30:追跡

「あぁ、旦那様ですか。えぇ、もう随分とお顔を見ませんね。」

おっとりとした雰囲気を醸し出し、頬に手を当てて老婆はそう言った。



上野ー青森間東北本線経由急行。一等、二等、食堂車、寝台車を連結した急行列車。それに乗り、アルフレドは東北方面へと足を運んだ。
降り立った地は白河。盆地の広がる土地で、夏場は涼しい気候のため都市圏からの客も多い。


カミシロマコト。葉書に記されていたのは手がかりとなる男の名と、真っ赤な太陽のイラスト。
葉書に目を通した翌日、アルフレドは定期連絡を行うため少年に接触した。

「陸軍士官学校の卒業者リストが必要だ」

手短に要件を伝えれば、目深に被った帽子の下で口元が弧を描いた。
まるで、与えた面白い情報を辿ればそこに行き着くことを予想していたように。

「少し高くつくよ」
「構わないさ、それより早くしろ」

あるんだろう?そうアルフレドが口元を歪めれば、少年は一瞬目を見開いた。
しかし、直ぐにその顔には興奮を隠しきれないように、ニタリと笑みが浮かんだ。

「さすがだね」

少年は立ち上がり、側に置いていた新聞を持ち、トントントンと紙面の高さを揃えた。

「なぁ、君」
「何?」
「それ、見終わったなら譲ってくれないか?」

何でもない風にアルフレドは少年に朗らかな笑みを投げかけた。
目深に被った帽子を再度深く被り直した少年はコクリと頷くと足早に彼から離れる。

「あ、そうだ」





紙面の中に紛れていた士官学校の卒業者リストをアルフレドは下宿先で確認した。
D機関の創設者、結城、という人間は何処を探しても見つからない。それは事前にアルフレドが調査する中でも辿り着くことは出来なかった。人伝にも書類でも彼の痕跡は確認できなかった。
ただ、唯一の手がかりはかの少年が最後に残した言葉だった。


『聞いた話だと、結城って男は昔軍に裏切られて大怪我したって話だよ』


しかしそれだけだ。それ以外の情報は一切出てこない。
その代わりなのか、カミシロマコトなる人物は呆気なくその名を見つけることができた。

明治2年、東京目白にて生を受けた彼の父は華族の出の、生え抜きの陸軍将校だった。最終的な階級は兵科陸軍少将。3年前に銀座の自宅で老衰のため死去。
彼はというと、士官学校卒業後、見習士官、歩兵少尉を経て陸軍大学校を卒業。その後は陸軍歩兵中佐に昇進、現在の階級は大佐だ。
妻1人、男児1人の3人家族。銀座に邸宅を持ち多くの使用人を抱えていた。

しかし、彼には黒い噂があった。



『カミシロマコトの子は1人じゃない』




子がなかなか出来なかったカミシロの家の者は、カミシロマコトにある女を充てがった。使用人ながら、若く気立ての良いその女との間に子が出来てきたのだ。

しかし、跡取りとして使えない娘だった。

時を同じくして、正妻との間にできた男児の存在により使用人の女とその娘はカミシロの家にとって不要な存在となった。

女と娘は、程なくして実家である白河へと半ば強制的に暇をやられたという。





アルフレドは気立ての良い老婆、名をキヨという、彼女と茅葺屋根の質素な、しかし広々とした家で話を聞いていた。

カミシロマコトさんのご息女について、そう言えば初めは警戒していたこの老婆は懐かしそうに眼を細め、当時のことを語り出した。

「カミシロの家は、御長男の健様がお生まれになったので、いえそれ自体は喜ばしいことだったんでしょうけどね」
「その使用人と娘は健さんが生まれてすぐ?」
「そりゃあ居場所がありませんからね」

しがない使用人なら仕方ない、とキヨは寂しげに俯いた。

「この家はここらじゃ小さくない土地持ちです。それでも、貴子さんはどこかあの東京に憧れていらしたんでしょうね。帰ってきてもあの人は気丈に振舞って明子様を育てられました」

使用人、片山貴子は娘、明子を大切に育てた。
煌びやかな都会、ダンスホールなどの社交場、洒落たカフェ、流行り物に困らない東京には劣るものの、子を育てる上で不便はなかったという。

昔話を懐かしむキヨは思いの外多くのことを喋ってくれた。

「カミシロマコトさんも通っていたのですね」

アルフレドが邪気のない笑みでそう問えば、キヨは眉尻を下げて微笑んだ。

「旦那様は明子様を大変可愛がっておいででした。でないと、わざわざこんなところまで足を運びません」

足繁く、ひと月に一度はここへ通っていたという。通う度に、明子は彼と散歩へ行くことを強請りそれを嗜める貴子の姿をキヨはよく覚えていた。

「あの、それで貴子さんは」

聞かなくても分かっていたが、敢えて言葉の端に躊躇いの色を混ぜる。
キヨは顔を歪め、そして悲哀に満ちた瞳を外へと向けた。

「明子様がまだ幼い時でした。7つにもなっていませんでしたね。胸を患い、お早かったです」

ひゅうと、風が吹き部屋の中に秋の気配を運んでくる。

片山貴子は、明子が7つになるひと月前に死んだ。戸籍上、彼女は天涯孤独の身となったのだ。
高齢だった片山貴子の両親は、明子を連れて帰った数年後には他界した。貴子には兄弟もいなかったため、明子は1人この家を任されることになってしまった。

「せめて明子様がもう少し大きければと思いました。けれど、その報を聞いた旦那様がある日、明子様を連れて外へと行かれたんです」

アルフレドはその言葉にぴくりと反応する。

「外、とは」
「近くまで出てくると、明子様を連れられて一刻程でしょうか…出て行かれて、帰られた時には、見かけない方を連れられていました」


来た、アルフレドは思わず口の端を吊り上げた。


「見かけない人ですか」
「えぇ、うろ覚えですけど、若く整った顔の男性でした。身嗜みはとても綺麗で、ただ戦地に行かれていたのか酷い怪我をされていましたね」

痛々しい姿でしたので覚えています、そう思い返すキヨの言葉はアルフレドの耳には入っていなかった。

手掛かりが掴めた、いや思わぬ収穫だと抑えきれぬ胸の高鳴りに酔いしれる。

堪えるように生唾を飲み込み、アルフレドはキヨに続けた。

「明子さんは、今何処へ?」

アルフレドの瞳を見たキヨは、項垂れて首を振った。

「東京の学校に通われていましたが、今の詳細は分かりません。ただ、定期的に東京からお手紙が届いています。あと、家と土地を任されたわたくしや使用人にお給金も」
「そうですか…」
「……ぁあ、そう言えばこの間届いたお手紙がありました。明子様はとても字がお上手なんです」

キヨは楽し気に手を叩くと、老齢とは思えない軽やかな足取りでアルフレドの背後にあるケヤキの和箪笥の中から1枚の封筒を取り出した。

「あちらのお天気や、街並みのことをお手紙でよく教えて貰えるんです。ふふ、お優しいでしょう」
「えぇ、……とても」

アルフレドは真っ白な便箋に書かれた文字を見て、そして目を細めた。
まるで、獲物を見つけた狩人のようにその瞳にぎらついた色を秘めながら。







「先日はゆっくりできましたか?」

コトンとデスクに置かれたのは大豆などを原料とする珈琲。珈琲豆の輸入制限により庶民の食卓からこの飲み物も消え去った。
聡子は執筆者Kの翻訳をしているアルフレドにふわりと笑いかけた。

午後9時。執筆者Kの翻訳作業が捗らずに頭を捻らせているアルフルドに付き添い聡子もまた会社に残っていた。
アルフレドは「ありがとう」と目尻を下げて微笑む。差し出された珈琲を一口飲むと、掛け時計にちらりと視線を遣った。

「聡子さん、今日はもう遅い。早く帰った方がいい」

女性が出歩くには少々物騒な時間だ。言葉に滲ませた気遣いに、聡子は「あらやだ」と得意気に胸を張った。

「私、これでも護身の心得があるんですよ?その辺のゴロツキなんてちっとも恐くないわ」

聡子のその言葉にアルフレドは肩を竦めた。

「いけないですよ、聡子さん。いくらなんでも女性の貴方じゃ男には敵わない」
「あら、失礼ですね。私が無謀な女に見えます?」

拗ねたように口を窄め、頬を少しばかり膨らました聡子をアルフレドは一瞥すると木椅子から立ち上がった。

「アルフレドさん?」
「男っていうのは、貴女が思うほど優しくないんですよ」

いうが否や、アルフレドは聡子の腕を掴むと、資料が並べられている棚横の壁に彼女の体を押し付けた。
突然のことに、声をあげることも出来ない聡子は口をパクパクさせて彼を見上げだ。男性と女性、しかも相手は欧米人。体格差は歴然だ。

不安そうに瞳を揺らし、聡子はやっとの思いで言葉を紡いだ。

「アル、フレドさん」
「ほら、こんなに簡単に動けなくなってしまう」
「あ…」

震える自分の体にやっと気づいたのか、聡子は気まずそうに彼から目を逸らして俯いた。

「か弱いレディがあまり無鉄砲なことを言うもんじゃないですよ」
「……私、レディなんかじゃないですよ」
「何を仰るんですか、貴女はご立派な淑女でしょう?」

え、と聡子は顔を上げる。
アルフレドは満面の笑みを顔に貼り付け、彼女の耳元にそっと口を近づけた。




「本城聡子さん、いいえ片山明子さん」




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