
故に、他の戦隊がカバーできないほどのレギオンが押し寄せたかと緊張が走ったが。
『……いや、特にはねぇけど』
返ってきたのは、歯切れの悪い声。
ひとまず、胸を撫で下ろしたレイネシアは、しかし嘆息して彼に伝える。
「レッドウルフ、用がないのなら休んで。戦隊員の数が減っている以上、一人一人への負荷は大きいのだから」
『分かってる』
咎める声音に、同調先の相手は神妙な声で言葉少なに答えた。一言返して、あとは沈黙を貫く。夜更けに同調を繋いできておいて、喫緊の報告事項もなく、しかし切ることはせずにそのまま繋ぎっぱなし。
いったい、なんだ。
「……レッドウルフ、本当にどうし」
『レイネシア』
言葉の途中で被せられた声に、レイネシアはぴたりと硬直した。
識別名ではない、本当の名前。任務に類する話の時には絶対に呼ばれないため、虚を突かれた。
黙したレイネシアに、パラレイド越しにレッドウルフの嘆息が伝わる。
『ここ数日、まともに寝れてないだろ。声で分かる』
「……気持ちよく寝てるから」
『はい、ウソ。ほんとお前は強情だよな。辛いなら辛い、て言えよ。一度くらいお前がいなくてもどうにかなる』
「そんなのっ! できるわけない!」
カッ、と激情が溢れて、けれど直ぐに頭を抱える。冷静になれと理性は諭すが、睡眠不足の脳内はうまく働かない。
「戦隊の損耗率は軽減できてもゼロにできない限り誰かがまた犠牲になる。安全圏にいる私が考えないと、また」
『レイネシア』
鬱屈とした声音を切るように、レッドウルフは彼女の名を呼んだ。
『無理するな。お前が潰れたら本当に立ち行かなくなる。まともに仕事するハンドラーなんていなかった中、お前だけが逃げずに一緒にいる。それだけで、ウチの隊の士気はだいぶ上がってるよ。感謝してる』
「……一緒じゃない。私は、そっちに行ってない」
労いの言葉に、それでも彼女は否定を紡ぐ。
どこまでいっても、自分と彼らの間にある壁を、取り払うことは叶わない。
一番役立つ場所は確かに此処だ。前線に出たところで秒もせずに捻り潰されるだろう。
だからといって、安全圏にいることを、仕方ない、と割り切ってしまうのは違う気がした。
最善は取っている。それで終わらせて、だからエイティシックスが死ぬのは自分にはどうしようもないと目を背けるのは、ただ逃げているだけだ。
だから、できることをして、それ以上に考えて、考えて、考えないと自分は──
『レイネシア』
黙考する脳を揺り戻すような、凛とした、少しだけ諫めるような声音に、レイネシアの肩が揺れる。眼前で叱られているわけではないのに、自然と体が強張った。
目の前にいるわけでもないが、声で分かる。彼が今どのような顔で自分を呼んだのか。
『二日は同調を繋がねえ。だから休め』
「ふつか……」
『文句あるか?』
「……あるって言っても、聞かないんでしょ」
『おう。よく分かってるな』
快活な笑みが眼前に見える。勝ち気で、これと言ったら聞かない頑固者の顔が。
「ありがとう、リオン」
それでも、その性状にいつも救われるのは、確かだった。
──レイネシア・フォンベルクがリオン・マーセルと出会ったのは、輸送部隊からハンドラーに転向し、三度目の担当部隊替えがあった時だった。
前戦の戦区のハンドラーが相次いで退任したことにより、若輩で入隊歴が間もないながら実績を積んでいたレイネシアが抜擢されたその戦区、ヘイムダル。
『帰れよ、白ブタ』
着任早々で吐き捨てられた侮蔑の言葉は生涯忘れることはないだろう。敵意と隔意、怨嗟と嫌悪、負の感情が綯交ぜになった視線と声に、しかしレイネシアが臆することはなかった。
『帰ったら仕事にならないから』
恬淡に返して、戦隊員の姿を確認するレイネシアに、彼は眦を吊り上げると足元にあったバケツを蹴り上げた。ガンッ、とレイネシアの真横の壁に激突したそれが地面に力なく堕ちる。
少しばかり凹んだ哀れなバケツを一瞥して、レイネシアは彼に向き直ると腰のホルスターに手を伸ばした。
動揺、警戒。
『あのさ』
そんな彼に、軍支給のバレッタを手にしたレイネシアは微笑みを浮かべながら、ゆったりと近づいて。
『勝負しよう』
『………は?』
カランカランと、風に揺られて空き缶が地面を舞った。
「……楽しかったなぁ、あれ」
「は?」
「いや、会った頃にリオンが私に惨敗した射撃ゲーム」
木漏れ日が落ちる昼下がりの隊舎の一角で、レイネシアは懐かしげに目を細める。隣で大木に背を預ける青年は、「うわ、やな記憶」と、レイネシアの言葉に顔を顰めた。
二日ほど休養を取った間、迎撃任務で死者は出なかったことは不幸中の幸いだった。戦隊長である彼の管制技術に救われた結果だ。
物資の補給、という名目で同僚に札を握らせ、久方ぶりに輸送機を飛ばして来た隊舎。メンバーが減っていないことに安堵した顔を見た隊員が「心配しすぎ」「気を揉んでも仕方ないでしょ」と肩を竦める中、レイネシアが足を運んだのは隊舎近くの大木だ。
樹齢百年ほど。世情など関係なしに悠然と佇む木の根元に造った、簡素な石造の墓標に手を合わせていると彼はやってきて、こうしていつもレイネシアの側にいる。
「手っ取り早く話をするためには、まず信用してもらわなきゃだったし」
「だからって、銃片手に『勝負しよう』なんて言うか普通。殺されるかと思ったぞ」
「結果的にちょっとは仲良くなれたから良かったでしょ」
「ちょっと、はな」
からりと笑えば、彼は眉根を寄せてそっぽ向く。拗ねた横顔を見つめて、レイネシアは眉尻を下げた。
栗色の髪が風に揺れる。同色の目が自身を睥睨していたあの頃とその相貌は変わらないが、まとう空気は全く違う。徐々に毒気が抜かれるように棘は取れて、今では良き友人となった。互いに戦闘データを突き合わせて戦略を練ることもあれば、こうして長閑なひと時を送ることもある。ひとえに、彼の人徳の為せるところだが──
(けど、)
ふと、レイネシアの顔が曇る。
「まぁ、信用してもらえても一緒にはなれないもんね」
力なく呟いた声音に滲む、鬱屈した想い。理解できても納得してはいけない自分の立場に、いつだって歯痒さとやるせなさは尽きない。
今日、ついさっき会ってレイネシアに軽口を叩いた隊員も、いずれは消えていく。五年の兵役の先にある退役がただの餌ということは、レイネシアを含めた誰もが知っている真実だ。
「レイネシア」
ひどく柔らかな声音で名前がばれる。振り向けば、骨張った掌が近づいてきて、頬を撫ぜた。
ぴくんと、強張った体にお構いなしに触れる掌から、彼の体温が伝わる。見つめる双眸に視線は吸い寄せられて。
と思えば、今度は軍帽を取られた。そのまま、掌は彼女の頭部を行き来する。
「えらいえらい」
「……なにそれ」
「別に。思ったことを言ってるだけだ」
細められた目が何を思っているのか分からない。
思ったことを口になんてしないくせに。
けれど、喉まで出た言葉を飲み込む自分もまた、彼と同じなのだと思った。
──これが、レイネシア・フォンベルクの日常だった。ハンドラーとして、白系種として、彼らと同じになれずに藻搔きながら、それでも彼らと共に在りたいと。
そんな──陳腐な幻想を抱く、愚者の日常だった。