9:閑話
最近、千歳の挙動がおかしいことに波多野は気づいた。保冷庫の中を見ては険しい顔をして、頻繁に建物を出入りしているし、やたらジョーカーゲームに参加して小遣い稼ぎもしている。
(金がいる遊びでもしてるのか?)
物欲のない彼女だ。女を買うわけもない、男を買う…あり得ない。観劇にでものめり込んだか、お気に入りの男優でもいるのか。
ある日の昼下がり、講義の移動時間。他のメンバーと談笑しながら歩いていた波多野は食堂に入っていく千歳を見かけた。
(夕飯の仕込みにしては早いよな)
少しだけ違和感を感じた波多野は、他のメンバーが講義室に赴く中1人その場に残った。訝しむ他のメンバーを尻目に食堂を見つめる。
(出てきた)
思いの外、彼女はすぐに出てきた。その手には布製の買い物袋。普段買い物に行く時には畳んでいるため、中に何か入っているのだろう。
(いったいなんだ)
波多野はちらりと講義室へと目を向ける。次の講義は体術の訓練だ。
優先順位を考えた結果、波多野は講義室に背を向けると彼女の後を追った。
気配を殺さなければ気取られる。細心の注意を払い、それこそ任務さながらの動きで波多野は千歳を追った。着物姿の彼女は足早に街をかけていく。幸いつけている波多野には全く気付いていないようだ。昼下がりの街中には人が溢れているが彼女は器用にその流れを掻き分けて歩いていく。
(何をそんなに急いでるんだよ)
そして自分も何故こんな必死に追いかけているのかと自嘲する。
気になるのだ、彼女が足早に行こうとする先が。まさか本当にお気に入りの役者の差し入れでもしていたのなら、それはとても面白い。
しかし、彼女は観劇街でもなく賑わうカフェ街でもなくどんどん街の外へ向かっていった。歩き始めてゆうに30分は経ったろうか、辿り着いたのは人もまばらな河川敷だった。そんな場所の橋の下へと千歳は降りていった。
(いったいなんだってこんな場所に)
ここまで来たら最後までだ。波多野は意を決してその後を追った。
ーーーーー
思った以上に時間がかかってしまった。千歳は懐中時計を見て自省する。真夏ではないにしろここ最近は気候が穏やかなためなるべく足早に来たが、昼下がりの街は、カフェ街や観劇街、デパートメントへ行く人で賑わい進路を思うように確保できなかった。
「ごめんね、遅くなって」
そう言うと、千歳は袋から品物を取り出した。使い古された皿が2枚と、牛乳瓶、それにすり潰した魚の身を入れた瓶。
「牛乳は温かくしてあるからすぐに飲めるよ」
使い古された皿にそれらを注げば、
ミィー。
彼女の目の前にいる3匹の猫は喉を鳴らし美味しそうに舐め始めた。その姿を千歳は微笑ましく見つめる。
1匹は親、もう2匹は子猫だ。
普段はこの郊外まで来ることはない。たまたま馴染みの店の店主に教えられ、郊外の呉服屋へと足を運んだ帰りだ。夕暮れ時、夕飯の支度に間に合わないと足早に帰っていた時に鳴き声が聞こえた。
気まぐれに足を運んで見れば怪我をした親猫と幼い子猫たち。
威嚇する親猫ををなんとかなだめあり合わせの道具で止血などを行いその場去ったがあの場にいた子猫たちが気がかりだった。
それからというものほぼ毎日通い詰めた。
「元気になったね」
怪我もだいぶ治った親猫に手を伸ばせば撫でろと言わんばかりに喉を差し出してくる。最初の頃引っ掻いてきた猫と同じとは思えないほどだ。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫に自然と笑みが広がっていく。
「小遣い稼ぎはこのためだったのか」
唐突に後ろに気配ができ、千歳はびくっと体を震わせた。猫たちに気をとられていて全く気付いていなかった。
その驚きが伝わったのか、親猫が、フシャー、と威嚇のポーズをとった。
ゆっくりとおそるおそる後ろを振り帰れば、見慣れた顔。
「波多野さん…」
「気配は殺してたけどほんと気づかなかったんだな」
呆れた声が降ってきて、頭を抱える。
猫達に早く餌を届けることに必死で周りが見えていなかった。
「講義はどうされたんですか」
そもそも彼らはこの時間は講義中だ。
「それより気になったんだよ」
そう言うと、波多野はよいしょと千歳の隣にかがみ、猫達を見遣る。知らない人間が来たことで、親猫は食事を止めてしまった。親の警戒をつゆ知らず子猫達は必死に牛乳を飲んでいる。
「怖がらなくていいよ」
おいでおいで、と千歳が手招きをすれば親猫はおそるおそる近づき警戒しつつも食事を再開する。
「慣れたもんだな」
「ここ最近はよく来てましたから」
「ゲームで稼いで買っていたのはこいつらの餌だったわけか」
「普段のお金は皆さんの世話代ですから。私は仕事以外で物を買う必要ないですし」
「ふぅん」
「……何ですか?」
「別に」
そう言って立ち上がり、つまらなさそうに相槌を打つ波多野に千歳は呆れた目を向ける。反応からして、大方何か面白いネタでもあるかと思ってきたのに拍子抜けしたというところか。
はぁ、とため息をつき千歳は波多野を見遣る。
「講義抜けてまで来る内容ではなかったでしょう?」
「コソコソしてるから面白いことだと思うだろ」
「別に教えることでもないですし」
そりゃそうだけどさ、と波多野は口を尖らせた。拗ねる波多野に、子どもじゃないんですから、と千歳が苦言を呈そうとすると、
にゃー。
「うわ」
食事を終えた子猫達が波多野の周りをウロウロし始めた。かまってほしいのか、足元をうろついたり擦り寄ったりとやりたい放題だ。
「お前らっ」
「、っふふ、ははは」
波多野の慌てぶりに千歳はおもわず吹き出した。
「波多野さん、良かったですね気に入ってもらえたみたいですよ」
「いいわけあるか!どうにかしろよこいつら」
「猫は気ままですから、どうにもなりませんね」
「お前なぁっ」
逃げども逃げどもまとわりつき、下手をしたら蹴り飛ばしてしまうため波多野は観念したようにその場に座り込んだ。
食事を終えた親猫はその様子を眺めた後、千歳の隣に寝転がった。その頭を優しく撫でれば気持ちよさそうに目を細める。
「お前、いつまでこいつらの世話すんの」
胡座をかいた膝に2匹を乗せた波多野が不意に千歳に聞いてきた。
いつまで、考えもしていなかった。
「まだ怪我が完治していないのでそれまでですね。その後はこの子達で勝手にやるでしょう」
「連れて帰ったりは」
「しませんよ、流石に」
何を危惧しているんだと呆れ声を出せば波多野は安堵したような表情を浮かべる。
「世話する人間がいつまでいるとは限らないからな」
波多野のその言葉に千歳は、そうですね、と答えた。それもそうだ。彼らはいつかいなくなるし、自分も…
にゃー。
千歳の心の機微に反応したように親猫はすりすりと足元に擦り寄ってきた。
猫は人の心の変化に敏感だ。
(まぁ、今は関係ないか)
擦寄る猫の喉を撫でれば気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「明日も来るのか?」
唐突に波多野は千歳にそう問うてきた。千歳は一瞬目を瞬かせたがすぐに答える。
「一応。まだ魚も残ってますし」
「行く時に声かけろ」
「はい?」
「退屈しのぎにはなるからな」
ぶっきらぼうに波多野はそう言ってそっぽ向いた。そんな波多野の姿を見て千歳は思わず苦笑する。
(講義が退屈なんて思ってないくせに)
意外と気に入ったのかと、彼の股に居座る2匹に目を向ければ、鳴きながら構え構えと彼にねだっていた。仕方なく近くの草を引きちぎり彼らの前で揺らせば楽しそうに前足を伸ばして遊ぶ。
そんな猫達の様子を波多野はまんざらでもなさそうに見ていた。
(たまには悪くないかな)
ある晴天の日の、昼下がり。
まだ彼らが世界で暗躍する前の出来事。
ーーーーーー
閑話
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