番外編:人形と人間

切れ目の彼はオックスフォード大学出身、小柄な彼は柔術の有段者、彼は外務省高官の息子。

自負心を肥大させるには十分過ぎる土台だ。


千歳は結城中佐の傍に控えながら目の前の生徒達を1人ずつ確認していった。誰も彼もが瞳に野心を宿らせている。此処までの試験をパスしたという自負心を隠しもしないその高慢さ。

横目で確認した魔王の相貌は相変わらず冷然としたまま、光を灯さない両眼で彼らを捉えていた。




昭和12年、秋。帝国陸軍内に秘密裏にスパイ養成学校が設立された。過酷な選抜試験を潜り抜けた精鋭達は、今後スパイに必要なあらゆる知識、技術を習得して世界各地で暗躍していく。

そのスパイ養成学校の第一期生に対して千歳が感じた印象は、恐ろしい程までの自負心の塊。
なるほど確かに、自分とは正反対の人間達だ。



「千歳」

結城中佐の執務室で彼らに関する膨大な資料を整理していた千歳は降りかかった声に反応して体を向けた。

「何でしょうか」
「この2週間で奴らから何を感じた」

探るようなその視線に千歳は思案した。

講義が始まり早2週間。
一度見れば二度はない。知識と技術の吸収量もそのスピードも桁外れの精鋭達。
奥底にある自負心が彼らを精鋭たらしめていた。

千歳は資料に目を落とした。

「中佐が選ばれた方々なので確かに優秀です」

千歳のその言葉に結城中佐がピクリと眉を寄せた。
ただ、と彼女は続ける。


「慢心と自負心は違います。その違いがまだ分からない方が多いようです」


淡白な彼女の回答は、客観的に彼らを捉えている証拠だった。

千歳はこの2週間の講義の様子を思い起こす。
彼らの知識と技術を体得するスピードは感嘆する程だ。流石、結城中佐に選ばれた精鋭だけあってその姿は目を見張るものがあった。
しかしながら、枷となる物を捨て切れていない。
自分と間反対の、孤独の中で歩む事の出来る人間にとって、必要のない感情だ。



「ならどうする」


窓から射し込む陽の光が結城中佐を照らしている。彼の顔には、逆光により暗い影が落とされていた。
そこから見えた、僅かに歪められた彼の口元から千歳は彼が自分を試しているのだと推断した。

手にした資料を静かにデスクに置く。


「オックスフォード大学出身の彼は、フェンシングがお得意のようです」


細くしなやかな指が、資料の一点を指していた。





フェンシングの試合の訓練。
その内容を伝えれば、揃ったどの顔も面食らった様に目を瞬かせた。否、1人だけ僅かながら笑みを浮かべた人間がいた。
常人ならば気づかないその表層の変化も、千歳と隣に佇む魔王の前では致命的なミスとなる。

それを彼が体感したのは、試合が始まってそうかからなかった。

日本人としては珍しいフェンシング経験者、そしてサウスポー。
お得意の分野でご満悦であったろう、隠しきれないその心情は、しかし見事に対極の感情へと叩き落とされた。

此処にいる人間はフェンシングの経験などなくても、事前の情報さえあれば相手を容易に封じ込めることができる。
加えて慢心している人間など捻りつぶすことは造作もない。

彼、与えられた名は田崎という、は全ての勝負において1本も取ることが出来ずに訓練を終えた。

精神的な疲弊から呼吸を乱し床に手をつく彼に千歳は眼差しを向ける。


(これで分からないほどの人達じゃない)

何気ない動作一つ一つに取るに足らないプライドが見え隠れする。そのプライドを砕かれれば、慢心に溺れている人間は大抵その堕落した環境から這い上がることはできない。

けれど、千歳は理解している。

結城中佐という魔王が、その程度の輩を迎え入れるはずがない。

肥大した慢心は自負心へと姿を変える。
結城中佐が選んだ人間、ただそれだけの事実が彼女に彼らへの評価を与えていた。



ーーーーー




「何でこんなとこに女がいるのか理解ができないんだけど?」
「いいじゃん。夜の相手でもしてくれるんだろ」


下卑た笑みと蔑む視線、彼女の反応を楽しむような空気がその場に流れた。
失礼ですよ、と気遣う彼も何処か探る様に彼女に視線を這わす。



夕食後の食堂で生徒達はカードゲームをしていた。ジョーカーゲームと呼ばれるそれは一見すればただのポーカーだ。しかし彼らはそんな詰まらないゲームに時間を割きはしない。彼ら独自のルールを定めた高度な遊戯。

千歳はそこで洗い物をしていた。生徒達全員分の食器を洗い終え流し場を整えてから、彼らを尻目に部屋を出ようとしたその時だった。

小柄な彼と、その隣にいた男がニヒルな笑みを浮かべて彼女を呼び止めた。




抑えきれない好奇心。
その感情を千歳は肌で感じ取った。あの魔王の隣にいる女は一体何なのか。誰も彼もが奇異の眼差しを千歳に向けている。

その視線に千歳は、眉ひとつ動かさずに言い放った。


「女がいるという事実は貴方がたが此処で生活する上で支障になるとは思えません。ジゴロの訓練で数日後に講師の方が来られるので、夜の相手も見つかるでしょう」


事実をただ述べただけだ。そこには何の感情も含まれていない。
皮肉に対して憤慨するどころか律儀に回答したその姿に一同は目を見開いた。

彼女は聞かれたことに答えた。言外の意味を削ぎ落とし、言葉通りの問いに対しての解答。下らない質問、意味のない問答、と彼らを一蹴するような意図さえも含まれていない。


それは、人と人とが会話することにおいて酷く不気味で、不自然な光景だった。



「何律儀に答えているんですか」



小馬鹿にしたように均整のとれた顔つきの青年が口を開いた。肩を竦めて気取った態度を示す彼に視線が集まる。

「皮肉ということすら理解出来ていないんですかね、魔王様の側近は」

周囲に目配せをすれば、口端を吊り上げた面々が再び視線を千歳に向けた。
気を取り直したように、各々が口を開く。

「もう少し面白い返しくらいして欲しいよな」
「だな、機械的な答えじゃ男から嫌われるぞ」
「うーん、俺としてはこういう子落とすのも楽しそうだけどな」
「貴様はどんな娘でも喜んで落とすだろう?」
「違いないな」

冷笑が千歳に向けられる。

この高慢な態度は彼らが生きてきた人生そのものだと千歳は半ば感心していた。

このような人間だからこそ何者にも囚われずに生きて行ける。


彼らが紡ぐ自らに対する皮肉も、嘲笑も、無下にするその態度も全て、自身に向けられているものであるにも関わらず千歳に彼らは届いていない。


「これだけ言われて何か返すことはないんですか」


相変わらず小馬鹿にした口調で男は冷眼を向けた。

千歳は、伏せていた目を上げた。



「返さなければいけない言葉がありましたか?」



その瞳のどこにも彼らは映らない。


自らに注がれる奇異の目も蔑みも、見え隠れする虚礼も千歳にとっては取るに足らないものだった。
向けられるあらゆる感情は、彼らを分析するための情報に過ぎない。


ーー全ては結城中佐のため


もはや彼女にとって、彼らの意図も意思さえも、魔王という絶対的支柱の前では瑣末なものだった。

不気味な程、光を映さないその瞳に男達はかの魔王の面影を見た。



ーーーーー



人形と人間


トップページへ リンク文字