5:行動

千歳は料理が嫌いではない。大陸で軍による不穏な動きがある今でないと食糧などを確保はできないだろう。昨今は洋食も家庭でちらほらと普及し始めているようにも思える。
しかし、西洋の甘味というものを家庭で作るというのは聞いたことがない。そもそもそんなことができるのは余程裕福な家庭だ。
炊事場に立つ千歳が今作っているのは、パンケーキ、と、クリーム。買い出しに出かけていたときに偶然出会った喫茶の女性に教えてもらった。
曰く、英国などでは一般的にお菓子としても食べられるとか。

『作り方を書いた紙をお渡ししましょうか?』

女性の申し出を千歳は丁重に断った。特に必要はなかった。なぜなら話の最中にそれを頭に叩き込んだからだ。
しかし、作り方を覚えてもその味を再現しなければ体感することはできない。教えてもらったのだから実際に食べてみなくては。

(まるで食い意地の張った婦人のよう)

自分の思考回路に千歳はひとり呆れつつ作業を続ける。パンケーキの生地はあらかた焼き上げたため、今はクリームを作っている。これをパンケーキに付けて食べるらしい。
ふと、焼き上げたパンケーキを見つめる。

(ひとつふたつ、とりあえず9人分はあるかな)

千歳が思い浮かべたのはここで生活をしている彼らのことだ。食べるかどうかは分からないが、作らないよりは作ったほうがいいだろうと思い、思いのほか多くの量を作ってしまった。分量通りにはいかないものだ、と千歳は苦笑する。
そして彼ら以外の人物の顔も思い浮かべたが、すぐに首を振った。

(こんな無意味なものを食べられない、中佐は)

一瞥して下げろと言われるのが目に見えている。
そんな想像をして若干残念な思いを抱きつつも、ボウルの中のクリームをかき混ぜていた、そんな時だ。

扉が開く音が聞こえた。

千歳はいつも通り、振り返らずに相手を予測する。この行為も、自分の感覚を鈍らせないための訓練だ。
一歩ずつゆったりとした歩き方。でも一定のリズムで近づいてくる。
その足音がピタリと後ろで止まった。

「…夕食はまだですよ、波多野さん」
「美味しそうな匂いがしたもので」

ひょっこりと顔を出したのは波多野だ。作業をしている千歳の後ろから覗き込むような形で手元を見る。

「パンケーキか」
「食べられたことはありますか?」
「何回かね」

懐かしいな、と笑う波多野を見て千歳は本当かしらと内心疑いの心を抱く。
しかしすぐに、案外本当のことかもしれないと思い直した。
ここにいるメンバーは皆地方出身者、大学校を卒業した、言わば軍人ではないエリート。裕福な家庭の人間も多いだろう。

(あまり関係ないけれど)

パンケーキひとつでそんなことを気にする必要もない。千歳はすぐに作業を再開しようとした。

「ねぇ、千歳」

千歳の隣に立った波多野が自分の名を呼んだため、作業をしようとした手を止めそちらを見遣る。イタズラっぽい笑みを浮かべた波多野が千歳を見ていた。

「それ、味見させてよ」

それ、と波多野が指差したのは千歳が今作っているクリームだ。
彼は甘いものが好きなのだろうか。そう思いつつ「ちょっと待って下さい。先に味見するので」と千歳はクリームを少量指で取る。ふわふわの触り心地、舌触りが良さそうだ。

千歳かクリームをそのまま口に運ぼうとすると、その手を波多野が掴んだ。

「え?」
「いただきます」

ぱくりと、千歳の指はクリームごとその口の中に収められた。


ーーーーーーー


甘利が撃沈して1週間ほどが経った。
数日おきに決められた順番で作戦を展開したがあえなく全員轟沈した。
神永は食事の手伝いをしながらデートの誘いを、三好は女性を口説く訓練と称して甘言を囁いたが、2人とももれなく失敗。他の人間が来れば、アッサリとその気配に気づき、そちらを見ずとも誰が来たかもわかる秀才ぶり。
いい加減向こうも気づいているだろうと思うくらいだ。

「ここで俺が出来れば一人勝ちか」

俄然やる気がでる、という風に悪い笑みを浮かべたのは、最後の1人波多野だ。
談話室でいつものゲームを楽しんでいたメンバーは波多野のその発言に調子にのるなよ、と釘をさす。

「彼女はなかなかですよ、回りくどくいこうが直接いこうが、隙を作ることができると思えない」
「薄々気づいていると思うし、むしろ難易度は上がってるんじゃないか」

プライドの高い三好とプレイボーイ神永のそんな発言も、いまの波多野には負け犬の遠吠え程度の言葉だ。
自分なら出来る、出来て当然。
他のメンバーの失敗は波多野のその自負心をくすぐった。

「んで、いつにするんだ?」

田崎ががつまらなさそうにそう尋ねた。

「明日、炊事場に立った時にでもやるさ」

見てろよ、と波多野は千歳の姿を思い浮かべる。甘言でも迫るのでも駄目でもやりようはいくらでもあると。

「精々がんばんな」

呆れたように、しかし至極面白そうに笑った甘利に波多野は、おう、と返した。

ーーー

行動


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