21:恋歌
「行かれるのですか」
参謀本部からの帰り道、大東亜文化協曾へと歩いていた道で出会った彼女は自分を見るなりそう言った。
佐久間はその顔を見て目を細める。
綺麗に結われた髪、薄紅色の着物、どこからどう見ても育ちの良い普通の女性だ。しかし、その実はあの魔王の傍で真価を発揮する者。
彼女、千歳が此処にいるのは偶然ではないだろう、佐久間は先日の魔王との会話に思いを馳せた。
魔王からの提案、即ちD機関で訓練を受けるということを佐久間は丁重に断った。
自分は軍人だ。駒として使い捨てられることは御免だが、この身は竹馬の友にこの国に捧げると誓った。
例え視野が広くなろうと少しばかりずる賢くなろうと、そこを曲げては佐久間は佐久間でなくなるのだ。
佐久間の目の前で相変わらず能面のような顔付きをしている彼女は、きっとその話を人伝いに聞いたのだろう。
「俺は軍人だ、必要とあらばいつでも腹を切る。そういう人間は不要だろう?」
そう自嘲すれば、千歳は眉を潜めて俯いた。
能面のようというのは言い過ぎかと、佐久間は己の考えを改める。短い期間だったが、共に過ごした佐久間に分かる程度には表情が豊かになった。
「死ぬことが無意味だとは言いません」
ぽつりと、彼女から放たれた言葉は凡そD機関に身を置く者としては不釣り合いな台詞だった。
目を見開いた佐久間に、千歳は続ける。
「避けるべきものですが、避けられないこともある」
その声音はまるで自分に言い聞かせるようなもので、言葉を噛みしめるように彼女は紡ぎ、けれど、と顔を上げた。
「死は全ての終わりです」
訴えるようなその瞳に佐久間は捉われた。
死ねば向こうで同期に会える、その言葉に対する答えなのだろうか。
「どんな意味があってもなくても、終わりを迎えることを当たり前と思わないで下さい」
「…千歳」
強い意志を含んだ声色と、視線だ。それらが佐久間を捉える。そして佐久間もしっかりと見つめ返した。
「駒として死ぬなんてことはしないさ」
ふっ、と笑い佐久間は肩を竦めた。
尚何か言いたそうな千歳の頭に手を乗せてその柔らかな髪を撫でる。
自分を見上げる目にはどこか不満そうな、そして不安そうな色が見え佐久間は優しく笑んだ。
佐久間の笑みを見た千歳は、じっとその姿を見つめた後、撫でる彼の手をそっと払い目を伏せた。
「中尉には良い人が現れてくれれば良いのかもしれませんね」
「?、何故だ?」
そう言って彼に背を向けて歩きだした千歳に、佐久間は不思議そうに問いかけた。
カランコロンと下駄を鳴らし、千歳ゆっくりと歩みを進める。その口元にうっすらと笑みが浮かんだ。
顔だけを佐久間に遣ると眉尻を下げて紡ぐ。
「そうすれば、死んでも生きて帰ろうとするでしょう?」
律儀ですから、と付け加えた千歳に佐久間は目を見開いた。
そんな佐久間を一瞥し、千歳は前を向いて再び歩みを進める。
生まれてこのかた、士官学校へと進みお国の為と学んできた佐久間は、生涯の伴侶となる者を娶るということを考えたことがなかった。
この身はお国の為に捧げられるものであり、伴侶が居るとそちらに気が行ってしまう。
よく自分のことも見ていると、佐久間は千歳を見て舌を巻いた。彼らだけではない、彼女は自分の行動、思考も観察していたのだろう。
一定の距離を近づきも離れもせずに2人は歩く。
「君がため惜しからざりし命さえ、ながくもがなと思ひけるかな」
唐突に、まるで歌を歌うように千歳が言葉を紡いだ。その言葉に、佐久間は思わず笑みを浮かべる。
「恋歌か」
百人一首、第五十番。
恋慕の相手への歌だ。
「貴方のためなら捨ててもいいと思っていた命さえ、逢瀬を遂げた今は貴方と出来るだけ共にありたい」
「流石ですね」
「当たり前だ」
一般教養の範疇だと、佐久間は肩を竦めた。千歳はぴたりと立ち止まると佐久間へと向き直り、微笑んだ。
「この歌を送ることのできる方に出会えることを願っています」
淡い笑み佐久間は儚いものを感じた。
君が為に死なず生きる。
「お前はいないのか」
佐久間は思わず問いかけた。驚いたようにこちらを向く千歳の瞳を見つめ返す。
D機関の人間は囚われない。それはここに身を置く者なら誰でも理解している。
誰かを想い、生きることなど出来るはずがない。共に生きることはあっても、その心は偽りだ、その生活はカバーだ。
しかし、彼女は違う。
誰かを想うこと出来る人間だ。
人の想いを、下らないもの、と一蹴しない人間だ。
心を通わせる誰かと、共にあることができる人間、佐久間から見た千歳はそういう存在だった。
じっと答えを待つ佐久間を、きょとんとした表情で見ていた千歳は暫しの間考える素振りを見せた。
「そうですね…」
ちらりと、佐久間を見遣った千歳は彼女の答えを待つ佐久間に眉尻を下げると年相応の笑みを浮かべて答えた。
「中尉、と言ったら笑いますか?」
「っ!、なっ、おまっ」
「動揺しすぎです」
「人をからかうなっ」
すみません、と言葉ばかりの謝罪を述べ千歳はくるりと振り返ると再び歩き出す。
煙に巻かれたような心持ちに佐久間は胸に何かつっかえている様な感覚に陥ったが、恐らく彼女はこの先を自分に言うことはないのだろう。
きっと、自分の気持ちを理解しても気づいても、それを何事もないように扱っていく。それが彼女という人間なのだ。
「千歳」
佐久間は千歳を呼び止める。
振り返った彼女に、真っ直ぐ想いを込めた。
「俺も願っている」
それでも、いつか
「お前が誰かと共に歩むことのできる時を」
想いを放ったその先、彼女は困ったようにしかし柔らかく微笑んだ。
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