22:守人

現人神なんてものをこの国が作り出したのは明治からだ。国という体を為すために彼らも祭り上げられたに過ぎない。目覚ましい発展を遂げたにも関わらず、およそ精神はその発展に追いついていない。

二礼二拍手一礼。東京の郊外に鎮座する小さな社に千歳はいた。
月に一度お参りする程度の人間だが、神とやらはその願いを聞き届けてくれるのだろうかと半ば疑心を抱きつつも足を運んでいる。
昨今はとある神社が軍属に幅を利かせているようなのでこのような小さな社に来るのは地元の人々くらいだ。

(死ねば向こうで会えます)

以前佐久間が言った言葉を千歳は思い出す。結城中佐はそれを鼻で笑い、彼らもまた呆れた顔を浮かべていたがその思いを千歳は理解はできた。

皆理由が欲しいのだ。死ぬ理由がなければ、その意味がなければ生きてきた意味すら失われる。

(死んだら終わりなのにね)

ふと、彼の姿が脳裏に浮かびそして消えていった。

英霊、だなんて祭り上げられ死ねば会えると信じている。けれど、それは死ぬ理由にはならない。死んでいい理由にもならない。

そんなことを思う自分が今こうやって神社にいることの方がよほど滑稽だと千歳は自嘲した。

爽やかな風が吹く。季節はもう夏に入る頃合いだ。卒業試験が始まる。そして彼らは旅立っていく。
千歳はもう一度、手をあわせると拝殿に向かって一礼した。


「意外だな」


そんな彼女の背中に降りかかってきたのは聞き慣れた声。振り返ればポケットに手を突っ込み気だるげに歩いてくる彼がいた。

「波多野さんも拝みに来たんですか?」
「本気で言ってんの?」
「いえまったく」

場所の都合で一応聞いてみただけだ。
波多野は千歳の返しに肩を竦めた。拝殿に目をやり嘲るように笑う。

「神なんてものは人間が作り出した偶像だ。縋らないと生きていけない奴らの妄想だろ」
「随分ないいようですね」
「事実だからな」

それだけ馬鹿にする場所にわざわざ何故くるのかと千歳は訝しむ。
彼女のそんな顔に波多野はつまらなそうに視線を逸らした。

「居もしない神に願い事するために、ここに来る意味がわかんねぇんだけど」

嘲りでもない、呆れでもない、純粋な疑問の言葉だった。

本当に随分な言い様だと千歳は苦笑した。確かに、彼らの様に合理的で現実的な自負心の塊の人間にとって、ここに来る意味もここに来る人間の心も、取るに足らない下らないものだろう。

神などいない。信じるだけ無意味だと。

千歳は波多野に背を向け拝殿へと向き直る。
確かに、以前までの自分なら彼らと同じだったろう。そう思い苦笑した。

「居もしない、ですか」

鈴のついている紐に手を伸ばし、からん、と一鳴りさせる。無機質な音が響き渡る。

「ねぇ、波多野さん」

拝殿を向きながら千歳は波多野に尋ねた。

「神はいないという証明ってできるものですか」
「は?」

何を言っているんだ、という声音が返ってきて千歳は彼を振り返った。至極真面目な顔を彼に向ければ、波多野は彼女が自分をからかっているわけではないと悟る。

しかし、意味がわからない。

彼女の様な人間が何を言っているんだと更に訝しげな視線を千歳に向けてきた。

「信じてるの?お前」
「信じる、信じないではないんです」

くすりと千歳は波多野に笑う。

「そうであるはずがない、と断定することに意味がないんですよ」

千歳の言葉に波多野は目を見開いた。彼女はそんな波多野から視線を外して再び拝殿へと目を向ける。

御神体、三種の神器、そこにある物や場所に価値があるわけではない。その価値はいつだってそれを信仰する人間が付加するものだ。

「神がいるという証明も、いないという証明も人間にはできないんです。存在の論争に意味なんてない」

独り言の様に呟く千歳は、ただ、と続ける。

「ここにきて、何かを願う人の心というのは確かに本当のものなんだと思うんです」

神がいるかいないかなんて些細な問題なのだ。いないと断定することに何の意味がある。
そもそも此処に来る意味をそこに見出してはいない。


願う心、人の想い、それは切り捨てられるものではないんじゃないかと。


くるりと千歳は波多野に振り返ると彼の元へと足を進めた。

「……何だよ」
「手を出してください」
「は?」
「いいから出してください」

わけがわからないと頭を掻き、しかし言われるがままに波多野は片手を差し出した。
千歳はその手を左手で支えて、右手を包み込むようにその上に乗せた。

「…お前」

波多野の手のひらに何かが置かれる。手が離れればその中には、赤い袋。

「お守りです」

金色の刺繍。一般的な守り袋だ。恐らく、彼らには縁もなかった品だろう。寧ろ邪魔になると捨てられそうだと、千歳はひとり苦笑する。

「餞別です。いらなければ捨ててもらえばいいので」

物に思いを込めたわけじゃない。そう自分で分かっていながらも、何となく、だ。


『近々、波多野が行くらしい』


三好から言われて知った事実。特に何を思ったわけでもない。あぁ、その時が来たのかと妙にストンと胸に落ちた。
彼は優秀だ。これから仮面を被りいつまでになるか分からない孤独の中を歩むことになるのだろう。

毎月通うこの神社の神主に守り袋を頼んだ。この時勢だ、よくあることらしい。
いい人にかい?、と言われて首を振った。

ただ、あの夜、呆然と動けなくなっていた自分の手を引いた彼を千歳は思い出した。

「まさか付いてこられるとは思っていなかったので、宿舎で渡そうと思ってたんですけどね」

苦笑した千歳に波多野はため息をついた。バツの悪そうに頬を掻き、目をそらす。

「お前ほんと変わったよな」
「そうですね」

淡々と、しかし仄かに笑みを浮かべる千歳は心地よい気分を覚えていた。

風が吹く。季節はもう、夏に近づいている。生い茂る緑は、時の移ろいを感じさせていた。
これから此処や、他の社に行く人間はどんどん増えていくだろう、彼らが居もしないと小馬鹿にしたように笑う神に、己の大切な人間の無事を祈り願うために。


波多野はジッと手に持つ守り袋を見つめていたが、徐にポケットに突っ込んだ。一応、捨てる事は今はしないらしい。

千歳から見た波多野は妙なところで義理堅く、情深い。先の一件で感じた印象だ。これがカバーなのか素の姿なのかは定かではないが、

(嫌いじゃない)

感情がないわけではない、千歳は先日の神永の言葉を反芻する。

虚構だろうが、仮面を被っていようが、人である限り感情がなければ人ではない。
人である限り、彼らも彼も、それを抑える事はできても失くすことは不可能なのだ。


目の前の彼から千歳は視線を再び拝殿へと戻した。
月一度でしか、しかも

(本当は他の用事だけれど)

本来は別の意味で来ている自分の身勝手な想いなど神とやらが聞いてくれるとはとても思えないが、と千歳は目を細める。
けれど、願うだけはただなのだ。

無事でいてほしい、帰ってこなくても生きていてほしいと。


「ちょっと、待ってろ」

ぶっきらぼうに波多野が唐突に千歳に声をかけた。
きょとんとして振り返った彼女を脇目に、波多野は社務所へと小走りで行ってしまった。

(どうされたんだろう)

らしからぬ行動に違和感を覚えつつ、千歳はその場にぽつんと残り彼を待つ。
数分して戻ってきた波多野は、先ほどと同じく、ぶっきらぼうに言い放つ。

「手」
「……どうしたんですか?」

何を言っているのだろうと眉をひそめた千歳の手を、波多野は乱暴に掴むと、自身が持っていたものを握らせた。
千歳は握らされたものを見て、目を見開いた。

「貰いっぱなしなんて、借り作るようなことしたくねぇんだよ」

彼が一生買うことはないであろうそれと彼を交互に見る。何だよ、と不機嫌そうに彼女を見る波多野に、千歳は、いえ、と返した。

手の中には彼女が彼に渡した物と同じもの。深紅の袋に金色の刺繍。

「ふふ」

思わず、らしからぬ笑みが溢れた。虚を突かれたように波多野は驚いた様子を見せた。

「波多野さん、こんな物買う人じゃないでしょう」
「借り作んの嫌いなんだよ」
「内地にいる私が持っているものでもないですよ」
「関係ないだろ」

相変わらず愛想のない返答だ。千歳は苦笑しつつ、大切そうにそれを握りしめた。

「でも、ありがとうございます」

どーいたしまして、と後ろで腕を組むポーズをとった波多野はいつもの彼だ。

そのままくるりと波多野は千歳に背を向け、数歩歩いたところで止まった。



「毎月、お前がここに来る理由」
「!」


楽しそうにからかっているように放たれた言葉に、千歳の心臓が跳ねた。

「知らないでいてやるよ」

ニヤリと年相応の顔つきで振り返った波多野に、千歳は動揺した心を落ち着かせ、薄っすらと笑みを向けた。

「何のことでしょう」
「可愛くねぇの」

言葉とは裏腹にその返しを楽しんでいる様子だ。見たところ、本当に探る気はもうないようだ。

パッと組んできた手を前にやり、伸びをした波多野に千歳は声をかけた。

「波多野さん」

ん、と振り返った波多野を見つめ、一呼吸おいて微笑んだ。


「行ってらっしゃい」


波多野の目が一瞬見開いた。しかしすぐに目を閉じ、そして前を向く。表情は伺えない。

いつまで行くのかも、どこに行くのかも、帰るかどうかも分からない、それを理解した上の言葉だ。


(思う存分楽しんで来てください)


その言葉に返すことなく前を向き、歩みを進める波多野に千歳は心の中で激励の言葉を送った。

波多野は振り返ることなく、今度こそその場を後にした。




(さて、と)


波多野の姿が見えなくなり、千歳は社務所へと歩みを進める。
小さな社と言っても、神社ならではの物品は大方揃えてある此処だ。

古びた建物の玄関先にあるのは、子どもたちが大好きな品。
がま口の中から銭を取り出して料金を払い手を入れて、箱の中に手を入れる。
紙状のそれは箱の側面にくっ付いていた。
慎重にそれを剥がし取り出す。

真っ白な細長い紙に描かれているのは、吉凶を占う文字。

千歳は気配を探り、自分以外の目がないことを確認し、隠し持っていた特殊な液を振りかけた。
うっすらと、文字の横に浮き上がったのは小さな点だ。

それを見た千歳は目を細めた。

(……変わりなし、ね)

一読したそれを折りたたむと、がま口へと突っ込む。
僅かに口元に笑みを浮かべると、千歳は社務所を後にする。

ゆっくりと鳥居まで来て、くるりと本殿を振り返った。


(ごめんなさいね)


不確定の存在に申し訳程度の謝罪を心の中ですると一礼し、帰路へとついた。



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守人


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