ある佐官が黙する理由2
その日は雲ひとつない夜で、時折、風がやや強く吹き付ける、そんな日だった。
白ブタ達が夜の享楽に酔いしれる時間帯だってエイティシックス達には関係ない。哨戒任務に行き、屑鉄を見つければ戦闘。日常の繰り返しに昼も夜も関係なかった。
だから、彼らにとってもいつも通りだった。いつも通りレギオンを見つけ、ハンドラーに知覚同調で知らせ、当該区域の電子地図を参照して作戦内容を周知。あとは、ハンドラーの指揮官制を基に敵を撃滅する。
その、はずだった。
『──こちら《ケルビム》。脚をやられた、わりぃ。もう……』
『待ってよ、なんでっ! こんなっ……いやぁあああ!!』
『出して! いや! 助けっ』
『持ち堪えろ! ……クソ、《アンセム》がやられた』
管制モニターの電子表示が次々と変わる。脳髄を揺さぶるのは悲鳴と哀哭。《destroyed》に塗り潰される表示をレイネシアはただ、茫然と見ていた。
ここ数週間でレギオンの攻撃パターンが多様化していることは自覚していた。戦隊の隊員達もそれは重々承知していて、指示を出す《頭》を先に潰すために、囮となる小隊がキルゾーンに引きずり出す手筈だった。
仮にレギオンが何らかの理由で知性化されていても、《頭》を潰せば烏合の衆で。
なのに、どうして。
「なんで、レギオンがこんな戦法……」
囮とした小隊がキルゾーンに誘い込む前、その小隊全てがゾーンの手前で消し飛んだ。長距離砲の直撃を食らい、どこに前進機が潜んでたと両翼の小隊が動いたところで斥候型と近接猟兵型の大群が押し寄せ、小隊間が分断。更に左翼の部隊が押された先、入り組んだ街の中央部に入った途端、
爆炎が空を焼き尽くし、広場は炎に包まれた。
アルミの棺桶と揶揄されるジャガーノートには耐冷性能はもちろん、耐火性能など備わっていない。
中央広場をぐるりと囲んだ炎は隊員達の逃げ場を無くした。熱さに耐えかねて炎を突破しようとした機体を切り裂いたのは近接猟兵型。屑鉄共に痛覚はない。
(まずい)
体制を立て直さないと、各個撃破になったら全滅だ。
ぐっ、と奥歯を噛み締めて、レイネシアは指示を出す。
「第二小隊はポイント〇三まで後退。第三、第四小隊はメインストリートの中隊のレギオンを挟撃後、前進機の一掃を」
嘆く暇はなかった。
安全圏にいる自分が全体を俯瞰しなければ、とレイネシアはモニターを睨みながら指示を出し続ける。
《destroyed》に変わる識別コードを横目に、攻防戦は続いた。
「──戦隊各員、レギオンの撤退行動を確認した。深追いはせず、残党機の排除に留めるように」
レイネシアの指示の下、"ヘイムダル"はレギオンの勢力を押し返した。徐々に押し込まれた戦線を取り戻し、レギオンのブリップも撤退していく。あとはこのまま、深追いをせずに戦線維持をして、完全撤退を待つだけだ。
ひとつ息を吐き、管制モニターをぼんやりと見つめる。僚機のひとつで戦隊長機《レッドウルフ》が疾駆し、廃墟奥の戦車型へと迫っていた。ブリップが猛然と、移動していく様を見て──
「──あれ」
刹那、レイネシアは違和感を覚え、同時にぞわりと背筋に悪寒が走った。
おかしい。
たった一機で戦車型がいるなど、あり得るはずがない。脆弱な光学センサーを補うために斥候型を配備する鉄の巨躯が、撤退行動が始まったその場で"動かない"など。
レイネシアの目が虹色に変化する。バックアップに回っている第二小隊の視界を複数確認し、周囲の建物群を見た彼女は絶句した。
「っ、止まって! レッドウルフ!!」
叫んだ刹那、《レッドウルフ》のブリップはその場で停止した。
*
たった一機で廃墟を彷徨く屑鉄。
そんなものを見たら、まず最初に疑ってかかるべきだった。知性化されている可能性が高いレギオン相手に単機突入は禁物だとブリーフィングでも再三確認したはずだった。
それでも、長時間に渡る防衛戦と戦隊員の相次ぐ死亡に、感覚が麻痺していたのだろう。見つけた刹那、高揚した心のままに、狩人のように獲物に向かった。
お前達さえいなければ。お前達が来なければ。
意思も感情も持たない鉄の塊風情が、どうしていつも、大切なものを。
どうして、守らせてくれないんだ。
どうして──
「──え」
狭い路地を抜けた突き当たり、戦車型の背後を取ったその位置どり。脆弱な光学センサーの奴らなら、気づいた時には鉄屑になっている角度からの奇襲の──はずだった。
建物群を抜けた瞬間、気づいた時には、《レッドウルフ》の機体は"何か"の山に組みつかれていた。
それが、自走地雷と理解したと同時に、轟音と衝撃が辺りに響き渡った。
*
視界越しに視えた景色の中にいた、忌むべき殺人人形。彼らの視界の端々に散見された奴らの位置は、《レッドウルフ》が猛然と進んだ路地のその先だった。
止まって、と叫んだのとブリップが停止したのはほぼ同時。
その後は、悲憤と怒号が耳をつんざいた。
「───っ! レッドウルフ! レッドウルフ!」
焦慮に駆られた叫び声が木霊する。誰もいない、自分一人しかいない管制区画で、レイネシアは叫んだ。他人の視界を借りた先では黒煙が立ち上っている。
嘘だ。こんなあっさりと。簡単に命が消えるなんてそんな。
動揺が呼吸を浅くし、心臓が早鐘を打つ。うそだ、うそだと最悪の未来を脳内で否定し続けた。
戦隊員の声も耳に届かず、祈るようにモニターに縋りついて。
『──ハンドラー、ワン……』
そんなレイネシアの耳朶を、彼の声が打った。弱々しく、呼吸が浅い、声。
それでも、レイネシアは顔を上げて息を呑んだ。
生きてる。
「っ、待っていて! 今、すぐに助けるから、だから」
『やめろ』
頑と強い口調で跳ね返した彼は、しかし『やめてくれ』と、か細い声で紡いだ。
『友釣りだ……それに、もう、無理だ…いろいろと感覚が、ない』
「そ、んな……でもっ」
『さすがに、テメエの体の状態くらい分かる……半身ほぼ感覚ねぇんだよ』
ぞっとすることを、さも当たり前の日常のようにからりと笑って口にする。同調越しの彼の口振りに、レイネシアは何も紡げなかった。
どうしよう。どうすれば。第二波が来ないということは自走地雷はもうストックがないのか。ならば、戦車型を隊全員で駆逐すれば。
無意味な思考が錯綜する。分かってる。もう、ダメなことくらい分かってるのに。
頬に雫が伝っても、時は無情だった。
『お前が頼ってくれて、張り切りすぎたかもな』
「っ、……なんで……っ!!」
『けど、ここまでだな……』
彼の視界に切り替えると、眼前には、彼が屠ろうとしたあの戦車型の、忌まわしき前脚が見えた。
鈍色の、無情な脚が、近付いてくる。
「だめ」
他の戦隊員の声が遠く響く。
感覚が、彼の音だけに収束される。
「いや」
力なく首を振った。
「──行かないで」
子どものように、弱々しく紡いだ言葉は、虚空に消える。
瞬間、ふと、彼の声が震えた。震えて、そして荒い息と共に言葉が吐き出される。
『……好きだ』
最期の気力を振り絞った声で、紡がれたのは万感の劣情だった。
『ずっと、ずっと好きだった……レイネシア」
息を呑んだ彼女に構わず、彼は紡ぐ。鈍色の脚が目の前まできても、尚、伝え続けて。
そうして彼は、最期にひどく泣きそうな声で、哀切を込めて、『レイネシア』と彼女を呼んだ。
『──会いたい』
鈍色の脚が、振り下ろされるその刹那、聞こえた声にレイネシアの手が、前に出される。
行かないで、と縋る掌の先で。
《レッドウルフ》の識別コードは、一切の情緒を切り捨てて切り替わった。
「………あ」
てんてん、と闇夜の廃墟にボール大の"それ"が転がる。隊員の視界越しに見えた光景に、レイネシアは指ひとつ動かせなかった。
レギオンを示す赤のブリップが撤退していく。
まるで、“これだけのために”、そこにいたかのように、レギオンの群れは猛追する彼らを蹴散らして、廃墟を超えた草原の彼方へ姿を消した。
「──戦闘終了。戦隊各員、基地へ帰投後、補給をお願いします」
いつも通りの決まり文句が知覚同調越しに隊員に伝えられる。小隊が二隊と戦隊長を失う大損害に、隊員からの返答はない。
心ここに在らずの声で、レイネシアは事務的に、淡々と必用事項を伝える。
どうして、なんで。そんな無意味な思考を押し殺して、なんとか平静を取り繕って。
「……《レッドウルフ》の戦死により、戦隊長の任は副長の《カナリア》に委譲します。小隊の再編成は追って説明を」
『なんで』
けれど低く、地を這うような声に、飛んでいた意識は揺り戻される。
押し殺していた怒りを濃縮した声音に、レイネシアは言葉を失った。
『なんで隊長が死ななきゃいけなかったのよ。アンタが管制していて、なんで隊長が!』
『おい、《カナリア》おちつけ』
静止する他隊員に構わず、彼女は知覚同調越しに叫んだ。
『隊長は! アンタのことずっと心配して、負担かけさせまいと必死だった! アンタは危険がない場所で指示するだけのくせに! 隊長はアンタを気にかけてたからだからっ!』
「……わたしは、私は、ただ」
言い訳がましく、レイネシアは紡ぐ。何一つ彼女は間違っていないから、弱々しくただ、声を漏らして。
守りたかった。ただ、それだけだった。
出来うる限りの策を取って、彼らに近づいて、彼らと同じ景色を見て、それで、だから──
『アンタは、私達と一緒じゃないくせに!!』
──ガツンと、鈍器で頭を殴られたような衝撃が、レイネシアを襲った。
悲哀に満ちた言葉が耳朶を打って、開きかけた口を閉じる。泣き叫ぶ彼女を他の隊員がなだめる声が聞こえるが、頭に入ってこなかった。
嗚呼、そうだ。
どうして私は、気付かなかったのだろう。
栗色の髪がなびいて、快活な笑みが心を溶かす。隊員達と笑い合って、どこか、そう。
──仲間みたい、なんて。
傲慢な幻想に酔いしれていた己の愚行を、突きつけられた気がした。
「……ごめんなさい」
呆然と紡ぐ声に、反応はない。全員が一様に口を噤んだことで、レイネシアは理解した。
自分はただ、甘えていただけだ。
優しさは、親しみは、戦場に於いて不要だというのに、それを隠れ蓑に彼らに近づいた。
どうあがいても彼らの死の上に立つ自分が、彼らと同じ景色を見ることなど、できるはずがないのに。彼らと共にありたいなどとそんな傲慢が許される筈もないのに、勘違いをしていた。
一緒に戦ってもいないのに、勝手に仲間意識を持っていた。その、浅ましさ。
──ちがう。
自分は、ハンドラー。
彼らとは、違う。
──わたしは、ちがう。
自分は、白系種。
白ブタは、憎まれなければいけない。
仲間意識を持たれてはいけない。
ハンドラーという"部品"として、認識されないといけない。
──もう、間違えてはいけない。
親しみも優しさも、己のためにすぎないのなら、氷のように冷たく、任務を遂行する人形になれ。
優しさも哀れみも親しみも全て、すべて。
彼らを惑わす、毒にしかなり得ないのだから。