14:他人

「すまないな、千歳」
「お気になさらず」

田崎が隣にいる千歳に謝罪を入れると、彼女はわずかに笑みを浮かべそう答えた。
D機関の入る建物内、その食堂。普段なら黙々とカードゲームに勤しむ彼らが現在は、

「いい寝顔ですね」

ほとんどが、眠りに落ちていた。
事の発端は数時間前。いつものゲームに刺激を加えよう。そう提案した神永によりこの日だけの限定ルールが設けられた。
負けた数だけ、指定された酒を飲む。
食堂にある酒は訓練で使用することもありどれも酔い易い類のそれだ。
乗った乗ったと全員が手を挙げ開催されたゲーム。
まず初めに落ちたのは小田切だった。恐らく、もともとさほど強い部類ではないのだろう。
思った以上に早く脱落したのは神永だった。言い出しっぺの割に小田切の次だ。
ただ、酔っ払うわけではなく皆一様に眠りに落ちていく様は自分達が同類なのだと認識する。酒に溺れて情報を流すような馬鹿はここにはいない。
そして、最後に残ったのが、田崎というわけだった。

「案外皆大したことないんだな」
「田崎さんがお強いだけですよ」

空になった何本かのウイスキーを見て呆れたように千歳が言った。
イギリスでは飲むことが当たり前だった。そういった面もあるのだろうか。
空の瓶を片付け寝落ちした彼らに毛布をかける彼女はまるで寮母のようだ。

「千歳は飲める方なのか?」

ふと、田崎は気になったことを聞いてみた。
昨今の女性は酒も嗜む。彼女もそれなりに耐性はつけているだろうが、どれほどなんだろうか。
そうですね、と千歳は考える素振りを見せ、

「一般的に飲めるというのがどの程度かによりますけど、小田切さんよりは」

そう言って苦笑する。そして再び毛布をかける。

小田切も一般的な男性に比べたら飲んでいた方だ。それ以上に飲む女性となるともはや酒豪の域だと田崎は内心舌を巻いた。

それにしても、と田崎は献身的に働く彼女を見る。
彼女とはあまりこうして話す機会がなかったが、ここ最近彼女は少しずつ様々な表情を見せてくるようになった。

(そういえば、酔うとどうなるんだろうな)

ほんの少し、田崎の中に湧いた興味。
彼女は、普段は表情を変えず時折笑みを見せる程度だ。狼狽したり泣いたり無防備な姿を見せることはない。また違う一面を見せてくれるのだろうかと、田崎は知りたいという欲求に駆られた。

「なぁ、千歳」
「何ですか?」

田崎は棚から度数の高いウイスキーを2本ほど取り出すと彼女を手招きする。意図が分かったのか、嫌そうな顔で彼を見る千歳に、まぁまぁ、と爽やかな笑みを向けた。

「嫌です」
「まだ何も言ってないけどな」
「飲まないです」
「そう言わずに、な?」

ちょっとだけ、と眉尻を下げれば、千歳はため息をつき、少しだけですよ、と言うと食器棚からグラスを2つ取り出して空いている席に置く。
田崎は嬉しそうにウイスキーをそこに置くと栓を開け早速注いだ。

「どれだけ飲むんですか」
「女の子と飲む方が楽しいだろ」
「田崎さん、割と遊び人ですよね」
「心外だな」

呆れるような目線を田崎に送りながらも、律儀に酒に付き合う千歳に田崎は居心地の良さを感じる。注ぎ終えたグラスを互いに持ち乾杯すると、苦味のあるそれをゆっくりと喉に流し込んだ。

(さて、お手並み拝見だ)


ーーーーーーー


「田崎さん、も、ちょっと」
「あと少しなんだけどなー」
「なら飲んでください」
「口移しなら飲む?」
「冗談はよしてください」

2人で飲み始めて小一時間ほど。田崎の目の前には頬を染め、頭を抱える千歳がいた。
早いペースで飲んでいた2人だが、先に限界が来たのは千歳の方だった。流石に機関員と飲んでいた田崎より先に限界は来ないだろうと思っていたのか。田崎のペースに合わせて飲んでいた彼女だったが、予想が外れたのか、現在は頭を抱えて田崎を呆れた目で見ている。

「田崎さん強いんじゃなくて、酔わない人なんですね」
「みたいだな、ザルだとは自分でも思ってなかった」

爽やかにそう言えば、付き合うんじゃなかったと更に千歳は頭を抱えた。

「頭フラフラしてる?」
「少しぼんやりします」
「今口説けば落ちるか」
「寝言は寝て言ってください」

千歳の受け答えに田崎は、ふむ、と喉を鳴らす。
彼女はどうやら寝落ちもしない、泣き上戸にも笑い上戸にも、ましてやペラペラ他人に機密情報も喋るようなこともしない。頭はしっかりとしているが体はついていかない、そういうタイプだ。

「悪かったな、付き合わせて」
「酔った反応なんて見てもつまらないでしょう」
「そうでもないけどな。千歳のこんな姿あまり拝めないだろ?」

朗らかに笑えばジロリと睨みつけられる。
しかし、本心から田崎はそう思っていた。千歳の違った一面を見るという目的は達成された。

グラスを流しに持って行こうと立ち上がった千歳の体がふらつく。無理をするなと田崎はその体を支えた。
華奢な体だ。女性にしては筋力は付いているがそれでも男のそれと比べれば可愛らしいもので。
こんな女性があの訓練を受けてきたのいうのだから、佐久間中尉が驚くのも無理はないと苦笑した。

(最近は、柔らかくもなったしな)

いっそ手篭めにでもすれば楽しそうだ、などとあられもない考えが田崎の頭の片隅をよぎった。高嶺の花ほど落とすことができた時は快感だ。

彼女が誰かに落ちればどんな顔をするのだろう。誰かに縋る時はどんな声を上げるのだろう。

そんな邪なことを考えていると、

「私のことはいいですから」

ちらりと千歳が田崎を見た。

「起きている方々をどうにかして下さい」
「!」

ため息をつき、呆れた様子で彼女はそう言い放てば覚束ないながらも、一歩一歩洗い場へと歩みを進めた。

気づいていたのか、と田崎は内心驚いた。あれだけ酔っているにも関わらず、彼らが起きた気配に気を配れる辺り、やはり普通の女性とは違う。

(変な考えは持つもんじゃないな)

「あー、よく寝た」
「神永は意外と弱いよな」
「ペース間違えただけだっつーの」
「おーい、小田切起きろー」
「う…」

千歳が田崎にそういったのを皮切りに小田切を除く面々が何食わぬ顔で起き上がった。大方、先ほどまでの飲み合いを楽しんでいたのだろう、小田切を除いて。

グラスを洗っていた千歳のもとに福本が無言で近づく。何事かと不思議そうに福本を見やった彼女を尻目に彼は自分から食器を洗い始めた。自分で洗うと慌てる彼女に福本は気にするなと言わんばかりに黙々と作業を続ける。結局千歳が折れ、福本に笑んで、ありがとうございます、と呟いた。


(アンバランスな子だな)


ふと、田崎はその様子を見て思った。

普通に見えても、柔らかくなっても、彼女は普通とはやはり違う。自分達のような、ろくでなし、ではないけれど、そのろくでなしと同じ様な所業はできる。
彼女はきっと、自分達と違う心根の持ち主だ。しかし、彼女は、命令さえあればあの朗らかな笑みで他人を騙すことを躊躇しないだろう。


それはとても、危ういことだ。


自分だけを信じ、欺き続けることができなければ、いずれ心を殺す。
心の拠り所を他者に求めるほど、ここでは自分の首を絞めるのだ。

考えて田崎は首を振る。


(関係ないか)


自分には関わりのないことだ。

薄く笑みを浮かべ、田崎は起きた面々のもとへと歩み寄った。


ーーーーーーーー


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