18:嫌煙

男も女も可愛らしい容姿というのは元来得するものだ。どちらの性別にもその容姿は油断という隙を与える。更にそこに愛嬌や、朗らかな雰囲気を足せば完璧だ。こんな可愛い顔してるのだから、こんなに穏やかなのだから、悪いことは考えないだろう。

相手に隙を作らせ情報を奪い活用する。自分のこの容姿はその為に最大限利用できる武器だ。
ある者は頬を染める、ある者は弱き者と見下す、ある者は哀れな目で軽んじる。
それらは全てこちらの計算通りの行動であまりに計算通りに行くものだから笑いが溢れそうになるくらいだ。

心の中では常に冷静に相手を観察し、利用できるカバーで惑わしその心を欺く。そこに善悪の概念などない。ただ合理的だからというその一点の為に自分達は他者の善意も悪意も、全ての感情を使いこなしていく。


実井は、この虚構の生活をひどく気に入っていた。モノクロの色褪せた世界に鮮やかな色彩が蘇ったのだ。つまらなかった日常の全てが、間反対の存在に変わった。

全て利用できる。つまらなかった日常全てが、利用価値のある宝に変わっていく喜びを実井は肌に感じていた。

そして、自分と同じ人間がいる空間は居心地が良かった。自負心の塊である彼らだからこそ、互いにろくでなしであることを理解できている。何も気兼ねする必要もない、虚構で塗り固められた日常。


誰もが、本当、など気にしない。必要なのは実力と結果のみのこの生活に、奇妙な色が混じった。

初めは無色だった。何の色もない、益もなければ害もない。
実井から見た彼女、千歳はそんな色をしていた。自分達から見ても異端で、それでいて実井はそれを大層気に入っていた。
居心地が良かったのだ、何も映さないその瞳が、自分達に目が向かないその存在が。


しかし、ある訓練を境にその変化は起きた。

無色だった彼女に色がつき始めた。
何も写していなかったはずのその目に、自分達を見ることが出来るようになった。向けられる、興味関心、の目は居心地が悪かった。


(気に入らない)


無意味な行為と分かっていながら、自分達を見つめるその目が嫌いだ。
自己満足のための下らない行為で、それを掘り下げようとした周りのメンバーにも嫌気がさした。

そもそも矛盾しているのだ。人の心を持てば持つほど、他人を利用した時の心の代償は大きくなる。人とは単純だ。誰かに寄りかかるほど、依存するほど抱え込むものが大きくなっていく。

大人しく結城中佐という存在のためだけのお人形になっておけば良かったものを、彼女は世界を見てしまった。


その彼女が、任務の中で人の死を見たらしく、酷く心を乱して帰ってきた。実井は、下らない、とため息をついた。
人の死すら虚構だ。全ての事象における、愛情友情などの感情に意味はない。そこに意味を見出して何とする。

シャワー室で物思いにふける千歳に彼は言い放った。


「貴女が選んだ道なら、どちらも完璧にこなしてみて下さいよ」


あのまま無色の人形のままだったら、今彼女はここまで動揺することはなかったろう、そう思うと酷く機嫌が悪くなったのだ。


(下らない)


実井は眠気が来ず、冴えきった思考を持て余すように食堂に来ていた。度数の高い酒を手に氷をカラコロと鳴らす。

彼女は卒なく全てを卒なくこなす。淡々と何の不備もなく任務もやってのける。それは彼女が培ってきた経験が織り成す業だ。感情を抜きにしたら、その姿はとても美しい。
だからこそ、実井は千歳を気に入っていたのだ。

卒なくこなす任務の中でも、彼女には色が付いて行った。それはシミのようにどんどん広がっていく。初めは薄かった色も、だんだん濃い色に、重ねる毎にその濃さは増して行った。

染み付いてしまった色は消えない。有色から無色には決して戻りはしない。
いくら卒なく全てをこなそうと、いつかその色に潰される、そう思っていた矢先の出来事だった。

(愚かな人だ)

矢張り自分達とは違う紛い物かと、実井は鼻を鳴らした。


「…実井?」

ゴクリと酒を喉に流し込んだその時、部屋の扉が開いた。実井が視線だけ向ければ、結城中佐に呼ばれていた波多野がそこにいた。

「終わったんですか?」
「まぁな」
「そうですか」

何がとは聞かない。そんな無粋なことをする人間はここにはいない。
いずれ自分も経験することだ。

「珍しいな、お前が度数高いもの飲むなんて」

実井の前にあるボトルを見遣り波多野はどこか意外そうに呟く。実井は苦笑すると肩を竦めた。

「僕だって飲みたい気分の時はあるんですよ」

そう言って、もう一度、喉へ酒を流し込む。
波多野はそんな実井を尻目に、台所へと足を進めグラスを1つ取り出した。

「波多野さんもそんな気分なんですか?」

茶化したような実井の声に波多野は淡々と返す。

「色々とな」

グラスを手に隣りに座った波多野に実井は薄く笑むと、どうぞ、と酒を注いだ。橙色の鮮やかな色彩を放つそれは、無色のグラスによく映える。

実井と波多野はよく話す方だ。自分と同じで波多野もその容姿を利用する方なこともあり、特に体術の業などはよく教わった。

ちらりと実井が波多野に目をやれば、何か考え込む様子で彼はぼぅ、としていた。無言のまま酒をチビチビと流し込み、目を細める。
実井は1つため息をついた。

「気になるんですか?」

は?、と眉をひそめ、波多野は訝しげな声をあげる。
実井は肩をすくめると冷めた視線を波多野に向けた。

「千歳さん、随分と使い物にならなくなっていましたので」
「それがなんだって言うんだよ」
「彼女のことが気になるんじゃないんですか」

皮肉を込めた笑みを浮かべる実井に、波多野は鬱陶しそうな顔をしてグラスの酒で喉を潤す。橙色のそれは彼の胃袋へと消えていった。

「実井さ」

半分ほどになったグラスの氷を鳴らしながら、波多野はおもむろに呟いた。

「あいつのこと嫌いなわけ?」

純粋な疑問の言葉だ。実井は隠すことなくさらりと言い放つ。

「えぇ、気にくわないですね」
「なんで」
「無意味な行動をわかっていながら、そうする姿が非常に苛々します」
「気にしなけりゃいいだろ」
「嫌でも目につく」

思い出した彼女の顔に、実井は思わず吐き捨てた。波多野はそんな実井に驚いたように目を見開き閉口する。実井自身、燻るこの苛立ちを持て余していた。

あからさまに不機嫌になった実井に波多野は呆れを含めた声音を出した。

「気になってんのはお前だろ」

は?、と先ほどとは真逆の会話が交わされる。実井は波多野をジロリと睨みつけると彼は肩をすくめた。

「感情がプラスであれマイナスであれ、気になってんじゃん」
「目につくだけです」
「気になってないなら何とも思わねぇよ。気にくわないことがあるってことは、あいつに気が向いてるってことだろ」

皮肉に口が歪められた波多野を見て、実井は頭が殴られたような感覚に陥った。
気になっているのは自分。否定しようとした感情に、しかし実井は首をふった。
無色の彼女、色のある彼女、思い浮かべて目を細める。

「馬鹿馬鹿しいですね」

ぐっとグラスの中の酒を一気に流し込むと実井は立ち上がった。少し酔いが回っている。

「少し飲みすぎましたので失礼します」

波多野はそんな実井に声をかけなかった。無言のまま互いに別れる。

部屋を出て、足取りはしっかりしているが、頭が少しぼう、とする思考で実井は先ほどの言葉を思い出す。

気が向いているというのは否定ができなかった。

無色の彼女が気に入っていた、有色の彼女が気に入らなかった。無色の彼女を欲しているのかと実井は自嘲する。

(本当に何を考えているんでしょうね、僕は)

同時に脳裏に浮かんだのは、先ほどまで共に夜酒を交わしていた波多野のこと。


(それでも貴方も、)


そうして深く目を瞑る。
気にする必要はないことだ。こちらもあちらも。
実井は薄く口を歪め、足を進めた。


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嫌煙


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