あとがき

書き切りました。取りあえず、書き切りました。8月中に終わる詐欺をしてしまいすみませんでした…。長いあとがきなので飛ばしていただいても大丈夫です。


彼方から此方へ、最終話はこのタイトルで終わらせることは書き始めた時から決めていました。そして最終話はあのような形で終わらせることも決めていました。
千歳という、普通にもバケモノにもなることが出来ない人間が自分を受け入れて自分の生を全うして魔王の元へとたどり着く、そんなお話にしたいと思っていたため最後は一人の女の子と一人の親として終わらせました。

私にとって初めてのサイト、そして初めての連載となりました。もともと見るのが専門だった自分が、サイトを作ってひとつの物語を作りたい、と思ったのはこの作品がそれほど魅力的だったからです。
魅力的なキャラクターだけではない、作りこまれた物語、引き込まれる世界観。そして何よりこの作品のキーワードのひとつ、とらわれるな、というところが好きでした。
結城中佐はD機関のメンバーに、とらわれるな、と常々言っていました。外から与えられる情報は虚構であり紛い物、スパイは己だけを拠り所としてすべてを切り捨てなければいけない。信じられるものは己の判断のみ。
実は個人的にこれは、不可能だろう、と感じています。だからこそこの連載が生まれました。

彼らは常に、演技、していてD機関に来る前の彼らとあの場に居た彼らがどこまで違うのかは分かりません。もしかしたら真反対の性格かもしれないし同じかもしれない。
でもそれって誰でも程度の差はあれ、やっていることだと思っています。
人によって自分を変える、甘える相手もいれば敬う相手もいて、人は人によって己を使い分けるのは人である限り絶対に避けられない事柄です。
一番、楽な自分を、本当の自分、と定義しがちですがそもそも本当の自分とは何でしょうか。
人は生まれた時から本当の自分を持っているわけではありませんし、自我が芽生えるのも、他人を通して自分を見ているかです。相手が見る自分を自分が認識する。自分のことなのに、他人の手を通して人は生まれて育てられます。
自分のことなのにままならない矛盾を内包しているのが人間なのだと思うのは、私がそういうことを少しかじっていたことも相なっています笑

話を戻しますと、D機関のメンバーは他人を拠り所としませんが、しかし他者がいなければ彼らもまた存在することは出来ません。灰色の存在として生きるにしても、他者がいなければ彼らは自分たちを定義することすらできない。相対的評価が必要なく、絶対的評価、要は自己評価で動く彼らも他者が彼らと関わらなければ評価すらできません。
己だけを拠り所とするときまた、彼らは常に他者という世界を拠り所にしてしまう。
人が存在する限り抱える矛盾をまた彼らも抱えているのでは、そこを描きたくて書いていましたが途中で沢山脱線しましたすみません。

主人公が神永に相談した話で、神永は割り切れない感情の処理の仕方を「相手の中に自分を見つけないこと」と言いました。他者を通してみる自分を、他者に見られている自分を見ないふりをする、徹底的にそうあろうとすることで彼らは感情を抑えていたのではと思っています。
三好、波多野、結城中佐を中心に物語を回しました。結城中佐はわかりにくかったですが、最終的に、相手の中に自分を見つけない、それを実践しなくても良くなったとき、彼らの感情は色鮮やかになって欲しいと思いました。

先にも書きましたが、本当の自分、というものはないと私は思います。全てが自分自身であり、全て自分が選び演じる自分だからこそ、本当なのだと思います。

長々書きましたが、自分にとってとても充実した連載になりました。語彙力のなさ、文章の拙さ、話の支離滅裂さ、上げればキリがありませんが書き切ったことは素直に嬉しいと思っています。

沢山の応援の言葉、お褒めの言葉、ありがとうございました。
この連載はここで幕を下ろしますが、連載の番外編や新連載などまだ書きたいものはあるのでまたお付き合い頂ければ幸いです。

ありがとうございました。

2016/9/1 言葉の遊び管理人:みと


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