40:父親
目の前の女性の告白に神城は瞳を閉じた。思い起こされるのは、彼女との幼い日々と別れの時。
彼女は拾い子だった。よくある話だ。
あの別宅に、寒い冬の日玄関先に立ち尽くしていた幼子を拾ったそれだけのことだった。
神がいるのならこれが巡り合わせというものかもしれない。
彼女の能力はかつての自分とよく似ていた。その姿を自身に重ね合わせ、彼は決意した、幼い彼女との別れを。
今一度、神城は千歳を見つめた。
あの日、寂しげに瞳を揺らしながら、しかし地に足をつけて旅路を歩み始めた幼子は成長した。
自分が育てることは叶わなかった、側にいてやったのは常に、竹馬の友と勝手に思っている相手だった。
それでも、彼は彼女をー
ふわりと神城は彼女の頭に手を乗せた。
大佐?、と自身を見上げるその姿を慈しむように撫ぜる。
彼女の口から発せられた、他者への希求。礎となる事だけを望んでいた少女が望んだ願いだった。
(最後の仕事だ)
「行くぞ」
「え、……わっ」
神城はぐい、と彼女の腕を掴み立ち上がらせた。怪訝な顔をする彼女の手を引き、独房棟の廊下を進む。
薄暗くひび割れが散見される館内は、米国内でも随一の独房施設だ。
彼女に見向きもせず、淡々と足を進める姿に千歳から戸惑いの声が漏れる。
「行くって、何処へ」
「9月2日、グリップスホルム交換船がニューヨークから出航する」
「え」
「本国へと帰る最終船だ。逃したら次はない」
手短にそう言葉を発した彼は、廊下を過ぎた扉の前に立っていた協力者の元へと辿り着くと館内の見取り図を千歳に見せた。数秒開かれたそれを瞬時に畳むと協力者へ渡す。
「西棟はこの時間警備が薄くなる。そこから行け」
とんと千歳の背中を押せばよろけながら、しかし直ぐに彼女は彼を振り返った。
自分の言葉の意味も、この行動が求める結果も分からぬ子ではない。
しかし、千歳の瞳にはあの日別れた時と同じ色が浮かんでいた。
「大佐は…」
不安げに見つめるその瞳に彼は苦笑した。
「俺は戻らないといけない。待っている奴らがいるからな」
肩を竦めたその姿に千歳が眉尻を下げ顔を歪めた。
この事態の責任の一端を担う彼は、その責任を果たしに来た。
ひとつの責任は彼女を見送ること、もうひとつの責任は此方に残ることで果たされる。
彼は帝国陸軍軍人だ。
(義理堅いのも考え物かもしれないな)
共に送られた仲間がそろそろ痺れを切らす頃だろう。
「早く行け」
手で出立を促すと、千歳は物言いたげに彼を見つめていたが、その瞳を見つめ諦めたように逸らした。
くるりと背を向けて一歩、また一歩と踏み出す。
ふと、神城は遠き日の記憶とそれを重ねた。魔王に手を引かれ、まるで己の運命に従うように足を踏み出した幼子は、その足で立ち前を向いていた。
(大きくなったな)
あぁこれで、と肩をなでおろした神城の前で彼女が振り返った。
「お父さん」
凛と澄んだ声。
胸に響いた声とその言葉に神城は目を見開いた。
眼前に立つのは、あの日旅立った幼子の成長した姿だ。
侘しさを携えながらも笑みを浮かべた彼女に神城は息を呑んだ。
「行ってきます」
拙い言葉で自分を慕っていた幼子の旅立ちの時はなかった言葉だった。
それほどこれまでの彼女の軌跡には得難いものが出来たのだろうと、神城は言葉にできぬ充足感に目頭を熱くした。
その笑顔に対して神城もまた笑みを作り応えた。
「行ってきなさい」
言葉を聞いた千歳がゆっくりと頷き、走り出す。振り返らず、前を向き歩みを止めずに。
我が子の旅立ちに彼は激励を送るように、その背に敬礼をした。
(幸せに…)
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父親
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