24:帰郷
近代化したこの国でも祭りというものは変わることなく受け継がれている。
山車、お囃子、見世物小屋や屋台もここぞとばかり稼ぎ時だと客寄せに必死だ。
人の営みは変わらないものだと千歳は賑わう人々の間を縫って、いつもの社へと足を進めていた。
普段より少しだけ紅を塗り、髪には以前甘利に貰った簪を。歩幅は狭くしかし足早に人混みを抜けていく。
子どもたちは一堂に会する屋台にはしゃぐ。大人は手を引かれて困り果てている。山車を引く男連中は男らしさを誇示し、囃子が賑わいを創出する。
カランコロンと鳴らされる下駄の音も喧騒の中に飲み込まれる中、千歳は祭りを尻目に境内へと足を進めた。
いつもより人が多い。ここぞとばかりに御籤を引こうとする人間も、多く見られた。
がま口から賽銭を入れ、いつも通りの定期連絡。複数の人間がこの御籤を引くことを想定し、箱の側面に貼り付けてあるものを瞬時に剥がして手に入れる。
流石に今、専用の液に浸すわけにはいかない。意味のない御籤の内容を一読した。
迷い人来たる。
(よくもまぁ色々と書ける)
古くはこの御籤により吉凶を占い、将軍を決めることもあったとか。千歳は馬鹿馬鹿しいと首を振った。
ちらりと千歳は社務所へと目を向けた。そして浴衣の裾の中に手を入れてある物を取り出す。
金色の刺繍が施されたそれは、ここで貰ったものだ。
相変わらず存在が不確かな、神というものを千歳は信じてはいない。
しかしこれをずっと持っているのは、この袋に少なからず想いがあるからだ。
(無事でいて、か)
何事もなければいい。少しばかりのスリルくらいなら許容範囲だが、命を落とすゲームは御免だ。
不信心な自分の願いなんて聞き届けて貰えなくても、彼らなら自分で生をもぎ取っていくだろうと口元を緩めたその時、
「お姉ちゃん」
ぐいっと袖を引っ張られ千歳はそちらを見遣る。5歳、6歳くらいだろうか。法被姿の男児が千歳を見ていた。
いつの間に、と千歳は思案したが物思いにふけていたのだろう。以前田崎も、考え事をしていて目の前まで来た子どもに注意を払えなかったとボヤいていた。
「どうしたの?」
口元に朗らかな笑みを作り、邪気のない童と目線を同じにすれば、困った様に眉尻を下げていた男児が俯いた。
「迷ったの?」
問えば首を縦にふる。
御籤はあながち間違ってはいないのかもしれない。
千歳は立ち上がると周りを見渡した。相変わらずの人の多さだが男児の両親と見て取れる人物は見当たらない。誰もかれもが、目の前の童を気にも留めていない。
さて、どうしたものかと喉を鳴らすと唐突に男児が千歳の手を引いた。
「わ、どうしたの?」
「こっち」
男児は幼い手で千歳のそれを握り、拝殿の奥、本殿へと足を進めた。
こちらに何があるというのか、そもそも迷子ではないのか。
千歳は戸惑いながらも、しっかりとした足取りで千歳を導く男児にされるがままになっていた。
「こっちだよ、千歳」
目の前の男児の口から、自分の名前が漏れた。
え、と身体を強張らせると同時に男児は彼女の手を離し本殿へと走り去っていった。
「まってっ」
慌ててその幼い背を追いかける。
本殿の前まで来てもちらほらと人が歩いている中、あの男児の姿は見当たらない。
どこに行った、一体なんなんだと千歳が狐に包まれたような面持ちになっていたその時だった。
「え、」
りんと鈴の音が聞こえた。人の声が交錯する中、確かに聞こえたその音の方向へと視線を向ければ見慣れた後ろ姿。
「三好さん?」
ワインレッドの上等なスーツは彼のお気に入りだった。機関が設立されて数年経った今では、少年のような面影か美しい青年の顔に変わった彼がいた。
(けど、ドイツにおられるはず)
見間違いかと首を振ったが、その見慣れた後ろ姿がちらりと此方に向いた。
千歳はハッと息を飲む。
(やっぱり)
いつの間に帰ってきていたのか、そもそも中佐と情報の受け渡しをしていたのではないのか。様々な憶測が頭の中で飛び交う中、相変わらずの不敵な笑みを浮かべて彼は本殿の周りの林の中へと歩いていく。
何がしたいのだろう、と首を傾げた千歳だが、それでも彼を追いかけた。
「三好さんっ」
彼の名前を呼ぶ。呼びかけに応えてやらない、という風に三好は千歳を振り返ることなく奥へ奥へと入っていった。
なんの嫌がらせだと眉をひそめ、千歳はその後を追いかける。
しかし、ハタッとそこで千歳は違和感に気付いた。
この林はこんなに深くない。
千歳は立ち止まり辺りを見渡す。見渡す限りの林だ。この社は小さい。そして幾ら何でも、祭りの喧騒が聞こえないほど遠くへ行くこともありえない。
千歳は三好を見た。
立ち止まった千歳に漸く彼も体を向ける。
千歳は、三好の表情を見て、目を見開いた。
ひどく満足そうな顔だ。やり遂げた、達成感に満ち溢れている。
神がいるかなんて関係ない。けれど、人の想いと願いは本当だ。そんなこと言っていた自分が、その不確定の存在を認識させられていた。
「三好さん」
彼の名前を紡げばニコリといつもの笑みが帰ってくる。千歳は一歩ずつ三好に近づいた。
「そんな顔しないで下さい」
千歳の言葉に三好は不満そうに眉をひそめ、そして肩を竦めた。その様子に千歳はきゅっと口を結ぶ。
分かっているのだ。彼は、やり遂げた。
それでもだ。
「こんな所で終わるなんて、…随分とっ、鈍臭いんですねっ、」
声が上ずる。吐き出すように口にすれば三好は千歳の顔を見つめた後、困ったように笑んだ。
あぁ、やっぱりだ。千歳は言葉を詰まらせ俯いた。
神とやらはこういう時、直感というものを授けるらしい。
分かってしまった。そして、此処に彼が来た意味は、最期だということを悟ってしまった。何と残酷なんだろう。
彼を直視できず、俯いたままの千歳に三好の手が触れた。そっと、頬に感じるそれはとても暖かく、千歳はゆっくりと顔を上げた。
(あぁ)
こんな顔を見せられては、泣けもしないではないか。
達成感のある、しかし穏やかな表情。
これが彼なのだ。これが三好という人間なのだと、千歳は苦しそうに歪めていた顔に精一杯の笑顔を作った。
「三好さん」
きちんと笑顔を作れているだろうかと一抹の不安が過ぎったが、三好は言葉を待つように微笑んだ。
「お疲れ様です」
そっと、実体のないその手に己のそれを重ねて紡いだ。
「おかえりなさい」
三好は、満足そうに笑んだ。その目を閉じ、千歳から手を引く。そしてゆっくりと、彼女から数歩離れた。
「三好さん」
思わず近づこうとした千歳は、三好を見てその場にとどまった。
(……ここまで、て)
三好は首を振った。終わりなのだと。
千歳は辺りを見渡した。
喧騒が近づいてきている、止まっていた時がじわりじわりと動き出す気配がした。
千歳は三好を見た。ひどく満足そうな顔に、一瞬だ、哀愁の色が見えたのは
『幸せに』
声は聞こえない。唇の形から見えた言葉に千歳は、息を飲んだ。
再度彼の名を呼ぼうとしたが、その姿が薄れていった。
「三好さんっ」
一歩、進んだその時には、もう彼の姿はなかった。
喧騒が戻ってくる。林はいつもの大きさだ。千歳は自らの頬に確かめるように触れた。
(貴方は、本当に)
暖かい感触が蘇る。あれは本当なのだ。そしてもう2度と。
「っ、」
千歳はその場にうずくまり、嗚咽を漏らした。声を殺して、涙を殺して、ただひたすら、
2度と会わぬ彼をーー
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帰郷
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