15:任務

「建物内の赤旗連中を制圧しろ」

吐き捨てるようにそう言った結城中佐は、資料を無造作に目の前の女性、千歳に投げた。それを拾い上げた彼女は一読すると、すぐに中佐に返す。

「できるか?」

中佐のその問いに表情一つ変えずに、「問題ありません」と答えた。

赤旗の制圧任務、制圧対象の殺害はご法度。ただし、多少痛い目は見せても良いらしい。憲兵や特高にでも任せればよいものをと思うが、参謀本部の意向だろう。
どうせいつものことだと波多野は嘲笑する。半分はD機関への嫌がらせ。目の敵にしている自分達への挑戦状だ。そしてもう半分は、見つかりたくない誰かがいるくらいか。

「下準備は済ませてある。やり方は任せる。時間はせいぜい30分、それ以上事を荒立てるな」
「殺さなければ、いいんですよね?」
「問題ない。それと、波多野を連れて行け」

珍しく2人揃って中佐に呼ばれたかと思ったら任務は彼女へのものだったようで、補助要員として自分が呼ばれたらしい。いつもなら逆だ。自分達が任務を遂行して彼女は補助要員だ。しかも補助要員といっても彼女の出る幕はない。自分たちで済ませることだ。

(何でわざわざ千歳に…)

制圧任務程度なら自分でも問題ない。むしろ殺さずの制圧は波多野の得意とする分野だ。
訝しむ波多野だったが、千歳は少し考えた後くるりと波多野を振り返り「お願いします」と一言波多野に声をかけた。断る理由もない。釈然としないが波多野は「りょーかい」と仕方ない、というふうに肩をすくめた。

「明後日に奴らが郊外の廃墟に集まる。そこを叩け」

結城中佐の言葉に無言で頷くと、千歳はその場を後にしたため、波多野もその後を追う。



「何でお前なんだよ」

前を歩く彼女に向かって波多野は拗ねたような声をかけた。彼女にできない任務ではない、しかし自分の方がより確実に迅速にこなせる。その自負心からくる言葉だ。
その声音を聞いた千歳は彼を振り返らずに尋ねた。

「なら、波多野さんが女装でもしますか?」

何のことだ、と波多野はまたも訝しげな表情を浮かべた。女性に適した制圧任務なのかと。そんな波多野に千歳は任務内容を端的に伝える。

「明後日の二一○○に的の場所に入り込むので波多野さんは外で待っててください」

行く前にお迎えにあがります、と一言言うと千歳足早に自室へと帰ってしまった。

俺のいる意味はあるのかと、波多野はこみ上げる不快さに煮え切らない思いを抱きつつ、こんな日はゲームでもして気を晴らそうと他のメンバーが待つ食堂へと歩みを進めた。


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夜。街灯の明かりもない郊外の廃墟。2階建てのかつてどこかの会社が入っていたコンクリート製の建物だ。8年ほど前の恐慌の煽りを受けて倒産したうちの一つだとか。地元の人間すら寄り付かない場所だ。
そんな場所から少し離れた林の中。千歳と波多野は身を潜めあたりを伺っていた。

「何人かわかりますか」
「6、7人か」
「同じですね」

スパイと違い、彼らは大概普通の人間たちだ。少し大衆とは考え方の違う、しかし普通の人間。気配の殺し方も身の潜め方もなってない。その証拠に、ところどころに燭台の明かりが見える。
たかが6、7人の人間の制圧。間違いなく千歳1人で十分だ。
だが、結城中佐が無意味にこのようなことをさせるとは考えにくい。

『なら、波多野さんが女装でもしますか?』

女性が行く意味、D機関いる女性は千歳だけ。つまり千歳が行く意味。
このことから波多野がたどり着いた答えは、参謀本部がD機関に汚れ仕事を押し付けてきたものだった。

「時間なので行きます」

ブラウスにスカートというおよそ制圧任務に向かない格好で赴く彼女に波多野は

「ほどほどにしろよ」

とヒラヒラ手を振る。そんな波多野に、「分かっています」と能面を貼り付けた様な無表情な顔で答えた彼女は音もなく暗闇に消えていった。


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制圧任務は何も最初からことを構えなくてもいい。自分はお前たちの敵だと言いながら制圧するなど少なくとも自分たちとは無縁のやり方だ。スパイは目立たず 事を荒立てず、だ。

ゆっくりと千歳は廃墟の中足を進める。建物の構造は先ほどこちらに着いた時に把握した。彼らが話し合いに使うのは大規模な会議室ということも調べは付いている。あとは、

「お前!何者だ!」

千歳が歩いていたところに現れたのは、まだ若い学生風の青年だった。実直そうな、芯が強そうなそんな、

(佐久間中尉みたい)

なるほど、と千歳はその顔つきを見て確信した。ここにいるのはやはり、素人、だと。結局のところ、共産主義が理想の社会を作り出すとの正義感にかられた青年たちの、若気の至りだ。
せいぜい7人程度のグループ。身なりも整っていて粗末なものを着ている雰囲気もない。不自由ない生活をしているはずの学生の中にも、共産かぶれになるものは少なくない。

千歳は眉尻を下げ、びく、と体を震わせた。

「こ、ここに来れば、同じ人たちに会えると聞いたわ」
「!お前」
「沢山いるんでしょ?!私と同じ人たち」

青年は目を見開き千歳をじっとみる。若気の至り、別に男性に限ったことではない。既存の組織に反発したがるのは、若者の常だ。まるでそれが本当に正しいことのように錯覚して、その甘美に酔っていく。そこに男女の差はない。

「来い」

しばらく彼女を見つめていた青年は踵を返すと千歳について来るように命令した。足早に歩く青年の後ろを千歳は慌てたようについていく。
長い廊下を歩いていけば、建物の突き当たりの大きな扉の前に行き着ついた。

「入れ」

ギィ、と重そうな扉が音を立てて開いた。千歳はチラチラと周りを見ながら足早にその中へと入る。
大きめの会議室、無造作に机が置かれている。埃が溜まっていたそこには燭台が数台置かれ何人かの顔を伺えた。

(ひぃ、ふぅ、みぃ、……5人)

後ろの彼を入れて6人、部屋の中の人数を確認する。ここに来るまでで気配はなかった、とすれば、見張りで外にいる可能性が高い。
周囲の状況を千歳が確認していると、


カチャリ


彼女が入ってきたあのドアの鍵が、外側から閉められた。

千歳が後ろを振り向けば、部屋の真ん中から「無駄だ」と男性の声がした。

「内側からは開かない。そう改造したからな、あんたが来る前に」

声の主、部屋の真ん中に座っていた男性はゆっくりと立ち上がると勝ち誇った笑みを千歳に向けた。周りの男性たちも同様の笑みを浮かべる。まるで、罠にかかった獲物を品定めするように。



「ようこそ、スパイのオジョーサン」



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任務


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