43:魔王

軍靴の音が木霊する。死の行進があちらこちらで見受けられた。憂き世から目を反らすように物言わぬ人形と成り果てた民草は浮き世を夢想していた。
数年、たった数年だ。煌びやかな文明開化から大衆文化が花開き、都市経済が目覚ましい発展を遂げてきた筈のこの国は今退化の一途を辿っていた。

大東亜文化協曾。レンガ調の建物の一角にある執務室にて、魔王、結城はさめざめしく降り続ける秋霖の音に耳を傾けていた。
晩秋の時節。時折、冬の足音が微かに聞こえる。秋夜の虫の音は遠くに行ってしまった。

結城はふとデスクに置いていた電報に目を通した。細められた双眸が一点を見つめていた。


神城誠が死んだ。
米国の収容施設で肺を患いそのまま、という知らせだった。


結城は己と同じく仏頂面で愛想の無い男の面影を脳裏に浮かべた。
優秀な男だった。少なくとも、有象無象の陸軍内部においては間違いなく大層優秀であった。当然だ、奴は自分と同種の人間だ。此処で訓練を受けたD機関の一期生達が同期を同じ化け物と認識するように、彼もまた神城誠に似た気持ちを抱いていた。

ただ、神城誠は軍人だった。
そして、人の親だった。

決定的に相容れないその点を、しかし譲ることの出来ない己の矜持を理解していた彼は、結城に彼女を半ば強引に押し付けた。自分と共に居れば、彼女は能力に似つかわぬ心を持ち、その差に苛まれ破滅する。化け物と共に過ごし、その身を高めることこそ至福なのだと彼は疑わなかった。
心を殺し、囚われずに生きることこそ幸せなのだと。

結城は電報文を手に取った。


(それでも、貴様は求めたのだろう。人の心を)


思い浮かべたのは、几帳面に御籤を欠かさず送りあっていた父子の姿だった。
決して顔を会わせることはなかった。ただ一言しか綴られていなかったそれに少なからず意味を見出していたその姿を結城は知っている。

そして、それを咎めもしなかった己を知っている。



「貴方も甘いものですね」


視界の端にワインレッドの青年が映り込んだ。すらりと佇むその姿は相も変わらず、彼の男そのものだった。

「子への情が湧きましたか」

探るような視線を這わせたそれに結城は語る。

「馬鹿か貴様は」

その問いを一蹴した。

「それが如何程の問題になり得る」

吐き捨てた言葉に彼が瞠目した。

そう、滞りなく全ては進んでいった。
要は、結果だ。過程の美醜は取るに足らない問題であり、その結末を締めくくることが出来れば問題は無い。
盤上の駒は意志を持ち、己の役を演じ切った。
彼もまた、然り。


「情が湧いたのは貴様だろう」


冷眼を遣れば、彼は一瞬にしてその顔を能面へと変えた。不快そうに顰められた眉が物語るのは、その言葉の真実性だ。
結城は畳み掛ける。


「帰りを待つなど殊勝なことをする」


ニヒルに歪めれた口元に、彼は肩を竦めた。
結城はその姿を目に焼き付けると、両肘をデスクにつけ、額を両の手に乗せた。



これは幻影だ。結城は瞳を伏せた。
闇の中近づく気配も脳裏を掠める相貌も、己自身が作りだしている幻に過ぎない。
魔術師が死に際に残したマジックが今披露されている、其れだけなのだ。

「そうです、これは現実では無い」

音が、声が脳に響く。イメージされる魔術師は勝気な笑みを浮かべていた。
魔王は知っている、彼は己と同様の優秀さを兼ね備えていたことを。魔王は知っている、だからこそ彼は死の恐怖すら凌駕したことを。
魔王は知っている、しかし彼はーー




足音が聞こえた。カツンカツンと踵を鳴らし、時雨の音を消すように反響音が耳に届く。

キィと扉が開いた。


「ただいま戻りました」


暗闇の視界が開け、光を取り入れた眼孔に控えめに笑みを浮かべた女が映っていた。
鮮やかなワインレッドは、何処にも見当たらない。


結城は静かに息を吐いた。


「報告しろ」



ーーーー



魔王


トップページへ リンク文字